グラントの命令
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「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の記事における「グラントの命令」の解説
1865年3月24日すなわち南軍がステッドマン砦を攻撃する前日、グラントは既に3月29日に始める攻勢の作戦を立てていた。その目標は南軍を開けた戦いの場に引き出すことであり、そうすれば南軍を打ち破り、その軍事的な有効性を破壊することができると考えた。そうならないとしても、南軍が防衛線を維持するならば、北軍は南軍がまだ支配している道路と鉄道の供給と通信のルートを遮断できる可能性があった。すなわちピーターズバーグに至るサウスサイド鉄道とボイドトン板張り道路(以前に遮断されたウェルドン鉄道に繋がっていた)、リッチモンドに至るリッチモンド・アンド・ダンビル鉄道を遮断し、リーの前線を最大限まで伸ばさせることだった。 グラントはエドワード・オード少将に、ジェームズ軍の一部をリッチモンドに近い前線から動かし、ピーターズバーグ前線の南西端にいるアンドリュー・A・ハンフリーズ少将の指揮する第2軍団が動いた後を埋めるよう命令した。その後第2軍団は西に動くこととした。オードは、ジョン・ギボン少将指揮下の第24軍団からチャールズ・デブンス、ウィリアム・バーニー各准将の2個師団と、ゴッドフリー・ワイツェル少将の第25軍団からジョン・W・ターナー准将の1個師団をアポマトックス川の南岸に動かした。これによって、ジョージ・ミード少将指揮下のポトマック軍のうち、2個軍団をリー軍の側面と鉄道供給線に対して攻勢に出せる余裕が生まれた。すなわち、ハンフリーズ少将の第2軍団とウォーレン少将の第5軍団がこれに該当した。グラントはこれらの部隊に加え、このときもシェナンドー軍のままだったフィリップ・シェリダン少将の騎兵隊と共に西に動くよう命じた。シェリダン軍は、トマス・デビン准将の第1師団と、ジョージ・アームストロング・カスター准将(名誉少将)の第3師団で構成されていたが、どちらも非公式の軍団長としてウェズリー・メリット准将(名誉少将)の全体指揮下に置かれていた。さらにポトマック軍からこの任務のために派遣されたジョージ・クルック少将の第2師団が付いた。シェリダン軍はまずディンウィディ・コートハウスを支配し、そこでボイドトン板張り道路を遮断することとされた。
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グラントの命令
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「第三次ピーターズバーグの戦い」の記事における「グラントの命令」の解説
1865年3月24日、すなわち南軍がステッドマン砦を攻撃する前日、グラントは既に3月29日に始める攻勢の作戦を立てていた。その目標は南軍を開けた戦いの場に引き出すことであり、そうすれば南軍を打ち破り、その軍事的な有効性を破壊することができると考えた。そうならないとしても、南軍が防衛線を維持するならば、北軍は南軍がまだ支配している地域とピーターズバーグおよびリッチモンドとを繋ぐ道路と鉄道の供給と通信のルートを遮断できる可能性があった。ステッドマン砦の戦いの結果によって作戦を変えることは無かった。この攻撃で北軍は陣地を失ってはいないし、その前線を縮小することも必要ではなく、損失にしても軍全体に対する比率は小さかった。 グラントはエドワード・オード少将に、ジェームズ軍の一部をリッチモンドに近い前線から動かし、ピーターズバーグ前線の南西端にいるアンドリュー・A・ハンフリーズ少将の指揮する第2軍団が動いた後を埋めるよう命令した。その後第2軍団は西に動くこととした。これによって、ジョージ・ミード少将指揮下のポトマック軍のうち、2個軍団をリー軍の側面と鉄道供給線に対して攻勢に出せる余裕が生まれた。すなわち、ハンフリーズ少将の第2軍団とガバヌーア・ウォーレン少将の第5軍団がこれに該当した。グラントはこれらの歩兵2個軍団に加え、このときもシェナンドー軍のままだったフィリップ・シェリダン少将の騎兵軍団と共に西に動くよう命じた。シェリダン軍は、トマス・デビン准将の第1師団と、ジョージ・アームストロング・カスター准将(名誉少将)の第3師団で構成されていたが、どちらも非公式の軍団長としてウェズリー・メリット准将(名誉少将)の全体指揮下に置かれていた。さらにポトマック軍からこの任務のために派遣されたジョージ・クルック少将の第2師団が付いた。グラントの目標は同じままだったが、南軍を開けた場所での会戦に引き込んでこれを破ることはできそうにないと考えていた。
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グラントの命令
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グラントは1865年3月24日には既に、3月29日には攻勢を始めるという命令を出しており、ステッドマン砦の戦いの結果によって命令を変えることは無かった。グラントは、シェリダンの騎兵隊が南軍に僅かに残された鉄道、サザン鉄道と、リッチモンドに至るリッチモンド・アンド・ダンビル鉄道を遮断し、歩兵部隊が可能ならば南軍をその陣地から誘い出すという作戦を立てていた。3月28日、グラントはシェリダンに、その部隊を率いて南軍の右翼側面に回り込み、南軍が塹壕から出てきた場合には、歩兵部隊の支援を得て戦うことと伝えていた。そうでなければ、鉄道をできる限り破壊し、ピーターズバーグに戻るか、ノースカロライナ州でシャーマン軍と合流するか、裁量に任せることにしていた。 グラントはポトマック軍の中から2個軍団すなわち、ガバヌーア・ウォーレン少将指揮下の第5軍団と、アンドリュー・A・ハンフリーズ少将の指揮する第2軍団に、シェリダンの右翼側面、標的の東を支えるよう命令を出した。グラントは、これら歩兵軍団が防御位置にある南軍の側面を衝き、シェリダンの任務を妨害するのを妨げ、南軍が戦闘に出て来るならば、それを元の前線に押し返すことを望んだ。ウォーレンの軍団は当初、ディンウィディ・コートハウスを占領することも命令されており、それはその場所でボイドトン板張り道路の部分を支配することでもあったが、後にその任務はシェリダンに任された。 グラントの命令下、3月27日から28日の夜に、エドワード・オード少将がジェームズ軍の部隊を密かに移動させた。それにはジョン・ギボンの第24軍団から2個師団、ゴッドフリー・ワイツェル少将の第25軍団から1個師団、およびラナルド・S・マッケンジー准将の騎兵師団が含まれており、リッチモンドの前線から第2軍団の居たピーターズバーグの前線を埋めるための移動であり、第2軍団はシェリダン軍支援のために動いていた。南軍はリッチモンドの前線を守るジェイムズ・ロングストリート中将の軍団がオードの動きを見逃しており、リーはリッチモンドの前線をどうしようもなく弱くすることなしに、グラント軍の動きに対応させられる兵員の数を限られたものにしていた。
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グラントの命令
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「ホワイトオーク道路の戦い」の記事における「グラントの命令」の解説
1865年3月24日すなわち南軍がステッドマン砦を攻撃する前日、グラントは既に3月29日に始める攻勢の作戦を立てていた。その目標は南軍を戦いの場に引き出すことであり、そうすればそれを打ち破るか、あるいは南軍がまだ支配している地域とピーターズバーグおよびリッチモンドとの間に残っている道路と鉄道の供給と通信のルートを、南軍がまだそれらを維持しているとしてそれらを遮断できる可能性があった。ステッドマン砦の戦いの結果によって作戦を変えることは無かった。北軍は陣地を失ってはいないし、損失にしても軍全体に対する比率は小さかった。 グラントはエドワード・オード少将に、ジェームズ軍の一部をリッチモンドに近い前線から動かし、ピーターズバーグ前線の南西端にいるアンドリュー・A・ハンフリーズ少将の指揮する第2軍団が動いた後を埋めるよう命令した。その後第2軍団は西に動くこととした。オードは、ジョン・ギボン少将指揮下の第24軍団からチャールズ・デブンス、ウィリアム・バーニー各准将の2個師団と、ゴッドフリー・ワイツェル少将の第25軍団からジョン・W・ターナー准将の1個師団をアポマトックス川の南岸に動かした。これによって、ジョージ・ミード少将指揮下のポトマック軍のうち、2個軍団をリー軍の側面と鉄道供給線に対して攻勢に出られる余裕が生まれた。すなわち、ハンフリーズ少将の第2軍団とウォーレン少将の第5軍団がこれに該当した。グラントはこれらの部隊に加え、このときもシェナンドー軍のままだったフィリップ・シェリダン少将の騎兵隊と共に西に動くよう命じた。シェリダン軍は、トマス・デビン准将の第1師団と、ジョージ・アームストロング・カスター准将(名誉少将)の第3師団で構成されていたが、どちらも非公式の軍団長としてウェズリー・メリット准将(名誉少将)の全体指揮下に置かれていた。さらにポトマック軍からこの任務のために派遣されたジョージ・クルック少将の第2師団が付いた。その与えられた任務は南軍を開けた場所での会戦に引き込んでこれを破ることであり、でなければピーターズバーグに至るサウスサイド鉄道とボイドトン板張り道路(以前は遮断されたウェルドン鉄道に繋がっていた)、リッチモンドに至るリッチモンド・アンド・ダンビル鉄道を遮断し、リーの前線を最大限まで伸ばさせることだった。
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