THE WINDS OF GOD 映画

THE WINDS OF GOD

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/24 00:55 UTC 版)

映画

WINDS OF GOD (1995年版)

WINDS OF GOD
監督 奈良橋陽子
脚本 今井雅之
原作 今井雅之
製作 大山幸英、莟宣次、大里俊博、春山五月
出演者 今井雅之
山口粧太
音楽 大島ミチル
主題歌 THE BLUE HEARTS青空
ポール・ウィンター「SONG FOR THE WORLD」
撮影 西浦清
編集 岡安肇
製作会社 松竹第一興行、ケイエスエス
配給 松竹
公開 1995年6月3日
上映時間 97分
製作国 日本
言語 日本語
配給収入 1億5000万円[3]
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最初の映画化作品は『WINDS OF GOD』というタイトルで、1995年6月3日に公開。松竹配給。奈良橋陽子監督作品。内容としては、舞台版に比較的忠実である。

製作経緯

「THE WINDS OF GOD」は最初は映画として企画された[4]。最初に今井雅之からストーリーを聞いた奈良橋陽子は「すごく面白い」と思い、いくつかの場面を稽古し「これは国際的な映画になる」と直感した[4]。すぐに松竹の奥山和由に企画書を提出したが、なかなかゴーサインが出ず、それならばと先に舞台作品として世に出た[4]

最初に映画が製作されかけたのは1989年[5][6]1987年に奥山和由が製作した『ハチ公物語』で、岡田茂東映社長に世話になったことから[5][7]、奥山が「岡田社長の元で映画をプロデュースして恩返ししたい」と東映の岡田に本作の映画化を持ち込んだ[5][6]。この時のタイトルは『KAMIKAZE』で[5][6]、製作は五味武が社長を務めるGMプロモーションと伊藤萬の共同製作[6]。製作総指揮は五味、企画が奥山和由、脚本・今井雅之、監督・奈良橋陽子、主演は今井雅之と本木雅弘[5][6]、配給は松竹洋画系[6]1989年9月にクランクイン、1990年春公開と具体的なところまで進んでいたが[5][6]、映画化されず。

1992年にローバジェット作品として松竹での製作が決定し[4]、同年8月クランクイン[4]静岡県下田市近郊で1ヵ月ロケ[4]。舞台で看護婦役だった藤田朋子が「どんな小さい役でもいいから出して欲しい」と訴え、テレビの仕事の後、ロケ地へ遊びに来て、そのまま2ショット出演した[4]。9月のニューヨーク公演の後、テキサスで空中シーンの撮影を終え、映画はここで完成した[4]1993年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映され、審査員特別賞を受賞したが一般公開はならず、お蔵入りした[4][8][9]

配給経緯

1995年が戦後50年にあたることから、邦画メジャー3社で戦争映画大作を競作しようと準備を始め[10][11]、東映が『きけ、わだつみの声 Last Friends』、東宝が『ひめゆりの塔』の戦争大作の製作を早くに決め、会社の意地を見せ万全の体勢を敷いた[10]。しかし松竹はこれに乗らず[9]。このため東映と東宝の二社で『戦後50年記念共同プロジェクト』を実施し、二作品の予告編を反対の劇場で流す、二作品の予告編を一緒にしてお互いの劇場で流すなどという史上初の試みを行うなどで盛り上げた[8][12]。松竹はこの二社の盛り上がりに便乗し、二年前にお蔵入りさせた『WINDS OF GOD』をこの年公開した[8][9]。 

作品の評価

作品の評価は悪くなかったが[3]、二年前の映画で、題材、キャストがアピール出来ず、ヒットしなかった[3]

キャスト

THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE- (2006年版)

ロケ地の一つ・布計小学校跡(鹿児島県伊佐市)
THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-
監督 今井雅之
脚本 今井雅之
原作 今井雅之
製作総指揮 竹下肇
出演者 今井雅之
松本匠
音楽 宗次郎
撮影 栢野直樹
編集 鵜飼邦彦
製作会社 エルカンパニー
配給 松竹
公開 2006年8月26日
上映時間 125分
製作国 日本
言語 英語
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THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE-』というタイトルで2006年8月26日に公開。国際映画として上映するため、現代を演じる場面の舞台はアメリカへと変更され、タイムスリップする人間もニューヨーク在住のアメリカ人コメディアンという設定になっている。

キャスト

マイクはドイツ系白人。
  • キンタ・モンゴメリー:ウェイン・ドスター / 福元貴士海軍少尉:松本匠
キンタは日米ハーフ。

  1. ^ 今井雅之 病気で20キロ減も舞台に熱”. デイリースポーツ (2015年2月23日). 2015年4月23日閲覧。
  2. ^ 今井雅之、大腸がん告白 5月からの主演舞台降板”. 日刊スポーツ (2015年4月21日). 2015年4月23日閲覧。
  3. ^ a b c 「文化通信情報」『AVジャーナル』1995年6月号、文化通信社、 7頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 小藤田千栄子「インタビュー奈良橋陽子 映画『ウィンズ・オブ・ゴッド』が出来るまで」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1995年11月上旬号、 74-75頁。
  5. ^ a b c d e f 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画トピックジャーナル 松竹富士の奥山和由プロデューサーが東映作品を製作。そこに至るまでの経緯、そしてその背景には。」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1989年7月下旬号、 156-157頁。
  6. ^ a b c d e f g 文化通信社編 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、243-244頁。ISBN 978-4-636-88519-4 
  7. ^ 田中千世子「特集(2)『ハチ公物語』 評論&製作者インタビュー」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1987年8月上旬号、 49頁。脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画トピックジャーナルワイド版 特別ゲスト・奥山融氏」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1987年10月上旬号、 76-77頁。面澤淳一「現代日本人からのメッセージ 奥山和由インタビュー」『実業の日本』、実業之日本社、1993年2月号、 50-51頁。大高宏雄 『日本映画逆転のシナリオ』WAVE出版、2000年、33-34頁。ISBN 4-87290-073-1 
  8. ^ a b c 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画トピックジャーナル 東映と東宝が『戦後50年記念共同プロジェクト』を実施」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1995年5月上旬号、 150-151頁。
  9. ^ a b c 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1995年7月下旬号、 154-155頁。
  10. ^ a b 大高宏雄「映画戦線異状なし 戦争と"戦い得た"企画であったのか」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1995年7月下旬号、 158-159頁。
  11. ^ 竹入栄二郎「映画街 興行短信 不良感度と生真面目」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1995年7月下旬号、 156頁。
  12. ^ 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画トピックジャーナル」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1995年8月下旬号、 185頁。






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