B-29 (航空機) B-29のノーズアート

B-29 (航空機)

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B-29のノーズアート

アメリカ軍では航空機の機体前部にノーズアートを描く風習が他の国の空軍より盛んであった。第二次世界大戦の末期には高い技術水準に達していたが、B-29の長くて滑らかな機首はノーズアートを描くには格好の環境であり、さまざまなノーズアートが描かれた。軍が公式に許可していたわけではないが、絵がまともであれば爆撃兵団の上層部が認め、アメリカ軍は黙認していたというのが実態である。ノーズアートを描くのは看板職人をしていた兵士であり、公務の傍ら任務時間外に腕をふるった。報酬は60ドルから100ドルぐらいで、その報酬はクルーらが出し合った。腕のいい看板職人の兵士には依頼が殺到し、1飛行隊全機の依頼が舞い込み、2時間ぐらいの作業で1,000ドル稼ぐことができたという[351]。特に好まれたのが“なまめかしい”女性のノーズアートであり、当初は爆撃兵団の上層部も最低限の品性を備えていれば容認していたが、次第に過激な表現となってきたため、終戦の直前には従軍牧師が道徳的に問題があると騒ぎだして、女性のノーズアートはシンプルで品のいいシンボルや無機質な文字のノーズアートに差し替えられた[352]。ノーズアートは主に機体の左側に書かれるため、B-29の公式な報道写真などは右側から撮影されることが多かった。第二次世界大戦が終わっても、依然として機体左側には無味乾燥なノーズアートが多かったが、機体の右側にもノーズアートが描かれるようになり、また、なまめかしい女性のノーズアートも復活し、特に朝鮮戦争開戦後に盛んとなった。この頃のノーズアートを主に描いたのはアメリカ軍の看板職人の兵士ではなく、B-29航空団の基地があった嘉手納飛行場横田基地周辺の本職の日本人看板屋であった[352]


注釈

  1. ^ 照準器・銃塔・アナログ・コンピューター1台で1つのシステムとなっており、照準器からの目標への方位角や仰角、目標からの距離、目標の相対速度のデータをアナログ・コンピューターに入力された後に修正された方位角や仰角のデータが出力された後に銃塔に送られ、これらを基に目標への方位角や仰角に銃塔が動くシステムとなっている。
  2. ^ B-29の出撃を察知できなかった在中国の第5航空軍が、帰還するB-29に一矢を報いるために偵察を強化していたが、一〇〇式司令部偵察機河南省内郷に不時着したB-29を発見して、隼と九九式襲撃機を出撃させてそのB-29を地上で撃破している。
  3. ^ 20 mm機銃で武装した96式小型トラックをグライダーで沖縄のアメリカ軍飛行場に降下させて、飛行場のアメリカ軍機を攻撃するという作戦。
  4. ^ うちロバート・W・ネルソン中尉とアルギー・オーガスト曹長の2名は捕虜となったが、後日、大阪陸軍刑務所で取り調べ後に処刑されている。
  5. ^ 憲兵隊に引き渡される前に死亡したものも含む。
  6. ^ 搭乗員は不時着し日本人と遭遇した際に備え、日本円や土産用のアメリカ製腕時計なども携帯していた。
  7. ^ a b 搭載可能燃料は機体内燃料タンクに6,803gal (25,752ℓ)、爆弾槽に1,333gal (5,046ℓ)の合計9,363gal (35,443ℓ)
  8. ^ 搭載可能燃料は機体内燃料タンクに6,590gal (24,946ℓ)、爆弾槽に2,560gal (9,691ℓ)の合計9,150gal (34,637ℓ)

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