7世紀 できごと

7世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:19 UTC 版)

できごと

600年代

610年代

620年代

630年代

640年代

650年代

  • 650年頃
  • 650年
    • 内モンゴルの東突厥の旧領フフホト付近に瀚海都護府(後の単于都護府)を設置。
  • 651年
    • オクサス川の戦いで敗北したサーサーン朝皇帝ヤズデギルド3世が暗殺される。
      • 事実上サーサーン朝ペルシアが滅亡、皇子ペーローズ3世は唐に亡命する。
    • イスラム帝国カリフのウスマーンの命令で『クルアーン(コーラン)』正典が編纂される(ウスマーン版)。
    • イスラム帝国の使者が始めて唐に来訪する。
    • 唐で「永徽律令」が施行される。
  • 652年
    • 唐で「唐律疏義(永徽律疏)」が編纂され、漢代からの「春秋決獄」が廃止される。
    • 玄奘三蔵がインドから招来した経典や仏像を保存するため長安近郊の大慈恩寺大雁塔が建てられる。
  • 653年
  • 654年
    • 西ゴート王レケスウィントが属人法を廃止し「西ゴート法典(リベル法典・裁判法典)」を公布する。
  • 655年
    • 皇帝コンスタンス2世率いる東ローマ帝国軍が小アジアのリュキアの海戦(帆柱の戦い)でイスラム帝国軍に惨敗。
    • 唐の高宗の皇后王氏が廃され、武照が皇后に冊立される。
    • 皇極天皇が重祚し、第37代斉明天皇となる。
  • 656年 - ウスマーンが暗殺され、アリーが第4代カリフに選出される。
  • 657年
  • 658年
    • 有間皇子が謀反の疑いで処刑される。
    • 阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討ち、粛慎を平定する( - 660年)。
    • 東ローマ皇帝コンスタンス2世がバルカン半島南部のスラブ人を制圧。
      • この時のスラブ人は小アジアに入植させられ、帝国防衛のためのテマ制(軍管区制)の原型が形成される。
  • 659年

660年代

670年代

680年代

690年代

700年代

7世紀


  1. ^ ただし、日本成立以前の倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。


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