7世紀
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できごと
600年代
- 601年
- 602年
- 603年 - 新羅攻撃を中止する。豊浦宮から小墾田宮に遷る。冠位十二階を制定する。
- 604年
- 605年
- 606年
- 607年
- 608年
- 609年
- 小野妹子ら帰国する。
- 教皇ボニファティウス4世がローマのパンテオンを聖母と諸聖人のための聖堂として改めて奉献する。
610年代
- 610年
- 611年 - 隋が高句麗遠征を開始( - 614年)するが、失敗に終わる。
- 612年 - 百済人味摩之により日本に伎楽が伝えられる。
- 613年
- 614年
- 615年 - 隋の煬帝が雁門で東突厥の始畢可汗に包囲される。
- 617年 - サーサーン朝が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを包囲する。
- 618年 - 江都(揚州)にて煬帝が宇文化及・司馬徳戡に殺害され隋が滅亡する。
- 618年頃 - コンスタンティノポリスでの都市民への穀物支給の廃止(「パンとサーカス」の終焉)。
620年代
- 620年 - 東ローマ帝国で公用語をラテン語からギリシア語に変更する。
- 621年
- 622年
- 623年
- 624年
- 625年
- ウフドの戦いでメッカ軍がメディナ軍に勝利。
- イングランド東部イースト・アングリアのサットン・フーの船葬墓からこの年の銘の金貨が出土している。
- 626年
- 627年
- 628年
- 629年
630年代
- 630年
- 631年 - 唐の魏徴らにより『群書治要』が編纂される。
- 632年 - 別離の巡礼の後にムハンマドが死去。
- 633年 - イスラム教徒のペルシア征服が始まる。
- 634年 - アブー・バクル死去により第2代カリフにウマルが選ばれる。
- 634年頃 - チャールキヤ朝のプラシーケン2世がナルマダー川の戦いでハルシャ・ヴァルダナの軍を破り南インドの独立を維持する。
- 635年以前 - クブラト・ハンにより黒海北岸のタマン半島のファナゴリアを中心とする大ブルガリアが成立する。
- 635年
- ティカルの王子バラフ・チャン・カウィールがドス・ピラスの支配者になる。
- ノーサンブリア王オスワルドの招きにより、エイダンがリンディスファーン修道院を設立する。
- ペルシア人司祭の阿羅本らにより唐にキリスト教ネストリオス派(景教)が伝えられる。
- 唐の李靖が吐谷渾を征討する。
- 636年
- ヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗。
- 東ローマ帝国はサーサーン朝から奪回したシリアの領土を再び失う。
- フランク王ダゴベルト1世により王家の墓所となるサン・ドニ教会がパリ近郊に設置される。
- ヤルムーク河畔の戦いで、皇帝ヘラクレイオス率いる東ローマ帝国軍がイスラム帝国軍に惨敗。
- 637年
- カーディシーヤの戦いで、サーサーン朝がイスラム軍に敗れ、都のクテシフォンを占領される。
- 唐で「貞観律令」が施行される。
- 舒明天皇9年のこの年、轟音を伴う流星が確認される、僧旻はこれを「天狗」と呼ぶ。
- 638年
- 639年
640年代
- 640年
- 640年頃
- 中部ジャワにシャイレーンドラ朝が成立。
- 641年
- 642年
- ニハーヴァンドの戦いでサーサーン朝がイスラム帝国に大敗する。
- レイでスィヤーワフシュを首領とするゾロアスター教徒の反乱が起きる。
- フスタートにアフリカ大陸最古のモスクであるアムル・イブン・アル=アース・モスクが建立される。
- 第35代皇極天皇即位。船氏王後墓誌(三井記念美術館蔵)が作成される。
- 高句麗の淵蓋蘇文が栄留王を弑害し、宝蔵王を擁立。
- 643年
- 644年
- 645年
- 646年
- 647年 - ハルシャ・ヴァルダナ王の死によりヴァルダナ朝の支配が崩壊し、北インドは混乱状態になる。
- 唐の使節王玄策らが北インドでアラナシュの反乱に遭遇、吐蕃らと協力してアラナシュを捕縛し唐に連行する。
- 648年 - 東ローマ皇帝コンスタンス2世が「テュポス」を発布。
- 649年 - 蘇我倉山田石川麻呂が讒言により山田寺にて自害する。
650年代
- 650年頃
- スマトラ島にシュリーヴィジャヤ王国が成立。
- 650年
- 内モンゴルの東突厥の旧領フフホト付近に瀚海都護府(後の単于都護府)を設置。
- 651年
- 652年
- 653年
- 654年
- 西ゴート王レケスウィントが属人法を廃止し「西ゴート法典(リベル法典・裁判法典)」を公布する。
- 655年
- 656年 - ウスマーンが暗殺され、アリーが第4代カリフに選出される。
- 657年
- 唐軍により沙鉢羅可汗が捕えられ西突厥が唐の羈縻政策下に置かれる。高宗のこの時期に唐の領土は最大となる。
- スィッフィーンの戦い、アリーとムアーウィアの間で勝敗はつかず。
- ドゥーマト・アッ・ジャンダルの和議が結ばれるが、アリーからハワーリジュ派が離反。
- 658年
- 659年
660年代
- 660年
- 新羅と唐の連合軍(唐・新羅の同盟)が百済を滅ぼす。
- 唐で「皇帝」と「皇后」をそれぞれ「天皇」と「天后」に改名。
- 661年
- 663年
- 664年
- 665年頃 - クブラト・ハンが死去し大ブルガリアの部族連合が崩壊する。
- 北方のヴォルガ川中流域にはヴォルガ・ブルガール人、西方のバルカン半島にはドナウ・ブルガール人が拡大する。
- 666年 - 唐の高宗が武后とともに泰山にて封禅を行う。
- 667年 - 中大兄皇子が近江国近江宮(大津宮)へ遷都( - 672年)。
- 668年
- 669年
670年代
- 670年
- 671年
- 672年
- 673年 - ウマイヤ朝海軍がキュジコス半島を前線基地として確保。
- 674年 - キュジコス半島からウマイヤ朝海軍が東ローマ帝国首都コンスタンティノポリスを包囲。
- 675年
- 天武天皇が日本で最初の肉食禁止の詔を出す。
- 竜門石窟の奉先寺洞毘盧遮那仏が完成する。
- 676年 - 伎伐浦海戦で唐を破った新羅が朝鮮半島を統一。
- 678年 - 西安から出土した百済系将軍「禰軍」の墓誌(拓本)にこの年の唐の年号「儀鳳3年」と最古の「日本」という国号の記述が見られる。
- 679年 - 唐がタリム盆地のスイアブを占領、碎葉鎮と改称し、安西四鎮の一つとなる。
- スイアブはかつての西突厥の根拠地で、キルギス共和国のアク・べシム遺跡がそれに当たる。
680年代
- 680年
- 681年
- 682年
- 683年
- 683年頃 - 天武天皇の下で富本銭が発行される。
- 684年
- 685年 - ムフタールの反乱。
- 686年 - 天武天皇が死去し、第41代持統天皇が即位。大津皇子が謀反の疑いで処刑される。
- 687年 - テルトリーの戦いで、アウストラシア宮宰ピピン2世(中ピピン)がネウストリア宮宰ワラットを倒し、フランク王国の実権を握る。
- 688年 - 東ローマ皇帝ユスティニアノス2世とウマイヤ朝カリフのアブドゥルマリクとの間でキプロスを共同統治することに合意。
- 689年 - 飛鳥浄御原令を発令。
690年代
- 690年
- 691年
- 則天武后が「仏先道後」の国是を定め、仏教保護政策を進める。
- 唐僧義浄による『南海寄帰内法伝』が完成する。
- 東ローマ皇帝ユスティニアノス2世がトゥルロ教会会議を開催する。
- 692年
- ウマイヤ朝カリフのアブドゥルマリクによりエルサレムの岩のドームが完成する(688年 - )。
- セバストポリスの戦いで、ウマイヤ朝軍が東ローマ軍を破る。
- 693年 - ウマイヤ朝カリフのアブドゥルマリクがダマスカスでイスラーム王朝初の金貨(ディナール)を打刻させる。
- 694年
- 695年 - レオンティオスの政変で東ローマ皇帝ユスティニアノス2世が捕縛され、鼻を削がれてクリミア半島ケルソンへ追放される。
- 696年
- 697年 - 持統天皇が譲位し、第42代文武天皇が即位する。
- 698年
- 699年 - 葛城山の行者役小角を伊豆大島に配流する。
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