1985年のル・マン24時間レース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 16:06 UTC 版)
決勝
決勝レース開始前のセレモニーは前年と比しても華やかで、複葉機が曲技飛行をし、それが終わるとコンコルドがコース上空を低空飛行した[5]。
ワークスポルシェのセッティングが燃費に関して慎重すぎたようで予選と比較して1周あたり30秒も遅れる不調ぶりであり、ヨースト・レーシング7号車とGTiエンジニアリング14号車が先行した[3]。この2台はお互い引っ張り合って燃費向上とハイペースを両立し、ワークスをふるい落としに掛かった[3]。これに対してワークスはモトロニックのセッティング変更に手間取り、対抗できなかった[3]。
GTiエンジニアリングもボディーにナイジェル・ストラウドの改良を受けていたがブレーキパッドの交換に手間取り決着がついた[3]。しかししばらく経って分かったことであるが、ヨーストの車両は特別チップで燃費が非常に向上しており、そのままついて行っていたらガス欠でリタイアさせられるところであり、実際にはGTiエンジニアリングはこのトラブルに救われていたのである[3]。
ジャガー・XJR-5は40号車[7]が10時間半を過ぎたところでドライブシャフトが破損してリタイヤ[注釈 1]、もう1台の44号車は電子系統のトラブルで一時ピットイン[7]した。
マツダはこの年すでに3ローターエンジンを開発しており、2ローターでの参戦は最後になるはずで、トラブルを起こさず確実に上位入賞するのが目標であったが、レース開始後わずか40分で85号車がオイル漏れを起こし、修理に2時間40分もかかった[5]。
トムスは完走だけを目指しており、スターティングドライバーの中嶋悟はトヨタのエンジニアから示された最高回転数をさらに数百回転落とすよう他のドライバーを説得していた[5]。トヨタの重役からは「マツダよりゆっくり走れ」という指示が出たともいう[5]。
- ^ a b c d e f g 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.85。
- ^ a b c 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.86。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 『Gr.Cとル・マン』pp.62-63。
- ^ a b 『Racing On』459号 p.87。
- ^ a b c d e f g h i j k 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.64-92「朝の光の中で1985」。
- ^ 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.90。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『ル・マンの英国車』p.136「1985」。
- ^ a b c d e f g h 『ル・マンの英国車』p.144。
- ^ a b c d e f 『Gr.Cとル・マン』pp.83。
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