10世紀
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人物
東アジア
唐
- 崔胤(? - 904年) - 唐末の宰相・李茂貞から皇帝昭宗奪還のため朱全忠と結び宦官勢力を殲滅・後年朱全忠に殺される
- 裴枢(841年 - 905年) - 唐末の宰相・朱全忠により他の高官とともに白馬で虐殺される(白馬の禍)
- 李振(? - 923年) - 唐末五代の政治家・朱全忠の腹心・唐の昭宗を弑逆し朱全忠に白馬での高官殺害を進言する
- 李茂貞(856年 - 924年) - 唐末五代の節度使・皇帝昭宗を擁して鳳翔遷都を企てるも挫折・唐滅亡後は独立
五代十国
- 朱全忠(852年 - 912年) - 五代後梁の初代皇帝(太祖)(在位907年 - 912年)・門閥貴族を根絶し唐を滅ぼす
- 李存勗(885年 - 926年) - 五代後唐の初代皇帝(荘宗)(在位923年 - 926年)・李克用の息子・洛陽に遷都
- 李嗣源(926年 - 933年) - 五代後唐の第2代皇帝(明宗)(在位926年 - 933年)・李克用の義子・荘宗を倒し開封に遷都・馮道を登用
- 石敬瑭(892年 - 942年) - 五代後晋の初代皇帝(高祖)(在位936年 - 942年)・燕雲十六州を遼に割譲
- 劉知遠(895年 - 948年) - 五代後漢の初代皇帝(高祖)(在位947年 - 948年)・遼の華北撤退後に建国
- 郭威(904年 - 954年) - 五代後周の初代皇帝(太祖)(在位950年 - 954年)・後漢の隠帝を倒し建国
- 柴栄(921年 - 959年) - 五代後周の第2代皇帝(世宗)(在位954年 - 959年)・五代随一の名君・後周の法難(廃仏)を実施
- 王建(847年 - 918年) - 十国前蜀の初代皇帝(高祖)(在位907年 - 918年)・田令孜を倒して四川で独自勢力を築く
- 銭鏐(852年 - 932年) - 十国呉越の初代皇帝(太祖)(在位907年 - 932年)・銭塘や江海塘の修理や日本への遣使で有名
- 李煜(937年 - 978年) - 十国南唐の末代皇帝(後主)(在位961年 - 975年)・詞文学の大成者だが宋に国を滅ぼされる
- 布袋(? - 917年?) - 唐末五代の禅僧・本名は契此か・弥勒菩薩の化身とされ日本では七福神の一人とされる
- 張承業(845年 - 922年) - 唐末五代の宦官・唐滅亡後は李克用に近侍・李存勗の皇帝就任には反対し諫死する
- 楊凝式(873年 - 954年) - 五代十国時代の官僚・書家として「古意帖」「乞花帖」「韮花帖」がある
- 馮道(882年 - 954年) - 五代十国時代の政治家・宰相・五朝八姓十一君に仕えたことは毀誉褒貶が激しい
- 欧陽炯(896年 - 971年) - 十国前蜀後蜀から北宋の詞人・『花間集』序を執筆し「花間派」を代表する
- 董源(生没年不詳) - 十国南唐の宮廷画家・江南の風景を描いた山水画に優れ「瀟湘図巻」「夏山図巻」などの伝承作がある
- 巨然(生没年不詳) - 十国南唐から北宋の画家・董源の弟子・南唐滅亡後は開封に移る・「層巌叢樹図」などの伝承作がある
- 顧閎中(910年頃 - 980年) - 十国南唐の画家・李煜に命じられ描いた「韓煕載夜宴図」は南唐の爛熟を示す画として名高い
北宋
- 趙匡胤(927年 - 976年) - 北宋の初代皇帝(太祖)(在位960年 - 976年)・陳橋の変で皇帝に擁立される
- 趙匡義(939年 - 997年) - 北宋の第2代皇帝(太宗)(在位976年 - 997年)・北漢を討ち中華を再統一
- 趙普(922年 - 992年) - 北宋の政治家・宰相・趙匡胤に仕え陳橋の変での活躍で北宋の建国に貢献した
- 李昉(925年 - 996年) - 北宋の政治家・宰相・太宗に命じられ『太平広記』『太平御覧』『文苑英華』を編纂
- 陳希夷(? - 984年/989年) - 五代宋初の隠士・儒仏道三教の調和を説く・紫微斗数や河洛理数などの占術を創始したか
- 楊業(? - 986年) - 北漢から北宋に帰順した武将・遼との戦いに従事・『楊家将演義』では楊一族の始祖として活躍
契丹
- 耶律阿保機(872年 - 926年) - 契丹(遼)の初代皇帝(太祖)(可汗在位907年 - 皇帝在位916年 - 926年)・渤海を滅ぼす
- 月里朶(879年 - 953年) - 契丹(遼)の初代皇后(淳欽述律皇后)(皇后在位907年 - 926年・皇太后在位926年 - 953年)・夫太祖の建国と次男太宗の治世を助ける
- 耶律突欲(899年 - 936年) - 契丹(遼)の皇太子・東丹国国王(在位926年 - 930年)・父太祖、弟太宗と共に渤海を滅ぼす
- 耶律堯骨(902年 - 947年) - 契丹(遼)の第2代皇帝(太宗)(在位927年 - 947年)・後晋を滅ぼす
- 耶律兀欲(919年 - 951年) - 契丹(遼)の第3代皇帝(世宗)(在位947年 - 951年)・中央集権化の改革を行う
- 耶律述律(931年 - 969年) - 契丹(遼)の第4代皇帝(穆宗)(在位951年 - 969年)・従兄世宗の一族を粛正
- 耶律明扆(948年 - 982年) - 契丹(遼)の第5代皇帝(景宗)(在位969年 - 982年)・太原の沙陀族政権北漢と結び配下とする
- 耶律文殊奴(972年 - 1031年) - 契丹(遼)の第6代皇帝(聖宗)(在位982年 - 1031年)・北宋と澶淵の盟を結び契丹の全盛期を現出
朝鮮
日本
- 菅原道真(845年 - 903年) - 公卿・右大臣・昌泰の変で失脚・怨霊伝説から天満宮の祭神とされる
- 三善清行(847年 - 919年) - 公卿・参議・漢学者・『延喜格式』の編纂に参加・『意見封事十二箇条』でも有名
- 藤原時平(871年 - 909年) - 公卿・左大臣・昌泰の変の首謀者・最初の荘園整理令を行い延喜の治の端緒となる
- 藤原忠平(880年 - 949年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・藤原時平や藤原仲平の弟・延喜の治を指導
- 藤原利仁(生没年不詳) - 武将・鎮守府将軍・武蔵守ほか各地の地方官を歴任・『今昔物語集』の説話や伝説で有名
- 紀貫之(872年? - 945年) - 官人・木工権頭・『土佐日記』作者・『古今和歌集』選者
- 平将門(? - 940年) - 武将・承平天慶の乱では関東で「新皇」を名乗る・怨霊伝説から神田明神などの祭神とされる
- 藤原秀郷(生没年不詳) - 武将・鎮守府将軍・平将門追討の功績で有名・近江三上山の百足退治伝説でも知られる。
- 小野好古(884年 - 968年) - 公卿・参議・大宰大弐・追捕使長官として藤原純友を追討
- 藤原純友(893年? - 941年) - 官人・伊予掾・承平天慶の乱では瀬戸内海で海賊を率い国府を襲う
- 小野道風(894年 - 967年) - 官人・内蔵頭・書家で「三蹟」の一人・「智証大師諡号勅書」などが残る
- 藤原実頼(900年 - 970年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・北家小野宮流の祖・天暦の治を指導・安和の変の首謀者か
- 空也(903年 - 972年) - 僧侶・浄土教の先駆者として「市聖」と呼ばれる・六波羅蜜寺開山
- 藤原師輔(909年 - 960年) - 公卿・右大臣(九条右大臣)・北家九条流の祖・天暦の治を指導
- 性空(910年 - 1007年) - 天台宗の僧・書写上人・播磨国書写山円教寺開山で花山法皇の尊崇を受ける
- 源順(911年 - 983年) - 学者・歌人・日本最古の分類体辞典『和名類聚抄』を編纂・梨壺の五人の一人
- 丹波康頼(912年 - 995年) - 医師・日本最古の医学書『医心方』を編纂
- 良源(慈恵大師)(912年 - 985年) - 天台座主・通称は元三大師・比叡山延暦寺の中興の祖
- 源満仲(912年 - 997年) - 武将・鎮守府将軍・摂津源氏/大和源氏/河内源氏の祖
- 源高明(914年 - 983年) - 公卿・左大臣(西宮左大臣)・安和の変で失脚・有職故実の書『西宮記』を残す
- 寛朝(916年 - 998年) - 真言宗の僧侶(大僧正)・東寺長者・京都遍照寺開山・平将門調伏で成田山新勝寺を開く
- 源博雅(918年 - 980年) - 公卿(皇后宮権大夫)・雅楽家・「博雅三位」と呼ばれる名手で笛や琵琶にまつわる伝説も多い
- 安倍晴明(921年 - 1005年) - 陰陽師・天文博士・神秘的な人物として伝説化される
- 藤原兼家(929年 - 990年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・藤原道長の父・寛和の変で一条天皇を擁立
- 慶滋保胤(933年以後 - 1002年) - 文人・儒学者で『池亭記』・『日本往生極楽記』の著者
- 藤原道綱母(936年? - 995年) - 藤原兼家の妻の一人・藤原倫寧の娘・『蜻蛉日記』を残す
- 奝然(938年 - 1016年) - 入宋僧・宋の太宗に引見される・京都清涼寺の開祖
- 源信(942年 - 1017年) - 天台宗の僧侶・良源の弟子・『往生要集』著者
- 藤原佐理(944年 - 998年) - 公卿・参議・書家で「三蹟」の一人・「詩懐紙」「離洛帖」などが残る
- 源頼光(948年 - 1021年) - 武将・藤原摂関家の家司・大江山酒呑童子征伐伝説で知られる
- 藤原道隆(953年 - 995年) - 公卿・摂政・関白(中関白)・藤原兼家の長男・伊周や定子の父
- 藤原道長(966年 - 1027年) - 公卿・摂政・内覧・通称は御堂関白・藤原兼家の四男・摂関政治の最盛期
- 清少納言(966年頃 - 1025年?) - 一条天皇の中宮定子の女房・『枕草子』作者
イスラム世界
サーマーン朝
- イスマーイール・サーマーニー(? - 907年) - サーマーン朝のアミール(在位892年 - 907年)・サーマーン朝の全盛期
カラハン朝
- サトゥク・ボグラ・ハン(? - 993年) - カラハン朝の君主(在位920年 - 958年)・テュルク系民族の集団改宗を行ったという
ガズナ朝
ブワイフ朝
ファーティマ朝
- アブー・アブドゥッラー(? - 911年/912年) - マグリブのイスマーイール派の教宣員・ファーティマ朝建国の功臣
- ウバイドゥッラー(873年 - 934年) - ファーティマ朝の初代カリフ(在位909年 - 934年)・アグラブ朝を倒しチュニジアに建国
- ムイッズ(932年 - 975年) - ファーティマ朝の第4代カリフ(在位953年 - 975年)・イフリーキヤからカイロに遷都
- ジャウハル(? - 992年) - ファーティマ朝の将軍・カリフのムイッズに仕える・イフシード朝を倒しエジプトにカイロを建設
- アズィーズ(955年 - 996年) - ファーティマ朝の第5代カリフ(在位975年 - 996年)・アズハルモスク付属のアズハル学院を創設
後ウマイヤ朝
- アブド・アッラフマーン3世(889年 - 961年) - 後ウマイヤ朝の初代カリフ(在位929年 - 961年)・王朝の最盛期・ザフラー宮殿を造営
- ハカム2世(914年 - 976年) - 後ウマイヤ朝の第2代カリフ(在位961年 - 976年)・首都コルドバの図書館に約40万冊の書物を蒐集した
- マンスール(938年 - 1002年) - 後ウマイヤ朝の大臣・カリフのヒシャーム2世に代わり実権を握る・キリスト教諸国に大勝
学者・詩人
- ルーダキー(850年代初頭 - 940年頃) - サーマーン朝のペルシア語詩人・ペルシア詩の確立者であり『カリーラとディムナ』他がある
- アル=ハッラージュ(857年/858年 - 922年) - ペルシアのイスラム神秘主義者・神人合一の神秘体験を説き異端として処刑される
- アル・ラーズィー(865年 - 925年) - ペルシアの錬金術師・化学者・哲学者・医師・四体液説の誤りを証明
- ファーラービー(870年? - 950年) - ファーラーブ出身のイスラム哲学者・数学者・アリストテレスに次ぐ「第二の師」とも呼ばれる
- アシュアリー(873年 - 935年) - イスラム神学者・ムウタズィラ学派ジュッバーイーの弟子だったが離反しアシュアリー学派の祖となる
- サアディア・ガオン(882年/892年 - 942年) - バビロニアのスーラにあるユダヤ学院長・カライ派を論駁し旧約聖書のアラビア語訳を完成
- イブン・ファドラーン(活躍時期921年 - 922年) - アッバース朝の使節として各地を旅行し『ヴォルガ・ブルガール旅行記』を残す
- マスウーディー(896年 - 956年) - バグダード出身の歴史地理学者・「アラブのヘロドトス」・著作に『黄金の牧場と宝石の鉱山』がある
- アブル・ファラジュ(897年 - 967年)- エスファハーン生身の学者・アラブ人の詩歌の記録をまとめた『歌の書(キターブ・アル・アガニ)』を残す
- アブド・アル・ラフマン・アル・スーフィー(903年 - 986年) - ブワイフ朝で活躍した天文学者・『星座の書』『アストロラーベの使用法』がある
- イブン・ハウカル(? - 978年頃) - ニシビス出身の地理学者・インドからアフリカまで遍歴・著書に『大地の姿』(『諸道諸国志』)がある
- アル・ムタナッビー(915年 - 965年) - クーファ出身のアラビア語詩人・「預言者を僭称する者」の別名あり・華麗な作品が多いが殺害される
- ブズルク・ブン・シャフリヤール(10世紀後半) - イスラム航海者・インド洋の航海者に伝わる説話を『インドの驚異譚』でまとめる
- アブ・マンスール・ムアファック(10世紀後半) - 薬事学者・ペルシアやインドを旅行し『治療の正しい諸性質の基礎の書』を執筆
- ダキーキー(930年/940年 - 978年頃) - サーマーン朝で活躍したペルシア語詩人・フィルドウスィーに先行し影響を与える
- イブン・ナディーム(932年頃 - 990年) - バグダードの書籍商・当時この地にあったアラビア語書籍の目録『フィフリスト』を著す
- フェルドウスィー(934年 - 1025年) - サーマーン朝・ガズナ朝で活躍したペルシア語詩人・イラン民族叙事詩『シャー・ナーメ』を書く
- タヌーヒー(939年 - 994年) - バスラ出身の法官・著作家・イスラム世界の説話を集めた『座談の糧』で知られる
- イブン・スィーナー(980年 - 1037年) - ブハラ出身の哲学者・科学者・医師としては『医学典範』『治癒の書』がある
南アジア
- チャムンダラヤ(940年 - 989年) - インドの西ガンガ朝の政治家・軍人・建築家・詩人・シュラバナベルゴラのゴーマティーシュヴァラ像を建立
- タイラ2世(? - 997年) - インドの後期チャールキヤ朝の初代の君主(在位973年 - 997年)・ラーシュトラクータ朝を滅ぼす
- ラージャラージャ1世(? - 1014年頃) - インドのチョーラ朝の君主(在位985年 - 1014年頃)・チョーラ朝最盛期の王
- ゴーラクシャナータ(10世紀) - インド北部の宗教家・「ハタ・ヨーガ」の創始者で『シッダ・シッダーンタ・パダッティ』の作者とされる
キリスト教世界
フランス王国
- クリュニーのベルノー(850年 - 927年) - クリュニー修道院初代院長・アキテーヌ公ギヨーム1世の援助で修道院を建立
- ロロ(徒歩王)(860年頃 - 933年) - ノルマン人の族長・初代ノルマンディー公(在位911年 - 933年)
- クリュニーのオド(879年 - 942年) - クリュニー修道院2代院長・教会刷新運動を進め俗界権力の容喙を拒絶
- ゴルツェのヨハネス(900年 - 974年) - ゴルツェ修道院院長・修道院改革をロレーヌ地方からドイツに広げる
- ユーグ・カペー(941年 - 996年) - フランスの初代国王・カペー朝の祖(在位987年 - 996年)・神聖ローマ皇帝オットー1世の甥
- ロベール2世(敬虔王)(972年 - 1031年) - フランス国王(在位996年 - 1031年)・ベルトとの結婚で教皇から破門される
神聖ローマ帝国
- ハインリヒ1世(捕鳥王)(876年 - 936年) - ザクセン朝の祖・ドイツ(東フランク)王(在位919年 - 936年)
- オットー1世(大帝)(912年 - 973年) - ザクセン朝の東フランク王・初代神聖ローマ皇帝(在位962年 - 973年)・マジャール人を撃退
- ブルグントのアーデルハイト(931年/932年 - 999年) - 神聖ローマ皇帝オットー1世の皇后・息子夫妻の死後はオットー3世の摂政となる
- オットー2世(955年 - 983年) - ザクセン朝の神聖ローマ皇帝(在位973年 - 983年)・東ローマ皇女テオファヌと結婚
- テオファヌ(960年 - 991年) - 神聖ローマ皇帝オットー2世の皇后・東ローマ皇帝の姪・夫君死後は息子のオットー3世の摂政となる
- オットー3世(980年 - 1002年) - ザクセン朝の神聖ローマ皇帝(在位996年 - 1002年)・古代ローマへの憧憬からイタリア遠征を行う
- ロスヴィータ(935年頃 - 973年頃) - ドイツのベネディクト会律修修女・オットー朝ルネサンスを代表するラテン語劇作家・詩人
イタリア
- ベレンガーリオ1世(850年? – 924年) - フリウリ辺境伯・イタリア王・ガリリャーノ川の戦いで勝利し西ローマ皇帝(在位915年 - 924年)となる
- マロツィア(890年頃 - 932年/937年) - ローマの女性政治家・その教皇庁支配はポルノクラシー(娼婦政治)と呼ばれる
- クレモナのリウュートプランド(922年頃 - 972年) - クレモナ司教・東ローマ帝国の宮廷に派遣され『コンスタンティノポリス使節記』を残す
- ヨハネス12世(937年 - 964年) - ローマ教皇(在位955年 - 964年)・オットー1世を神聖ローマ皇帝として戴冠
- シルウェステル2世(950年? - 1003年) - ローマ教皇(在位999年 - 1003年)・オットー3世の家庭教師・数学者・天文学者でもある
- ウーゴ(953年/954年 - 1001年)・トスカーナ辺境伯(在位 969年 - 1001年)・統治機構を改変した公正な政治は後世のダンテの称賛を受けた
東ローマ帝国
- レオーン6世(ソフォス)(866年 - 912年) - 東ローマ帝国マケドニア朝の皇帝(在位886年 - 912年)・「バシリカ法典」編纂や四婚問題で知られる
- コンスタンティノス・ケファラス(10世紀初頭) - 東ローマ帝国の文人・古代からの詩文を集めた『ギリシア詞華集(パラティン詞華集)』を編纂する
- コンスタンティノス7世(ポルフュロゲネトス)(905年? - 959年) - 東ローマ帝国マケドニア朝の皇帝(在位913年 - 920年、944年 - 959年)
- ニケフォロス2世フォカス(913年 - 969年) - 東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位963年 - 969年)・シリアのアンティオキアを奪回
- ヨハネス1世ツィミスケス(925年 - 976年) - 東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位969年 - 976年)・先帝に続き東方領土を拡大
- テオファノ(941年頃 - ?) - 東ローマ皇帝ロマノス2世の皇后・続く皇帝ニケフォロス2世の皇后・東ローマ帝国史上最大の悪女とも言われる
- バシレイオス2世(ブルガロクトノス)(958年 - 1025年) - 東ローマ帝国マケドニア朝最盛期の皇帝(在位976年 - 1025年)
- アトスのアタナシオス(920年頃 - 1000年頃) - 東ローマ帝国の修道士・アトス山にメギスティス・ラヴラ修道院を建立し聖地の名を高める
- シメオン・メタフラテス(10世紀後半) - 東ローマ帝国の神学者・『聖人伝(メノロギオン)』ほか祈祷文など多くの著作で知られる
東欧
- シメオン1世(864年 - 927年) - ブルガリア国王(在位893年 - 913年)・ブルガリア皇帝(在位913年 - 927年)
- ボゴミル(10世紀前半) - ブルガリア支配下の西マケドニアの司祭・異端パウロ派の影響から善悪二元論のボゴミル派を創設
- トミスラヴ(? - 928年) - クロアチアの初代国王(925年 - 928年)・マジャール人やフランク人を抑えて独立を達成する
- オリガ(? - 969年) - キエフ大公国第2代大公イーゴリ1世の妃・第3代大公スヴャトスラフ1世の摂政・キリスト教(東方正教会)を受容
- ヴァーツラフ1世(907年 - 935年) - プシェミスル朝のボヘミア公(在位921年 - 935年)・都プラハに聖ヴィート大聖堂を建立
- ミェシュコ1世(935年? - 992年) - ピャスト朝の初代ポーランド国王(在位963年 - 992年)・キリスト教(カトリック教会)を受容
- スヴャトスラフ1世(942年頃 - 972年) - キエフ大公(在位945年 - 972年)・ハザール王国を滅ぼし、キエフ・ルーシの最大版図を築く
- ナレクのグレゴリオス(951年 - 1003年/1010年) - アルメニアの修道士・神学者・詩文に優れ『哀歌』の名で知られる祈祷書を執筆
- ウラディミル1世(聖公)(956年 - 1015年) - キエフ大公(在位980年 - 1015年)・キリスト教(東方正教会)を受容
- イシュトヴァーン1世(975年 - 1038年) - ハンガリーの建国者(在位997年 - 1038年)・キリスト教(カトリック教会)を受容
- プラハのアダルベルト(956年 - 997年) - プラハ司教・東欧各地(ボヘミア・ハンガリー・ポーランド)に宣教・殉教して守護聖人とされる
北欧
- ゴーム(老王)(? - 958年?) - デンマーク国王(在位936年? - 985年?)・王妃との名を刻んだイェリング墳墓群の石碑で有名
- ハーラル1世(青歯王)(? - 986年?) - デンマーク国王(在位958年? - 985年?)・キリスト教(カトリック教会)を受容
- オーラヴ1世(960年代 - 1000年) - ノルウェー国王(在位995年 - 1000年)・キリスト教(カトリック教会)を受容
アイスランド
- 赤毛のエイリーク(950年頃 - 1003年頃) - ノルウェー生まれでアイスランドで活躍した航海者・グリーンランドを発見か
- レイフ・エリクソン (970年頃 - 1020年頃) - アイスランド生まれのノルマン人航海者・アメリカ大陸を発見か・エイリークの息子
- ^ “第60代・醍醐天皇の皇位継承と昌泰の変”. WEB歴史街道 (2020年5月18日). 2020年12月29日閲覧。
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