鼠輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 21:50 UTC 版)
概要
背景
1942年8月7日の連合国軍のガダルカナル島奇襲上陸を受けて、日本海軍は陸軍に協力を求め、陸軍の一木支隊および海軍陸戦隊が急派されることとなった。少しでも早期の反撃のため、一木支隊のうち第1梯団(900名)と陸戦隊の一部は駆逐艦で高速輸送されることとなった。まず陸戦隊1個中隊が、8月16日に駆逐艦追風でガダルカナル島へ上陸。次いで一木支隊第1梯団も、輸送船で輸送する第2梯団約1000名と8月16日のトラック諸島出港後に分かれ、8月18日夜には第1梯団はガダルカナル島タイボ岬に上陸を完了した。これが、鼠輸送の先駆けとなった。
もっとも連合艦隊司令部は、駆逐艦は酸素魚雷と共に、来る米国太平洋艦隊との艦隊決戦における漸減作戦の重要な戦力として位置づけていたため、当初は駆逐艦による輸送は急場しのぎの一時的なものと考えていた。そのため、続く増援部隊の川口支隊や青葉支隊は、一木支隊の第2梯団同様に護送船団による方針であった。
しかし、一木支隊第2梯団の輸送船団は輸送船1隻などを撃沈されて退却し、第二次ソロモン海戦の敗北で川口支隊の船団輸送も中止に追い込まれた。一方、同時期の駆逐艦による小規模な補給や地上砲撃は、一応の成功を収めていた。こうして、確実にガダルカナル島に兵力を送り込む手段としては、夜間に高速を利用した駆逐艦輸送以外には頼る術がないことが明らかとなり、8月25日には海軍が川口支隊の駆逐艦輸送を提案。以後は鼠輸送が大々的に行われることとなった。
「鼠輸送」部隊の編制
輸送を担当する駆逐艦と、護衛を担当する駆逐艦によって構成された。前者は、物資搭載のために魚雷などの武装を降ろしていた。規模は、輸送担当2隻に護衛担当1隻といった小規模なものから、軽巡洋艦を旗艦とした水雷戦隊全体の約10隻といった大規模なものまであった。
命名の由来
当初、艦艇輸送・駆逐艦逐次輸送と称されたが、現地の第8艦隊には輸送任務は駆逐艦の本来任務ではないとする考えも根強くあり、夜になると盛んに動き出す様が「鼠に似ている」ということで鼠輸送と俗称されるようになった。また、駆逐艦乗務員は「マル通」と呼んだ[1]。このように揶揄的な意味合いがあるためか、キスカ島撤退作戦については、同様に駆逐艦によって行われていても鼠輸送とは呼ばれない。
なお、大発動艇などの小型舟艇を利用した輸送作戦と潜水艦を利用した輸送作戦は、鼠輸送からの連想でそれぞれ「蟻輸送」、「土竜輸送」と呼ばれた。
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