黄鼎鳳 黄鼎鳳の概要

黄鼎鳳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 08:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

経歴

広西省潯州府貴県出身。貧農出身で天地会に加入した。1849年土匪張国樑が清軍に投降し、欽差大臣向栄の部下になって、太平天国軍への追撃を開始すると、黄鼎鳳もそれに従った。しかし途中で脱走し、貴県に戻った。1854年陳開率いる天地会が広東省で蜂起し広州を包囲すると、黄鼎鳳と貴県各地の天地会も呼応して潯州を攻めたが、占領できなかった。1856年、陳開が潯州を占領して大成国を建国し、李文茂を貴県に派遣すると、黄鼎鳳は李文茂を迎え入れ、貴県を占領した。この功で黄鼎鳳は将軍に任ぜられた。1857年、黄鼎鳳は賓州上林を占領し、隆国公に封ぜられた。1859年、賓州が陥落したが、また奪回している。1861年、潯州が陥落し、平潯王陳開は処刑された。大成国の余党は黄鼎鳳のもとに集まり、貴県に拠って潯州を奪回する勢いを見せた。しかし1862年、広西巡撫劉長佑率いる湘軍に敗れ、潯州奪回はならなかった。1863年、黄鼎鳳は貴県の小平天山に要塞を築き、建章王と称した。清軍はこれを落とすことができず、広西布政使劉坤一は黄鼎鳳の母を人質に取った。そこでやむなく黄鼎鳳は投降し、処刑された。

参考文献

  • 羅爾綱『太平天国史』、中華書局



「黄鼎鳳」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「黄鼎鳳」の関連用語

黄鼎鳳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



黄鼎鳳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの黄鼎鳳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS