鹿島神宮
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関係事項
鹿島郡衙
鹿島郡(香島郡)は、『常陸国風土記』[原 1]によれば下総国の海上国造の部内及び那賀国造の部内からそれぞれ割き、当初より神郡として建郡されたという[3]。古郡衙の遺構は見つかっておらず[3]、神郡の郡衙であるので神社のそばであるとも推察される[10]。
8世紀以降の新郡衙跡は、神宮の南約1.5kmに位置する鹿嶋市宮中の神野向遺跡(かのむかいいせき、北緯35度57分19.29秒 東経140度38分01.67秒 / 北緯35.9553583度 東経140.6337972度)で発見された。遺構は、8世紀前半から10世紀初め頃までの郡庁内郭・厨家相当施設・正倉院等で構成されている。この場所は『常陸国風土記』[原 1]の「其の社の南」に郡家があるという記載とも一致する。遺跡は鹿島神宮境内の附(つけたり)として国の史跡に指定されている[125][35]。
鹿島苗裔神
鹿島神宮は東国開拓の拠点であったことから、その苗裔神(びょうえいしん)すなわち御子神が各地に形成された[31]。『常陸国風土記』[原 4]の時期には、すでに行方郡に分祠の存在が記されている[31]。
『日本三代実録』の貞観8年(866年)の記事[原 15]では、神宮司の言として陸奥国に苗裔神が38社あると記載されている[31]。その内訳は次に示す通りであるが、具体的な社名は記されていない[48]。
また同記事では、陸奥国での鹿島神の祟りが甚だしいので嘉祥元年(848年)に宮司らが奉幣に向かったが、陸奥国入国は許されなかったという[48]。これに関して、神宮の祭祀氏族が代わったため分社側が抵抗したと解釈する説がある[48]。
さらに『延喜式』神名帳[原 16]では、陸奥国条に「鹿島」を冠する神社として次の8社の記載がある(「陸奥国の式内社一覧」参照)。
以上の記載から、鹿島神が海岸沿いを北上して牡鹿郡(現・宮城県石巻市付近)まで進出した様子が見える[31]。またその社名から、鹿島神の御子神として「天足別命」の存在も推測される[126]。『延喜式』神名帳[原 16]では香取神宮の苗裔神2社も見えるが[127]、これら鹿島・香取苗裔神の存在は、大和朝廷の勢力が海岸沿いに北進する際に鹿島・香取両神の神威を仰いだことによると解釈されている[31]。その具体的な事情としては、中臣氏の遠祖である臣狭山命が倭建命の東征活動に参加しており、陸奥地方に多く見える鹿島神、鹿島御子神の分布は中臣氏の先祖や部民関係者が東征活動に随行、従事したことによるものと見られる[128]。 これに関連する事象として、陸奥国一宮の鹽竈神社(宮城県塩竈市、北緯38度19分08.12秒 東経141度00分45.47秒 / 北緯38.3189222度 東経141.0126306度)においても武甕槌・経津主両神が祀られている[31]。なお、鹿島・香取の分布には差があり、香取苗裔神2社は鹿島を飛び越す位置に鎮座する[129]。このことから、初期段階には鹿島は外海(蝦夷)、香取は内海(香取海)を志向したとし、その後両神の神威が逆転したとする説がある[129]。
そのほか、後世には武神としての崇敬により各地に鹿島神が勧請され、旧常陸国地域を中心として全国に多くの分祠が形成された[28](詳しくは「鹿島神社」を参照)。
鹿島七不思議
鹿島神宮には「七不思議」と呼ばれるものがあり、次の7項目が挙げられる[14]。
- 要石
- 御手洗池の水深
- 末無川 - 境外の高天原で湧出した水の行方が辿れなくなるという[130]。
- 境内三笠山の藤の花 - 藤の多く咲く年は豊作、少ない年は凶作という[130]。
- 鹿島灘の海鳴 - (特に奥宮付近において)波の音が北の方に聞こえる時は晴れ、南に響く時は雨が降るという[130]。
- 根上りの松 - 神宮の松は幾度伐っても芽が出て枯れないという[130]。
- 松の箸 - 神宮の松で作った箸からは脂が出ないという[130]。
その他
- 鹿島神宮寺
- 「かしまじんぐうじ」。かつて存在した鹿島神宮の神宮寺。
- 嘉祥3年(850年)[原 35]・天安3年(859年)[原 36]の太政官符によると、天平勝宝年間(749年-757年)に鹿島郡大領・中臣連千徳、元宮司・中臣鹿島連大宗(たいそう)、修行僧・満願らにより創建されたといい、承和4年(837年)には定額寺に列せられたという[14]。南北朝時代には別当寺として神宮に深く関与した[14]。
- 寺はたびたび移転して江戸時代には新町にあったといい、真言宗仁和寺の末寺として「鹿島山」を山号とし、釈迦如来を本尊とした[11]。門徒寺を100近く有する有力寺院であったが、幕末になり文久3年(1863年)に水戸天狗党によって、また元治元年(1864年)には正義隊によって荒廃、明治元年(1868年)10月に廃寺となった[131]。
- このほか、神宮関係の寺では広徳寺・護国院・正等寺・普済寺・安居寺・根本寺・涼泉寺・五台院等があったが、これらのうちで護国院のみ現存している[28]。
- 鹿島立
- 「かしまだち」。「旅立ち」や「門出」を意味する名詞で[132]、鹿島神宮に由来するとされる。鹿島神が国土を平定したことからとも、防人・武士が旅立ちで無事を鹿島神宮に祈願したことからともいわれる[132]。
- 関連して、防人が鹿島神に祈った歌として『万葉集』の次の歌[原 37]が知られる[14]。
「 | 天平勝宝7歳2月、相替遣筑紫諸国防人等歌 霰降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍に 我れは来にしを あられふり かしまのかみを いのりつつ すめらみくさに われはきにしを |
」 |
—大舎人部千文、『万葉集』巻20 4370番 |
- 鹿島使
- 「かしまづかい」。鹿島神宮に遣わされた奉幣使[133]。2月に行われる春日祭(春日大社例祭)や藤原氏関連の重要な人事に際し朝廷から発遣された[14]。
- 延喜13年(913年)を初見として、藤氏長者から勧学院学生が任命され内蔵寮史生を添えて遣わされた[14]。王朝衰退とともに長寛元年(1163年)に国司代の大掾氏からの鹿島大使役(かしまおおづかいやく)に代わり、毎年7月中旬に参向があった[14][133]。これは応永年間(1394年-1428年)まで続き、その後は断続的に文亀3年(1503年)まで続いた[133]。
注釈
- ^ a b 春日社創建の正確な年号は明らかではない。「神護景雲2年」は春日大社の社記に基づくもので、『日本三代実録』元慶8年8月26日条を支証とする(『国史大辞典』春日大社項)。
- ^ 平安時代以前、「神宮」の呼称使用の他例には『古事記』『日本書紀』で「石上神宮」があるが、『延喜式』神名帳では「石上坐布留御魂神社」と記される (岡田精司 & 2011年)。
- ^ 「一宮」の初見は建暦3年(1213年) (一宮制 & 2000年, p. 230)。
- ^ 「日本三大楼門」は、鹿島神宮のほか阿蘇神社(熊本県阿蘇市)、筥崎宮(福岡県福岡市)の楼門とされる。
- ^ 昭和29年9月17日付けで「鹿島神宮本殿」と「鹿島神宮拝殿、幣殿、石の間」の2件の重要文化財を統合し、「鹿島神宮4棟」とした。参照:『国宝・重要文化財建造物官報告示』、文化財建造物保存技術協会、1996; 『国宝・重要文化財建造物目録』、第一法規、1990
原典
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鹿島神宮と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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