鶏西市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 04:37 UTC 版)
歴史
区名は鶏冠山西に由来する。
中華民国初期、遼陽よりの入植者が区域に居住するようになり密山県の管轄とされた。しかし、1908年に石炭が発見されると急激に人口が増加し、1914年には奉天住民の袁大章により密西煤鉱公司が設立され本格的な石炭採掘が開始された。1921年(民国10年)以降は第6区第5保の管轄とされた。その後の炭鉱開発に従い人口が増加、工業化と商業化が進み、満州国時代には当初は鶏冠山保、後に鶏西街が設置されている。1941年(康徳8年)に密山県より設置された鶏寧県を前身とする、県中心部には鶏寧街が設置された。1948年(民国37年)に鶏西県と改称し合江省の管轄とされた。1949年に松江省、1954年に黒竜江省に移管されている。1956年に地級市に昇格し鶏西市と改称、1958年に県級市とされたが、1966年に再度地級市に昇格し現在に至る。
行政区画
6市轄区・2県級市・1県を管轄する。
鶏西市の地図 |
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年表
この節の出典[1]
鶏西市(第1次)
- 1956年12月18日 - 黒龍江省牡丹江専区鶏西県・穆棱県・林口県のそれぞれ一部が合併し、地級市の鶏西市が発足。鶏冠区・恒山区・滴道区・梨樹区・麻山区を設置。(5区)
- 1958年6月27日 - 鶏西市が県級市に降格し、牡丹江専区に編入。
鶏西市(第2次)
- 1966年2月8日 - 牡丹江専区鶏西市が地級市の鶏西市に昇格。鶏冠区・恒山区・滴道区・梨樹区・麻山区を設置。(5区)
- 1970年10月2日 - 鶏冠区の一部が分立し、城子河区が発足。(6区)
- 1983年10月3日 - 牡丹江地区鶏東県を編入。(6区1県)
- 1992年8月21日 - 牡丹江市密山市を編入。(6区1市1県)
- 1993年6月14日 - 牡丹江市虎林県を編入。(6区1市2県)
- 1996年10月11日 - 虎林県が市制施行し、虎林市となる。(6区2市1県)
民族
2000年の国勢調査での各民族の構成比
民族 | 人口 | 比率 |
---|---|---|
漢族 | 1,852,345 | 95.19% |
朝鮮族 | 50,580 | 2.6% |
満州族 | 33,512 | 1.7% |
モンゴル族 | 4,184 | 0.22% |
回族 | 3,270 | 0.17% |
苗族 | 408 | 0.02% |
シベ族 | 356 | 0.02% |
壮族 | 308 | 0.02% |
土家族 | 229 | 0.01% |
その他 | 865 | 0.05% |
固有名詞の分類
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