鳥嶋和彦 鳥嶋和彦の概要

鳥嶋和彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 04:28 UTC 版)

とりしま かずひこ
鳥嶋 和彦
生誕 (1952-10-19) 1952年10月19日(71歳)
日本新潟県小千谷市
国籍 日本
別名 マシリト
民族 日本人
出身校 慶應義塾大学法学部
職業 ブシロード社外取締役、元白泉社顧問雑誌編集者
活動期間 1976年 -
団体一ツ橋グループ
肩書き 週刊少年ジャンプ第6代編集長
Vジャンプ初代編集長
白泉社前社長
任期 1996年2月 - 2001年6月
前任者 堀江信彦
後任者 高橋俊昌
配偶者 あり
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週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集に長らく携わっており、特に鳥山明を見出し、編集担当したことで知られる。

経歴

新潟県小千谷市出身。実家は小千谷駅前で洋品店を営んでいた。新潟県立小千谷高等学校を経て[1]慶應義塾大学法学部を卒業後、1976年昭和51年)、集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、以後一貫してジャンプ関連の雑誌・書籍の編集を担当。漫画以外にも、企画ページの『ジャンプ放送局』、『ファミコン神拳』などの編集や、連載漫画のメディアミックス化を手がけたり、さくまあきら堀井雄二などの外部の人間を起用しゲームの世界に導いたり、『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)誕生にも一役かっている。その流れから、1993年平成5年)には創刊編集長として、後輩の高橋俊昌とともにゲーム雑誌『Vジャンプ』を立ち上げた。

本来、『週刊少年ジャンプ』の第5代編集長の最有力候補とされていたが、第4代編集長であった後藤広喜による「ちゃぶ台返し」により、鳥嶋にとっては後輩の堀江信彦が就任した。第3代編集長である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に、その経緯が詳しく書かれている。

1996年(平成8年)2月に『週刊少年ジャンプ』の売上低迷を打破する切り札として、ジャンプ本誌に呼び戻され6代目編集長に就任。『遊☆戯☆王』など連載作品のメディアミックスを精力的に推し進めた。前体制から続く発行部数下落傾向の結果、1997年(平成9年)には『週刊少年マガジン』に発行部数首位の座を奪われたものの、この頃から『ONE PIECE』や『NARUTO -ナルト-』などの新人作家のヒット作が再び出てくるようになった。以後2001年(平成13年)6月まで『週刊少年ジャンプ』の編集長兼発行人となった[注 1]

その後、『週刊少年ジャンプ』『月刊少年ジャンプ』『Vジャンプ』を統括する第3編集部部長に昇格する。週刊ジャンプ発行人は引き続き鳥嶋名義で対応していた。2003年(平成15年)1月、鳥嶋の後任であった高橋が急逝した際は、追悼号となった2003年11号限りの編集長兼発行人として、高橋の追悼メッセージを掲載した。翌週号からは副編集長であった茨木政彦の編集長への昇格人事を行った。以降は週刊ジャンプ発行人としての任務は2008年に茨木から後任の佐々木尚にバトンタッチするまで続いた。

その一方で、週刊ジャンプ時代の優れたメディアミックス展開に対する評価から、ライツ事業部部長に抜擢され兼任、2004年(平成16年)8月には集英社常勤取締役となる。なお、引き続き第3編集部部長職であり、2006年(平成18年)7月まで兼任していた。2008年(平成20年)6月設立の小学館集英社プロダクション取締役を兼任[2]2009年(平成21年)8月には集英社常務取締役、2010年(平成22年)8月には集英社専務取締役に昇任[3]2015年(平成27年)8月に退任し、同年11月より白泉社代表取締役社長に就任する[4][5]2018年(平成30年)11月より白泉社代表取締役会長に昇任。2021年令和3年)に白泉社代表取締役会長を退任し、白泉社顧問に就任[6]。2022年11月30日に白泉社顧問を退任後、社友となる[7]。同年12月23日の臨時株主総会の承認を経てブシロード社外取締役に就任[8]

2020東京オリンピック・パラリンピックのマスコット審査会メンバーの一員。

編集者として

就職の際に自分の適性を自己分析した際、人より秀でているのが「人より多く本を読んでいる」ことぐらいしかなく、就ける職業が作家か編集者ぐらいと考えたが、作家として必要な「何かを発想して、その発想を深め続けること」ができないと実感して編集者の道を志す[9]。第一志望は文藝春秋だったが、当時はオイルショックの翌年で採用がなく、最終的に就職試験に受かったのが生命保険会社と集英社だったという[9]。集英社では『月刊プレイボーイ日本版』に関わりたいと考えていたが、配属になったのが『週刊少年ジャンプ』編集部で(本人曰く「がっかりした」[10])、それまで『ジャンプ』はおろか漫画すら一切読んだことがなく、実際に『ジャンプ』のバックナンバーを読んでも一つも面白くなく[9]、編集部内の体育会系の雰囲気を嫌ったこともあり[11]、配属されて一週間で転職を考えるようになったという[9]。「そもそも漫画が好きではない」というスタンスはその後の編集者としての立ち位置にも大きく影響しており、後に「漫画がすごいのではなくて、子どもが支持する媒体で他に読むものがないから消去法で漫画を読んでいるだけ」「言いたいことを言った結果、漫画編集を外してもらえればラッキーくらいに思っていた」「資本主義なので数字さえ出せばいい。最前線で結果を出す人間が最も尊い」と語っている[12]。一方で、資料室にあった他の漫画を片っ端から読み、特に読みやすかったというちばてつやの『おれは鉄兵』を徹底的に分析し、コマ割りの手法を新人漫画家の指導に応用した[13][14]

最初に担当したのは『ドーベルマン刑事』の作画を担当していた平松伸二で、平松とはまともにコミュニケーションを取るのに3か月を要したという[15]。鳥嶋が担当して3か月後には打ち切りの予定だったという『ドーベルマン刑事』だが、平松が「細面の美人タイプ」として描いていた新キャラクター・綾川沙樹を、榊原郁恵のグラビアを見せながら「こういうイメージにしたい」と平松にアドバイスし、全て書き直させた結果、読者アンケートで3位に浮上し、後に原作の武論尊が綾川をメインに直した続編を作り、それが読者アンケート1位を獲得することになって、漫画編集者の仕事のおもしろさを感じるようになり、これが働くモチベーションにつながったという[16]

鳥山が新人賞に応募した原稿を最初に見たときは「原稿がきれいだな」と思ったという。内容が『スター・ウォーズ』のパロディだったために規定により選外となるものの、すぐに鳥山に電報を打って「才能があるから僕と一緒にやろう。すぐに絵コンテを作って送ってほしい」と持ちかけ、その絵コンテを『ワンダー・アイランド』として読み切り掲載にこぎ着けるも、読者アンケートでは最下位となる[17]。しかし、そこからどうすれば面白い漫画を作れるのかを鳥山と試行錯誤し、1年半後に『Dr.スランプ』として連載にこぎ着ける。元々第1話にしか登場しなかったはずの則巻アラレを主人公に据えることになったのも鳥嶋のアイディアであるが、これは、気乗りしなかった鳥山に「女の子を主人公にした漫画(『ギャル刑事トマト』)を描いて、読者アンケートが3位以内だったらそのまま、4位以下だったらアラレを1話だけで消していい」と賭けを持ちかけ、読者アンケートで3位だったためにアラレが主人公になったという[18]。『ドラゴンボール』では、初期に読者アンケートの順位が下がり始めた際、孫悟空の「強くなりたい」というキャラクターを際立たせるために、あえて登場人物を悟空・クリリン亀仙人だけにしてその他のキャラクターを排することでテーマを明快にし、人気を回復させた[19]

桂正和は高校卒業間際にフレッシュジャンプ賞に投稿した作品が選外ながらも鳥嶋の目にとまったことがデビューのきっかけとなり、『ウイングマン』の編集や『電影少女』の発案に関わっていた。特にデビュー作の『転校生はヘンソウセイ!?』や『電影少女』などは鳥嶋のアドバイスによる要素が大きい[20]

『ジャンプ放送局』を立ち上げたのは、『ジャンプ』の読者ページを鳥嶋が担当することになり、鳥嶋本人はいやがったものの当時の副編集長が懇願するため、当時『週刊プレイボーイ』に鳥山のインタビューを掲載したいと持ちかけたさくまに担当させることを担当の条件としたためであるという[21]

意に沿わない内容であれば原稿を容赦なく不採用・描き直し)にする鬼の編集者としても有名で、口癖の「ボツ!」は『Dr.スランプ』を始めとして多くの作品に登場し、鳥嶋本人の代名詞となっている[注 2]。ただ本人は、「漫画のように『ボツ!』と言ったことは一度も無い」と話している[22]。自身は作家のエリアには入らないスタンスを取り[19]、ストーリー作りに参加する編集は二流と評しており、いかに何度も作家にダメ出しをして「自分は他人より何が優れているか」を悟らせることがビッグヒットを生む最大のコツであると語っている[14]。また、ストーリー作りに時間をかけるのは無駄であり、身近に感じられる魅力的なキャラクターを作ることが大事であると考えている[14]。また、漫画家に対して編集者は、作家に面白い漫画を描く力を付けさせ、読者に届けられる作品に磨かないといけないとも語っており、ゆえに編集者が漫画家に好かれる必要はないとも述べている[19]

泥臭い作品が読者や購買層に飽きられてきているのを感じていたのか、ジャンプの三原則であった友情・努力・勝利に関しては否定的[注 3]で、特に暑苦しい熱血ものや根性物を嫌った。その一方でラブコメディ好きで、『ドーベルマン刑事』での加納と三森、『Dr.スランプ』でのアラレとオボッチャマン(をはじめとした各種カップル)などにおいて、登場キャラクター同士を恋愛関係に発展させることにこだわった。元々恋愛沙汰を苦手としていた鳥山はこの姿勢に反抗し、『Dr.スランプ』の千兵衛とみどりの結婚に至る過程および次作『ドラゴンボール』での孫悟空とチチの結婚に至る過程をあっさりさせたとのこと[注 4]

2015年4月15日に放送されたCS放送フジテレビONEの番組『漫道コバヤシ』#15「伝説の編集者 鳥嶋和彦さんと少年ジャンプの歴史を振り返るSP」において、編集者として関わった作品や作家と共に歩んできた制作秘話などを熱く語った。同月24日にフジテレビ系列で放送された「地上波特別編」でも、この放送で使われた一部と、『ドラゴンボール』や鳥山明の秘話などを熱く語ったものが放送された(一部地域を除く)[23]。その中で鳥山の『ドラゴンボール』が生まれる切っ掛けとして鳥山がジャッキー・チェンの『酔拳』のビデオを流しながら仕事していたので鳥嶋が「カンフーの漫画を書いたらどうか」とアドバイスしたという。

尾田栄一郎への評価は当初低く、『ONE PIECE』のプロトタイプとなった読み切り『ROMANCE DAWN』のアンケートが好調だったのにもかかわらず、「話の整理がついていない(話の構成に難がある)」との理由で連載開始を3度却下。4度目の会議でも意見が割れ、2時間を越える会議の末、当時副編集長の高橋俊昌が「これをやれなければ作家も編集者も腐る」と訴えたことに対し、「意見が割れるということは大ヒットする可能性があるということかもしれない」と判断して連載を許可、連載初回のアンケート調査で1位を獲得するなど、結果的にジャンプの凋落傾向が一旦底を打つきっかけとなる“救世主”となった[24]

『ONE PIECE』が大ヒット作となって以降も「作品自体あまり好きではない」「3巻までしか読んでいない」「2巻までの構成を続けてほしかった」と公言している。ただこれは『ONE PIECE』に限らず他の作品も「通常3巻までしか読まない」とのことで、「だいたいどれも試行錯誤したのちにストーリーの骨格が出来るのが3巻あたり」で「(作品の)良し悪しは3巻で決めている」との理由があるからという[22]

2024年3月26日(25日深夜)、パーソナリティを務めるラジオ番組『TOKYO M.A.A.D SPIN「ゆう坊&マシリトのKosoKoso放送局」』において鳥山明追悼回を放送。45年に及ぶ鳥山との信頼関係や仕事ぶりをはじめとする、その胸中を語った[25][26][27][注 5]


注釈

  1. ^ これまでジャンプの発行人は前編集長が担当することが慣例だったが、前編集長の堀江信彦が他部署に異動(その後退社)となりジャンプ業務からは離れたことによる。
  2. ^ 『Dr.スランプ』第8巻のおまけ漫画「ヤシの木はうごいた」では、漫画家の意に沿わない行動に対し「ボツにするぞ」と脅す場面もあった。
  3. ^ 正確には「友情」と「勝利」は正しいが、子供は「努力」が大嫌いである、というのがその理由。『ドラゴンボール』でも「努力」は描かせなかった[14]
  4. ^ 鳥山によるその流れは鳥嶋が担当から外れた後も続き、ブルマベジータクリリン人造人間18号に至るまで徹底されている。
  5. ^ 鳥山の急逝が公式に発表された2日後の2024年3月10日にナビゲーターのNaz Chrisと共に収録に臨んだ。3月8日以来、鳥嶋のもとには数多くのメディア取材依頼があったが全て断わり、自分の言葉を正確に伝えることが出来る環境のもとで鳥山への想いを語ることにしたという。
  6. ^ このトラブルの修正までの時間繋ぎとして生み出されたのが『ドラゴンボール改』である。当該項参照。
  7. ^ その他ではジャンプコミックス『キン肉マン』2巻所収の「ジャパニーズ・ドリームの巻」「南からの使者の巻」など。
  8. ^ 初出はジャンプコミックス『Dr.スランプ』6巻所収の「Dr.マシリトの野望の巻 part.1」

出典

  1. ^ 神崎のナナメ読み: 元少年シャンプ編集長・鳥嶋和彦さん(Dr.マシリト)は新潟県出身(1)~Dr.スランプの主人公が女の子へ変更した理由”. kanzaki.sub.jp. 2022年7月20日閲覧。
  2. ^ 株式会社小学館集英社プロダクション発足”. 株式会社小学館、株式会社集英社、株式会社小学館プロダクション (2008年6月17日). 2011年7月31日閲覧。
  3. ^ 集英社(決算=5月期)”. 新文化. 2011年7月31日閲覧。
  4. ^ 集英社・新役員体制 鳥嶋専務が退任し、白泉社代表取締役に”. 2015年8月26日閲覧。
  5. ^ 集英社、微減収増益決算”. 新文化 (2015年8月27日). 2015年8月28日閲覧。
  6. ^ 【人事】白泉社 鳥嶋取締役相談役が退任、顧問に就任”. 文化通信. 2022年4月3日閲覧。
  7. ^ 【人事】白泉社 柳沢取締役が常務昇任、島野氏が取締役新任”. 文化通信 (2022年11月30日). 2024年4月2日閲覧。
  8. ^ 鳥嶋和彦氏、ブシロード社外取締役の就任へ向け話し合い。株主総会の議案に,電ファミニコゲーマー,2022年11月14日
  9. ^ a b c d 今野 2018a, p. 1.
  10. ^ 創刊50周年「ジャンプ」伝説の元編集長が語る「鳥山明をめぐる社内政治」”. AERA dot. (2018年2月13日). 2018年2月18日閲覧。
  11. ^ 今野 2018a, p. 4.
  12. ^ 今野 2018b, p. 6.
  13. ^ 今野 2018b, p. 3.
  14. ^ a b c d e f 伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話”. 電ファミニコゲーマー (2016年4月4日). 2018年7月16日閲覧。
  15. ^ 今野 2018a, p. 2-3.
  16. ^ 今野 2018a, p. 3-4.
  17. ^ 今野 2018b, p. 1.
  18. ^ 今野 2018b, p. 2.
  19. ^ a b c 今野 2018b, p. 4.
  20. ^ 桂正和 「桂正和インタビュー」『4C R-side』 集英社、1998年8月9日発行、ISBN 4-08-782762-3、69 - 77頁
  21. ^ 今野 2018b, p. 5.
  22. ^ a b c 中山淳雄『エンタの巨匠-世界に先駆けた伝説のプロデューサーたち』日経BP、2023年1月26日、55-56頁。ISBN 978-4296001262 
  23. ^ フジテレビONE『漫道コバヤシ』アーカイブ
  24. ^ 漫画サバイバル(1) 伝説のジャンプ編集者が見誤った傑作”. 日本経済新聞 (2019年2月11日). 2024年4月6日閲覧。
  25. ^ まず頭に浮かんだのは「悲しい」よりも「ありがとう」のひと言ーー漫画家・鳥山明の訃報を受けて、鳥嶋和彦氏がその胸中を語った。”. 電ファミニコゲーマー. マレ (2024年3月25日). 2024年3月26日閲覧。
  26. ^ ドラクエ堀井雄二氏&鳥嶋和彦氏ラジオ 急きょ「鳥山明さん追悼番組」放送「語る。それが彼への献花」”. SponichiAnnex. スポーツニッポン新聞社 (2024年3月25日). 2024年3月26日閲覧。
  27. ^ 「漫画家・鳥山明」を生んだ初代担当編集が追悼の言葉「待ってろよ。君以上の才能を見つけるから」”. SmartFLASH. 光文社 (2024年3月26日). 2024年3月27日閲覧。
  28. ^ 『週刊少年ジャンプ秘録!! ファミコン神拳!!!』集英社、2016年5月25日、66-73頁。
  29. ^ a b c d 『週刊少年ジャンプ秘録!! ファミコン神拳!!!』76-79頁。
  30. ^ 「これさぁ、悪いんだけど、捨ててくれる?」――『ジャンプ』伝説の編集長が、数億円を費やした『ドラゴンボールのゲーム事業』を容赦なく“ボツ”にした真相”. ITmedia ビジネスオンライン (2019年12月5日). 2023年2月8日閲覧。
  31. ^ Dr.マシリト 最強漫画術”. 集英社の本. 集英社. 2023年6月28日閲覧。
  32. ^ J-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』に『ドラゴンクエスト』ゲームデザイナー・堀井雄二、元週刊少年ジャンプ編集長・鳥嶋和彦が出演!ラジオ史上初となるロングインタビューを3週に渡り放送決定”. PR TIMES (2023年4月26日). 2023年8月14日閲覧。
  33. ^ “あの『ファミコン神拳』チームがラジオ局「J-WAVE TOKYO M.A.A.D SPIN」に出演決定。「ジャンプ放送局」などの誌面も手掛けたレジェンドたちが再集結”. ニコニコニュース. (2023年6月23日). https://news.nicovideo.jp/watch/nw12826257 2023年6月27日閲覧。 
  34. ^ 『ドラゴンクエスト』生みの親・堀井雄二と漫画編集者・鳥嶋和彦による新コーナーが『TOKYO M.A.A.D SPIN』内でスタート!初回は、『ウイングマン』『電影少女』の桂正和ら豪華ゲストが集結! website=PR TIMES”. PRTINES (2023年7月21日). 2023年7月21日閲覧。
  35. ^ 鳥嶋和彦と堀井雄二が作品の秘話を語り尽くすラジオ、初回ゲストに桂正和ら”. コミックナタリー. ナターシャ (2023年7月21日). 2023年7月21日閲覧。





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