高橋至時 学問

高橋至時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 15:25 UTC 版)

学問

西洋の天文学

至時は西洋の天文学の習得に積極的に努めた(詳細は後述)。しかし西洋の理論をそのまま取り入れるだけでなく、誤りだと感じた箇所は自らの手で修正を行うなど、批判的な精神を持ち合わせていた[39]

西洋天文学に対する理解度は優れていて、『ラランデ暦書管見』の内容もおおむね間違いはないといわれている[40]。ただし光行差については、『ラランデ暦書管見』で1冊を費やして解読につとめたが、光の速度という概念がつかめず、理解には及んでいない[40][41]。また、『ラランデ暦書』の力学的な部分は至時の関心の対象外であったため、『ラランデ暦書管見』では取り上げられていない[42]

また、オランダ語の学力は無かったとされていて、『ラランデ暦書管見』にも「予蘭語ヲ知ラズ。故ニ解シガタシ」といった記述がみられる[43][注釈 3]。入手した蘭書は、図や数式から読み解いていったものと考えられている[44]

日本・中国の天文学

西洋天文学を学ぶ一方で、授時暦などの昔からの暦学や天文記録もおろそかにしなかった。初学者にはまず授時暦を学ばせ、そこから『暦象考成上下編』、『暦象考成後編』と順を追って学ばせる方式をとっていた[45]。そして、授時暦には誤りもあるが、だからといってそれを捨て去ることは「先賢ヲ蔑視スルニモ至ル」ことだと記した[46]

師である麻田剛立の影響も大きく、寛政の改暦においても、剛立が作り上げた消長法を、他の天文方の反対を押し切って取り入れた。さらに、消長法を独自に発展させ、トレピデーション(歳差の周期が変化するという説。ティコ・ブラーエによって否定された)などを使用して消長法を説明した[47]

至時は、消長法は西洋の天文学にも無い理論で我々はこれを誇るべきだとたたえた[48]が、実際のところ、この消長法は古代の精度の悪い観測値などをよりどころとしていて、至時の死後には、消長法が無いほうが暦として正確になるとの批判が多くなってきた。そのため、次の天保暦では消長法は取り入れられなかった[49][50]


注釈

  1. ^ ただし渡辺敏夫は、至時が松岡に学んだというのは疑わしいとしている(渡辺(1986) p.209)。
  2. ^ 改暦について、幕府ははじめ麻田剛立を起用しようとしたが、剛立が高齢を理由に断り、代わりに至時と重富を推薦したといわれることが多い。しかし上原久は、当時幕府からの命令を断ることは死罪も免れ得ないことであるため通常はありえず、剛立が2人を推薦したという記録も見られないため、至時らは幕府から直接命を受けたと主張した(上原(1977) pp.138-140)。そして現在では後者の説も他の研究家などに受け入れられている(中村(2008) p.93)。
  3. ^ オランダ語の語学力については、文字と少しの名詞を知っているのみと言われているが、天文の専門用語はある程度理解していたのではないかという反論もある(上原(1977) pp.207-210)。
  4. ^ 至時はマイルを「里」と訳している。
  5. ^ ただし至時は天動説に基づき、太陽の公転軌道の半径を基準としている。

参照元

  1. ^ a b 嘉数(2016) p.105
  2. ^ 吉田(2005) p.291
  3. ^ 上原(1977) p.129
  4. ^ 日本学士院日本科学史刊行会編(1979) p.129
  5. ^ 大谷(1917) pp.670-671
  6. ^ a b 中村(2008) p.89
  7. ^ a b 吉田(2005) p.292
  8. ^ 上原(1977) p.218
  9. ^ 上原(1977) pp.215-217
  10. ^ 前山(1960) p.39
  11. ^ a b c 吉田(2005) p.293
  12. ^ 中村(2008) p.94
  13. ^ 上原(1977) pp.140-141
  14. ^ 大谷(1917) pp.673-674
  15. ^ 上原(1977) pp.142-143
  16. ^ 渡辺(2003) p.57
  17. ^ 渡辺(2003) p.80
  18. ^ 星埜(2010) p.27
  19. ^ 渡辺(2003) pp.83-84,115
  20. ^ 星埜(2010) p.37
  21. ^ a b 上原(1977) p.211
  22. ^ a b 吉田(2005) p.298
  23. ^ 上原(1977) pp.211-212
  24. ^ 嘉数(2016) p.117
  25. ^ 中村(2008) p.95
  26. ^ a b c 上原(1977) p.213
  27. ^ 嘉数(2016) p.118
  28. ^ 『地球楕円赤道日食法』における記述。吉田(2005) p.298より孫引き。
  29. ^ 渡辺(1986) p.231
  30. ^ 嘉数(2016) p.121
  31. ^ a b c 嘉数(2005) p.315
  32. ^ 星埜(2010) p.49
  33. ^ 星埜(2010) p.15
  34. ^ 渡辺(1986) p.404
  35. ^ 渡辺(1986) p.287
  36. ^ 渡辺(2003) pp.116-117
  37. ^ 洋学史事典(1984) p.429
  38. ^ 大谷(1917) pp.694-695
  39. ^ 上原(1977) p.153
  40. ^ a b 中村(2008) p.100
  41. ^ 高橋至時『ラランデ暦書管見』と光行差
  42. ^ 中山(1972) p.476
  43. ^ 日本思想大系65(1972) pp.168-169
  44. ^ 吉田(2005) p.296
  45. ^ 吉田(2005) p.292
  46. ^ 著書『授時暦日食法論解』の記述。大谷(1917) p.680より孫引き。
  47. ^ 中山(2005) pp.381-382
  48. ^ a b 前山(1960) p.40
  49. ^ 中山(2005) p.383
  50. ^ 中山(1981) p.70
  51. ^ 嘉数(2011) pp.138-139
  52. ^ a b 嘉数(2011) p.139
  53. ^ 上原(1977) pp.205-206
  54. ^ 嘉数(2011) pp.139,141
  55. ^ a b 嘉数(2011) p.141
  56. ^ 上原(1977) p.153
  57. ^ a b 日本思想大系65(1972) p.169
  58. ^ a b 日本思想大系65(1972) p.171
  59. ^ 日本思想大系65(1972) p.168
  60. ^ 日本思想大系65(1972) p.170
  61. ^ a b 上原(1977) p.155
  62. ^ 大谷(1917) pp.675-767
  63. ^ 上原(1977) p.148
  64. ^ 渡辺(2003) p.200
  65. ^ 上原(1977) pp.156-159
  66. ^ 上原(1977) p.161
  67. ^ 上原(1977) pp.203-205
  68. ^ a b c 嘉数(2011) p.140
  69. ^ 上原(1977) p.205






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