高杉晋作
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言動
「死すべきときに死し、生くべき時に生くるは英雄豪傑のなすところである。両三年は軽挙妄動せずして、専ら学問をするがよい。その中には英雄の死すべき時が必ず来る」[12]
「およそ英雄というものは変なき時は非人乞食となって潜れ。変ある時に及んで龍の如くに振舞はねばならない」[12]
「男子と言うものは困ったと言うことを決して言うものではない。これは自分が父から平生やかましく言われたことであるが、困ったと言う時は死ぬ時である。どんな難局に處しても、何困らぬと言う気概でやっておると、自づと通づるものである。どんな難局にも必ず逃れ路がある。行き当れば曲り路ありと言う訳である。断じて困らぬと言う気概でやっていれば必ず道はつくものである。だから困ったという一言だけは決して口にしてはいけない」[12]
評価
- 入江九一 「久坂は(有志組の)隊長としては陣中に起臥し、兵士と起居飲食を共にしており、謹厳にして質素である。高杉はこれに反して多くは兵営外に泊まり、時には相合傘で、馴染の美人を引張って、陣中に入ったこともあった。しかしながら、この二人に対する兵士の人望は、全然同一であった」[15]
- 伊藤博文
- 「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
- 「西郷南洲と同じような型だったと思う。彼は勇悍の人で、創業的材幹にはよほど富んで居った人だ」[17]
- 山田顕義 「其威風、英気凛々として、今猶目に在り。君平生細節に拘らず、或は硯海に月を酌み、或は桜山の花に詠じ、悠然として自適し、苦楽人と共にす。君をして維新聖明の朝に立ち、驥足を展ぶることを得せしめば、其成就する所果して如何ぞや。惜し哉天命数あり。後の之を読むものをして、徒らに其豪邁、超逸の気象を欽慕せしむることや」[19]
- 中岡慎太郎 「胆略有り、兵に臨みて惑わず、機を見て動き、奇を以って人に打ち勝つものは高杉東行(晋作)、是れ亦洛西の一奇才」
- 田中光顕
- 「兵を用いて鬼神の如き高杉、事に臨んで神出鬼没の英傑高杉、不世出の快男児高杉」[21]
- 「奇策縦横、神出鬼没、その一挙手一投足がすべて天下の魁となって闔藩の意気を鼓舞したのみならず、全国勤王運動運動家の指導者の役を務めている」[22]
- 「自分は維新三傑をことごとく知っている。また坂本、武市、中岡その外、多くの名士先輩に接している。しかしながら、聳然として一頭地を抜いているものは高杉である」[15]
- 「高杉の生涯は極めて短い。慶応三(1867)年四月下関で病死した。時僅かに二十九才であった。しかしながら彼の一挙一動は、天下の魁となって、閥藩の意気を鼓舞したのみならず、全国勤王運動家の指導者となっている。それでも自分では夕方になっても尚暁鐘が撞けない(※王陽明の詩の引用)と嘆息している位、その気性のはげしさは驚くべきである。長州藩滞在中、彼は私に教えた。死すべき時に死し、生くべき時に生くるは、英雄豪傑のなす所である。両三年は軽挙妄動せずして専ら学問をするがよい。その内には英雄の死期が来るであろうから、また凡そ英雄というものは、変なき時は非人乞食となって潜れ。変ある時に及んで竜の如く振舞わねばならない。彼の生涯は正しくそれだ。これは私が高杉に傾倒してるいるから贔屓目にそう見るのではなく、実際彼の識見は天稟であった。天衣無縫、捕捉することが出来なかった。私がもし久坂(玄瑞)に、大和義挙の相談をしたとしたら、彼はこれに対して、縷々成敗を説くであろうと思われる。高杉はこういう場合、黙々として答えず、洒落な態度を見せているが、意一度決すれば、猛然として蹶起するところに両者の性格の相違がある。一口に言わば高杉は一個の天才児であった」[23]
- 早川勇 「俊雋奇抜、傭兵軽快、源九郎(義経)の風あり。卓見達識、察機決定有不可測者其才略豈兵事而止哉(機を見て決するのに測り知れない力を持っており、その才智は兵事だけではない)」
- 三浦梧楼
- 「高杉晋作と云う人は全く偉人であったよ。我輩が是れまで偉い人だと思ったのは、この高杉一人だ。実に目先の早い、機敏な人で、臨機応変、奇智沸くが如くであった。(中略)その鬼謀神算、到底常人の遠く及ぶべき所でない。大西郷は偉いというが、高杉は段が違う。大西郷には所作がない。ただボーッとしているだけだが、高杉は機略縦横、ゆくとして可ならざるはなしという人である」[24]
- 「今日までいろんな人にも接したが、あれ位感服し信頼した人もなかった。丈のすらりとした、男前も立派だった。平生は優しい目をしておられたが、それがどうかすると、ギロリと光ったものだ。その時は怖ろしさが、ぞっと身に染みるようだったよ。総てが親とは反対でな。先生の親は小心な謹直一方の人で、高杉小忠太といえば、真面目なおとなしい人で通っておったものだ。父母の教訓、家庭の修養もあろうが、それ以外ああいう男が生まれたのは、天ぢゃノウ。それで高杉は『鴉の白糞』で、長州の評判になったものぢゃ」[25]
- 「一方は血気旺盛な国士の典型、言わば蓋世の英雄であるが、他方は風流韻事を事とする、既に世故に長けた老成の風があった」[25]
- 「先生は、臨機応変、機智縦横、如何なる困難に遭遇しても、常に綽々として余裕ある態度を以て切り抜けられた事は、何人といえども、企て及ぶべからざるものがある。それを普通世間では、単に慷慨悲歌の人、憂国熱誠の士ぐらいに考えて、磊落粗豪のみを以て事に当たったように、その表面ばかりを見ている者が多いようであるが、なかなかどうしてこの裏には、強いて思慮分別を煩わさずして、天才滾々として、随時に湧出した事は実に驚くべきもので、その事業の跡を見ると、よくその基礎を固め根底を作るという結果を、自然に現わしている。しかして、その活動を為すに当りては、縦横の機智と、臨機の天才とを応用せられたのであるから、何事に当っても迷うことなく、行って遂げざるなしという次第ぢゃ。まず俗論紛々として、帰着するところを知らざる藩論を一定し、続いて、あの猫額大の地を守って、天下の大軍を引受け、何の苦も無く四境にこれを破り、遂に薩長連合の素地を作って、維新大業の基礎を固められたのである。実にあんな短日月の間に、あれだけの大事を成し遂げた。その神出鬼没の働きは、唯々驚嘆するの外はないのぢゃ」[25]
- 「当時よく我輩年少の者に向って愚を学べと訓戒を垂れられたものだ。俺も若い時は撃剣をやる時、道具はずれをわざと打ったり、槍を使う時に脛を突いたりしたものだが、そんなことでは駄目だ、どうしても愚を学ばねばいかんとしばしば話されたが、充分理解することが出来なかった。漸く近年になって、あれは孔子のいわゆる「寗武子其智可及其愚不可及」という事を教えられたもので、年少客気を戒められたものであろうと考えると、実に今昔の感に堪えぬ」
- 「その頃の有志家はみな慷慨悲歌、文天祥胡澹宜敷という風の人が多かったが、高杉だけは一種超然とした所があって、陣中に茶器を持ってきて煎茶をやって見たり、時には三味線を携えてきて弾いたりしたもので、今から考えて見ると皆それぞれ深長の意味が含まれていたことが分ってなつかしい」[26]
家族・親族
- 父:高杉小忠太
- 母:ミチ…道子・大西将曹の娘。明治30年、78歳没。
- 叔父:田上宇平太…吉田松陰に佐久間象山を紹介している。
- 妻:高杉雅子
- 長男:高杉東一
- 妾:おうの
- 妹:武(たけ)…武藤正明妻
- 妹:栄(はえ)…坂円介妻
- 妹:光…大西機一郎妻→高杉春棋妻
- ^ a b 高杉晋作Museum 『丸山の料亭・花月』 2020年12月11日
- ^ a b 高杉晋作Museum 『崇福寺』
- ^ a b 横山 宏章「文久二年幕府派遣「千歳丸」随員の中国観」『県立長崎シーボルト大学国際情報学部紀要』第3号、県立長崎シーボルト大学、2002年12月、ISSN 1346-6372。
- ^ 関西大学 或門 WAKUMON 3『上海新報』に見る幕末官船千歳丸の上海来航 松浦章 2002年 No.4 page3-20
- ^ 御楯組結成の血盟書に署名のある11名。
- ^ 渡辺修二郎『高杉晋作』(少年園、1897)pp.54-55 古谷久綱『藤公余影』(民友社、1910)pp.77-79
- ^ これは清国の見聞を経た晋作が「領土の期限付き租借」の意味するところ(植民地化)を深く見抜いていたからで、もしこの要求を受け入れていれば日本の歴史は大きく変わっていたであろうと伊藤は述懐している。ただし講和当時の記録にこのエピソードはない。古川薫『幕末長州の攘夷戦争』(中央公論社 1996)pp.198-205 ISBN 4-12-101285-2
- ^ 金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』慶應義塾大学出版会、2017年、ISBN 978-4-7664-2421-8、181ページ
- ^ 一坂太郎『高杉晋作 情熱と挑戦の生涯』(2014 角川ソフィア文庫)p.240
- ^ “高杉晋作の墓誌碑建立 東行庵、生前託した遺言刻む”. 西日本新聞. (2016年7月20日) 2016年7月20日閲覧。
- ^ 一坂太郎『東行庵だより』平成二年冬号
- ^ a b c 『維新夜話』田中光顕
- ^ 『松陰とその門下』
- ^ 佐久間象山への書簡
- ^ a b c 『高杉晋作 横山健堂 著 大正5』
- ^ 頭山満『英雄を語る』
- ^ 『伊藤公直話』P39近代デジタルライブラリー
- ^ 『山県有朋 今世人物評伝叢書 第1編 明29.9』
- ^ 『東行遺稿』
- ^ 『海舟言行録』
- ^ 『維新夜話』P423
- ^ 『海援隊長坂本竜馬』
- ^ 『維新風雲録』
- ^ 『観樹将軍縦横談』近代デジタルライブラリー
- ^ a b c 『観樹将軍豪快録』近代デジタルライブラリー
- ^ 『日本及日本人』-大正五年四月号
- ^ 『吉田松陰全集 第12巻』
- ^ 『逸話文庫 通俗教育 志士の巻』近代デジタルライブラリー
- ^ 『奥村五百子言行録』P14近代デジタルライブラリー
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