高志航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 16:25 UTC 版)
家系・親族
高家の本来の祖籍は山東省だが、明代に戦乱を逃れて遼寧省に移住し、奉天城の付近で農業を営んでいた。清朝末期になって、高志航の叔母に当たる人物が清軍将軍と結婚したため一家は城内に居住し、高志航の祖父はそこで料理人として生計を立てるようになった。だが叔母の恩恵はほとんど無く、一家は貧しいままであった。父の高景文は双子の弟とともにそこで鉄くずの売り買いを行っていたが、ある時一人城を飛び出して通化市に向かい、通化県大都嶺郷高麗墓子村に落ち着いた。30歳で李春英と結婚し、高志航ら三男一女を儲ける。その後、奉天城内の親戚が亡くなりその遺産が入ってきたため、三棵楡樹村(現:通化県三棵楡樹鎮)の農地を購入しそこに移住した[1]。
兄弟
- 次弟:高銘徳
- 三弟:高銘新
- 四弟:高銘魁
- 五弟:高銘礼
- 六弟:高銘義
- 姉:高銘蘭
- 妹:高銘梅
配偶者
- 邵文珍:1924年結婚。だが1927年に自殺(病死とも[1])し、子は無し。
- カリア(正式名不明、白系ロシア人)1928年結婚、1931年離婚。高麗良、高友良の2人の女児。
- 葉容然:1932年結婚。長男高耀漢(新生報経済記者)、長女高憶椿。
栄典
史跡
- 高志航の旧家は1996年7月8日より通化市人民政府の市級文物保護単位に指定され、2002年8月14日、「八・一四」空戦から65周年を記念し、「高志航烈士記念館」として一般公開された[41]。館内には印鑑、猟銃、カメラ(バルダックス)など生前の遺品5点が展示されている。2006年6月には吉林省愛国主義教育基地、翌2007年には吉林省文物保護単位に指定された[42]。
- 現在、台湾台東県北東に、彼の名にちなんで「志航基地」が存在する。ただし、この基地の管轄は志航大隊の後任に当たる第455戦術戦闘機連隊ではなく、教導部隊である第737戦闘訓練連隊(第7大隊)。
- 宜蘭県大同郷の台7甲線に「志航橋」がある[43]。
関連作品
- 『筧橋英烈伝』:1977年、台湾・中影公司製作の映画。主演・梁修身が高志航役。同年度の金馬奨最優秀作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞、録音賞各賞を総なめした。また特撮では三上睦男(特技監督)、川崎龍治(特技撮影)、鈴木昶(特技操演)ら日本人が全面的に協力している。
- 『遠去的飛鷹』:2011年3月、中国・華誼天意影視有限公司製作、愛奇芸湖北総合頻道放送のTVドラマ。主演・朱亜文が高志航役。全30話。
- 『血戦長空』:2012年、中国・世紀長龍影視股份有限公司製作、安徽衛視などで放映されたTVドラマ。主人公「高雲天」(演・邵兵)は高志航がモデル。
- ^ 弟の高銘魁による証言[1]および徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版(上)』河北人民出版社、2007年、1290頁。ISBN 978-7-202-03014-1。より
- ^ 13歳のときに中学に入学せず(もしくは入学したが中途退学)入隊したという文献と、中学卒業後入隊したという文献がある。高銘魁の証言によると、中学は卒業した、とするのが正しいようである[1]。
- ^ ヴェリジー=ヴィラクブレー飛行場(現ヴィラクブレー空軍基地)のモラーヌ・ソルニエ飛行学校(L'école de pilotage Morane-Saulnier à Villacoublay )か
- ^ 中央航校編訳科長、戦術教官、航空委員会参事を歴任し、戦後空軍少将。その子は空軍副司令葛光越中将をはじめ4人とも空軍パイロットになった。
- ^ なお、この時高志航とともに合格した姜広仁はのちに第4大隊参謀、楊逢春(遇春とも)は整備士としてサポートすることになる
- ^ 商水県園芸場処(現在の周口市川匯区)にて1932年着工、1934年完成。当時の航空站站長は初代の張明舜空軍上尉(保定航空学校1期)[10][11]。跡地には周口市職業中専が建つ。
- ^ 空軍建軍史話では、復帰は10月頭で、95式水偵撃墜は同日ではなく12日としている。[24][26]
- ^ 1中隊長は菅久少佐兼任、同機操縦手は小谷雄二大尉(53期)、2中隊長は今村大尉(55期・今村義明か?)、3中隊は細川直三郎大尉(55期)、4中隊長は不明。うち川平七郎空曹長の4中隊2番機が毛瀛初により撃墜された。
- ^ この爆撃により、高志航の他、高の乗機のエンジン始動を行っていた軍械長の馮幹卿、周家口飛行場へ弁当を運んでいた「金駿斎飯庄」徒弟の郭万太(伙計で郭万泰とも)、飛行場清掃員の羅国朗ら6名が戦死した[32]。
- ^ a b c d e f g h i j “高銘魁:回憶胞兄高志航”. 民国春秋. (2011年8月3日). オリジナルの2013年8月14日時点におけるアーカイブ。 2018年5月18日閲覧。
- ^ “空中驍将”李桂丹 中華人民共和国国防部
- ^ a b c “许超英『东北航空军发展史略』” (PDF) (中国語). 『军事历史研究』1988年. 2017年8月11日閲覧。
- ^ “国民政府令 十八年十一月二十六日” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年12月30日閲覧。
- ^ “空軍戰神高志航” (中国語). 國軍退除役官兵輔導委員會. 2017年1月13日閲覧。
- ^ 中山 2007, p. 90.
- ^ 中山 2007, p. 132.
- ^ 劉紹唐編、民国人物小伝第2冊 伝記文学出版社1977年 p136
- ^ “漫談「我國航空先驅 王助」” (PDF) (中国語). 成功大學機械系. 2018年10月27日閲覧。
- ^ a b 中山 2007, p. 281.
- ^ ““天神”折翼周家口机场” (中国語). 大河网. (2016年8月9日) 2019年6月8日閲覧。
- ^ 中山 2007, p. 170.
- ^ 中山、149,176頁。
- ^ 中山 2007, p. 178.
- ^ 中山 2007, pp. 181–183.
- ^ a b c 中山 2007, p. 188.
- ^ “鹿空機密第38号 広徳、杭州攻撃戦闘詳報 鹿屋海軍航空隊 昭和12年8月14日”. JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120253200、第1連合航空隊戦斗詳報 昭和12.8~12.10(防衛省防衛研究所). 2019年5月4日閲覧。
- ^ 中山 2007, p. 191.
- ^ a b 中山 2007, p. 196.
- ^ a b 中山 2007, p. 200.
- ^ 中山 2007, p. 251.
- ^ a b c d 『第2次大戦 世界の戦闘機隊』、313頁。
- ^ “丁紀徐将軍二三事” (中国語). 広州文史. 2017年1月13日閲覧。
- ^ a b 盧 1974, p. 174.
- ^ 中山 2007, pp. 251–252.
- ^ 盧 1974, p. 175.
- ^ 中山 2007, p. 253.
- ^ 中山 2007, p. 254.
- ^ 中山 2007, p. 278.
- ^ “周家口机场,老周口人知道吗” (中国語). 中国网河南频道. (2012年2月9日) 2019年6月8日閲覧。
- ^ 中山 2007, pp. 283–284.
- ^ “周口抗战” (PDF) (中国語). 周口市政协. 2019年6月8日閲覧。
- ^ “国民政府広報第975号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年11月17日閲覧。
- ^ “国民政府広報第979号(民国21年1月18日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年11月21日閲覧。
- ^ “国民政府広報洛字第16号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年11月17日閲覧。
- ^ “国民政府広報洛字第17号(民国21年8月20日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2018年1月12日閲覧。
- ^ “国民政府広報第1840号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年11月17日閲覧。
- ^ “国民政府広報第2452号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2017年10月29日閲覧。
- ^ 盧 1974, p. 185.
- ^ “国民政府広報渝字第352号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年11月17日閲覧。
- ^ “高志航紀念館(故居)” (中国語). 中共通化市委党校. 2018年5月19日閲覧。
- ^ “高志航紀念館” (中国語). 通化市图书馆. 2018年5月19日閲覧。
- ^ “台7甲線志航橋之簡介” (中国語). 省道以人名命名之橋梁及隧道. 2018年5月19日閲覧。
- 高志航のページへのリンク