高千穂河原 高千穂河原の概要

高千穂河原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:16 UTC 版)

古宮址

地理

高千穂河原登山口があり、霧島山の御鉢高千穂峰方面への登山道が延びており、霧島山登山拠点の一つとなっている[1][2]

霧島錦江湾国立公園(霧島地域)内に位置しており、高千穂河原登山口から御鉢火口への途中までが自然公園法上の第2種特別地域(鹿児島県管理)、そこから宮崎県側の高千穂峰山頂までが同法上の特別保護地区(環境省管理)である[2]。なお、高千穂河原登山口から御鉢火口までの鹿児島県側の一帯は、霧島神宮の土地であり鹿児島県が借地している区域である[2]

また、ミヤマキリシマ群生地(鹿ケ原)を巡る散策路やキャンプ場などが整備されている。

鹿児島県が1984年(昭和59年)に開設した高千穂河原ビジターセンターがあり[3]、管理運営は高千穂河原ビジターセンター運営協議会に委託され、さらに一般財団法人自然公園財団に再委託されている[2]。高千穂河原ビジターセンターは2022年(令和4年)8月5日にリニューアルオープンした[3]

天孫降臨神籬斎場

かつて霧島神宮があった場所は古宮址(ふるみやあと)と呼ばれている。毎年11月10日夕刻に天孫降臨御神火祭が開催される。これは天孫のニニギノミコト高千穂峰にくだった際、これを猿田毘古神が火を焚いて迎えた天孫降臨の故事にちなむ[4]。祭壇前で御神火が焚かれ、神職らが大祓の言葉を唱えながら、祈願札を火にくべる[4]。天孫降臨九面太鼓が奉納される。

歴史

霧島神宮は古くは高千穂峰御鉢の間の「瀬多尾(せたお)(背門丘・瀬戸尾)」にあったが、御鉢の噴火によってたびたび炎上し、延暦7年(788年)7月の火常峰(御鉢)の噴火で焼失したため、天暦年間に性空によって高千穂河原に再興された。しかしながらここも1234年1月18日(文暦元年12月28日)の御鉢の噴火によって焼失してしまった。霧島神宮は後に別の場所で再建され、高千穂河原には社殿の跡地が残るのみとなった。

1940年昭和15年)、皇紀2600年記念事業の一つとして斎場がつくられた。1958年昭和33年)に駐車場が整備され霧島山の観光拠点の一つとなった。

1962年昭和37年)5月6日には当時の皇太子明仁親王と皇太子妃美智子が訪れ、出迎えの周辺住民など6000人余りが集まった[5]

所在地

鹿児島県霧島市霧島田口2583-12(高千穂ビジターセンター)

脚注

[脚注の使い方]

関連項目

参考文献

  • 霧島町郷土誌編集委員会編 『霧島町郷土誌』 霧島町、1992年。

外部リンク


  1. ^ 霧島山 登山 コースデータ”. 全頂制覇百名山. 2020年8月22日閲覧。
  2. ^ a b c d 2.5 霧島山 - 総務省
  3. ^ a b 2.5 霧島の登山情報から自然、歴史まで分かる 高千穂河原ビジターセンターがリニューアルオープン(2022年8月6日) - 南日本新聞
  4. ^ a b 関平だより”. 関平鉱泉販売所. 2020年8月22日閲覧。
  5. ^ 古川光雄編 『広報きりしま 第133号』 霧島町、1962年6月5日


「高千穂河原」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高千穂河原」の関連用語

高千穂河原のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高千穂河原のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高千穂河原 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS