駿府城 遺構

駿府城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 14:42 UTC 版)

遺構

堀・石垣

内堀は、発掘・復元された南東の一部と中堀との間を結ぶ水路、天守台発掘調査で露出した部分を除いて埋立て消滅しているが、中堀と東辺以外の外堀はほぼ江戸期の姿を残している。ただし、歩兵第34連隊が置かれた後に架けられた凱旋橋、城代屋敷跡付近の城代橋、静岡県庁本館前など、江戸期とは異なる位置に架橋されている箇所がある。

中堀・外堀外縁の石垣・土塁は、1854年(嘉永7年)の安政東海地震による崩落や明治以降の改変によって積み直されている箇所が多いが、大手御門の虎口や北御門跡などが往時の姿をよく残している。また、残存する石垣に天下普請を物語る刻印を確認することができる。又、現存する堀は中堀と外堀の一部だけである。

移築建築物

駿府城のお万の居間が移築され、静岡県三島市にある妙法華寺の奥書院として現存している。これが駿府城唯一の現存建築物であり、三島市文化財に指定されている。なお、一般には公開されていない。

駿府城代

駿府城代警護の大手門枡形跡
駿府定番警護の四足門跡石垣

駿府城代・定番

1633年(寛永10年) 、江戸幕府は徳川忠長が改易されて直轄領となった駿府に駿府城代を置き、東海道の要衝である当地の押えとした。駿府に駐在して当城警護の総監・大手門の守衛・久能山代拝などを管掌した。将軍直属で譜代大名の職である大坂城代とは異なり、駿府城代は老中支配で大身旗本の職であるが、老中支配の中では最高位の格式を持ち、御役知2000石、伺候席は雁間詰めであった。

また、1649年(慶安2年)に設置された駿府定番は、駿府城代を輔ける副城代に相当し、当城の四足門の守衛を担当した。駿府城代と同様に老中支配で、御役高1000石・御役料1500俵、芙蓉間詰めであった。

駿府在番・勤番

駿府城には、定置の駿府城代・駿府定番を補強する軍事力として駿府在番が置かれた。江戸時代初期には、幕府の直属兵力である大番が駿府城に派遣されていたが、1639年(寛永16年)には大番に代わって将軍直属の書院番がこれに任じられるようになった。その後約150年間、駿府在番は駿府における主要な軍事力として重きをなすとともに、合力米の市中換金などを通じて駿府城下の経済にも大きな影響を与えたとされる。

しかし1790年(寛政2年)に書院番による駿府在番が廃止され、以降は常駐の駿府勤番組頭駿府勤番が置かれて幕末まで続いた。この駿府勤番組頭・駿府勤番は駿府城代支配の役で、それぞれ御役高500石・御役料300俵と御役高300俵であった。

駿府城代支配

駿府城代支配の諸役としては、既述の駿府勤番組頭・駿府勤番の他に、駿府城内の武器・弾薬を管理する駿府御武具奉行交代寄合榊原氏が世襲で務めた久能山総門番などがある。

駿府城代は、こうした支配の諸役と駿府加番などで構成される駿府における番方(軍事・警備)の要として、駿府の庶政を掌る役方の駿府町奉行とともに直轄地・駿府を幕末まで治めた。

歴代駿府城代

駿府加番

一加番稲荷神社(鷹匠一丁目)

駿府加番は江戸幕府の職制で、大名1名と寄合旗本2名が交代で務める駿府城外の警護役である。駿府城外堀外縁を囲む3箇所に置かれ、詰所・鉄砲場・馬場他を備える広大な役宅を有した。当初は一加番(町口)・ニ加番(鷹乃森)の2箇所であったが、1651年(慶安4年)の慶安の変で首謀者・由井正雪が駿府城下で自害した事件を機に城外警備の強化が図られ、三加番(草深)が増設された。

現在は各屋敷に勧請されていた稲荷社のみが残存している。


注釈

  1. ^ 静岡駅前(地図 - Google マップ) ※該当地点は赤色でスポット表示される。
  2. ^ 安西4丁目交差点(地図 - Google マップ) ※該当地点は赤色でスポット表示される。
  3. ^ 葵区本通3丁目(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色で囲い表示される。
  4. ^ 駿府城 坤櫓(地図 - Google マップ) ※該当施設は赤色でスポット表示される。

出典

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