香取神宮 歴史

香取神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 16:07 UTC 版)

歴史

創建

社伝では、初代神武天皇18年の創建と伝える。黎明期に関しては明らかでないが、古くは『常陸国風土記』(8世紀初頭成立)[原 8]にすでに「香取神子之社」として分祠の記載が見え、それ以前の鎮座は確実とされる[8]

また、古代に香取神宮は鹿島神宮とともに大和朝廷による東国支配の拠点として機能したとされるため[8]、朝廷が拠点として両社を祀ったのが創祀と見る説がある[8][3]。これに対して、その前から原形となる祭祀が存在したとする説もある(「考証」節参照)。

概史

藤原氏の氏社。その創建に際して経津主神は香取から春日へ勧請され、その第二殿に祀られた。

奈良時代、香取社は藤原氏から氏神として鹿島社とともに強く崇敬された。神護景雲2年(768年)には奈良御蓋山の地に藤原氏の氏社として春日社(現・春日大社)が創建されたといい[注 3]、鹿島から武甕槌命(第一殿)、香取から経津主命(第二殿)、枚岡から天児屋根命(第三殿)と比売神(第四殿)が勧請された[9]。その後も藤原氏との関係は深く、宝亀8年(777年[原 9]藤原良継の病の際には「氏神」として正四位上の神階に叙されている。

平安時代以降の神階としては、承和3年(836年[原 10]に正二位、承和6年(839年[原 11]に従一位への昇叙の記事があり、元慶6年(882年[原 12]には正一位勲一等と見える。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳には下総国香取郡に「香取神宮 名神大 月次新嘗」と記載されており、式内社名神大社)に列し、月次祭新嘗祭では幣帛に預かっていた。なお、同帳で当時「神宮」の称号で記されたのは、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社のみであった。また下総国では一宮に位置づけられ、下総国内からも崇敬されたという[注 4]

中世、武家の世となってからも武神として神威は維持されており、源頼朝足利尊氏の寄進に見られるように武将からも信仰された[4]。一方で、千葉氏を始めとする武家による神領侵犯も度々行われていた[10]。また、この時期には常陸・下総両国の海夫(漁業従事者)・関を支配し、香取海を掌握して多くの収入を得ていた[4]

千葉氏の滅亡後、代わって関東に入った徳川家康の下、天正19年(1591年)に1,000石が朱印地として与えられた[3]。その後開かれた江戸幕府からも崇敬を受け、慶長12年(1607年)に大造営、元禄13年(1700年)に再度造営が行われた[4]。現在の本殿・楼門・旧拝殿(現・祈祷殿)は、この元禄期の造営によるものである[4]

明治4年(1871年)5月14日、近代社格制度において官幣大社に列し[11]昭和17年(1942年)に勅祭社に定められた。戦後は神社本庁別表神社に列している。

神階

鹿島神・香取神の神階
鹿島神 香取神
777年 正三位 正四位上
782年 勲五等 --
836年 従二位勲一等
→正二位勲一等
従三位
→正二位
839年 従一位勲一等 従一位
850年 正一位?
(正一位勲一等?)
正一位?
882年 -- 正一位勲一等

神職

職制

神宮の職制について、延長5年(927年)成立の『延喜式[原 14][原 15][原 16]では、宮司1人、禰宜1人、物忌2人のほか楽人6人、舞妓8人を記し、宮司は従八位に准じるとしている[3][4]

平安時代末期から中世にかけて見える神官は、大禰宜、大宮司、副祝、物申祝、行事禰宜、国行事、権禰宜、田所、案主、分飯司、大祝、検非違使使、宮介、録司代、惣検校、権之介、正検非違使、高倉目代など百数十以上に上っている[3]

明治以前の神宮祭祀の中心神官は、両社務(大宮司・大禰宜)、六官(宮之介・権禰宜・物申祝・国行事・大祝・副祝)のほか、惣検校・権之介・行事禰宜・録司代・田所・案主・高倉目代・正検非違使・権検非違使・分飯司などであった[3]

祭祀氏族

神宮の祭祀氏族は、古くは香取連(かとりのむらじ、香取氏)一族であったといわれる[4]。「香取大宮司系図」[13]によれば、フツヌシ(経津主)の子の苗益命(なえますのみこと、天苗加命)がその始祖で、敏達天皇年間(572年?-585年?)に子孫の豊佐登が「香取連」を称し、文武天皇年間(697年-707年)から香取社を奉斎し始めたという[4]

このように香取氏はフツヌシの神裔を称する一族であったが[14]、その後同系図によれば、大中臣氏から大中臣清暢が香取連五百島の養子に入って香取大宮司を、清暢の子の秋雄が香取大禰宜を担ったという[4](ただし人名・時期の信頼性は低い[15])。以後、平安時代末期までは大宮司・大禰宜とも大中臣氏が独占した[4]。ただし香取神宮は藤原氏の氏神であったため、その補任は中央の藤原氏に管掌されていた[3]

康治元年(1142年)に鹿島神宮大宮司の中臣氏一族から香取神宮大宮司への任命があって以降は、香取大中臣氏と鹿島中臣氏とが香取の大宮司職を巡って対立を見せた[3]。両氏は鎌倉幕府や摂関家に働きかけて抗争し、最終的に寛喜年間(1229年-1232年)頃に大中臣氏側が勝利した[3]

この頃から藤原氏の影響も薄れ、大中臣氏一族の内部で大宮司・大禰宜職や社領を巡っての抗争が展開された[3](香取社応安訴訟事件)。この抗争も応安7年(1374年)頃に終息に至り、鎌倉末期・室町期は大禰宜家が主導権を握って安定化した[3]。その後、近世には江戸幕府の統制下に入ったが、抗争は繰り返されていたことが散見される[3]

社領

延喜式[原 7]によれば、神宮の鎮座する下総国香取郡神郡、すなわち郡全体が神宮の神領に指定されていた。『常陸国風土記[原 17]には、鹿島神宮の鎮座する常陸国鹿島郡(香島郡)が大化5年(649年)に神郡として建郡されたとあり、香取郡も同様に建郡されたものと推測されている[16][17]

大同元年(806年[原 18]には神宮の封戸は70戸であった[10]。11世紀には藤原氏からの封戸寄進の記事も見える[10]

中世には、神官同士の争いや千葉氏に代表される武家からの神領侵犯があり、訴訟も頻繁に行われた[10]。また、中世に始まる特殊収入として「海夫(かいふ)」、すなわち香取海の漁業従事者からの供祭料があった。

千葉氏の滅亡後、代わって関東に入った徳川家康の下で天正19年(1591年)に検地が行われた[3]。その結果社領は大幅に削減され、同年に1,000石が朱印地として与えられた[3]。元禄期の史料では、神宮領900石、大戸社領100石、神宮寺領20石であったという[10]

社殿造営

日本後紀[原 19]日本三代実録[原 12]延喜式[原 20]によれば、弘仁3年(812年)以前から、香取神宮には20年に1度の式年造営(式年遷宮)が定められていた。

平安時代末期からの造替年次は、保延3年(1137年)、久寿2年(1155年)、治承元年(1177年)、建久4年(1193年:大風のため)、建久8年(1197年)、承久元年(1219年:戦乱のため嘉禄3年(1227年)に延期)、宝治3年(1249年)、文永8年(1271年)、正応5年(1292年)、元徳2年(1330年)、貞治年間(1362年-1367年)頃、至徳2年(1385年)頃、応永5年(1398年)、永享2年(1430年)、享禄2年(1529年)頃、元亀3年(1572年)に確認される[4]。このほか、正和5年(1316年)、応永31年(1424年)、文明15年(1483年)、明応元年(1492年)にも造営があったとする史料もある[4]。このように鎌倉時代にはほぼ20年に1度の造替が守られているが、南北朝時代以降はそれが困難となっていった様子がわかり、その時期は史料もあまり残っていない[4]

江戸時代には、幕府によって慶長12年(1607年)に大造営が行われた[4]元禄13年(1700年)に再度造営が行われ、この時の本殿始め主要社殿が現在に伝わっている[4]

なお現在の本殿の形式は、「アサメ殿(あさめどの)[注 5]」の形式を伝えるものとされる[18][19]。アサメ殿とは神宮にかつて存在した社殿で、普段は磐裂神・根裂神(経津主神の祖父母神)を祀る末社で、正神殿(本殿)の式年遷宮の際にその仮殿(かりどの:神体を仮安置する社殿)として使用されていた[19]。その間には、磐裂神・根裂神の安置のために仮アサメ殿も設定されたという[19]。正神殿は鎌倉時代の元徳2年(1330年)造営のものを最後として造られなくなったと見られており、以後の本殿はこのアサメ殿の形式を継承したと考えられている[19]

上述のとおり香取神宮においてアサメ殿は重要な役割を果たしていたが、その存在が確認されるのは中世までであり、近世になると廃絶した可能性が高いという指摘がある[20]。アサメ殿の形式は本殿のものの省略版であり、省略に伴い格式も低下していたものだが、香取神宮においては、元徳2年以後、正神殿の造営が困難である状況が長期間継続し、その間、アサメ殿を正神殿の代用とせざるをえなかったと推定され、正神殿復旧の見込みがない中で、正神殿の形式がアサメ殿に部分的に導入された可能性も指摘される[20]。つまり、アサメ殿の格式を高めるような形式変更が確認されており、こうした流れが現在の本殿の形式に影響していったとみられる[20]

鎌倉時代における正神殿に関しては、古文書から「桁行五間・梁間二間の切妻造平入の身舎で背面一間通りに庇を有する建物」と推定されており、式年造替の存在から、この形式は平安時代前期に遡るものであろうと推測されている[19]


  1. ^ 祭神を1柱とする記載は、御由緒(公式サイト)、『新修 香取神宮小史』、神社由緒書等における公式記載に基づく。ただし香取神宮(平凡社) 1996等のように、相殿神に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)の3柱を載せる文献も見られる。
  2. ^ 平安時代以前、「神宮」の呼称使用の他例には『古事記』『日本書紀』で「石上神宮」があるが、『延喜式』神名帳では「石上坐布留御魂神社」と記される (岡田 2011)。
  3. ^ 春日社創建の正確な年号は明らかではない。「神護景雲2年」は春日大社の社記に基づくもので、『日本三代実録』元慶8年8月26日条を支証とする(『国史大辞典』春日大社項)。
  4. ^ ただし、古文書に「一宮」の呼称自体は見られない (一宮制 2000, p. 218)。
  5. ^ a b 「アサメ」の字は「女偏に盛」。
  6. ^ 「日本三大御田植祭」は、香取神宮のほか伊雑宮三重県志摩市磯部の御神田)、住吉大社大阪府大阪市住吉の御田植)。
  1. ^ a b 『日本書紀』神代上。
  2. ^ a b 『日本書紀』神代下。
  3. ^ 『古語拾遺』(神道・神社史料集成参照)。
  4. ^ 『延喜式』巻8 祝詞 春日祭条(神道・神社史料集成参照)。
  5. ^ 『梁塵秘抄』巻2 四句神歌。
  6. ^ 『令集解』巻16 選叙令 同司主典条・不得用三等以上親令釈。
  7. ^ a b 『延喜式』巻18 式部上 郡司条(神道・神社史料集成参照)。
  8. ^ a b 『常陸国風土記』行方郡条(神道・神社史料集成参照)。
  9. ^ a b 『続日本紀』宝亀8年(777年)7月16日条(神道・神社史料集成参照)。
  10. ^ a b 『続日本後紀』承和3年(836年)5月9日(神道・神社史料集成参照)。
  11. ^ a b 『続日本後紀』承和6年(839年)10月29日条(神道・神社史料集成参照)。
  12. ^ a b c 『日本三代実録』元慶6年(882年)12月9日条(神道・神社史料集成参照)。
  13. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)9月15日条(神道・神社史料集成参照)。
  14. ^ 『延喜式』巻15 内蔵 鹿島香取条(神道・神社史料集成参照)。
  15. ^ 『延喜式』巻3 臨時祭 香取楽人装束条(神道・神社史料集成参照)。
  16. ^ 『延喜式』巻3 臨時祭 神宮司季禄条(神道・神社史料集成参照)。
  17. ^ 『常陸国風土記』香島郡条。
  18. ^ 『新抄格勅符抄』10 神事諸家封戸 大同元年(806年)牒(神道・神社史料集成参照)。
  19. ^ 『日本後紀』弘仁3年(812年6月5日条(神道・神社史料集成参照)。
  20. ^ 『延喜式』巻3 臨時祭 神社修理条(神道・神社史料集成参照)。
  21. ^ 『小右記』治安3年(1023年)9月6日条。
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  10. ^ a b c d e 社領(国史) 1983.
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  38. ^ Vol-073 側高神社(香取市ホームページ「香取遺産」)。
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  40. ^ 香取小史 1995, p. 5.
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  42. ^ Vol-085 大戸神社(香取市ホームページ「香取遺産」)。
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  50. ^ 香取小史 1995, p. 25.
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  65. ^ a b Vol-039 神道山古墳群(香取市ホームページ「香取遺産」)
  66. ^ Vol-034 城山一号墳(香取市ホームページ「香取遺産」)
  67. ^ Vol-052 懸仏の最高傑作(香取市ホームページ「香取遺産」)






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