音楽が死んだ日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 07:34 UTC 版)
再調査
2007年、リチャードソンの息子が、父への検死結果について再調査をおこなった。これは墜落の2ヶ月後にトウモロコシ畑でホリーの22口径の拳銃が発見されたという有名な逸話にも関わっている。つまり再調査は、偶然に銃が暴発したため墜落が起きたのではないかという疑問に答えるためのものだった。またリチャードソンの遺体が現場から離れていたため、彼は残骸から歩いて抜け出すことができた可能性もある。ウィリアム・M・バスは手続きをとって、スマイリーの報告書も確認した。しかしリチャードソンの遺体は保存状態こそよかったが、「ひどい骨折」のため、墜落の衝撃で絶命したことが裏づけられた[11][12]。
記念碑
1950年代を愛するウィスコンシン州の男性ケン・パケットは、1988年に鋼のギターをかたどったステンレスのモニュメントをつくった。そこでは3人のアーティストたちの名前を冠したそれぞれのレコードもモチーフにされている[13]。このモニュメントはクリアレイクから北へ8kmの、とある農園に置かれている。墜落現場の入り口には角枠の眼鏡をかけたポストサインがある。またパケットは3人のアーティストに捧げるステンレスのモニュメントをウィスコンシン州グリーンベイのリバーサイド・ボールルームにもつくっている。そこはバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーの三人が1959年2月1日の夜に演奏をした場所である。二つ目の記念碑の除幕式は2003年6月17日に行われた[14]。2009年2月にはパケットによって新たなモニュメントがつくられた。これはパイロット、ロジャー・ピータースンへ向けたもので、やはり墜落現場に設置された[15]。
脚注
|
- ^ "FAA Registry (N3794N)". Federal Aviation Administration.
- ^ “Celebrity Crashes”. check-six.com. 2010年10月24日閲覧。
- ^ “1959: Buddy Holly killed in air crash”. On This Day (London: BBC). (1959年2月3日) 2008年11月2日閲覧。
- ^ Thimou, Theodore (2006年12月28日). “Preview: The Twice-Famous Don McLean Plays Rams Head”. Bay Weekly. 2008年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月11日閲覧。
- ^ “Most Frequently Asked Questions...”. BuddyHollyOnline.com. 2010年10月21日閲覧。
- ^ a b VH1's Behind the Music "The Day the Music Died" interview with Waylon Jennings
- ^ “Waylon’s Buddy: Jennings Never Forgot His Mentor”. CMT. 2010年10月21日閲覧。
- ^ DiMucci, Dion: "The Wanderer", page 89. Beech Tree Books, 1988
- ^ a b c Civil Aeronautics Board (1959年9月23日). “Aircraft Accident Report”. NTSB. 2009年2月4日閲覧。
- ^ Ralph E. Smiley, M.D.. “Death Certificate language”. Fiftiesweb. 2009年1月30日閲覧。
- ^ Bill Griggs. “Big Bopper Exhumation”. 2009年1月30日閲覧。
- ^ “Autopsy of 'Big Bopper' to Address Rumors About 1959 Plane Crash”. Washington Post. (2007年1月18日)
- ^ Scott Michaels. “The Death of Buddy Holly”. Findadeath. 2009年1月30日閲覧。 (画像有)
- ^ Jennifer Jordan (2007年4月11日). “The Day the Music Died”. Articles Tree. 2009年1月30日閲覧。
- ^ Jordan, Jennifer (2009年2月2日). “Memorial to Buddy Holly pilot dedicated at crash site”. Des Moines Register 2009年4月14日閲覧。
- 音楽が死んだ日のページへのリンク