韓正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 14:12 UTC 版)
エピソード
- 上海市人民政府市長に初めて就任した時は48歳であり、中華人民共和国建国以来最年少の市長の誕生であった。
- 党上海市委員会副書記を務めていた時期に、上司である党上海市委員会書記の陳良宇が解任される事態となり、臨時に韓正は同委員会代理書記に就任した。本来なら直近の上海市党大会において、順当に正式の党上海市委員会書記として任命されるものとみられていた。しかし会期終了前の2007年3月に、上海市と縁のない習近平が党上海市委員会書記に就任することとなり、異例の人事となった。その7か月後に新たな会期が開始すると、今度は兪正声が同委員会書記に就くこととなり、またしても韓正は同委員会書記のポストを逃した。この間、韓正は彼らの部下として同委員会副書記の役職を続けた。これらの人事は、上海における団派(共青団派)の影響を排除したい江沢民派の意向が強く反映された結果であると考えられている。なお、党上海市委員会書記の役職に就いた人物は中央政治局委員になることが慣例となっている。このため、韓正は中央政治局委員の役職についても手にすることができなかった。結局、1期5年間を棒に振り、2012年に晴れて党上海市委員会書記および党中央政治局委員の役職を得ることとなる。
- 国際都市上海の地位を反映し、都市間の国際交流も活発に行われている。韓正は市長時代の2008年6月に、上海を訪れた台北市長の郝龍斌と上海市人民政府を代表して会談した。しばらくして台湾からの招へいを受け、2010年4月6日から4日間台湾に滞在し、台北において郝龍斌と上海市人民政府を代表して会談した。また、同年5月には上海万博を成功させた。市長を辞めた後も、共産党上海市委員会を代表して、2016年5月にはインド[7] とタイ王国を訪問した[8]。
- ^ “習氏側近、経済担当の副首相に 人民銀総裁に易氏”. 日本経済新聞. (2018年3月19日) 2018年3月19日閲覧。
- ^ “上海市委吉林省委主要负责同志职务调整” (中国語). 新华社. (2012年11月20日) 2012年11月20日閲覧。
- ^ “上海等3省市党委主要负责同志职务调整”. 2017年11月5日閲覧。
- ^ “習氏側近、経済担当の副首相に 人民銀総裁に易氏”. 日本経済新聞. (2018年3月19日) 2018年3月19日閲覧。
- ^ 科技日报 (2018年4月7日). “4位副总理分工出炉:科技和教育不再由同一人分管”. news.sina.com.cn. 2023年4月6日閲覧。
- ^ “韩正或出任国家副主席:是否继续分管香港?”. 万维读者网. 2023年4月6日閲覧。
- ^ 韩正率中共代表团访问印度 推动上海与印度重要城市之间的交流合作 - 中国新聞(2016年5月16日閲覧)
- ^ 韩正率中共代表团访问泰国 上海曼谷缔结友好城市 - 中国新聞(2016年5月16日閲覧)
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