青森放送
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歴史
- 1952年(昭和27年)10月1日に宮城県のラジオ仙台(現:東北放送)が青森県にラジオ局を開局しようとして免許申請し、さらに局舎[注釈 9] の建設などを行っていた。これに危機を感じた地元新聞社の東奥日報社が中心となり、「県民の、県民による、県民のためのラジオ局」をモットーに地元放送局の開局を進めていった。その後、東北放送は、1953年(昭和28年)5月27日に、青森中継局の開設申請を取り下げた[17]。
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)
- 1月6日 - 郵政省(現:総務省)に免許申請[18][19]。
- 5月30日 - 郵政省、「標準放送用周波数割当計画表」を決定[20][21]。青森の民間放送に周波数1120kc、空中線電力500Wの割り当て[18][20]。
- 8月1日 - ラジオ東奥に予備免許交付[18][19](RTBラジオ東北(現:ABS秋田放送)と同日)。呼出符号:JOGR、呼出名称:らじおあおもり、周波数:1120kc、空中線電力:昼間1kW・夜間500W。所在地は、演奏所・放送所とも東津軽郡浜舘村大字松森字福田(現:青森市松森1丁目)[18]。
- 9月22日 - 送信アンテナ完成。東北地方最初の頂冠装荷鋼管柱アンテナ[18]。
- 9月26日 - ラジオ東奥創立総会開催。社名を株式会社ラジオ青森に改称[18][19]。
- 9月29日 - 9時30分、最初の試験電波発射[18][22]。
- 10月6日 - 本免許交付[18][23]。なお、この日は、臨時プログラムとして、12:00 - 13:00と18:00 - 20:00の2回、電波を発射した。
- 10月7日 - 7時00分、サービス放送開始[18][24]。
- 10月12日 - 6時00分、本放送開始。第1声は加納登アナウンサー[18]。日本で27番目の民間ラジオ局として開局。最初の番組は、『朝のメロデー』。当時の放送開始は6時だった。
- 1954年(昭和29年)
- 1月4日 - 八戸ラジオ中継局の免許申請[25]。
- 2月19日 - 八戸ラジオ中継局に予備免許交付[25]。
- 5月1日 - 放送開始時刻を30分繰り上げ、5時30分開始となる[26]。
- 9月26日 - 洞爺丸事故報道により、開局以来初の終夜放送を実施[27](後述の通り、通年での終夜放送実施は16年3ヶ月と6日後の1971年1月1日から)。
- 12月4日 - 八戸ラジオ中継局から試験電波発射[18]。
- 12月8日 - 八戸ラジオ中継局に本免許交付[25]。
- 12月10日 - 八戸ラジオ中継局(呼出符号:JOGO・1060kc、100W)開局。専用線が確保出来ず、1958年(昭和33年)3月に60Mc中継回線が開通するまで、本局の放送波を受信し中継。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 放送開始時刻を30分繰り上げ、5時開始となる[28]。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)
- 9月5日 - 地上アナログテレビジョン放送の試験電波発射[25]。
- 9月13日 - 地上アナログテレビジョン放送に本免許交付。当初は、映像1kW・音声0.25kWで送信予定だったが、受信エリアに問題が生じた為、映像5kW・音声1.25 kW[注釈 10] で免許が交付された[33]。
- 9月14日 - 11時30分[34]、地上アナログテレビジョン放送のサービス放送開始。ラジオ東京テレビ(後の東京放送、現:TBSテレビ)をメインとした編成で、9月20日にはラインネット番組も始まったが、営業面から再考し、9月25日の15:00からの大相撲中継から急遽日本テレビ主体に変更した[注釈 11]。
- 10月1日 - 10時00分、地上アナログテレビジョン放送(呼出符号:JOGR-TV)の本放送開始。開局当時は「ラジオ青森テレビ」という局名だった。最初の番組は『レコードコンサート』。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)10月28日 - 株式会社ラジオ青森から青森放送株式会社に社名変更。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)1月24日 - 八戸ラジオ中継局の出力を100Wから現在の1kWに増力[25]。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 4月1日 - 同日発足したNNNに加盟。
- 4月10日 - 11時15分、『歌のグランプリショー』からテレビのカラー放送開始[40]。
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)4月1日 - テレビでは日本初となる[注釈 13] ローカルワイドニュース『RABニュースレーダー』を開始(当時は朝の放送)
- 1971年(昭和46年)1月1日 - ラジオの24時間(終夜)放送を開始(月曜除く)[注釈 14]。
- 1974年(昭和49年)12月5日 - 深浦ラジオ中継局開局(呼出符号を有さない中継局としては最初の開局)。
- 1975年(昭和50年)
- 1978年(昭和53年)11月23日 - 全国一斉ラジオ周波数変更が実施され、青森ラジオ送信所が1230kHzから1233kHzに、八戸ラジオ中継局が1430kHzから1485kHzに、弘前ラジオ中継局が1060kHzから1062kHzに、深浦ラジオ中継局が1500kHzから1485kHzに、それぞれ変更。
- 1982年(昭和57年)7月17日 - 15時03分から、ラジオにおいて、「プリ・エンファシス」方式本放送開始[45]。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 緊急警報放送の運用開始[46](東北地方の民放では初[25])。
- 1988年(昭和63年)7月13日[47] - 事件や事故で死亡した遺族へのインタビュー自粛を開始。これは、同年3月に中国・上海で起きた列車衝突事故での高知学芸高校関係者へのマスコミの対応が問題となったことによる。
- 1989年(昭和64年・平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 4月1日 - クリアビジョン放送開始
- 10月1日 - 音声多重放送(呼出符号:JOGR-TAM)開始。(ATVと同日)
- 1991年(平成3年)10月1日 - ABA開局に伴い、日本テレビ系列18局目のフルネット局に。
- 1995年(平成7年)
- 2000年(平成12年)1月14日 - 野辺地ラジオ中継局開局。
- 2001年(平成13年)11月19日 - テレビの24時間放送(終夜放送)開始。それに伴い、CSチャンネル「NNN24」(現・日テレNEWS24)の放送も開始。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)8月1日 - 八戸・上北両デジタル中継局開局。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 1月15日 - 十和田湖・木野部両デジタル中継局開局。
- 1月22日 - 平内山口・平内内童子・平内外童子の各デジタル中継局開局。
- 2月15日 - 大鰐虹貝デジタル中継局開局。
- 8月30日 - 深浦追良瀬デジタル中継局開局。
- 9月24日 - 八戸南郷デジタル中継局開局。
- 9月30日 - 鰺ヶ沢中村・鰺ヶ沢赤石両デジタル中継局開局。
- 10月4日 - 袰部デジタル中継局開局。
- 10月18日 - 深浦長慶平デジタル中継局開局。
- 11月15日 - 竜飛帯島デジタル中継局開局。
- 11月29日 - 田子・片貝・道仏・西津軽舞戸・津軽上小国の各デジタル中継局開局。
- 12月9日 - 鰺ヶ沢一ツ森デジタル中継局開局。
- 12月13日 - 七戸デジタル中継局開局。
- 12月20日 - 津軽小国・中里今泉・深浦舮作・竜飛宇鉄の各デジタル中継局開局。
- 2011年(平成23年)
- 7月24日 - 全アナログテレビ送信所・中継局が廃局。
- 11月14日 - 細越デジタル中継局が開局。
- 12月7日 - 脇野沢デジタル中継局が開局。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)10月12日 - 開局60周年を迎える。これを記念して、10月11日 8:30 - 10月13日 21:00までの60時間30分にわたり、RAB創立60周年記念として『瞬(とき)をつないで60時間ラジオ』[53] を放送した。なお、12日と13日の日中を中心にテレビとの同時放送を行った。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)3月31日 - 1986年(昭和61年)9月から実施してきた、電話によるラジオ再送信サービスを終了[58]。
- 2017年(平成29年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)1月25日 - 大間下北FM補完中継局が開局[64]。
注釈
- ^ a b 青森中央郵便局私書箱88号。大口郵便番号のため住所の記載は不要。郵便番号が7桁になって大口郵便番号を取得した当初は一部の番組で郵便番号の案内のあとに語呂あわせで「030のハローゴーゴー」と呼称していたが、番組へのお便り、プレゼントの応募等で最近は語呂あわせを呼称するケースは、伊東幸子アナが担当する番組平日夕方の『魅惑のヒットパレード』などを除いて皆無であるものの、一部の募集企画では松森地区の郵便番号である「〒030-0965(住所の記載は不要)」と案内しているほか、各支社制作の番組については制作している支社宛に送付するように案内している。
- ^ 1986年5月16日から、松森の本社内に移転。
- ^ 1964年10月までは「名古屋支社」。
- ^ 青森放送 取締役会長
- ^ 青森放送 監査役
- ^ 青森放送 取締役相談役
- ^ 青森放送 代表取締役社長
- ^ 青森放送 代表取締役会長
- ^ 青森市大字造道字浪打95番地に局舎を建設していた。
- ^ アナログ放送終了まで、この出力で送信。
- ^ サービス放送開始当初はマイクロ回線がまだ開通していなかった為、ラジオ東京テレビ(KRT、現・TBSテレビ)、日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)、フジテレビからの番組フィルムを流して放送していた。
- ^ ただし、「RAB学苑」を除く関連企業のRABロゴと、2018年4月からの『RABニュースレーダー』のRABロゴは、独自のロゴが使われる。
- ^ 初のカラー生ワイド番組でもあった。
- ^ この日から14日まで、月曜を除く毎日午前0時から5時まで、深夜放送のPRを兼ねて、トランジスタラジオが当たる『音のクイズ』を実施し、月曜を除く12日間で、1万2061通の応募があった。(出典:広報誌『あおもりほうそう』昭和46年2月1日発行No.54の10ページ「リサーチ*リポート」から
- ^ その後、10月9日から、テレビにおける緊急地震速報の送出を自動化。
- ^ 東北地方の日本海に面する県のラジオ局では最初の配信となり、本州の太平洋側に面する都県のAMラジオ局では最後の配信となった。
- ^ ただし、RABホームページ内ラジオ週間番組表とradikoの番組表上は、月曜日4時台の『MUSIX』(TBSラジオ)は、日曜日深夜番組の扱いで表示される。
- ^ 2014年12月15日は前日に実施された衆議院議員選挙の開票速報を伝える為に2:00まで、2016年7月11日は前日に実施された第24回参議院議員選挙の開票速報を伝える為に1:00まで、2023年6月5日は前日に実施された青森県知事選挙の開票速報を伝えるために1:00まで、それぞれ放送時間を延長した。また、それ以前も、国政選挙実施日に開票速報放送で、放送終了時間を繰り下げたケースもあった(1977年7月10日実施の第11回参議院選挙の時など)。
- ^ 2000年(平成12年)度までは該当したが、2006年(平成18年)度(当時は1:00 - 4:00)・2017年(平成29年)度と2023年(令和5年)度(当時は0:30 - 4:00)は1月1日未明に通常通り番組休止した。
- ^ なお1233kHzを使用する放送局は他に和歌山放送の田辺、日置川の両中継局及び長崎放送の長崎送信所、諫早・島原の両中継局のみである。
- ^ 地方局番組販売用ネット番組であるが、RABラジオのみ帯放送であるため、月・火曜日は全国向けの内容、水-金曜日はRABラジオ用のオープニングのコメントが収録されている。
- ^ a b 青森放送アナウンサーが持ち回りで企画・出演するもの。『聴いて!(番組上タイトルは「Listen=リッスン」)』は、アナウンサーが扮する外国人覆面風DJが進行するという体裁を取っている
- ^ 前番組「アフター6ジャンクション」は4月 - 9月は火曜 18:30 - 21:00、10月 - 翌年3月は火曜 - 金曜の20:00 - 21:00で放送していたが。なお、弘前市の『はるか夢球場』で楽天主催試合が開催される日は、「アフター6ジャンクション」のネットを返上し、「RABゴールデンナイター」を放送する。
- ^ 2019年9月までは日曜 22:30 - 23:00に放送していた。
- ^ 2017年3月までは八戸局・十和田局のみでの放送
- ^ 水 - 金は『RABゴールデンナイター』の放送が延長した場合、短縮もしくは休止となる。
- ^ 2011年は12月25日が日曜だった為、15:00まで。
- ^ 2017年3月までは弘前局・深浦局のみで16:00〜17:00に放送
- ^ 2012年10月6日 - 2014年9月27日は『土曜 トモラジ いいね』の11時台に内包していた。
- ^ 対岸にある北海道の北海道放送や岩手県をエリアとしていた岩手放送にKRTの番組を抑えられていた上、KRTから提示されたネット保証金が予想以上に安かったため。
- ^ 本来、JNN加盟各局は他系列とのニュースネットに関するクロスネット加盟をJNN協定に抵触するため原則禁止している
- ^ 該当枠は1977年4月2日から、これ以前は昼の『ANNニュース』は非ネット。但し、日曜については、1985年12月まで未ネット。
- ^ ANNとのクロスネット化から1977年4月1日までは全日ネット
- ^ 日テレ系列の『ルックルックこんにちは』はクロスネット時代は未放送。「ルック…」の前身番組『ミセス&ミセス』は9時30分からの時差放送。「ミセス&ミセス#放送局」も参照
- ^ これにより、同局では平日の午後に(『おもいッきりテレビ』内包前後を含めて)『ごちそうさま』・『ライオンのいただきます』と、対極の意味を表す言葉がタイトルになっている番組を同一局でネットするという現象が起きていた。
- ^ 同様の例は、RAB同様に当時日テレ・テレ朝クロスネット局だった山口放送(KRY:1993年10月に日テレ系フルネット化)、いずれも日テレ単独加盟局の山梨放送(YBS)・四国放送(JRT)・高知放送(RKC)でも見られた。
- ^ 火曜のみ21時台(大半の日本テレビ系列局では2時間ドラマの『火曜サスペンス劇場』を放送)も
- ^ 山形放送(YBC)、山口放送(KRY)でも同様の措置を取っていた。
- ^ ただし、中継局ベースでは、NHK青森放送局が4ch(総合深浦局など)を使用していた。
- ^ ごく初期にはラジオ八戸局に合わせてJOGO-TVという独自のコールサインも与えられていた(この動画[84] を参照)。
- ^ IBC岩手放送が折爪岳にテレビ中継局を設置するのは、1961年10月16日である。(出典:『青森放送二十五年史』446頁「年表」の「放送関係」から。)
- ^ ただし、自主制作のミニ番組と在京キー局サイドの編成都合によるバラエティー番組の再放送はある。また、青森放送が製作委員会に連なるアニメ『ふらいんぐうぃっち』も再放送を行っていた。
- ^ 番組開始時は『RABてるてる天気』のタイトル。(出典:『青森放送40年表』182頁「1989(平成元年) RAB」から参照。)
- ^ 一部G1開催日は14:30or14:40から開始、15:50で終了の日がある。
- ^ 青森テレビと週替わりで共に不定期放送。
- ^ ネット開始時はスーパー競馬。
- ^ 日本テレビの『皇室日記』をネットするため途中で打ち切ったが、月1回放送移行に伴い2020年9月末をもって『皇室日記』のネットを打ち切った為、同年10月から同時間帯で再開した。
- ^ 2010年(平成22年)度から、10月の県大会決勝と翌年1月の全国大会決勝を放送〔共に深夜枠・全国大会決勝は同日録画放送で字幕放送を実施〕。
- ^ 2009年度まで開催された前身の選抜優勝大会時代は2月に県大会決勝・3月に全国大会決勝を放送した。青森県代表校が対戦時にはRABのアナウンサーが試合会場に行きRABラジオの生番組内でほぼリアルタイムで途中経過等が報告される場合もあった。また、テレビでは青森県代表校の試合を同日深夜に録画放送する場合がまれにあった。現行の1月開催に移行してからは、当局では青森県代表校の試合の放送権を行使していない。(試合結果については『RABニュースレーダー』内で伝えることもあるが、必ず放送されるとは限らない。)
- ^ 全国大会のみ一部スポンサードネット[注釈 49]。なお、1970年代から1980年代の一時期は、青森テレビで青森県代表校以外の試合も夕方に放送していた。
- ^ 1977年4月2日からネット開始。
- ^ ただし、1988年12月31日の放送は、日テレと同時ネット。これは、日テレ系で20:03から22:54まで『年末時代劇「五稜郭」』を放送した事とテレ朝系で21:00から23:30まで『徹底討論スペシャル「ドーする日本・日本人!?世界は警告する!!」』放送で「土曜ワイド劇場」の放送が無かった為。
- ^ フジテレビ系列で放送『スパイ大作戦』もRABではこの時間で放送していた。(東奥日報昭和48年9月付けテレビ欄から)
- ^ なお、前身の『ミセス&ミセス』は9:30の時差放送を行っていた(出典:1979年9月27日及び9月30日の東奥日報朝刊テビ欄から)。
- ^ 1993年以降の野島ドラマは、ATVで放送[89]。
- ^ 第2シリーズ以降は、「土曜ドラマ劇場」枠で放送。
- ^ 『ドラゴンボール超』は県内未放送。
- ^ 2022年版は県内未放送。
- ^ 実写版スペシャルドラマは青森朝日放送で放送(土曜ワイド劇場枠での放送となった為)。
- ^ 後継番組『サザエさん』は、ATVで放送[90]。
- ^ 青森テレビでも、1975年頃の平日夕方に放送していた実績がある。
- ^ ネット開始が遅れた為、時差を埋めるために帯で放送されていた時期がある。
- ^ 2003年以降は県内未放送。
- ^ 第8回(1984年)までは「初日」と「最終日」を同時ネットした。第9回は「最終日」のみを深夜に時差ネットしたを最後に打ち切り。
- ^ 『土曜映画劇場』と改題し、内容を一部編集。また、高島忠夫の解説は未放送。
- ^ 特番時代は青森テレビで放送されていた。
- ^ 青森テレビへ移行。
- ^ 塚地武雅主演バージョンも放送していたが、一部の回は未放送だった。
- ^ 前身の『ミセス&ミセス』は最終回まで時差ネットを行った。
- ^ 1976年12月時点では、金曜22:00から放送。
- ^ 火曜サスペンス劇場(当局では前後編に分割)が土曜に移動後、火曜移動時で12日遅れ
- ^ ATVは同年12月開局だが、サービス放送開始時からネット。
- ^ ABS秋田放送からマイクロ受けでの放送
- ^ 1993年12月29日に放送したテレビ朝日開局35周年記念版以降の特番はABAで放送。
- ^ 当時RABでは『ヒントでピント』を日曜の朝10:30に放送していたため、野球中継や特番でANN単独系列局が番組を休止した場合に代替で放送された。ABSやIBCも同様。
- ^ 1975年4月よりATVから移行。第1期の途中まで同時ネット。同番組の500回記念「'78年度日本一王座決定戦」、初代司会者田宮二郎出演最終日、2代目司会者山口崇登場回もRABが同時ネットで放送。
- ^ 第2作も同局で放送。
- ^ 本来の系列局ではなく当局で放送された。
- ^ ATV開局後も朝8:05から同時ネット。
- ^ 1957年3月10日生まれ。1997年10月よりラジオ局ラジオ営業部長。2009年4月より弘前支社長、2016年4月より取締役ラジオ局長、2018年6月より常務取締役ラジオ局長、2020年6月より専務取締役、2023年7月より現職。
- ^ 2012年3月まではラジオ局ラジオ編成制作部
- ^ 2023年7月12日 - 14日に青森カントリークラブで開催の「あおもりレディースオープンゴルフトーナメント」関連番組「ゴルフのラジオ」(日曜日6:15 - 6:25)の進行で出演した。
- ^ 現在の編成制作局長・報道局長的な立場。
- ^ ただし、RAB退社後も関係が切れた訳ではなく、平日朝放送の「けんずろうの元気いっぱい!」やRAB主催のイベントに出演している。
- ^ 柳瀬は、同年8月25日の土曜日の生放送番組放送途中で、妊娠による体調不良で、番組を降板した為、RABのアナウンサー活動としては、この日をもって終了。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l 会社概要 - RAB青森放送
- ^ a b c d e f g h i j k “第70期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書” (PDF). 青森放送株式会社 (2023年6月30日). 2024年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、250頁。
- ^ a b 青森放送株式会社『第69期(2021年4月1日 - 2022年3月31日)有価証券報告書 英訳名』(レポート)2022年6月29日。
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- ^ “表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. www.j-ba.or.jp. 2022年11月24日閲覧。
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- ^ “2023年 RAB青森放送 受賞作品のご紹介”. RAB青森放送. 2023年9月28日閲覧。
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- ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、177頁。
- ^ 出典:『民間放送十年史』(日本民間放送連盟発行)「第2部各社史録」の335頁から336頁の「東北放送」の項。
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- ^ a b c 『民間放送十年史』(日本民間放送連盟、1961年)
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- ^ 『東奥年鑑 昭和29年版』(東奥日報社、1954年)
- ^ 根拠・出典:1953年10月6日付け東奥日報朝刊3面記事『ラジオ青森に本免許交付』記事
- ^ 根拠・出典:1953年10月6日の東奥日報朝刊3面記事『ラジオ青森に本免許交付』記事及び翌日の『ラジオ青森』ラジオ欄
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- ^ 出典:『青森放送五十年史』34頁
- ^ 『青森放送30年表』(青森放送・1983年12月20日発行)12頁「RAB」より。
- ^ 出典:青森放送50年史39頁『ラ・テ兼営へ - 創業の時代』から
- ^ 出典:「青森放送二十五年史」64頁及び同日付東奥日報『ラジオ青森弘前放送局開局』特集記事から。
- ^ 出典:青森放送50年史41頁『ラ・テ兼営へ - 創業の時代』から
- ^ 出典:『青森放送二十五年史』442頁「年表」から。
- ^ 1959年9月13日付け東奥日報「ラジオ青森テレビサービス放送開始」特集記事
- ^ 出典:「青森放送二十五年史」155ページ『第四章 テレビ開局』より。
- ^ 『青森放送50年表』46頁から参照。
- ^ 出典:『青森放送40年表』21ページと『青森放送50年史』47ページ
- ^ 参考資料:東奥年鑑1963年版285ページ『文化-新聞・出版・放送』から(つがる市立図書館で閲覧)
- ^ 出典:『青森放送五十年史』53頁より。
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- ^ 出典:「青森放送二十五年史」245頁『第五章 ラ・テ兼営時代』から。
- ^ 『青森放送30年表』(青森放送・1983年12月20日発行)39頁「RAB」(関係)より。
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- ^ 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、217頁。NDLJP:11954641/121。「第4章 新たな展開めざす日本テレビ放送網 NTVネットワーク再編成」より
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- ^ 『陸奥新報』1982年7月5日付け朝刊ラテ欄下段の青森放送広告より。
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- ^ 出典:『青森放送50年史109ページ ネットワーク強化の時代』より
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- ^ 高森邦夫氏死去 元青森放送副社長|全国ニュース 四国新聞 2007年2月25日
- ^ 津軽漬 Twitter 2017年2月20日
- ^ 浜舘明様(67)のお悔やみ情報|青森県青森市 全国お悔やみ情報メディア 2022年12月6日
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- ^ RAB青森放送 [@rab_information] (2020年7月20日). "【十和田市の新お天気カメラ稼働開始】". X(旧Twitter)より2021年9月27日閲覧。
- ^ 2005年11月9日付け東奥日報朝刊27面『RABテレビが一時受信不能に 西北五地方』・『県内大荒れ 青森で初雪』記事
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