青森市 歴史

青森市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 02:44 UTC 版)

歴史

前近代

縄文時代には集落が築かれていた(三内丸山遺跡)。室町時代には南部氏支族である堤氏の領地であった。堤氏は戦国時代末期に津軽氏に攻め滅ぼされ、外ヶ浜は弘前藩の領地となった。青森は弘前藩(津軽藩)初代藩主津軽為信のときに開港が計画されたといわれ[9]、構想を引き継いだ2代藩主津軽信枚とその家臣である森山弥七郎によって寛永期に港町が築かれ、その後商港および北方との交通港として発展した。

居城弘前城の建設(慶長16年〈1611年〉)と城下町弘前の整備を終えた弘前藩は江戸との海運を目的とした港の開発を企図した。信枚は森山を開港奉行に任じ、寛永元年(1624年)善知鳥村(うとうむら、青森の古名)に港を開いたが(廻船運航の許可を得た寛永2年(1625年)または町割りがされた寛永3年(1626年)が開港年とされることもある)、このとき海岸付近にハイネズ(浜松・磯馴松(そなれまつ))が繁茂する高さ一丈(約3メートル)ほどの小丘があり、「青森」と呼ばれて漁船が帰るときの目標物になっていたことから、開港に際してその名を採って青森村と改称した。次いで寛永3年(1626年)に信枚は森山に青森の町づくりを命じ[10]、浜町・本町(大町)・米町の3町がつくられ、青森町が成立した(当時は「青盛町」との表記もあった)。同年、土地と建築資材の無償提供、10年間の免税などの条件が示されて移住が奨励されると、近江越前などから移住が相次ぎ、開港からわずか数年で戸数1000ほどの町が形成された。

江戸中期以降弘前藩最大の港および城下弘前に次ぐ町となった[9]

浪岡
浪岡には室町時代北畠親房の子孫が移り住み(浪岡北畠氏)、浪岡城を拠点に戦国大名化して北津軽・東津軽に勢力を張ったが、大浦為信(津軽為信)に攻め滅ぼされた。江戸時代、青森と弘前の中間に位置する浪岡は羽州街道宿場として栄え、多くの人や物資が行き交った。
年表
  • 縄文時代前期中葉 - 中期末葉(約5500年 - 4000年前) - 三内丸山遺跡特別史跡)の集落が繁栄する。
  • 縄文時代後期前半(約4000年前) - 小牧野遺跡(国の史跡)の環状列石が構築される。
  • 平安時代(10世紀ごろ - 12世紀ごろ) - 高屋敷館遺跡(国の史跡)の環壕集落。
  • 文治06年(1190年) - 大河兼任軍と鎌倉軍が善知鳥前の梯(現在の善知鳥崎)で戦う。
  • 応永年間(1394年 - 1428年) - 北畠親房の子孫が浪岡に来住。
  • 応仁年間(1467年 - 1468年) - 浪岡北畠氏、浪岡城(国の史跡)を構築[11]
  • 明応07年(1498年) - 南部信時の四男堤光康、横内城を構築。
  • 天正06年(1578年)7月[12] - 浪岡城、大浦為信(津軽為信)に攻められて落城。
  • 天正13年(1585年)3月 - 大浦為信、外が浜にある油川城を攻略[12]。一帯は大浦氏(津軽氏)の領有となる。
  • 元和年間(1615年 - 1624年) - 野内番所が置かれる。
  • 寛永元年(1624年) - 弘前藩、善知鳥村に港の建設を始める。
  • 寛永02年5月15日(1625年6月19日) - 弘前藩、津軽から江戸へ廻船を運航する許可を幕府より得る。
  • 寛永03年4月6日(1626年5月1日) - 弘前藩、森山弥七郎に町づくりを命じる[13]
  • 寛文11年(1671年) - 仮屋(藩の出先施設)が設置される。元治元年(1864年)から陣屋と称し明治2年(1869年)に仮屋にもどした[14][15]
  • 天明03年(1783年)7月 - 青森騒動[16][17]
  • 嘉永06年(1853年) - 大火で安方町の湊番所などが焼失[18]
  • 元治02年(1865年) - 幕府より蝦夷地(北海道)への渡海地に指定される。

近現代

明治4年7月14日1871年8月29日)の廃藩置県弘前藩弘前県となる。政府は同年9月4日、弘前県に七戸県八戸県斗南県黒石県館県の5県を併合し( 太政官布告七戶八戶斗南黑石館ノ五縣ヲ弘前縣ニ併ス』。ウィキソースより閲覧。 )、翌9月5日熊本藩出身の野田豁通大参事(知事)に任命した。野田は箱館戦争の際に官軍の拠点となった青森町に駐在した経験から当地の地勢に通じており、県域の中央に位置し、港もあって各方面への交通に利便がある青森町に県庁を置くよう、大参事就任前に政府に伺書を提出していた。政府は野田の建言を受け入れ、直後の9月23日に県庁を青森町に置くことを定めて県名も青森県に改めた( 太政官布告『弘前縣ヲ靑森ニ移シ靑森縣ト改稱』。ウィキソースより閲覧。 )。

1873年(明治6年)3月に大区小区制が実施されて第一大区一小区となった。以下の青森27町で構成された。

第一大区一小区の町名
27町 竪町 14町 新町、寺町、鍛冶町、大工町、松森町、米町、馬喰町、安方町、越前町、大町、塩町、多葉香町、浜町、蜆貝町
横町 13町 一念坊小路、大手通、御倉通、柳町、寺通 (3) 、福士通、上林通、横町通、馬喰町新角、弟飴角、堤町

1878年(明治11年)の郡区町村編制法では、10月30日に大区小区制が廃止されて第一大区は東津軽郡となった。1883年(明治16年)に第一組戸長役場が設置されて青森18町を所管した。役場の名称は1884年(明治17年)11月から青森安方町外十七ケ町戸長役場となった。

第一組戸長役場(青森安方町外十七ケ町戸長役場)所管の町名
18町 青森米町、青森安方町、青森新安方町、青森浜町、青森新浜町、青森蜆貝町、青森新蜆貝町、青森大町、青森塩町、青森莨町、青森博労町、青森堤町、青森松森町、青森大工町、青森鍛冶町、青森寺町、青森柳町、青森新町

1889年(明治22年)の市制町村制の実施(明治の大合併)では、従来の青森18町に造道村から独立していた栄町と造道村字浪打・大野村字長嶋を加えた区域をもって4月1日に町制を施行し、青森町が発足した。

青森町の町名・大字名
19町 安方町、新安方町、大町、米町、浜町、新浜町、新町、柳町、寺町、鍛冶町、大工町、松森町、博労町、堤町、莨町、蜆貝町、新蜆貝町、塩町、栄町
2大字 大野、造道

1897年(明治30年)10月1日浦町村滝内村大字古川を編入、1898年(明治31年)4月1日に市制を施行して青森市となる。1939年昭和14年)6月1日に油川町、1951年(昭和26年)4月1日に滝内村を編入。

昭和の大合併では、1954年(昭和29年)5月3日大野村1955年(昭和30年)1月1日に筒井町、横内村、東岳村、高田村、同年1月15日に浜舘村、荒川村、同年3月1日に新城村、奥内村、原別村、1956年(昭和31年)9月1日に後潟村を編入した。1962年(昭和37年)10月1日に野内村を編入。

平成の大合併では、2005年平成17年)4月1日に浪岡町と合併して青森市を新設し、旧浪岡町の区域に地域自治区浪岡を設置。2006年(平成18年)10月1日中核市に移行した。

年表
歩兵第五連隊第二大隊遭難記念碑
青森大空襲後

沿革

あおもりし
青森市
青森市章
1901年制定
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併
青森市(旧)、南津軽郡浪岡町 → 青森市(新)
現在の自治体 青森市(新)
廃止時点のデータ
日本
地方 東北地方
都道府県 青森県
隣接自治体 黒石市五所川原市十和田市東津軽郡平内町蓬田村南津軽郡浪岡町、平賀町上北郡七戸町
市の木 あおもりとどまつ
市の花 はまなすの花
市の鳥 うとう
青森市役所
所在地 030-0822
青森県青森市中央一丁目22-5
ウィキプロジェクト

注釈

  1. ^ 秋田県秋田市には「秋田コミュニティー放送」、岩手県盛岡市には「ラヂオもりおか」、宮城県仙台市には「仙台シティエフエム」・「せんだい泉エフエム放送」・「エフエムたいはく」・「Rakuten.FM TOHOKU」、山形県山形市には「山形コミュニティ放送」、福島県福島市には「福島コミュニティ放送」が、それぞれ置かれている。
  2. ^ ジェイエアの機材・乗務員による運航便含む。
  3. ^ ANAウイングスの機材・乗務員による運航。
  4. ^ 日本航空(JAL)とコードシェア。

出典

  1. ^ 青森県・青森県観光連盟 あおもり教育旅行ガイド
  2. ^ 平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
  3. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
  4. ^ 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2014年6月15日閲覧。
  5. ^ 観測史上1〜10位の値 月最深積雪 (cm) (年間を通じての値) 酸ケ湯 気象庁
  6. ^ 人口・世帯数(推移)”. 青森市. 2010年3月3日閲覧。
  7. ^ 『青森市の歴史』
  8. ^ 平成27年国勢調査”. 総務省統計局 (2016年10月26日). 2017年7月22日閲覧。
  9. ^ a b 宮崎道生 1982, pp. 171–173, 青森開港と廻米.
  10. ^ 長谷川成一ほか 2000, pp. 191–193, 北奥近世都市の成立.
  11. ^ 浪岡城(なみおかじょう)とは 日本の城がわかる事典(講談社) - コトバンク”. 2018年11月20日閲覧。
  12. ^ a b 「あおもり歴史トリビア」第156号(2015年5月1日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
  13. ^ 「あおもり歴史トリビア」第2号(2012年4月13日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
  14. ^ 『御借屋の由来』青森県庁東棟玄関脇銘板
  15. ^ 「あおもり歴史トリビア」第59号(2013年5月31日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
  16. ^ 「あおもり歴史トリビア」第87号(2013年12月13日配信)/青森市”. 青森市. 2018年11月20日閲覧。
  17. ^ 歴史05 近世の飢饉と青森の民衆” (PDF). 青森県庁. 2018年11月20日閲覧。
  18. ^ 第2編 前近代における北部日本海域の大火” (PDF). 内閣府. 2018年11月20日閲覧。
  19. ^ 「青森市内の工場地帯で大火」『東奥日報』1926年(大正15年)7月11日夕刊(大正ニュース編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.2 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  20. ^ 「記録破りの豪雨で県下全般水浸し」『東奥日報』1935年(昭和10年)8月24日(昭和ニュース編纂委員会『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.16-17 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  21. ^ 「青森市で火事、三百二十八戸焼く」『東奥日報』1942年(昭和17年)9月16日(昭和ニュース編纂委員会『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p.5 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  22. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、124頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  23. ^ 「青森の出直し市議選始る」『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月27日朝刊 12版 15面
  24. ^ 青森県地域産業課・青森県の伝統工芸品
  25. ^ a b 東北新幹線「八戸・新青森間」開業に向けた整備状況”. 青森県庁. 2011年9月10日閲覧。
  26. ^ 筆談ホステス母になる / 斉藤 里恵【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
  27. ^ 青森市観光大使 新山 千春(にいやま ちはる)”. 青森市. 2020年11月3日閲覧。






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