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青森テレビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 17:26 UTC 版)

株式会社青森テレビ(あおもりテレビ、: Aomori Television Broadcasting Co., Ltd.)は、青森県放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。


注釈

  1. ^ 1969年12月1日の東奥日報で開局当日の記事に当時のロゴが載っている
  2. ^ 2006年3月17日放送の『おしゃべりハウス』内でキャラクター名を発表した。
  3. ^ かつては毎日新聞社産業経済新聞社も少数ながら株式を保有していた。
  4. ^ 冬季を除く期間には、今武プロゴルファーによるゴルフ教室を主催している。
  5. ^ 両大会の開催場所を含む近畿広域圏放送対象地域のため。
  6. ^ 青森テレビ 代表取締役会長
  7. ^ a b c 青森テレビ 代表取締役社長
  8. ^ a b c 青森テレビ 相談役
  9. ^ 平日は10:00から、土日は8:30からサービス放送を開始(東奥日報昭和44年11月のテレビ欄)。
  10. ^ 2008年7月23日東奥日報夕刊の「ふるさとあの瞬間」より。
  11. ^ 「ATV十年のあゆみ」75頁にその記載あり。
  12. ^ 開局当初は平日・土曜は7時、日曜は8時30分から、それぞれ放送開始だった。
  13. ^ 当初は番販扱い。これら開局時の流れは「加盟局は他系列局のニュースをネットしないこと。」というJNNの原則がJNN結成時ではなく、結成後に加えられた項目であることも関係している。
  14. ^ デジタル放送本放送開始後の最初の番組も『JNNニュース』。
  15. ^ 青森テレビ・テレビ岩手(日本テレビ系列)・秋田朝日放送テレビ朝日系列)の北東北3局で放送。
  16. ^ フジテレビと同時ネット。一部G1開催日は14:30開始の場合あり。
  17. ^ 青森放送と放送日を調整しているが、両局で放送しない週もある。
  18. ^ 青森放送から移行。
  19. ^ 全国ネット番組『アッコにおまかせ!』を優先するため、開催日の深夜に録画放送する。一部スポンサードネット。
  20. ^ 編成の都合で平日午後に放送される場合あり。
  21. ^ 編成の都合で平日午後に放送される場合あり。
  22. ^ 番組開始当初は、日曜日を除く6:40 - 7:00の放送であった。
  23. ^ 青森県の広報番組(「長島一丁目」は青森県庁の所在地)。 なお、2014年4月から『おしゃべりハウス』(2015年3月終了)内の月曜コーナー「こんにちは県庁です」で、実質ATVでの県の広報番組が復活した。
  24. ^ 店舗紹介のみ「金曜マルシェ」のコーナー内で先行放送された。
  25. ^ 1995年4月に青森放送から移行。
  26. ^ 青森テレビでのネット開始当時は火曜18時から放送。
  27. ^ ドラマ版も当局で放送。アニメ続編「巴里編」「フィナーレ」は県内未放送。
  28. ^ キッコーマン提供ではなく、地元スポンサー提供だった。
  29. ^ 2006年から2008年まではBSフジで、同じく2006年から2009年まではCS放送関西テレビ☆京都チャンネルでも放送されていた。
  30. ^ 理由は日曜日の「JNNニュースの森」と「JNN報道特集」の枠が30分繰り上がったことによって同時ネットが事実上不可能となったものによるもの。
  31. ^ 1992年3月まで土曜13時、以降打ち切りまでは日曜6時の放送。(出典:「ATV30年のあゆみ」に記載の基本番組表から)
  32. ^ 土曜深夜時代は青森放送で数回放送された。
  33. ^ 2ndハウスからトラブルマンまで、嬢王3 〜Special Edition〜からマジすか学園2まで、ここが噂のエル・パラシオからマジすか学園3までとリミット殺しの女王蜂は県内未放送。
  34. ^ 青森テレビでは、ネットチェンジ前までは、日曜16時から、ネットチェンジ後は10時30分からの放送だった。
  35. ^ その後、ガンダムシリーズについてはSEED開始で青森テレビに戻った。ただし、『機動戦士ガンダムUC RE:0096』はABAで放送。また、『ガンダム Gのレコンギスタ』は県内未放送。
  36. ^ 但し、腸捻転解消から1977年4月1日(日曜は1985年12月)まで、青森放送では、昼のANNニュースは未ネットだった。
  37. ^ フジテレビの『みんなのKEIBA』が『FNS27時間テレビ』や『F1日本グランプリ』等で休止される場合に代替放送。青森放送と放送日を調整しているが、同番組が休止の場合でも放送がない場合があった。
  38. ^ 下半期(10月 - 3月)のみ放送。
  39. ^ 本来の系列局ではなく当局で放送された。
  40. ^ 「テレビ三面記事」は本来のサブタイトルである。
  41. ^ 『青森テレビ30年のあゆみ』133頁「3.制作活動 急増する番組制作から」
  42. ^ 当時のネット局はMMT、ATVのほかにTVI テレビ岩手、ABS 秋田放送、YTS 山形テレビ(FNN→1993年(平成5年)4月よりANN)→YBC山形放送、FCT 福島中央テレビ、TNN(現在のTeNY) テレビ新潟である。
  43. ^ 2013年から2016年6月までは、ジャパン・モバイルキャスティングNOTTV)が送信アンテナを設置(ATV・ABAアナログ送信アンテナと入れ替え)。
  44. ^ 現・海洋研究開発機構(JAMSTEC)所属の海洋調査船みらい」。

出典

  1. ^ a b c d e f g 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、251頁。 
  2. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、245頁。 
  3. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、117頁。 
  4. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、174頁。 
  5. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、179頁。 
  6. ^ 2008年7月23日東奥日報夕刊の「ふるさとあの瞬間」より。
  7. ^ 1969年(昭和44年)10月14日東奥日報朝刊記事「青森テレビ馬ノ神山送信所完成」記事
  8. ^ 出典:「ATV30年のあゆみ」282ページ「年表 1970~1971年」
  9. ^ 出典:『ATV30年のあゆみ』281頁
  10. ^ 東奥日報1970年8月7日朝刊10面「七日から放送 烏帽子岳テレビ中継局」記事とATV30年のあゆみの282頁
  11. ^ 出典:ATV30年のあゆみの282頁
  12. ^ 12月特別番組 - 青森テレビホームページ内
  13. ^ 青森テレビ20周年記念出版編集委員会 企画制作『ATV20年のあゆみ』青森テレビ、1989年、74頁。 
  14. ^ 小山内豊彦『眠れるメディア“テレビ”―青森から考える地域密着チャンネル』地方・小出版流通センター、1997年2月1日。 
  15. ^ 出典:『青森テレビ十年のあゆみ』533頁の「自社製作レギュラー番組年次別一覧表」から
  16. ^ 出典:「ATV30年の歩み」307頁の年表と1991年3月付け東奥日報テレビ欄
  17. ^ “苦情や相談も/エステ店摘発”. 東奥日報. (2010年11月26日). オリジナルの2010年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101127154339/http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2010/20101126091616.asp 
  18. ^ a b 河北新報』1971年11月11日付朝刊、テレビ欄。
  19. ^ 『アニメディア 1988年10月号』 1988年、学研パブリッシング、テレビ局ネットワーク p.79。
  20. ^ 出典:『デーリー東北』1982年10月付青森放送テレビ欄
  21. ^ 『東奥日報』1979年3月の青森放送テレビ欄
  22. ^ 『陸奥新報』2001年5月付け青森テレビ番組表
  23. ^ 出典:1989年4月6日付『東奥日報』ATVテレビ欄
  24. ^ 出典:1991年3月28日付『東奥日報』テレビ欄
  25. ^ a b c d e f g 『河北新報』1972年4月12日付朝刊、テレビ欄。
  26. ^ 『河北新報』1972年7月30日付朝刊、テレビ欄。
  27. ^ 『河北新報』1973年9月3日付朝刊、テレビ欄。
  28. ^ a b 『河北新報』1971年8月23日付朝刊、テレビ欄。
  29. ^ 『河北新報』1971年9月23日付朝刊、テレビ欄。
  30. ^ a b 『河北新報』1972年5月28日付朝刊、テレビ欄。
  31. ^ 出典:『東奥日報』1987年9月26日朝刊テレビ欄
  32. ^ 1973年3月21日から4月10日の東奥日報テレビ欄及び同年4月1日付け東奥日報の青森テレビ番組のお知らせから。
  33. ^ 出典:『東奥日報』1975年3月及び4月のテレビ欄
  34. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1991年7月号、学研、105頁。 
  35. ^ a b 『河北新報』1971年8月3日付朝刊、テレビ欄。
  36. ^ 『河北新報』1972年12月4日付朝刊、テレビ欄。
  37. ^ 『河北新報』1972年4月18日付朝刊、テレビ欄。
  38. ^ 『河北新報』1972年2月26日付朝刊、テレビ欄
  39. ^ 『河北新報』1971年10月8日付朝刊、テレビ欄。
  40. ^ 『河北新報』1972年11月15日付朝刊、テレビ欄。
  41. ^ 『河北新報』1972年12月13日付朝刊、テレビ欄。
  42. ^ 『河北新報』1973年2月14日付朝刊、テレビ欄。
  43. ^ 『河北新報』1972年6月3日付朝刊、テレビ欄。
  44. ^ a b 『河北新報』1972年7月8日付朝刊、テレビ欄。
  45. ^ 『河北新報』1973年5月12日付朝刊、テレビ欄。
  46. ^ 『河北新報』1973年1月17日付朝刊、テレビ欄。
  47. ^ 日刊スポーツ』1975年3月26日付テレビ欄。
  48. ^ 『河北新報』1971年10月6日付朝刊、テレビ欄。
  49. ^ 『河北新報』1972年7月7日付朝刊、テレビ欄。
  50. ^ 『河北新報』1973年1月26日付朝刊、テレビ欄。
  51. ^ 『河北新報』1974年8月25日付朝刊、テレビ欄。
  52. ^ 『河北新報』1973年4月7日付朝刊、テレビ欄。
  53. ^ 『日刊スポーツ』1975年2月6日付テレビ欄。
  54. ^ 『河北新報』1971年10月24日付朝刊、テレビ欄。
  55. ^ 『河北新報』1971年9月18日付朝刊、テレビ欄。
  56. ^ 『東奥日報』1977年10月17日付<朝夕刊のATVテレビ欄(これに『新番組「テレビ三面記事」』と記載あり)
  57. ^ 出典:1969年10月付『東奥日報』(ここに青森放送でネットの記載あり)及び1977年から1981年の『東奥日報』テレビ欄から。
  58. ^ アナウンサー│ATV青森テレビ”. www.atv.jp. 2019年10月20日閲覧。
  59. ^ 出典:『青森放送65年史』(青森放送・2019年6月30日発行)27頁「業績回復へ試練の時代」より。ページ最左の「年表」にその記載あり。
  60. ^ 出典:「ATV30年の歩み」309頁より参照






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