電気グルーヴ 主な使用機材

電気グルーヴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 22:02 UTC 版)

主な使用機材

SH-2
Roland SH-2は、ローランドが発表したモノフォニックアナログシンセサイザー[43]。石野にとって最初のシンセ。シンプルでコンパクトながら、その完成度は高く、生産完了から久しい現在でも中古市場でプレミア化している。「人生」時代より数々の楽曲で主戦力として活躍し続けているが、「Shangri-La」のシンセベースでの使用が最も有名。砂原も同じものを持っており、「A」のレコーディングでは砂原所有のものが使われていた模様。石野所有のものにはボディ全体に瀧による落書きが施されていた(近年は黒マジックと修正液で上から塗りつぶされている)。
W-30
ローランドが発表したミュージックワークステーション。サンプラーとシーケンサー、キーボードが一体になっている。石野が所有し、シーケンサーとしてコンピューターを本格導入する1995年まで、初期 - 中期の電気グルーヴのサウンドプロダクションの中核を成していたといっても過言ではない。「662 BPM BY DG」の内ジャケでその勇姿が確認できる。石野は機材の取扱説明書を読まないので、シーケンスパターンのコピー方法を知らず、曲の頭から最後までマニュアルで打ち込んだりしていた。
S-10
W-30と同じくローランドが発表したサンプラーで、やはり「662 BPM BY DG」の内ジャケで姿が確認できる。ピエール瀧がローンで購入した。この機材も結成当初の電気グルーヴで大活躍したといわれているが、サンプリングタイムが短いことと、保存メディアに時代遅れのクイックディスクを採用していたことなどから、AKAI S-1000導入以降は徐々に一線を退くこととなった。石野が最初に購入したサンプラー、X7000もクイックディスクを採用していた。既にメディア自体が入手困難だった為に、ファミコンのディスクシステム用のディスクを調達し、任天堂ロゴ部分をハンダごてで焼き切って代用品として使っていたという。
K1 II
カワイ製のデジタルPCMシンセ。今となってはマイナーな機材ではあるが、初期の電気では生音系の音色などで活躍した。WIRE04でのライヴの際、この時演奏された「電気ビリビリ」は「FLASH PAPA」収録のバージョンに近いアレンジが施されていたこともあり、石野は久々にこのシンセを引っ張り出してきて使ったらしい。
S1000
AKAIが発表したサンプラー。民間でもなんとか入手可能な価格と、充実した機能によって音楽シーンの歴史を塗り替えたともいわれる革命的機材。マイナーチェンジ版であるS1100と共に、初期のサンプリング主体だった電気のサウンドにおいてはレコードからのブレイクビーツ、フレーズサンプリングはもちろん、声ネタとしていかりや長介横山やすしのボイスサンプル、果ては屁までさまざまな音がサンプリングされ、まさに縦横無尽の活躍を見せた。ただ、デビュー当時の電気にとってはやはり高価な代物であり、石野が増強メモリーを購入した際は、当時の給料が10万円だったところを、家賃が5万3千円、サンプラー関係のローン返済が月2万円となっていた為、相当貧しい生活を強いられていた。
JUNO-106
ローランドのアナログポリシンセ。オシレーターにDCOを使用することで音程が安定しており、ポリ仕様なので和音が弾ける。音色のメモリーも可能で、さらにMIDI規格にも対応しており使い勝手が良く、音も良い。これもS-1000などと並んで当時のテクノ/ハウス界で重宝されている逸品である。石野と砂原が愛用している。だが、砂原は親戚が購入した一台を借りたままずっと使っている。石野もやはり人生時代に友人から借りたまま済し崩し的に所有していたが、そのJUNOをなんと一旦は売り飛ばしてしまい、その後に必要性にかられて再び買い戻したという。現在に到るも永らく使用され続けており、まさに電気グルーヴや石野&砂原サウンドの要である。
POLY-800
コルグが発表したDCO方式のシンセサイザー。過去に石野の家に二台、瀧と砂原の家にそれぞれ一台が確認されている。そのうち石野と瀧が所有する一台はリバース鍵盤(白鍵と黒鍵の配色が逆になっている)というレアなモデルである。メンバー所有のうち一台は、「オールナイトニッポン」のリスナーにプレゼントされた。おなじDCO方式であるJUNOに比べれば若干チープな音色であるが、独特の味がある。簡易シーケンサーなども装備している。
MS-20
コルグが発表したアナログモノフォニックシンセサイザー。パッチングにより多彩な音作りが可能であり、石野とウェストバムのユニット「Takbam」のファーストシングルの音色は全てこのシンセで製作されたものである。完成度の高いフィルターは外部からの音源入力を通すことも可能であり、サンプラーの出音を取り込んで加工したりといった方法でも使用された。ただし、こういった古いシンセは同期規格が現在主流のMIDIとは異なっており、現状の打ち込み環境に組み込むには1993年前後の専用コンバーター普及まで待たねばならなかった。その為、手弾きしたフレーズをサンプラーに取り込むなどして使うしかなかったという。砂原は「キーボードスペシャル」連載にてこのシンセを売ってくれる人を公募していた。平沢進が自身のファンクラブ会報において所有する2台のうち1台を砂原にあげたと言っており、時期は不明だが平沢は自身のTwitterで「砂原君にMS-20あげたのは本当です。」と答えている[44]。石野は「人生」時代に友人が所有していたものを借りたまま今も使用。
Jupiter-6、Jupiter-8
ともにローランドのアナログポリフォニックシンセサイザー。比較的アマチュアにも入手しやすかったJUNO系列の上位に位置し、とくにJupiter-8は日本国内最上位機種のひとつといえる。Jupiter-6はその廉価版ではあるが、Jupiter-8では対応していなかったMIDI規格を採用している点で重宝されており、InKのレコーディングでも活躍している。Jupiter-6は石野、Jupiter-8は砂原がそれぞれ所有。砂原のJupiter-8は前のオーナーの手でDIN Sync規格が取り付けられており、内蔵アルペジエイターのBPMをTB-303などと同期させることができたらしい。ちなみに石野が長年所有していたJupiter-6は、近年ソフトシンセによる稼働がほぼメインになったこともあってか、使用し続けていた実機を売却したとのこと。
TB-303
ローランドのアナログシンセサイザー。リズムマシンと同期演奏することを前提としたシーケンサー内蔵ベース音源として発売されたが、後年それとは違った用途で再評価され、アシッド・ハウスという一大ジャンルを形成するまでとなる。石野はとあるクラブに遊びに行った先でファンの少年からプレゼントされ入手。それを切っ掛けとしてこの機材に心酔し、『Flash Papa Menthol』以降の作品から大幅にフィーチャーしていくこととなる。折しも当時(1993年)には英国を中心としたアシッドハウスリヴァイバルが起こっており、そのシーンが電気の活動に与えた影響も大きい。「野村ツアー」で販売されていた限定TシャツはTB-303を正面にプリントしたものであった。日本ではYMOのアルバムで使用されたことや石野、砂原による音楽雑誌上での啓蒙活動もあり、その中古価格は高騰した。1990年代を過ぎてからは、熱狂的だったブームの沈静化もあり、作品から影を潜めていたものの、2004年以降の石野ソロを含む音源やライヴでは、再びその音色が大幅に使用されているのを聴くことが出来る。現在石野は計三台を所有し、最初の1台は人生時代から[注釈 42]、そのうち一台はReal World Interfaces社による『Devilfish』というチューンナップ版に改造されている。
TR-808、TR-606
ともにローランドのリズムマシン。TR-808は「ヤオヤ」の愛称で親しまれるビンテージ機材であり、TR-606はその廉価版的ポジションにありつつ、ベースマシンであるTB-303の兄弟機にもあたり、303とほぼ同デザインの外観をもつ。電気のアルバム「VITAMIN」の内ジャケでは石野と砂原が303を携えているのに対し、瀧が持っているのがこの606である。いずれも初期のエレクトロヒップホップの作品で使用されたことなどで有名となった。プロ仕様にMIDI化改造などが施された物も多い。606は発売当初から比較的安価だった為、高校時代の石野はこれを購入し、初めて結成したバンド「メリーノイズ」のステージで使用していた。砂原も同じものを所有していた。電気グルーヴXスチャダラパーのレコーディングの際は、石野のmontagスタジオにあったこれをシンコが甚く気に入り、購入に走ったというエピソードも残っている。石野はFive-G製のMIDIキットを取り付けたTR-808も所有しており、WIREにおけるソロライヴなどで演奏している。
TR-909
ローランドの歴史的名機とも評されるリズムマシン。ハウスシーンにおける再評価によって、1990年代以降の幾多の音楽シーンに多大なる影響を与えた。電気の活動初期には本体そのものをメンバーが所有しておらず、主にレコード等からのサンプリング音源や、おなじくローランドのPCMリズムマシンR-8の音色ライブラリを使用するに止まっていたが、デビュー後に石野が入手。続いて砂原も必要性に駆られて導入したといわれる。一時期はその過剰なまでの愛着から、ライヴにおける舞台セットに巨大なTR-909とTB-303の書き割りを設けていたほどである。そのあまりにも有名な音色以外にも多機能で知られる909であるが、電気のレコーディングでは時期によって使用方法が異なるのも特徴である。当初はメインシーケンサー(W-30、MC-50等)で組まれたシーケンスによってMIDI音源的に使用されていたが、『ORANGE』の一部の曲では909本体内蔵のシーケンサーをメインに据え、サンプラーなどの外部音源をトリガーするといった使用がみられた。続く『A』ではメンバー自身がサンプラーによるリズムプロダクションに傾倒していた為、一旦音色をサンプラー内に取り込んだ上で間接的に使用されている。現在、石野使用のモデルはバスドラム、ハイハット、リムショット等に独自の改造を加えた上で再びメインのリズムマシンとして愛用されている。砂原は1995年のソロ作あたりからしばらく距離を置いていたが(一方で当時のインタビュー記事では『ただし売り払うつもりは全くない』と明言)、近年のスーパーカーのプロデュース作業などで再び大胆に使用した。
JD-990
ローランドが90年代に発表したデジタルシンセサイザー。基本的にはケン・イシイも愛用するJD-800のラックマウントタイプだが、スライダーによるパラメーター入力方式が最大の特徴だったJD-800の構成を全面的に見直し、ラックマウントタイプながら非常に扱いやすく設計されている。雑誌媒体の広告キャラクターを電気が務めたことでも有名。電気の作品では「VITAMIN」以降使用されており、砂原のソロ作品「TAKE OFF AND LANDING」、「THE SOUND OF 70's」でも活躍している。
vintage keys
E-MUのラックマウント型デジタルPCM音源。過去のアナログシンセ、エレピなど数々のヴィンテージキーボードの音色を収録している。この機材が発表された1993年前後から原点回帰的に、ヴィンテージ楽器としてのアナログシンセサイザー再評価の波が訪れた。電気のサウンドメイキングにも少なからず影響を与えており、これ以降は石野いわく「機材バブル期」として、数々のヴィンテージシンセが導入されていくこととなる。砂原が所有しており、主に「VITAMIN」における「Stingray」のフルート、「Popcorn」におけるメロトロンの音色が代表的である。
MS-404
ドイツのドイプファーが発表したアナログ・モノフォニック・シンセサイザー。1Uラックタイプで、外観も構造もシンプルでコンパクトな内容だが、非常に使い勝手が良く、数多くのミュージシャンに重宝されている。元々は1993年以降のTB-303ブームに便乗した機材だったが、実際は普通のシンセ系の音から、リズム系、SEまで幅広く使える上、オマケとしてMS-20同様のフィルター外部入力や、MIDIとCV/GATE規格を繋ぐコンバーターとしても使用可能であった。1995年当時にTB-303に若干食傷気味だった石野&砂原の間に一時的なブームを起こす。石野が『リミックス』誌で連載していたコラムでも、その年のベスト機材として挙げていたほどである。石野のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』や大友克洋監督作品「MEMORIES」に提供したテーマ曲、その後の電気のアルバム『ORANGE』にて全面的に活躍した。特に石野がMICKIEE名義でとれまレコードからリリースしたシングルは、LFOを発振させた際の個性的な音色を全面的に押し出した内容であった。砂原は同時期のソロ作「CROSSOVER」では敢えてシンセの使用を自制して臨んだ為、森若香織のリミックス以降の使用となる。
DSM-1
コルグの12bitサンプリングシンセサイザーDSS-1のラックマウントタイプ。「サンプリングシンセサイザー」と銘打っており、1990年代中期以降は12bitサンプリング方式ということで、当時主流の16bit方式よりスペックでは劣ってはいたものの、むしろこれらの旧式サンプラーは、折からのLO-FIブームの影響で、その荒い音質が逆に評価されていた。特にDSM-1、DSS-1はメモリー内にサンプリングせずとも外部入力から音を取り込んでスルーするだけで12bitサンプラー独特の音質効果が得られるということで、ボーカルなどの長尺の素材に対してエフェクター的に使用されることが多かった。最初にテイ・トウワ坂本龍一らを中心に再評価の波は広がり、電気の『ORANGE』のレコーディングでも主に砂原が使用していた。
SP1200
DSM-1と並び、1990年代中期以降に再評価されたビンテージ12bitサンプラーの筆頭として挙げられる名機。こちらはE-MUの製品である。後のAKAI製MPCシリーズにも通ずるシーケンサーとサンプラーが一体となったワークステーションタイプである。サンプリングした音の荒さもあるが、個性的なフィルターとも相まって、とにかく出音が凄まじく太くなるという点で、テクノよりもどちらかというとヒップホップ界での評価が高い。内蔵のシーケンサーも独自の揺れを持っている。日本にて注目される切っ掛けとなったのは、1994年に坂本龍一がリリースした「Sweet Revenge」と、その製作のキーパーソンともなったテイ・トウワのソロアルバム「Future Listening!」、そして彼らがプロデュースしたGEISHA GIRLSのシングル以降だと思われる。テイは森俊彦らと共に、その名も「SP1200プロダクションズ」を結成するほどの熱の入れ様だった。テイとも親交の深い砂原も2ndソロアルバムの製作辺りから導入し、『A』のレコーディングでも使用された。そして、バンド脱退後にARMEN 1200 Soundというラックタイプへと改造を施している。スチャダラパーも1995年のアルバム『5th wheel 2 the coach』から使用しており、リリックの中にも随所にその名が登場する。
ReCycle!
Propellerheadが製作したPC用波形編集ソフトウェア。PC上やサンプラー内のサンプリング素材を取り込み、アタック部分を自動的に検知して分割し、さらに鍵盤上にマッピングしてくれるという機能を持つ。BPMを任意に設定してピッチを合せるなどの作業も容易に出来た。これらの作業はサンプラー単体でも不可能ではなかった行為だが、非常に手間が掛かった為、このソフトの登場は、とにかく1990年代後期以降のサンプリングミュージックには衝撃的な代物だった。面倒な作業から開放されるだけでなく、サンプルループ/ブレイクビーツの各パーツ前後並べ替えや一部差し替えなど、極めて複雑な構成でキットを組むことも頻繁に試されていった。このようにクリエイター達に新たな発想をもたらしたことでも特筆に価するソフトである。電気のレコーディングでは「A」で大活躍している。当時は「VITAMIN」以降から続いたリズムマシンで直接ビートを組む方法に対して食傷的になっていた為、TR-909のキックなどの定番ビートにも敢えてサンプリングを多用していた時期であった。
Cubase
ドイツのスタインバーグが製作したコンピューターソフト。初期はMIDIシーケンスソフトとして出発したが、昨今はVSTと呼ばれるオーディオ録音編集やプラグイン機能を備えたDAWソフトとなった。初期はATARIなどをプラットフォームとしていたが、現在はWindowsとMacが中心となっている。「FLASH PAPA」レコーディングの際にプロデューサーを務めたトニー・マーティンをはじめとし、当時のマンチェスターのシーンではATARI+Cubaseの組み合わせによるシーケンスが流行っていた為、石野も影響を受けすぐさま導入した。だが、ATARI自体にトラブルが多く、結局は慣れ親しんだW-30が1995年あたりまでメインシーケンサーを務めていた。こういったPCソフトによるシーケンスシステムの本格的導入はメンバー各自の1stソロ製作以降で、電気としては『A』のレコーディングで使用されたMAC+CubaseVST3.02からである。砂原のソロ作ではOpcode Systems製Visionを使用していたが、石野と足並みを揃える形で一時的に乗り換えていた(現在はApple社のLogicを使用している模様)。当時はオーディオ機能が導入されて間もない時期だったので、基本的にシーケンス部分のみの使用となったが、砂原いわく「2人でひとつのシーケンサーをいじるのは初めてで、ある意味バンドらしい」と語っていた。その後も電気や石野の作品では継続してCubaseVST、SXが愛用されている。現在はMacからWindowsに使用ハードが移されたが、業界で主流のProToolsよりも扱いやすさで石野はCubaseシリーズを好んでいるらしい。
SAM16
ドイツのSND社製アナログシーケンサー。パネル上に横に16個並んだツマミを操作しパターンを制作する方式を採っている。石野はこれで偶発的なフレーズを作り出し、そのデータをCubase上にて編集して楽曲に用いている。規格はMIDIとCV/GATEに対応している。全ての個体がハンドメイドで制作されており、総生産台数は極めて少ない。日本での所有者は石野の他に田中フミヤの二人だけであると言われている。InKのインタビューで川辺ヒロシは「軍用機械みたいな風貌」とコメントしている。
Sherman Filterbank
ベルギー製のフィルターマシン。フィルターマシンはサンプラーなどの外部音源を入力することで独特の音色変化が得られるのが特徴で、その効果を活用したフィルター・ハウスなどといったジャンルも1990年代後半よりダンスシーンに定着した。このSherman製の機材は効果が極端かつ予想不可能なものとして支持を得た。電気のレコーディングではフィルター・ハウス的な用いられ方よりも楽曲の着想段階で多用されたという。かつて石野はこれを肩に担いだ姿で雑誌の表紙を飾ったこともあった。
MACHINEDRUM
ELEKTRON社製 パーカッション・シンセサイザー
HPD-10
ROLAND社製 ハンド・パーカッション (ライブパフォーマンス時)
KAOSSILATOR
KORG社製 ダイナミック・フレーズ・シンセサイザー (ライブパフォーマンス時)
DJM-800
Pioneer社製 ミキサー (ライブパフォーマンス時)
SH-01 GAIA
ROLAND社製 シンセサイザー
RMX-1000
Pioneer社製 リミックスステーション (DJ[注釈 43]、ライブパフォーマンス時[注釈 44])
DJM-2000Nexus
Pioneer社製 ミキサー (ライブパフォーマンス時)
reface CS
YAMAHA社製 バーチャルアナログシンセサイザー (ライブパフォーマンス時[注釈 45])

注釈

  1. ^ ユニット名表記のゆらぎについて、公式なものとしてJASRAC著作権者登録名である電気グルーヴ、英語圏での一般表記DENKI GROOVEがある。電気グルー新聞のラ・テ欄によく見られる)、電気グルーは誤りである。スージー甘金作成によるバンドロゴができる以前に多用していた電気GROOVEも現在は誤りである。
  2. ^ デビュー当初はメンバー自ら「DG」とも称した。世俗的に「電グル」[1] と略される場合もある。
  3. ^ ただし、担当楽器は何ですかと聞かれたのち人名を記すのは彼らが先駆ではなく、ルイジ・ノーノの『死の間近な時 ポーランド日記第2番』が最初である。
  4. ^ 当時の石野直筆による挨拶文には『「人生」の大幅なメンバーチェンジに伴い「電気GROOVE」とバンド名を改名する』ともある。(電気グルーヴ+宝島編集部『俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』JICC出版局、1992年6月、54頁所載)
  5. ^ 吉沢、DJ・K太も含める場合もあるがこの2人は本格的に参加をしていたわけではない。
  6. ^ 両者の関係を敵対関係として捉えたがる向きもあるが、決して険悪な仲という訳ではなく、小室の番組「TK MUSIC CLAMP」に1996年に出演した際も両者は親しげに会談している[14]。また、電気グルーヴのオールナイトニッポンで構成作家を務めた赤松裕介に電気グルーヴを初めて紹介したのは小室である。
  7. ^ 当初の彼等は「ハウスラップ・ユニット」という触れ込みであり、ナンセンスで過激なラップ歌詞をハウス・サウンドに乗せる手法を取っていた。
  8. ^ 寄せ書きの内容は、根性 - 石野卓球、ちゃんとしまーす - ピエール瀧となっている。
  9. ^ 当初、アルバムの内容が半分以上がインストというものだったため、レコード会社からは「これでは売れない」と発売の許可がおりなかった。アルバムに収録せずシングルとして発売する予定であった「N.O.」をアルバムに入れることでレコード会社としぶしぶ合意し、発売にこぎつけた。N.O.だけ曲間が空いているのはそういった事情があるためである。結果、アルバムはレコード会社の予想を超えた好セールスを記録。日本のテクノ・ブームの火付け役とも評されるようになる。
  10. ^ このあたりから、一般的な知名度もあがり始め、瀧はテレビ・タレント活動も多く行うようになる。
  11. ^ この年はバンドとしての活動は少なく、この年のライブは大阪万博公園東京日比谷野音で行った野外ライブ「10th Anniversary 野グソ飛ばし大会」の計2回のみだった。一方で各自のソロ活動は盛んな年だった。
  12. ^ だが、後にメンバーいわく「電気が世間になめられていた時期」と話す。初期電気グルーヴのスタイルを真似た宇宙犬なるバンドがメジャーデビューを果たし、メンバーを憤慨させる。
  13. ^ 電気グルーヴの事務所に日産自動車からヒットの祝いとしてテラノが1台プレゼントされた。「シャングリ号」と名付けられたテラノは2010年まで動態保存されていたが、老朽化により廃車となった。
  14. ^ 「Shangri-La」発売から『A』、アナログEP「あすなろサンシャイン」、ライヴツアー「野球ディスコ」までの一連の活動は、メンバーより公式的に「Aプロジェクト」と名付けられている。
  15. ^ ただしこれは文字通りの「休止」であって、解散を意味するものではなかった(ただし、一部のメディアでは解散と解釈され「元・電気グルーヴのピエール瀧さん」などと紹介された例が実に数件あった)。唯一の活動として雑誌連載の「メロン牧場」は変わりなく継続されることに。また、「休止」の最中にも、全身を隠し尻だけ露出して「電気グルーヴ、尻だけ復活」する案や、石野と瀧が脱退して新たに加入させた別人だけで復活するという案もあったが、結局実現せず。
  16. ^ なお公式発表はないものの、2006年初頭に当ユニットの解散式を内々で行ったことが、いくつかの雑誌記事内で触れられている。だが、同年10月14日の「Big Connect'06 PART2」の電気のライヴにスチャダラがシークレットゲストとして登場。再び電気×スチャとして共演を果たしている。
  17. ^ これまでのライヴではアンコール演奏を一切行わないスタンスの電気だったが、「LIQUIDROOM 2nd ANNIVERSARY」の公演では「この歳になるとアンコールやらない方がかっこ悪い」ということでファンの声援に応えていた。また、このライヴのリハーサル期間中、無理な体勢(「レギュラー西川くんの失神のポーズ」)のまま寝てしまった石野は齢40歳を目前にして四十肩になる。
  18. ^ ケラの手によるジャケットイラスト(色鉛筆とクレヨンで描かれた石野と瀧の似顔絵)や、歌詞も含め、かつてのナゴムレコードに対するオマージュ的な内容となった。
  19. ^ 同シリーズのアニメでは長年、水木しげる作詞・いずみたく作曲による「ゲゲゲの鬼太郎」が歌手、アレンジ等を変えながらオープニング主題歌として使われ続けてきたが(厳密には別作品とはいえ)それ以外の曲がオープニング主題歌に採用されるのは今回が初めてである。また、この作品には瀧が声優としてレギュラー出演することも決定しており、瀧が歌う劇中歌「有楽町で溶けましょう」もカップリング収録された。元祖『ゲゲゲの鬼太郎』のOP、ED曲はインディーズ時代に「人生」や別ユニット「I-JOE」等で幾度かカヴァーが披露されている。
  20. ^ 石野より「おひさしブリーフ」とブリーフを渡され、それを頭に被って演奏した
  21. ^ 実際にはアルバムのレコーディングは2月13日に完了している為、リアルタイムではないことがテレビ番組でのコメントで明かされ、最後の更新でも石野自身「こんなのアルバムのプロモーションでやっているやらせですよ」と堂々と宣言した。内容は1月上旬からの状況を追って配信され、2月5日に「Mojo(仮)」、「Expo hiroshima(仮)」、「いちご娘(仮)」、「少年ヤング」、2月8日に「完璧に無くして」、「ShonanAcid」、「半分人間だもの」、「アルペジ夫とオシ礼太」、2月12日に「Zoo Desire」、「完璧に無くして/other take」、「Expo Hiroshima」、「少年ヤング/album mix」、2月15日に「Young Couple(仮)」、「Stumm(仮)」、「アルペジ夫とオシ礼太」、「半分人間だもの」がアップされた。音源は逐一最新のものに差し替えられ、過去の更新分を聴くことはできない。現在は更新を終了している。ここで発表されたいくつかの曲は改題あるいは収録を見送られたもの、次回作『YELLOW』に収録されたものもある。
  22. ^ メロディは元来フランスの作者不詳の童謡とされる。
  23. ^ DVD「ピエール瀧 presents COMIC 牙 デラックス ピエール瀧とベートーベン LIVE at LIQUID ROOM」ではピエール瀧とベートーベンによりセルフカヴァーした映像が収録されているが、次回収録分よりこの部分をカットしたものに差し替えられるという。なお、結果として音源化こそ適わなかったものの、DJ OZMAもライヴにおいてカヴァーバージョンを披露している。
  24. ^ 基本的に結成20周年ともライブとも関係のない話題や、思いつくままの単語やダジャレ、他人のギャグを何の脈絡もなく次々と披露。「このトーク全部拾ってたら頭狂うぜ」、「ポッと出のキチガイとは違うでしょ。なんたってキチガイで20年間食ってきてるからね」と誇らしげに語り、結成20周年の貫禄を見せつけた。
  25. ^ 肝心のライブパートは20周年記念アルバム「20」に収録される新曲を披露するも、歌いだしのタイミングがつかめず、入場シーンから三回もやりなおすというグダグダっぷりを披露した。
  26. ^ 予てより熱心な電気ファンであり、前回のライヴ「こう言えば三太夫」には自腹でチケットを購入し客として会場に訪れていた。かつて大阪の二丁目劇場時代より、たびたび電気ファンであるをアピールしている有名人のひとりである。
  27. ^ 12日、『Twitterで「客3人しか居ない」と呟いたら面白くないか』と石野が冗談で言った所、本当につぶやく人が続出。13日ではファンと共に嘘を考えるが、特に決まらなかった為「ピエール瀧死亡」となった。
  28. ^ 石野は免許をもっていない。
  29. ^ ジャケットの半人半馬の人形のモデルは当時プロモーターを務めていた「ゲロモーター(=酔ってゲロを吐くプロモーター)」こと中山道彦(現キューンレコード社長)。
  30. ^ 電気の映像作品としては珍しく直球のタイトルを採用している。
  31. ^ もともと石野は熱狂的なダウンタウンファンであり、大阪時代より独自の情報網を駆使して『4時ですよーだ』などの番組VTRを入手していた。ある日、石野は当時住んでいた近所のお店で松本人志と偶然遭遇。慌てて家に戻り、発売されたばかりの“フラッシュ・パパ”を持って再びその店に慌てて直行し、松本に「電気グルーヴっていうバンドです。良かったら聴いて下さい」等と言って手渡した…と、メジャー・デビュー直後の大阪のライヴのMCで興奮気味に語っていた。その後、電気は『ごっつええ感じ』等、多数の番組にゲストとして出演しており、瀧は高須ともプライベートで親交が深い。
  32. ^ なお、当番組は対決パートの他に撮りおろしの今田・東野のコントと歌(「親父の唄」)と電気のライヴ映像が挿まれた。とくに電気のライヴはCDに収録されていないバージョンのアレンジ(「オールスター家族対抗蛇合戦」。クラフトワークなどをサンプリング)で、資料性も高い。当時の今田は『ごっつええ感じ』で東京進出を開始した時期で、東野は関西中心に活動していた。この番組が縁となったわけではないが、のちに石野は彼らによるWEST END×YUKIの「テクノでSO・YO・NA」のプロデュースとリミックスを手がけた。
  33. ^ 当時は「FLASH PAPA MENTHOL」、「VITAMIN」へと硬派なテクノ路線に傾倒していく一方で、『ダウンタウンのごっつええ感じ』における「鼻リーグ」でのダチョウ倶楽部とのリアクション芸対決や、「浅草橋ヤング洋品店」における「中華大戦争」のリポーターなど、およそミュージシャンらしからぬ芸人的活動も頻繁に行っていた。
  34. ^ ヘトヘトになりながらも昼間の収録でボルテージの上がっていた石野は、この時実に饒舌で「女を殴るミュージシャンは日本で俺と坂本龍一だけ」などの発言を残した。
  35. ^ 催眠術企画では石野がマイケル・ジャクソンにされたり、伊集院がドラえもんにされたりしている。
  36. ^ 特筆すべきは巻末のディスクレビューで、彼らが影響を受けたであろうテクノニューウェーブからプログレッシブロックのアルバムが、ジャケット写真と共に数多く解説されている。当時これらのジャンルを総括する書籍は例がなく、重宝された。また三人の部屋も紹介され、数々のアナログ機材がページを飾った。執筆には静岡時代からの盟友野田努が参加。この本とほぼ同時期にリリースされた「人生」ベスト盤のレヴューも「こくそ虫(狂人鬼)」名義で担当している。野田の実弟は「人生」の元メンバー(当時の芸名は「くちづけ」)だった。この単行本を作るにあたっての伊豆で行った合宿は惨憺たる光景であったと語られている(全員泥酔し、あちこちにゲロがまみれ、なぜか全裸でプラモを作ったと言われている)。
  37. ^ 石野の「メリーノイズ」としての初ステージから当時の電気の活動までを貴重なスナップ写真と共に振り返る「KARATEKAそして鼻毛あばれ牛への道」は、上記の「俺のカラダの - 」と合せて読むことで、電気の歴史をより深く知ることができる。また三人の家族(石野・砂原の母、瀧の姉)他、森若香織奥田民生スチャダラパーといった友人たちがメッセージを寄せている。
  38. ^ 『テクノ・ユニット』の項では「テクニックがないというコンプレックスは強く、なにかというと「センス」を強調したがります」と、自嘲的に表現している。また、『タキ』も職業のひとつとして取り上げられている。後にメンバー自ら「なんで出たのかわからない本」と振り返る。
  39. ^ これ以前に『R&R NEWS MAKER』誌で連載されていた「濡れてシビれて」(石野いわく「メロン牧場とほとんど同じ内容の連載」)の単行本化の告知が存在したのだが、こちらは現在に到るも刊行されていない
  40. ^ アルバム『VOXXX』の一曲目「地獄に堕ちろ電気グルーヴ」はこのゲームの音素材をサンプリングして作られた。
  41. ^ 2012年4月、キューン20 イヤーズ&デイズでのライブに出演
  42. ^ サウンド&レコーディング・マガジン 2011年10月号のインタビュー記事にて ファースト・アルバムの印税で購入したと語っている
  43. ^ DJプレイ時、楽曲の作成時にも使用。サウンド&レコーディング・マガジン 2012年8月号 インタビュー記事より
  44. ^ 2012年4月30日、ustream配信 「はみでろ!キューンch.」内のライブ生中継で使用を確認
  45. ^ 2017年7月26日、電気グルーヴ『DENKI GROOVE DECADE 2008〜2017』 リリースSP!「DENKI GROOVE 10 LIVE STREAMING!」内のライブ生中継で使用を確認

出典

  1. ^ a b c 電気グルーヴ”. CDJournal. 音楽出版社. 2015年9月2日閲覧。
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  11. ^ ROCKIN'ON JAPAN』1994年2月号、石野卓球インタビュー(聞き手=山崎洋一郎)より「あれを作った頃は人生を解散して『さあ、どうしよう?』つって、田舎へ帰ろうかまだ東京に残って音楽をやろうか悩んだり、あと当時一緒に住んでた彼女にふられて一人暮らしを始めたりとか、そういう落ち込むような状況だったから。すごいナーヴァスになってたから、それでああいう気の弱いとこを見せたんでしょうね(笑)。でも、決してその気持ちは嘘じゃないから」
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