雅楽 雅楽の概要

雅楽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 10:06 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
御前での胡蝶の舞、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

概説

アジア大陸の諸国からもたらされた音楽に、上代以前から伝わる音楽や舞が融合して日本化した芸術10世紀頃に大まかな形態が成立し、今日まで伝承されている。元は、奈良時代にまで遡る。

現在においては、以下の三つに大別される。

  • 国風歌舞(くにぶりのうたまい) — 日本古来の歌謡をもとに平安期に完成された、神道皇室に深い関わりをもつ歌舞。神楽東遊、倭歌、大歌久米歌誄歌などで、主に宮廷の行事や儀式で演奏される[2]
  • 大陸系の楽舞 — 5世紀頃から9世紀頃までの間に大陸から伝わった楽舞をもとに日本で作られた、中国天竺林邑系の唐楽(とうがく)と、朝鮮半島、渤海系の高麗楽(こまがく)。インドベトナム地域やシルクロードを西にたどった地域から伝来した音楽や舞も含まれる[2]
  • 謡物(うたいもの) — 日本古来の民詩や漢詩に節づけをした声楽で、大陸からの渡来楽器による伴奏を伴う平安期に新しく作られた歌曲。催馬楽朗詠など[2]

雅楽の原義は「雅正の楽舞」で、「俗楽」の対。国内の宮内庁式部職楽部による定義では、宮内庁式部職楽部が演奏する曲目の内、洋楽を除くもの、とされる。多くは器楽曲で宮廷音楽として継承されている。現在でも大規模な合奏形態で演奏される伝統音楽としては世界最古の様式である。ただし、平安時代に行われた楽制改革により大陸から伝来したものは編曲や整理統合がなされ国風化しているため、かなり変化している。主に京都の貴族の間で行われていた宮廷音楽としての雅楽の形態については応仁の乱以降、江戸幕府が楽師の末裔(楽家)を集めて再編するまでの100年以上は、各家々で細々と継承を続けてきた為、同じ曲でも流派によって何通りもの解釈が存在する。また、後述するように明治時代以降は演奏速度に変化が見られる。

篳篥のカタカナで記されている譜面唱歌(しょうが : メロディーを暗謡するために譜面の文字に節をつけて歌う事)として歌うときに、ハ行の発音を「ファフィフフェフォ」と発音するなど16世紀以前の日本語の発音の特徴などはそのまま伝えられている可能性が高い。

楽琵琶の譜面のように漢字で記されるものは、中国の敦煌で発見された琵琶譜とも類似点が多く、さらに古い大陸から伝わった様式が多く継承されている。

最も重要な史料としては、狛近真の『教訓抄』(きょうくんしょう)、豊原統秋の『體源抄』(たいげんしょう)、安倍季尚の『楽家録』(がっかろく)が日本三大楽書とされている。

明治撰定譜に収録され、現在演奏されている曲は現行曲と呼ばれ、唐楽103曲と高麗楽32曲がある。現在楽譜が残っているが、明治撰定譜にない雅楽の曲は遠楽と呼ばれ、現代では稀に復曲されて演奏されることもある。また曲名は資料で確認できるが、楽譜が現存せず既に演奏が不可能な雅楽の曲は亡失曲と呼ばれる。雅楽の古典曲の総数は、現行曲だけでなく遠楽や亡失曲も含めると現行曲の倍以上にのぼる。

歴史

5世紀前後から中国、朝鮮半島など大陸(南アジアについては、736年に大宰府に漂着した林邑(ベトナム)僧から伝えられたとされる舞楽が「林邑楽」と呼ばれ、唐楽に分類される[3]。)から儀式用の音楽や舞踊が伝わるようになった[4]大宝元年の大宝令によって、これらの音楽とあわせて日本古来の音楽や舞踊を所管する雅楽寮が創設されたのが始まりであるとされる。この頃は唐楽、高麗楽、渤海楽、林邑楽(チャンパの音楽)等大陸各国の音楽や楽器を広範に扱っていた。中国の雅楽は儀式に催される音楽であったが、日本の雅楽で中国から伝わったとされる唐楽の様式は、この雅楽とは無関係で、の宴会で演奏されていた燕楽という音楽がもとになっているとされる。ベトナムの雅楽(nhã nhạc)や韓国に伝わる国楽は中国の雅楽に由来し、日本の雅楽とは異なる。 天平勝宝四年の東大寺の大仏開眼法要の際には雅楽や伎楽が壮大に演じられるなど、この頃までは大規模な演奏形態がとられていた。 また、宮中の他に四天王寺東大寺薬師寺興福寺など一部の大きな寺社では雅楽寮に属さない楽師の集団が法要などの儀式で演奏を担っていた。

平安時代になると雅楽寮の規模は縮小され、宮中では左右の近衛府の官人や殿上人、寺社の楽人が雅楽の演奏を担うようになった。貴族の間では儀式や法要と関係のない私的な演奏会が催されるようになり、儀式芸能としての雅楽とは性格を異にする宮廷音楽としての雅楽が発展していった。この流れの中で催馬楽朗詠今様など娯楽的性格の強い謡物が成立した。唐楽、高麗楽の作風や音楽理論を基にした新曲も盛んに作られるようになった。 また、平安初期から中期にかけては楽制改革と呼ばれる漸進的な変更が行われた。 三韓、渤海の楽は右方の高麗楽として、中国、天竺、林邑などの楽は左方の唐楽として分類された。また、方響阮咸など他の楽器で代用できる物や役割の重なる幾つもの楽器が廃止された。この他にいくつかの変更を経て現代の雅楽に近い形が整い本格的に日本独自の様式として発展していく事になる。

平安時代末期からは地下人の楽家が台頭するようになり、宮中では鎌倉時代後期以降はそれまで活動の主体であった殿上人の楽家に代わって雅楽演奏の中核をなすようになる。 この影響で龍笛に代わって地下人の楽器とされていた篳篥が楽曲の主旋律を担当するようになった。

室町時代になると応仁の乱が起こり戦場となった京都の楽人は地方へ四散し、宮中の雅楽の担い手である貴族の勢力は大きく衰退した。また、乱により楽譜などの資料や舞楽装束の大半が焼失した。乱が雅楽に与えた影響は大きく、多くの演奏技法や曲目が失われ宮廷音楽としての雅楽はほぼ断絶した。京都では乱の後しばらく残った楽所や各楽人によって細々と雅楽が伝承される状態が続く事になる。一方で四天王寺など京都から離れた寺社では乱の前後で雅楽の伝承にはあまり影響がなかったため、後に宮中雅楽の復興に大きく関わることになる。

正親町天皇後陽成天皇の代になると四天王寺、興福寺などの寺社や地方から京都に楽人が集められ、雅楽の関わる宮廷儀式が少しずつ復興されていった。

江戸時代に入ると江戸幕府が南都楽所(奈良)、天王寺楽所(大阪)、京都方の楽所を中心に禁裏様楽人衆を創設し、宮中の雅楽の復興を行った。 江戸時代の雅楽はこの三方楽所を中心に展開していくこととなる。三代将軍家光の代には紅葉山にある徳川家康の廟所での祭儀のため三方楽所より八人の楽人が江戸に召喚され、元和 4(1618)年に寺社奉行の傘下に紅葉山楽人が設置された。 雅楽を愛好する大名も増え、宮中では朝儀全般の復興が行われる中で古曲の復曲が盛んに行われるようになった。

明治時代に入ると、明治政府によって三方楽所や紅葉山楽所の楽人が東京へ招集され、雅楽局(後の宮内省雅楽部)が編成された。 しかし各楽所・楽家によって演奏方法や舞の振り付けが異なっており、伝承されていた楽譜や曲目にも差があった。そこで無用な軋轢や演奏に際しての不都合を避けるために急遽これらを統一する作業が行われた。このとき楽曲の取捨選択が行われ、明治選定譜と呼ばれる楽譜が作成された。明治撰定譜の楽曲がどのような考え方で選ばれたのかは不明である。明治撰定譜の作成後は選定曲以外の曲の演奏を行わない事になったため千曲以上あった楽曲の大半が途絶えたとされている。 しかし、江戸時代後期には既に八十曲あまりしか演奏がなされていなかったとの研究もあり、この頃まで実際にどの程度伝承されていたかはよくわかっていない。

雅楽の演奏風景(2010年)

現在、宮内省雅楽部は宮内庁式部職楽部となり百曲ほどを継承しているが、使用している楽譜が楽部創設以来の明治選定譜に基づいているにもかかわらず昭和初期から現代にかけて大半の管弦曲の演奏速度が遅くなったらしく、曲によっては明治時代の三倍近くの長さになっており、これに合わせて奏法も変化している。これは廃絶された管絃曲を現代の奏法で復元した際に演奏時間が極端に長くなったことにも現れている。このような変化や律と呂が意識されなくなってきている事などから現代の雅楽には混乱が見られ、全体としての整合性が失われているのではないかと見ている研究者もいるが、その成立の過程や時代ごとの変遷を考慮すれば時代ごとの雅楽様式があると見るべきで、確かに失われた技法などは多いが現代の奏法は現代の奏法として確立しているとの見方もある。

近年では伶楽舎などの団体が廃絶曲を現代の雅楽様式に合わせて編曲して復曲する試みを行っている。失われた演奏技法や廃絶曲を古楽譜などの当時の資料に基づいて復元し、平安時代の雅楽様式を再現する試みを行っている団体もある。また、後述のように雅楽の新曲や雅楽の要素を含んだ音楽の創作活動も行われている。

雅楽の演奏を、インターネット動画共有サービスやイベントで披露する個人やグループもある[5]




  1. ^ 雅楽とは”. 日本雅樂會. 2019年10月5日閲覧。
  2. ^ a b c 溝下勝一、「中学校音楽科教育における和太鼓授業の研究」 学位論文 兵庫教育大学 2014年3月
  3. ^ 増本 (2000)、pp.32, 34, 46
  4. ^ 増本 (2000)、pp.29-31
  5. ^ 【トレンド】雅楽で奏でる まろの入店/令和でバズる「貴族感」『日経MJ』2019年8月9日(19面)。
  6. ^ 六調子”. デジタル大辞泉. goo辞書. 2015年3月25日閲覧。
  7. ^ 林邑八楽 リンユウハチガク”. デジタル大辞泉. コトバンク. 2015年3月25日閲覧。
  8. ^ 増本伎共子『雅楽入門』音楽之友社、2000年、77-79頁。ISBN 4-276-37083-3




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「雅楽」の関連用語

1
100% |||||

2
100% |||||

3
100% |||||

4
100% |||||

5
100% |||||

6
100% |||||

7
100% |||||

8
100% |||||


10
100% |||||

雅楽のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



雅楽のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの雅楽 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2020 Weblio RSS