長谷川町子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 01:18 UTC 版)
長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の女性漫画家。日本初の女性プロ漫画家[1]。代表作に『サザエさん』・『いじわるばあさん』・『エプロンおばさん』など。
注釈
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.29、『サザエさんの東京物語』p.58では絵画部とある。『長谷川町子思い出記念館』p.319の年表では編集局絵画課。
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.112 では「広岡社長」とあるが、1960年当時は取締役編集局長。
- ^ 買出しの話で1コマだけ出ている(34頁2コマ目)。『サザエさんの東京物語』pp.167-170によると町子と洋子一家で母を海外旅行させた話も、『サザエさん旅あるき』pp.51-57では町子が1人で付き添っている形で描かれている。
- ^ 『サザエさんの東京物語』p.209では「姉妹社に勤めていて、姉達の秘書のような仕事をしている人」。
- ^ 東京家政大学名誉教授。著書に『サザエさんからいじわるばあさんへ』がある。
- ^ しかし、そのまま2人は会うことなく町子が亡くなり、樋口は後年「ご面会が叶わなかったのが残念でなりません」と語っている[1]。
- ^ 妹の結婚式の司式を矢内原にしてもらい、その数年後、矢内原は死の半年前にも病を押して長谷川の義弟の葬式の司式を引き受けた。
- ^ 「サザエさんうちあけ話」では、飼い犬に関するエピソードで30章中2章を使っている。また、町子が当時飼っていた犬と一緒に写っている写真も残されている。
- ^ 1967年には胃潰瘍(実際は胃癌)手術を受けた際、麻酔から覚めるのが珍しいほど遅いため、「酒に弱い体質ではないか」と主治医の中山恒明に尋ねられている[74][75]
- ^ 加えて加藤は、「参加者のほとんどはパーティ嫌いの町子さんの出席を予想していなかったが、当日彼女が現れた途端会場にパーッと花が開いたような雰囲気に包まれた」とも語っている[1]。
- ^ ただし例外で、「読売テレビ50年社史」付属のDVDに、いじわるばあさんの一部のシーンが収録されている。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 週刊現代2022年1月29日・2月5日号「昭和の怪物」研究・長谷川町子「サザエさんは隣にいる」p173-180
- ^ a b 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.5
- ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.16-17
- ^ a b c d e f g h i “『ふるさと歴史シリーズ サザエさん物語』”. 西日本シティ銀行 (1993年3月). 2022年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月29日閲覧。
- ^ a b 『サザエさん旅あるき』pp.196-203
- ^ a b c 『サザエさんの東京物語』 p.17
- ^ 「父の死」(工藤 2020, kindle版位置No.41/3081)
- ^ 『サザエさんの東京物語』p.12
- ^ 『長谷川町子』ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉15頁
- ^ a b 『サザエさんの東京物語』 p.22
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.7-8
- ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.38-39
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.11
- ^ 『サザエさんの東京物語』 p.39
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.12
- ^ 『サザエさんの東京物語』 p.40
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』pp.319-320
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.28-29
- ^ a b 北日本新聞 2018年11月22日付26面・ぶんぶんジュニア内『長谷川町子さんの戦後初作品見つかる』より。
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.36
- ^ “サザエさん通り”. 福岡市. 2020年7月11日閲覧。
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.42
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.319
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.43-45
- ^ 「札束を投げる」(工藤 2020, kindle版位置No.1452/3081)
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.290
- ^ 「姉妹社」(工藤 2020, kindle版位置No.1547/3081)
- ^ a b 『長谷川町子思い出記念館』p.320
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.46
- ^ 「姉妹社」(工藤 2020, kindle版位置No.1548/3081)
- ^ 「返品の山」(工藤 2020, kindle版位置No.1557/3081)
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.47-50
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.291
- ^ “「サザエさん」初版が“返品の山”だった意外な理由”. AERA dot. (2017年8月20日). 2022年5月25日閲覧。
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.51
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.53
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.55
- ^ a b 『サザエさんの東京物語』 p.70
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.292
- ^ a b 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.111
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.112-114
- ^ a b 『サザエさんの東京物語』 p.15
- ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.140-142
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』pp.96-97
- ^ a b 『長谷川町子思い出記念館』p.325
- ^ a b c “長谷川町子さん死去 「サザエさん」生みの親 5月27日に自宅で”. 朝日新聞・東京朝刊. (1992年7月1日)
- ^ a b 『長谷川町子思い出記念館』p.326
- ^ 『サザエさんの東京物語』p.210
- ^ a b c 『サザエさんの東京物語』 p.211
- ^ 『サザエさんと長谷川町子』p.268「長寿の長谷川家」
- ^ 「母の兄」(工藤 2020, kindle版位置No.592/3081)
- ^ 「キリスト教入信」(工藤 2020, kindle版位置No.534/3081)
- ^ 『サザエさんの東京物語』 pp.108-111
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.68
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.29
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.289
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.128
- ^ 「厖大な所得額」(工藤 2020, kindle版位置No.1965/3081)
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.23-24
- ^ 「返品の山」(工藤 2020, kindle版位置No.1560/3081)
- ^ 「「サザエさん」絶版の噂」(工藤 2020, kindle版位置No.2925/3081)
- ^ 「町子亡き後」(工藤 2020, kindle版位置No.2976/3081)
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.64-65
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 pp.12-13
- ^ 『サザエさんの東京物語』p82、『長谷川町子思い出記念館』内のインタビュー記事「サザエさんと私」(p271)より
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.125
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.215(『週刊朝日』の『イイザワ対談遠近問答』最終回で飯沢匡に対して)
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.115
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.22
- ^ a b 『長谷川町子思い出記念館』p.293
- ^ 『サザエさん旅あるき』pp.49-50
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.60
- ^ a b 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』p.80
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.93
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.86
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.288(1966年(昭和41年)『サンデー毎日』12月11日号より)
- ^ 『長谷川町子思い出記念館』p.309(1978年(昭和53年)『週刊朝日』5月3日号より)
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.82
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.31
- ^ 『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』 p.33-34
- ^ 「サザエさんうちあけ話・サザエさん旅あるき」p289
- ^ ● 法住寺(ほうじゅうじ)後白河法皇の身代わりになった不動と四十七士の寺東山district
- ^ 『アサヒグラフ別冊 長谷川町子絵画館 サザエさんの作者が残した[未発表]美術作品』朝日新聞社、2000年(平成12年)7月25日、ISBN 978-4-02-272138-9。
長谷川町子と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 長谷川町子のページへのリンク