長崎放送 沿革

長崎放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 09:49 UTC 版)

沿革

移転前の長崎放送旧本社(手前)とNBCソシア(奥)
  • 1950年昭和25年)
  • 1951年(昭和26年)12月 - ラジオ予備免許交付。
  • 1952年(昭和27年)
    • 9月12日 - 長崎平和放送株式会社設立。
    • 12月8日 - 株式会社ラジオ長崎に商号変更。
  • 1953年(昭和28年)
    • 2月1日 - ラジオ試験電波発射。
    • 2月23日 - ラジオ本免許交付。
    • 2月24日 - ラジオのサービス放送開始。
    • 3月1日 - 全国19番目の民間放送局としてラジオ長崎(JOUR)開局(1320kc 500W)。 九州では福岡のラジオ九州(RKBラジオ)に次ぐ2番目。
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月1日 - ラジオ佐世保(JOMF)開局。
    • 5月1日 - ラジオ九州(RKBラジオ)、ラジオ長崎、ラジオ佐世保でKNS協定発足。
2021年3月まで使用されていた局ロゴ。
    • 10月18日 - ラジオ佐世保と合併、長崎放送株式会社(NBC)に社名変更。
  • 1956年(昭和31年)1月25日 - テレビ放送局免許申請。
  • 1957年(昭和32年)10月22日 - テレビ予備免許交付。
  • 1958年(昭和33年)
  • 1959年(昭和34年)
    • 1月1日 - 長崎テレビ放送局開局・テレビ放送開始(稲佐山) 九州の民放ではラジオ九州(現RKB毎日放送)、テレビ西日本(TNC)に次ぐ3番目。
      • 放送会館完成までの間は、稲佐山送信所に設置されたマスター室・スタジオからテレビ放送を行っていた。
    • 2月20日 - 佐世保テレビ放送局開局。
  • 1961年(昭和36年)3月1日 - 平戸ラジオ中継局開局。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)4月11日 - NBC労働組合が午後1時15分から30分間、初めてのストライキに入った。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月1日 - NBC初の関連会社「NBC音楽放送協会」発足。
    • 11月12日 - 米海軍原潜シードラゴンが佐世保に寄港の様子を全国に向けて生中継に成功。当日はNHKが中継回線を独占していたため、自営マイクロ7段中継を熊本放送(RKK)の協力により成功する。放送はRKKにより、JNN系列14局に送り出された。内外から絶賛される。
    • 12月10日 - 有限会社「NBCサービスセンター」を発足。
  • 1965年(昭和40年)6月1日 - 関連会社「九州広告」を佐世保に創立。
  • 1966年(昭和41年)12月21日 - カラー放送開始。
  • 1967年(昭和42年)9月7日 - 東京放送(TBS)と業務協定締結。
  • 1968年(昭和43年)5月12日 - 佐世保市浜田町に地下1階、地上3階の佐世保局舎完成。
  • 1969年(昭和43年)3月16日 - 長崎市浜町の稲田時計店にサテライトスタジオ誕生。
  • 1970年(昭和45年)9月18日 - 東京銀座8丁目に地下2階、地上9階の「長崎センタービル」完成[注釈 8]
  • 1972年(昭和47年)2月29日 - NBC本社隣りにNBC別館完成(1988年(昭和63年)に「NBCソシアビル」に名称変更)。別館ビルに「NBCビデオホール」が開設される。
  • 1973年(昭和48年)4月5日 - 当時の準キー局の朝日放送テレビ(ABC)制作のテレビドラマ『日本の嫁シリーズ』の第3作『嫁チャンポン』(主演:山本陽子)の放送が開始され、制作協力として参加。
  • 1974年(昭和49年)3月31日 - 唐津ラジオ中継局開局。
  • 1978年(昭和53年)2月6日 - ラジオマスター、2月13日にはテレビマスター(NEC製)を更新。APS導入。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1981年(昭和56年)
  • 1983年(昭和58年)11月10日 - TBSテレビの人気番組『ザ・ベストテン』の放送300回とNBC開局30周年を記念して、長崎市松山町平和公園にある長崎市営ラグビー・サッカー場(市営球技場)から公開生放送を実施[注釈 9]。NBCからは川瀬隆史が参加した。8日の午前10時から入場整理券をNBC本社で配布。この際、10,000近くのファンが早朝からNBCを取り囲んだ。小学生や中学生が学校を休んで並んだり徹夜までする騒ぎとなり、結局、32人の児童生徒が補導されマスコミに大きく報じられた。当日はファン1万5千人が集まり、主催者側整備員約600人を動員、警官約160人が出動。東京地区の視聴率は29.9%だった。
  • 1985年(昭和60年)4月17日 - ラジオ佐賀と長崎局でそれぞれ地域別のCM放送開始。
  • 1989年平成元年)
    • 3月6日 - ラジオマスター更新。
    • 6月22日 - テレビマスター更新(NEC製)。また時刻が左上に表示されるようになる。
  • 1990年(平成2年)4月4日 - NBC本社を全面改装。ソシアビルと同色に統一。
  • 1991年(平成3年)7月23日 - NBCラジオ佐賀局舎改装。
  • 1996年(平成8年)
  • 1999年(平成11年)頃 - NBCラジオ佐賀局と唐津局周波数共通化(1485 kHz→1458kHzへ)。
  • 2001年(平成13年)10月29日 - NBCラジオ長崎局と島原局周波数共通化(1098 kHz→1233kHzへ)。
  • 2006年(平成18年)
  • 2008年(平成20年)3月1日 - 長崎ケーブルメディアデジタルSTBでNBCラジオの放送開始(アナログ波の再送信・モノラル放送)。
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 子会社のエヌビーシー興産株式会社が株式会社NBCラジオを吸収合併し株式会社NBCソシアと改称。
  • 2011年(平成23年)
    • 1月24日 - 対馬市内のアナログテレビ中継局のうち、厳原中継局を除く4局(南厳原(みなみいづはら)、佐須奈(さすな)、対馬伊奈(つしまいな)、志多留(したる))が先行廃止(NHK長崎・KTNも同様)。
    • 7月24日 - 正午(午後0時)アナログテレビ放送が終了、翌日(7月25日)の午前0時までにアナログテレビ放送は完全停波しデジタルテレビ放送に完全移行。
  • 2012年(平成24年)
    • 1月30日 - インターネットのIPサイマルラジオ「radiko.jp」でNBCラジオ(長崎本局)の同時配信を開始(エフエム長崎も同様、配信エリアは長崎県内のみ対象)。
    • 9月12日 - 創立60周年。
    • 9月15日 - 創立60周年記念番組『NBCラジフェス60時間ラジオ』を放送、深夜にはテレビ・ラジオで同時放送などを行ったが、平成24年台風第16号の接近により、伊王島でのライブイベントが中止。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 子会社の株式会社NBCソシアが株式会社NBCラジオ佐賀を吸収合併。長崎・佐賀のラジオ事業子会社を統合。
  • 2015年(平成27年)
  • 2017年(平成29年)2月1日 -
    • NBC佐世保FM局本放送開始。
    • NBC佐賀FM局本放送開始。
  • 2020年令和2年)
    • 1月 - 長崎市尾上町の新社屋を建設し着工。
    • 6月15日 - NBCラジオ佐賀局舎を佐賀駅前の商業施設「コムボックス佐賀駅前」内に移転。
  • 2021年(令和3年)
    • 4月1日 - 新社屋移転と創立70周年に先立ち、CIを導入。ロゴマークを一新すると共にシンボルマークを導入[16]。これに伴い、当日の放送開始よりテレビのチャンネルアイコンとウォーターマークが新しいコーポレートロゴに変更されている。また新たなスローガンとして、「テレビの外へ!」と「ラジオの先へ!」を制定した。
    • 7月 - 長崎市尾上町の新社屋を竣工。
    • 10月1日 - radikoの通常配信エリアを佐賀県に拡大。合わせて2021年秋の改編でNBCラジオ佐賀とNBCラジオの番組編成を統合。この件に関してNBCは「NBCラジオの新たな挑戦」と位置づけ、長崎・佐賀両局を拠点とした地域密着の番組制作・取材活動の更なる充実と防災・減災報道にも力を尽くしつつ西九州”に訴求するラジオ局を目指すとしている[29]
    • 11月1日 - 長崎市尾上町の新社屋に移転、新社屋からラジオ放送を開始。
    • 11月8日 - 新社屋からテレビ放送を開始。
  • 2022年(令和4年)
    • 1月12日 - 新しい同局のマスコットキャラクターとして「テレビンとれでぃお」を制定[17]
    • 3月30日 - 前日と当日に行われた「さようならNBCビデオホール〜さだまさしコンサート」をもって、同ホールが設置されていたソシアビル含む旧社屋の稼働終了[30]。今後旧社屋は、解体され隣接する長崎市所有の建物と共に再開発する予定。
    • 9月12日 - 創立70周年。
  • FM転換を見据えた総務省実証実験としてAM停波による社会的影響を検証するため、2024年2月5日~2025年1月31日までの期間、佐賀放送局エリアにおいて親局を含めてAMラジオを停波。FM、またはワイドFM放送で代替放送を行う[31][32][33]

ラジオ長崎開局までの経緯

1950年昭和25年)2月27日、鶴川武が「社団法人・長崎平和放送協会」設立を申請した。この頃は「電波3法」が国会審議中だったため、一時保留となった。

鶴川武は1915年大正4年)2月4日熊本県生まれ、中野高等無線電信学校等で学び、戦前は中国に渡り上海ラジオビーコン局等に勤務、敗戦と同時に上海から引き上げた。戦後は長崎に住み、1950年(昭和25年)に東邦通信機株式会社を設立した。

もう1つの流れは長崎商工会議所を中心とした「ラジオ長崎」のグループである。商工会議所会頭・脇山勘助(長崎電気軌道社長)や事務局長・菅野一郎、浅野金兵衛(長崎高等商業学校教授、現在の長崎大学経済学部)が中心となり、地元実業界有力者の10数人が発起人に名を連ねた。しかし、同年3月11日に長崎商工会議所が全焼する火災が発生、関係書類が消失したため一時中断となった。その後、「電波3法」の民放設立の条件であった「東京2局、他地区は1局」の方針により、1本化に向け話し合いを開始した。

同年10月15日、長崎市の精洋亭ホテル(銅座町・長崎グランドホテルの前身)で合同発起人会を開き「株式会社長崎平和放送協会」を発足させた。代表に脇山勘助を選び、資本金3,500万円、出力3kW放送局を設立することを決めた。しかし後に、NHK長崎放送局と同じ500Wが望ましいと電波監理委員会からの勧告を受けたが、500Wでは県内全域をカバー出来ないとの理由により、結局1kWに減力して申請変更を行った。1951年(昭和26年)2月に西岡竹次郎(この年6月に長崎県知事に就任)も諫早で免許申請を行う。

すぐに当時の政界有力者の斡旋で話し合いを持ち、西岡竹次郎は長崎平和放送協会に合流することで了解し、発起人に加わった。当時、放送局設置において新聞社を母体に資金や人的援助を仰いで、法人を立ち上げるのが常だったが、長崎の場合は朝日新聞社毎日新聞社間の考えの違いで設立支援が具体化せず、地元経済界を中心とした自主的経営でのスタートとなり、ほかの民放と比べて苦難の道を歩むことになった。

  • 同年4月21日 我が国初めて民間放送への予備免許が16社に下ろされたが、申請内容の不備を理由に長崎平和放送協会は保留となった。
  • 11月 ラジオ長崎の初代社長となる中部悦良が追放解除によって経済界に復帰し、長崎商工会議所会頭に再び就任した。
  • 12月27日 予備免許が交付される。結局、出力は500Wに減力となった。

開局に向けて準備を始めるも、極端な資金不足により資本金が目標額1,250万の半分の500万にも満たず、中部悦良と大洋漁業が不足分を立て替えた。

  • 1953年(昭和28年)
    • 2月1日-大浦放送所で「火入れ式」が行われ午前9時30分、試験電波が発射される。
    • 2月15日 スタジオ完成
    • 2月23日 「ラジオ長崎」の本免許が下ろされた。
    • 2月24日 サービス放送開始
    • 2月27日 初の街頭録音番組『ラジオ長崎に何を望むか』を放送
    • 2月28日 三菱会館で「ラジオ長崎開局前夜祭」が県民3000人を招いて開催
    • 3月1日 午前9時30分アンゼラスの鐘のメロディーと共に放送開始

佐世保地区の競願、そしてラジオ佐世保・ラジオ長崎の合併へ

ラジオ長崎が開局したとはいえ、申請時の500Wが影響し、佐世保を始め県北一帯には電波が届かず、佐世保市民は民放の設立を望んでいた。

1951年(昭和26年)6月2日、佐世保市内の有力者が集まり「ラジオ佐世保設立発起人会」を結成。中心となったのは九州時事新聞社(1968年(昭和43年)に長崎新聞社と合併)社長であった辻一三であった。10月19日「ラジオ佐世保」の設立総会をレストラン玉屋で開いた。初代社長に山中辰四郎(佐世保庶民信用金庫理事長・その後1955年(昭和30年)から1963年(昭和38年)まで佐世保市長)が就任。佐世保地区は「ラジオ長崎」「ラジオ佐世保」の競願となった。地方民放は1県1局が原則、九州電波監理局が斡旋に乗り出した。最初の話し合いが雲仙で行われ、両者が各自の立場を強調したに留まったが、次第に合併の機運が生まれる。11月28日九州電波管理局による調停案が提示される。年が明け1954年(昭和29年)1月12日、田川務長崎市長中田正輔佐世保市長の連名による合併斡旋勧告が出された。

3月6日ラジオ長崎・ラジオ佐世保で臨時株主総会を開催し合併を承認、社名を「長崎放送株式会社」と決定した。結果的にはいったん、ラジオ佐世保に免許が降ろされた上で4月1日に開局、半年後の10月18日に合併した。

テレビ放送開始までの経緯

  • 1956年(昭和31年)1月25日 長崎・佐世保両テレビジョンの免許申請
  • 1957年(昭和32年)
    • 6月 第1次チャンネルプランにもとづいて、長崎地区に2と5、佐世保地区に8と10が割り当てられ、長崎は5チャンネル・佐世保は10チャンネルとなった。
    稲佐山山頂と烏帽子岳でテレビ放送設備の建設が始まる。当時烏帽子岳山腹は道路整備がされておらず、建設にあたってまず道路の開拓からかかった。稲佐山には鉄筋コンクリート2階建ての局舎を建設。
  • 10月22日に予備免許が降りる。当初の計画では1958年(昭和33年)4月1日に長崎・佐世保の同時開局を目標としていた。
長崎テレビジョン局(JOUR-TV・5チャンネル)
  • 1958年(昭和33年)
    • 12月17日午前7時55分 初の試験電波を発射。
    • 12月24日午後6時 サービス放送を開始。最初の番組は日本テレビからのドラマ『轟先生』、この番組のスポンサーが「松隈電気」で、NBCテレビのローカルスポンサー第1号となった。中央スポンサーは加美乃素本舗ヤシカ田辺製薬の3社。初のテレビ中継となった大浦天主堂からのクリスマスミサ中継は浜屋デパート提供だった。
    • 12月25日、記念番組『テレビ誕生』を生放送。
  • 1959年(昭和34年)
    • 1月1日午前6時30分本放送を開始。午前7時より日本テレビ『日本の正月』放送。
    • 1月4日午後9時、初のローカルニュース『さようなら昭和33年おめでとう昭和34年』を放送
佐世保テレビジョン局(JOMF-TV・10チャンネル)

社史・記念誌

長崎放送では、以下の7冊を発行している(2023年3月時点)。

  • 長崎放送十年史(長崎放送 編) 1962年昭和37年)10月発行、227ページ[34][35]
  • 長崎放送社史 昭和三十七年から昭和四十二年まで(長崎放送社史編さん係 編) 1968年(昭和43年)6月発行、236ページ
    • 長崎放送十年史の続編として発行。
  • 長崎放送編年史 25周年(長崎放送 編) 1977年(昭和52年)9月発行、135ページ
  • 長崎放送編年史 40周年(長崎放送 編) 1992年平成4年)12月発行、277ページ
  • 長崎放送50年史(長崎放送 編集) 2002年(平成14年)9月発行、632ページ
  • 長崎放送60年史(長崎放送 編集) 2013年(平成25年)3月発行、429ページ
  • NBC長崎放送70年史(長崎放送 編集)2023年(令和3年)2月発行、291ページ

注釈

  1. ^ 同様の放送体系は、テレビを京都府、ラジオを京都府・滋賀県としている京都放送(KBS京都・KBS滋賀)のみ。テレビとラジオで放送エリアが違うという意味ではRSK山陽放送ラジオ岡山県)と西日本放送ラジオ香川県)も該当(電波相互乗り入れにより、両局ともテレビ:岡山県・香川県)。
  2. ^ テレビジョンは1990年代ごろに返上。
  3. ^ 佐賀県にも1954年1月から1956年の11月まで九州朝日放送が佐賀県三養基郡(のち鳥栖市)に送信所があり(九州朝日放送#沿革を参照、)、域外送信所の類ではあるが、約2年間九州7県全てに民放ラジオ局の送信所が存在したことになる。
  4. ^ 同県初の民間放送局サガテレビは1969年開局であり、ラジオに限れば純粋なる佐賀県域局としてエフエム佐賀が開局するのは1992年。
  5. ^ 長崎放送 代表取締役社長
  6. ^ a b c d 長崎放送 相談役取締役
  7. ^ a b c d 長崎放送 代表取締役会長
  8. ^ 長崎センタービルにはNBC東京支社の他、長崎新聞社や埼玉県の独立局テレビ埼玉の東京支社も入居している。
  9. ^ 当番組第1回目の公開生放送。以後岡山、静岡、松本、仙台、鹿児島、と放送終了まで続いた。
  10. ^ ラジオ佐世保時代からのコールサインを継続。
  11. ^ 2020年春時点で平戸・壱岐・対馬地区の中継局設置は未定。一方総務省に申請した「放送区域概略図」によると、五島列島では海上伝搬により長崎局で一部受信可能とされている。
  12. ^ 2020年4月 - 2022年9月に放送された「星光プレゼンツ ホシノヒカリ」の後継番組
  13. ^ 金曜日・土曜日のゴールデンタイムに同時ネットで放送されてきた『カックラキン大放送!!』、『太陽にほえろ!』などがKTNに移行した(『土曜トップスペシャル』は移行しないまま打ち切り)。なお、『土曜グランド劇場』は1年早く1983年(昭和58年)4月にKTNへと移行している。
  14. ^ ただし、『全国高校サッカー選手権大会』のみ1992年(平成4年)まで放送協力した。これはNIBが開局後準備できなかったための特別措置とされている。1993年以降はNIBに完全移行。
  15. ^ ただし、あくまで名目上は一般番組供給ネットワークについても一貫してTBSテレビネットワーク(ニュース系列と同組織のJNNネットワーク協議会)単独加盟であり、日本テレビ系列(NNS)およびNET→テレビ朝日系列(NETラインネットワーク→テレビ朝日ネットワーク)との正式なネット保障契約は締結していなかった。
  16. ^ 第5回(1982年)は長崎大水害発生の影響を受けてNBCが参加を自粛し、KTNのみが参加したが、この時もKTNは前半部分はネットせず、後半のみの放送であった。
  17. ^ 長崎新聞1985年3月31日4月7日1988年3月27日4月3日付朝刊ラ・テ欄で確認。
  18. ^ 『土曜ワイド劇場』はNCC(1990年4月1日開局)に移行(1990年4月7日放送分から)長崎新聞1990年3月25日4月1日4月7日付朝刊ラ・テ欄で確認。
  19. ^ アナログチャンネル「1」はNHK教育が使用しており、NHKは教育に「2」を割り当てたうえで「1」を総合に変更したため。
  20. ^ 同じくリモコンキーID「1」を希望していた熊本放送 (RKK、アナログ親局11ch)も同様の理由で「3」となった。
  21. ^ JNN系列のアナログ親局に5chを使用する放送局はNBCの他、CBCテレビ新潟放送 (BSN)、大分放送 (OBS)があるが、デジタル放送のリモコンキーIDで「5」を使用しているのはCBCテレビのみで、BSNはTBSテレビと同じだが自局のアナログ親局より大きい「6」(アナログ中継局は6chが多かった)を、OBSはNBCと同じ「3」をそれぞれ使用している。
  22. ^ 17:50 - 18:15は『Nスタ』全国ネット枠をネット。
  23. ^ a b c d e f g h 編成の都合で放送されない場合あり。
  24. ^ 17:50 - 18:15は全国ネット。
  25. ^ 2021年3月31日までは不定期放送。
  26. ^ 2023年3月までは日曜 0:58 - 1:28〈土曜深夜〉。
  27. ^ 2023年3月までは火曜 0:55 - 1:55〈月曜深夜〉。
  28. ^ 制作局と同時刻だが遅れネット。
  29. ^ 2021年4月から2022年9月までは土曜 0:20 - 1:19〈金曜深夜〉。
  30. ^ JNN九州・沖縄ドキュメント ムーブ』放送時は休止。
  31. ^ 1990年3月30日までは9:30放送開始、1990年4月2日以降は9:55 - 10:50に放送。長崎新聞1990年3月29日3月30日4月2日付朝刊ラ・テ欄で確認。
  32. ^ ウレロ☆未確認少女』はKTNで放送された。
  33. ^ 30分時間のみ。1時間枠時代はnccで放送された。
  34. ^ テレビ長崎から移行。
  35. ^ ただし、NIBは開局から1993年12月までは8:55 - 10:25に遅れネット
  36. ^ 前作(1974年度版)はKTNにて放映。
  37. ^ ただし、テレビ朝日1990年3月31日放送分(『美人秘書殺し』)は1990年3月31日12:30 - 14:20の先行ネットとなり、翌4月1日からは『Ryu's Bar 気ままにいい夜』、『紳助・ケントの世界がお呼びです!』、『JNNスポーツチャンネル』、『JNNニュース』の同時ネットに移行している。長崎新聞1990年3月31日4月1日付朝刊ラ・テ欄で確認。
  38. ^ ドラマ23内の鈴木保奈美版も当局で放送、松雪泰子版はKTNで放送。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 会社案内 - NBC長崎放送
  2. ^ a b c d e f g h i j k 第77期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書” (PDF). 長崎放送株式会社 (2023年6月27日). 2024年1月15日閲覧。
  3. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、465頁。 
  4. ^ a b 長崎放送株式会社『第76期(令和3年4月1日 - 令和4年3月31日)有価証券報告書 英訳名』(レポート)2022年6月24日。 
  5. ^ 長崎放送株式会社 定款 第1章第1条
  6. ^ 森田均「テレビ番組のコンテンツとしての平和式典と長崎くんち」『研究紀要』第11号、長崎県立大学、2018年8月22日閲覧 
  7. ^ 2008年08月09日のテレビ番組表(長崎・地上波1)”. yanbe.net. 2018年8月22日閲覧。
  8. ^ 2023年日本民間放送連盟賞 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. j-ba.or.jp. 2023年10月29日閲覧。
  9. ^ 表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. j-ba.or.jp. 2023年10月29日閲覧。
  10. ^ 表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. www.j-ba.or.jp. 2023年11月6日閲覧。
  11. ^ 表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. www.j-ba.or.jp. 2023年11月6日閲覧。
  12. ^ 表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. j-ba.or.jp. 2023年10月29日閲覧。
  13. ^ 表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. j-ba.or.jp. 2023年10月29日閲覧。
  14. ^ 表彰番組・事績 | 一般社団法人 日本民間放送連盟”. j-ba.or.jp. 2023年10月29日閲覧。
  15. ^ “2021年11月1日 長崎放送本社移転「NBCビル」オープン”. 長崎放送. https://www.nbc-nagasaki.co.jp/pressrelease/20211101-nbc-building-open/ 2021年10月31日閲覧。 
  16. ^ a b NBC、新たにCI(コーポレート・アイデンティティ)を制定。 ミッション、 スローガンの制定、コーポレートロゴも刷新。 長崎放送株式会社 2021年2月24日 (PDF)
  17. ^ a b c テレビンとれでぃおがNBCの新キャラクターに就任!
  18. ^ 長崎放送株式会社佐世保支社(佐世保市松浦町/放送業・放送局)(電話番号:0956-24-2251) - iタウンページ
  19. ^ 東京都中央区銀座8丁目9-16の地図 - Yahoo!地図
  20. ^ 福岡県福岡市中央区天神4丁目1-18の地図 - Yahoo!地図
  21. ^ 長崎放送株式会社『第76期(令和3年4月1日 - 令和4年3月31日)有価証券報告書 大株主の状況』(レポート)2022年6月24日。 
  22. ^ 有報リーダー”. Lafla. 2017年6月8日閲覧。[リンク切れ]
  23. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、317頁。 
  24. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、429頁。 
  25. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、461頁。 
  26. ^ a b 長崎放送中波ラジオ難聴地域の一部解消に向けて -中波ラジオ放送のFM方式による補完中継局に、長崎県初の予備免許を付与- - 総務省九州総合通信局・報道資料(2015年6月30日)
  27. ^ 長崎放送AMラジオ放送の難聴が一部解消されます。(2015年6月30日)[リンク切れ]
  28. ^ a b c ワイドFM~NBCラジオの番組がFMラジオでも聞ける![リンク切れ]
  29. ^ NBC ラジオ 10 月から長崎局・佐賀局を同一編成に nbc NEWS RELEASE
  30. ^ “「ありがとうビデオホール!」さだまさし、故郷長崎での“100円”特別コンサートを無事完遂”. ORICON MUSIC (ORICON NEWS). (2022年4月1日). https://www.oricon.co.jp/news/2230079/full/ 2022年4月16日閲覧。 
  31. ^ 株式会社インプレス (2024年2月2日). “AMラジオ34局、1日から順次運用休止。FM転換目指す”. AV Watch. 2024年2月4日閲覧。
  32. ^ 【NBCラジオ】佐賀県のみなさまへ”. NBC長崎放送 (2023年10月31日). 2024年2月5日閲覧。
  33. ^ 総務省|放送政策の推進|AM局の運用休止に係る特例措置”. 総務省. 2024年2月5日閲覧。
  34. ^ 長崎放送十年史』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  35. ^ 長崎放送十年史 - Google Books
  36. ^ 長崎放送ラジオ放送所・無線局免許状 - 総務省
  37. ^ 総務省|九州総合通信局|長崎県及び佐賀県内における中波ラジオ難聴地域の一部解消に向けて -中波ラジオ放送のFM方式による補完中継局に、予備免許を付与-
  38. ^ 放送音源
  39. ^ 2023年3月までは金曜21:00-21:15、2023年9月までは月曜18:28-18:45で放送
  40. ^ 2023年3月までは金曜21:15-21:30、2023年9月までは火曜18:28-18:45で放送
  41. ^ 長崎放送長崎テレビジョン送信所・無線局免許状 - 総務省
  42. ^ テレビ番組表 - NBC長崎放送
  43. ^ a b 「テレビ局ネットーワーク」『アニメディア』1986年9月号、学研、83頁。 
  44. ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1983年1月号、徳間書店、85頁。 
  45. ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1980年8月号、徳間書店、95頁。 
  46. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1989年10月号、学研、92頁。 
  47. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1989年8月号、学研、91頁。 
  48. ^ キャスト - NBC長崎放送






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