鏡子の家 構成

鏡子の家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 15:47 UTC 版)

構成

作品の構成について三島は、〈それぞれが孤独な道をパラレルなままに進んでいく。ストーリーの展開が個人々々に限定され、ふれあわない。反ドラマ的、反演劇的な作品だ。そうした構成のなかに現代の姿を具体的にだしていった。ここに僕の考えた現代があり、この小説はその答案みたいなものである〉と説明している[19]

このように、同格の主人公同士が絡み合うことなく並行的にストーリーが進んでいく構成を、「メリーゴーラウンド方式」と呼ぶ田中西二郎[20]、4人の青年たちがお互いの「運命」に干渉せず、影響もされずに2年間という時間内に「かれらの運命が上昇し、そして下降する四本の平行線条を描くこと」で物語が成立し、ヒロインの鏡子も彼らの「運命」に影響を与えず、「彼等が自分の姿をそこに見るの役割しか勤めない」と説明している[20]。そして、4人それぞれの生活圏の「拡大や収縮が走馬燈式」に描かれ、「磨かれた文体のリズムに乗って展開し旋転」してゆき、その「簡潔さと複雑さとを一挙に収める構成」が、「〈現代〉のヴィジョン」を与える印象となっていると田中は解説している[20]

あらすじ

夫と別居し、8歳の娘の真砂子と四谷信濃町の洋館で自由気ままに暮らす30歳の友永鏡子は、戦後の焼け跡の時代を忘れず郷愁を抱いている。鏡子は、常に焼け跡の都市の記憶、「廃墟」としての都市の記憶をとどめ、そのような視点から眺めることが、鏡子の認識の方法だった。彼女の家に出入りする年下の友人たち、商社マンの杉本清一郎、私大の拳闘部にいるボクサーの深井峻吉、売れない舞台俳優の舟木収、日本画家の山形夏雄らにも、鏡子は焼け跡や廃墟の残映のようなものを感じている。娘・真砂子は父が戻ってくるのを密かに望み、縁なし眼鏡の父の写真をときどき取り出し眺めていた。

4人はそれぞれ、ニヒリズムを抱え「壁」の前に立っていると感じていた。それが時代の壁であるのか、社会の壁であるのかわからない。「俺はその壁をぶち割ってやる」と峻吉は思っていた。「僕はその壁を鏡に変えてしまうだろう」と収は思っていた。「僕はその壁を描くんだ。壁が風景や花々の壁画に変わってしまえば」と夏雄は思っていた。そして、清一郎は、「俺はその壁になるんだ。俺がその壁自体に化けてしまうことだ」と思っていた。清一郎は世界が必ず滅びるという確信を抱きつつ世俗を生きている。彼らは「鏡子の家」に集う仲間というだけで、お互いを助け合ったり、干渉することはない。鏡子は他人の自由を最大限に容認し、無秩序を愛していながら、誰よりもストイックだった。

4人の青年は、それぞれの流儀で成功する。清一郎は副社長の令嬢・藤子と結婚し、ニューヨーク転勤となった。峻吉はプロに転向し、第一戦を華やかなKO勝ちで飾る。貧弱な痩せた体で役のつかなかった収は、ボディビル筋肉をつけ肉体美を手に入れた。夏雄の描いた「落日」は展覧会で評判になり、絵が売れて新聞社の賞も受賞して有名人になった。

しかし4人にやがて不幸や転機が訪れ、夏雄は突然スランプに陥って絵が描けなくなり、世界が崩壊するという体験に襲われる。そして霊能者の許に出入りし、節食と不眠で痩せ衰えてしまう。収は、自堕落な母の借金のカタ高利貸しの中年女社長に身売りし、マゾヒスティックな遊戯に耽溺し、この醜女と心中してしまう。峻吉は全日本チャンピオンになったその晩に、つまらないチンピラ達と諍いとなり拳を砕かれ、選手生命を絶たれて右翼団体に入る。清一郎は、ニューヨークの孤独で淋しい暮らしに耐えられなかった妻を、同じアパートの同性愛者の米人男性に寝取られ、図らずも傷つくが、動ぜず終始、妻にやさしく振舞う。

やがて、夏雄は水仙の花を見つめるうちに、自分と水仙とが堅固な一つの同じ世界に属していると感じ、なんとか立ち直る。そして、メキシコに絵の勉強に旅立つこととなり、別れに鏡子は、童貞の夏雄と肉体関係を持つ。

財産を使い尽くした鏡子の許に、夫が帰ってくることになった。鏡子はすでに「人生という邪教」を生きる決意をしている。4人の青年が来なくなった「鏡子の家」に、鏡子の夫が、七シェパードグレートデンを連れて帰ってくる。広い客間はたちまち犬の匂いに充たされた。

文壇の反響

『鏡子の家』は、三島が自身の青春期の総決算、モニュメントとした野心作であったが[5][19]、発表当時の作家や評論家たちの反応は冷ややかで、中には高い評価もあるが、失敗作だとみなす声の方が多く、それらの寸評は人物間の絡み合いやドラマがないといった批評内容であった[14][18]。この不評は、三島にとってかなり堪え、その失望はこの作品は相当に力を注いだいただけに大きかったため[21]、以後の三島の歩みに少なからぬ影響を与えたとされている[22]

臼井吉見は、「小説というよりはむしろ評論に近い性格をそなえた作品」だとし、「人物どもが相つらなり、相もつれて、壮大な人間劇を展開する小説のおもしろさを味わわせてくれることにはひどく無関心」だと評している[23]佐伯彰一は、「『鏡子の家』の合せ鏡が破れることを、つまり異質な要素の導入による衝撃をこそ、望まずにはいられない」とし[24]、「全部が作者の分身で、幾つかに分けてみた分身の間には、全くぶつかり合いが起らない」と述べている[25]江藤淳は、「外を映すつもりがあったかな。あれは三島さんのトリックだと思うんですよ。外を映すといって内部を映す」とやや留保した言い方をしている[25]村松剛は、「四人の人物を圧迫するような他者がいない」とし、「対立するような、ねじ伏せにくい人間」が登場しないため、破滅が「主要人物間の劇的葛藤を通じて起こるわけではない」と評している[26]

肯定的な評価としては、吉田健一が、『鏡子の家』の構成力の高さに、日本の私小説的な狭さを超克する可能性を見て高評し[27]澁澤龍彦は、生と自然を否定する精神の昂揚を賞讃し[28]、三島宛ての手紙で、「(この小説の本意を理解している)批評家が、日本には三人といないでしょう」と書き送っている[29]


注釈

  1. ^ 住まいの図書館出版局編集長。著書に『都市住宅クロニクル』(みすず書房、2007年)他。

出典

  1. ^ a b c 「『鏡子の家』そこで私が書いたもの」(「鏡子の家」広告用ちらし、1959年8月)。31巻 2003, p. 242に所収
  2. ^ a b c 「日記――裸体と衣裳」(新潮 1959年9月号)。「昭和34年6月29日(月)」の項。30巻 2003, pp. 236–240、論集II 2006, pp. 199–204に所収
  3. ^ a b c 「『鏡子の家』――わたしの好きなわたしの小説」(毎日新聞 1967年1月3日号)。34巻 2003, pp. 292–293に所収
  4. ^ 「焦土の異端児」(アルバム 1983, pp. 22–64)
  5. ^ a b c d e 「『鏡子の家』の不思議」(奥野 2000, pp. 357–369)
  6. ^ a b c d 井上隆史「『鏡子の家』底無しの虚無と戦後社会への違和感」(太陽 2010, p. 78)
  7. ^ a b 菅原 1982
  8. ^ a b c イカロス 1973
  9. ^ a b 西本 1988
  10. ^ 「ぼくはオブジェになりたい――ヒロインの名は言へない」(週刊公論 1959年12月1日号)。31巻 2003, pp. 294–300に所収
  11. ^ 藤井浩明「原作から主演・監督まで――プロデューサー藤井浩明氏を囲んで(聞き手:松本徹・佐藤秀明・井上隆史・山中剛史)」(研究2 2006, pp. 4–38)。「映画製作の現場から」として同時代 2011, pp. 209–262に所収
  12. ^ 井上隆史「作品目録――昭和33年」(42巻 2005, pp. 416–419)
  13. ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  14. ^ a b 井上隆史「鏡子の家」(事典 2000, pp. 87–91)
  15. ^ a b c 「第四章 時計と日本刀」(猪瀬 1999, pp. 321–449)
  16. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
  17. ^ a b c 「日記――裸体と衣裳」(新潮 1958年4月号-1959年9月号)。30巻 2003, pp. 77–240、論集II 2006, pp. 11–204に所収
  18. ^ a b c d e f g 「第四章 著名人の時代」(佐藤 2006, pp. 110–143)
  19. ^ a b c d e 「“現代にとりこむ”/野心作『鏡子の家』/三島氏に聞く」(毎日新聞 1959年9月29日号)。7巻 2001解題に所収
  20. ^ a b c 田中西二郎「解説」(鏡子・文庫 1999, pp. 565–572)
  21. ^ 川端康成宛ての書簡」(昭和34年12月18日付)。川端書簡 2000, pp. 142–143、38巻 2004, pp. 291–292に所収
  22. ^ a b 「第八回 時代と向き合う『鏡子の家』」(徹 2010, pp. 104–117)
  23. ^ 臼井吉見「評論に近い小説」(読売新聞 1959年9月23日号)。論集I 2001, p. 41
  24. ^ 佐伯彰一日本読書新聞 1959年10月19日号)。論集I 2001, p. 41
  25. ^ a b 佐伯彰一(山本健吉平野謙江藤淳臼井吉見との座談会)「1959年の文壇総決算」(文學界 1959年12月号)。事典 2000, p. 89、論集I 2001, p. 42、佐藤 2006, p. 106
  26. ^ a b 村松剛「三島由紀夫論」(文學界 1960年1月号)。事典 2000, p. 89、論集I 2001, p. 42
  27. ^ 吉田健一「戦後小説に終止符打つ」(北海道新聞 1959年10月7日号)。事典 2000, pp. 89
  28. ^ 澁澤龍彦「『鏡子の家』あるいは一つの中世」(三田文学 1960年1月号)。事典 2000, pp. 89
  29. ^ 『澁澤龍彦全集 別巻1』(河出書房新社、1995年)
  30. ^ 「第七章 世界破滅の思想――『金閣寺』と『鏡子の家』――」(野口 1968, pp. 165–192)
  31. ^ a b c 江藤淳「三島由紀夫の家」(群像 1961年6月号)。群像18 & 1990-09, pp. 110–117に所収。事典 2000, pp. 89
  32. ^ 澁澤龍彦と出口裕弘の対談「三島由紀夫――世紀末デカダンスの文学」(ユリイカ 1986年5月号)。澁澤 1986, pp. 198–263に所収
  33. ^ 「落魄のニューヨークで」(悼友 1973, pp. 98–113)
  34. ^ 「三島由紀夫」(サイデン 1964, pp. 193–212)
  35. ^ 「『鏡子の家』創作ノート」(7巻 2001, pp. 551-)
  36. ^ 井上隆史「『創作ノート』の楽しみ1 もう一つの『鏡子の家』」(11巻 2001月報)
  37. ^ a b 佐藤秀明「移りゆく時代の表現――『鏡子の家』論――」(論集I 2001, pp. 33–60)
  38. ^ a b c 橋川文三「若い世代と戦後精神」(東京新聞夕刊 1954年11月11日-13日号)。『日本浪漫派批判序説』(未来社、1960年2月)、橋川 1998, pp. 108–115に所収
  39. ^ a b 奥野健男「古典的心理小説の典型」(週刊読書人 1959年9月21日号)。奥野 2000, pp. 364–367、事典 2000, pp. 89
  40. ^ a b 「三島由紀夫の問題作(2)『鏡子の家』」(伊藤 2006, pp. 142–148)
  41. ^ a b 大島渚との対談「ファシストか革命家か」(映画芸術 1968年1月号)。39巻 2004, pp. 729–760に所収
  42. ^ a b c d e 中元さおり「古層に秘められた空間の記憶――『鏡子の家』における戦前と戦後」(研究11 2011, pp. 79–94)
  43. ^ a b 「三島由紀夫と『鏡子の家』秘話」(湯浅 1984, pp. 105–128)
  44. ^ 湯浅あつ子「公ちゃんの青春」(7巻 2001月報)
  45. ^ 「《九章》 おそらく最期の証言者――『鏡子の家』の女主人」(岩下 2016, pp. 261–346)
  46. ^ 「西洋館は国電歩いて3分」(藤森 1986, pp. 246–248)
  47. ^ 新規復元建造物「デ・ラランデ邸」の公開について (江戸東京たてもの園)” (PDF). 生活文化局 公益財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京たてもの園 (2013年3月7日). 2013年10月5日閲覧。






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