鉛筆 歴史

鉛筆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 15:18 UTC 版)

歴史

古代、文字はを動物の皮などにこすって記述した。のちに、細長いの合金(はんだ)を用い、外側に木軸を巻きつけた、現在の鉛筆の原型が作られた。これと同じ原理の銀筆などは、現在も美術家が使用している。やがて芯の部分が黒鉛に変わり、削って使うようになったことで現代の鉛筆の原型ができあがったと言える。

黒鉛を使った鉛筆が最初に記述に現れるのは、1565年に、スイスのドイツ系博物学者コンラート・ゲスナードイツ語: Conrad Gesner)の『とくに石と岩にふくまれる化石の形とイメージについて』である。ゲスナーが使用した鉛筆の本体は丸い筒状の木でできており、先端に黒鉛の小さな塊を詰めるものだった。黒鉛がなくなると新しいものを詰めた。本に記載するくらいには珍しかったようだが、記述によればゲスナー自身はしばらく前からこの道具を使っていた。野外で化石を記録する際、インクつぼの不要な鉛筆はゲスナーにとって大変に便利だった。

16世紀の終わりには、イギリスボローデール英語版カンバーランド黒鉛鉱が発見され、鉛筆が作られるようになった。ゲスナーのものも、芯はカンバーランド産黒鉛(英語: Borrowdale lead)である可能性が高い。1610年までには、ロンドンの市場で鉛筆は普通に売られていた。初期のものはゲスナーの使ったもののような、木や金属で作った軸の先に、黒鉛の塊を詰めるものだった。黒鉛を木で挟んだり、針金で巻いたようなものも存在した。

2枚の細長い木の板の間に、芯となる細長い黒鉛の棒を挟んで固定した、現代のように削って使用する鉛筆は、1616年までに発明された。

記録に残るこの種の鉛筆の最初の製造業者は、ドイツニュルンベルクに住むフリードリッヒ・ステッドラー(Friedrich Staedtler、のちのステッドラー社の創業者の先祖にあたる)で、1662年に町当局に鉛筆製造許可願いを出したが、町はこの仕事は指物師のものだとして却下した。しかし、1675年には、ステッドラーと同業者は、鉛筆製造業者のギルドを作ることを許されるようになっていた。

削って使う鉛筆は当初、芯は四角く軸は八角形だった。ただし、初期は指物師が鉛筆を作ったので、製造者によっては円形や六角形のものを作った者もいる。長さは6インチまたは7インチで、幅と厚さは1/3ないし1/2インチだった。現代のものと大差ない。

黒鉛はイギリス特産で、この時代、鉛筆はイギリス産のものが多く使われた。また、輸出産業を保護するため、しばしばイギリスは黒鉛を禁輸にし、完成品の鉛筆のみを輸出する政策をとった。イギリスの黒鉛鉱は19世紀までに掘り尽くされ、現在では中国ブラジルスリランカなどで地下から黒鉛を採掘している。初期の鉛筆は、末端部分の削ってしまうと持てなくなり捨てる部分には最初から芯を入れず、途中までしか芯は詰められなかった。この工夫は19世紀まで続いた。

鉛筆が普及し、黒鉛が不足すると、黒鉛を節約し、黒鉛くずも活用する方法が考えられた。最初の着想は1726年までにドイツで実現された。黒鉛くずと硫黄をまぜて溶かし、固めるというものだったが、筆記時に引っかかりが生じて滑らかな筆記性に欠け、のちにカルノー式鉛筆が登場するとすぐに消えた。

20世紀の終わりに、日本で伊達政宗の墓所・瑞鳳殿から鉛筆が発見された。これはゲスナーの使ったのとほぼ同じ構造だったが、芯は練って作ってあった。政宗の鉛筆は1636年までには製造されていたと考えられるため、練って作る芯の使用は少なくとも90年はさかのぼることになった。

1770年に、イギリスで消しゴムが発明された(それまでは古くなったパンが使われていた)。

1790年にオーストリアのen:Joseph Hardtmuthウィーンen:Koh-i-Noor Hardtmuth社を設立した[20]1793年にイギリスとフランスの間でフランス革命戦争が起きると、フランスに黒鉛と鉛筆が輸入できなくなった。戦争大臣のラザール・カルノー は、技師・発明家のニコラ=ジャック・コンテ英語版(Nicholas-Jacques Conté)に代替品の開発を命じた[21]1795年にコンテは、黒鉛と粘土を混ぜて焼いて作るという、現在と同じ仕組みの芯を開発した。コンテの開発した方法では、黒鉛を大幅に節約でき、また黒鉛くずも利用できた。さらに、粘土の量によって芯の硬さや書く文字の色の濃さも変化させることができるようになり、鉛筆は必要に応じて硬度別に生産されるようになった。またコンテは1798年にパリで催された世界初の国内博覧会で、黒芯の発明により賞を受賞した[22]1802年en:Koh-i-Noor Hardtmuth社は黒鉛と粘土から鉛筆の芯を製造する特許を取得した。1848年にKoh-i-Noor Hardtmuth社の工場はチェコに移転し、製造原価を低くすることに成功して大衆に鉛筆を普及させることになった。

1839年、ドイツのローター・ファーバードイツ語版はコンテの黒芯を用いて現在と同様の六角形の鉛筆を開発するとともに、鉛筆の長さや太さ、硬さの基準を設けた。彼はまた初めて会社名を鉛筆に刻印した。この功績からファーバーは男爵の爵位を授かり、王室顧問にも就任した。彼の会社は現在もファーバーカステルとして鉛筆をはじめとした筆記具を製造している。

アメリカのハイマン・リップマン(Hyman L. Lipman)は、1858年3月30日に消しゴムをニカワで鉛筆に固定させる消しゴムつき鉛筆を発明した。リップマンはこの特許をジョセフ・レケンドーファー(Joseph Reckendorfer)に10万ドルで売り莫大な富を築いた。ジョン・エバーハード・ファーバー英語版(John Eberhard Faber, 1861年ニューヨークエバーハード・ファーバー英語版社を創業)はこの特許の前に、金属片を押しつけて鉛筆に消しゴムをつける方式を考案し、別に特許をとった。この2者の間で特許紛争となったが、連邦最高裁は、消しゴムつき鉛筆自体に新規性が認められないとし、両方の特許を無効とする判決を下した。

鉛筆削りは19世紀の終わりに発明された。ポケットに入れられる小さなものが若干早く市場に出た。机に設置する大きなものは少し遅れて開発された。当初は、ハンドルを回すことによってヤスリが回転するという仕組みだった。

1870年代までは、鉛筆の芯は四角のままだった。また、19世紀中ごろまでは、鉛筆の形も八角形のものが主流で、外見は17世紀のイギリスのものからほとんど変化しなかった。ファーバーが基準を定めたのち、19世紀末までには、鉛筆の形は円、六角形または三角形になり、芯も丸くなった。八角形で芯が四角いものは、工程上芯が中央からずれる場合があり、その場合鉛筆削りではうまく削れなかったので次第に消えていった。三角形のものは製造工程の都合上安価にできず、あまり普及しなかった。

1889年パリ万国博覧会では、現代的な六角形で合成黒鉛の芯を使った安価な鉛筆として、木部にシダー(Cedar)を用いた『Koh-i-Noor Hardtmuth社製の黄色い鉛筆』が評判となり、その後の鉛筆の形状ができあがった。

日本の鉛筆の歴史

日本には、17世紀に製造された鉛筆として、徳川家康の鉛筆と伊達政宗の鉛筆が残っている。当時の鉛筆のつくりは現代のものとほぼ同じだった。しかしそのころは定着せず、本格的に輸入が始まるのは19世紀後半、明治時代になってからだった。明治初期の日本では鉛筆の需要は少なく、東京や横浜の輸入品専門店で少量が売られるのみだった。

日本での鉛筆製造は、1874年にウィーンで鉛筆製造技術を学んで戻った2名の政府伝修生の井口直樹と藤山種重によって製造法がもたらされ、同年に小池卯八郎によって始められたとされる。小池の製造は1890年までは続いたがその後は記録がない。このほかにも若干の製造者がいた。1875年に、大阪福島の耐火煉瓦製造会社「盛秀館」[23]の田中盛秀が郷里の鹿児島黒鉛の産地を発見し、当地に文具製作所を設立し、鉛筆製造を始めた[24]1875年石川県江沼郡富士写ケ岳片谷村(へぎだにむら)に良質の黒鉛が見つかり、旧大聖寺藩士の飛鳥井清らが旧士族の柿沢理平[注釈 1][25]に鉛筆の製造法を学ばせ、 1877年加賀市大聖寺松島町付近に加州松島社を設立し、翌1878年12月に試作品製造に成功、1882年には外国製に劣らない製品とされ、翌1883年アムステルダム万博に出品し第一級第一等賞を得ている[26]。現在まで続く製造業者は後述する真崎鉛筆製造所がもっとも古い。

このほか、安政年間に仙台の士族樋渡源吾が少量の鉛筆を生産し売ったという記録もある。

日本で最初の鉛筆の量産は、1887年に東京の新宿で、真崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)創業者・真崎仁六(まさき にろく)によって開始された[27]。なお、この会社は三菱財閥とは昔も今もまったく関係がなく、「三菱マーク」は真崎鉛筆が最初に商標登録をして使用し、後から三菱財閥が許可をとり使用した。日本では長く文書を毛筆で書くしきたりがあり、鉛筆の普及は遅れた。1885年に英語教育に関する書籍が相次ぎ発刊され、同年に大量の鉛筆がアメリカから輸入された。このころから学校では徐々に鉛筆が使われはじめるようになった。

1901年に、逓信省(のちの郵政省、現在の日本郵政グループ)が真崎鉛筆を採用した。郵便局内のみとはいえ、全国に鉛筆が供給されるようになった。この後、1920年までに小学校で毛筆から鉛筆への切り替えが順次行われ、一般生活に深く浸透するようになったと考えられている。

イギリスの次に鉛筆生産国になったのはドイツで、20世紀初期まで、主な鉛筆輸出国はドイツだった。しかし、第一次世界大戦が起きるとドイツ製鉛筆が入手できなくなり、1915年ごろからは日本製のものが世界で使われ、日本の主要輸出品の一つになった。ただし、日本製のものは両端にしか芯のないキセル鉛筆などの粗悪品が多く、国際的には評価が低かった。

第一次大戦が終わると粗悪品で信頼が落ちた日本製品の輸出は極端に低下したが、1930年代になるとまた増加し日米で鉛筆貿易摩擦が起きるほどになった[28]。しばらくはドイツと日本が主な鉛筆製造国だったが、第二次世界大戦の影響で、1940年代はどちらの国も輸出がほぼ止まった。輸出復活は戦後を待つことになる。

印刷つき鉛筆は、1949年に日本のトンボ鉛筆が最初に製造した。これ以前の印字は押しだった。精巧な曲面印刷技術を用いたものは、1951年までに、日本の伊藤意匠研究所(現在のいとう鉛筆意匠)創業者伊藤一喜と本多鉛筆印刷の本多信によって始められた。これにより、社名などを印字した贈答用鉛筆が多く作られるようになった。

戦後の鉛筆メーカーは、国内各地に中小企業が存在しており、1950年の東北地方だけでも青森県内1社、岩手県内2社、山形県内2社が存在していた。鉛筆の芯は、東京芯工業協同組合などが供給を行っていた[29]

1990年代半ば以降学齢人口の減少、シャープペンシルの利用増、ワープロパソコンの普及などが原因で鉛筆の需要は大きく落ち込んでいる。

雑貨統計によれば、日本の輸出量は1950年ごろが最大で188万グロス1997年は45万グロス、日本製鉛筆の生産高は1966年ごろが最大で962万グロス、1997年は367万グロスである。

1998年には、労働省(現在の厚生労働省)が「事務用品の買い控えによる生産量の減少」を理由として鉛筆製造業を「雇用調整助成金の指定業種」に指定した。

徳川家康の鉛筆

徳川家康の鉛筆は、現存する日本でもっとも古い鉛筆で、削る種類のものである。

鉛筆は、久能山東照宮で、硯箱に入った状態で発見された。硯箱は1664年に作られた宝物目録『具能山御道具之覚』に記載があるが、鉛筆の記載はない。硯箱に入っていたことから、家康のものとされる。

鉛筆は長さ11.7cm、芯の長さ6cm、先端は削ってあり、太さ0.7cm、重量6g。産地は日本国内ではなく、はっきりしない。黒鉛はメキシコ産に質が似ている。軸木は、中米かフィリピン産とされる。製品そのものは、ヨーロッパ製である可能性が高いと考えられている[30] [31]

伊達政宗の鉛筆

鉛筆は、政宗の墓地である瑞鳳殿の発掘調査団長・伊東信雄により発見された。政宗の鉛筆は、先端に黒鉛の塊を詰めるもので、原理的にはゲスナーの使用したものに近い。

政宗は1636年に死去し、副葬品の中から見つかったため、政宗の愛用品と考えられている。発掘は1974年に行われ、鉛筆は発掘品の中から1988年に発見された。

鉛筆は全長7.4cm、太さ0.4cm、芯は先に詰めてあり、芯の長さ1.3cm、最大直径0.43cm。キャップがついていた。キャップは木製で長さ3.0cm、直径0.6cm。鉛筆はさらに木筒に収められた状態で発見された[32]。軸の素材はササで、日本産かその近縁種。芯は何かで固めてあるが、当時ヨーロッパで使われたと考えられる硫黄やアンチモンは検出されなかった。黒鉛の産地は不明である。

輸入品の鉛筆を愛用した政宗が、配下のものに命じて自分の使いやすいものを作らせた可能性がある。

政宗の鉛筆は発掘後に極端に風化し、現在は原形を留めていない。しかし、完全に風化する前に複製品が作られ、仙台市博物館、日本文具資料館(東京都台東区柳橋)、三菱鉛筆に存在している[33]


注釈

  1. ^ 大聖寺下屋敷町の久法寺(きゅうほうじ)の墓石の法名は「制鉛院造筆日肇居士」。

出典

  1. ^ [研究社]『羅和辞典 (研究社)|羅和辞典』による。
  2. ^ "pencil" Online Etymology Dictionary 2019年12月1日閲覧
  3. ^ "pen" Online Etymology Dictionary 2019年12月1日閲覧
  4. ^ Liz Dube, The Copying Pencil: Composition, History, and Conservation Implications, The Book and Paper Group ANNUAL, Volume Seventeen 1998, The American Institute for Conservation of Historic and Artistic Works.
  5. ^ 仙石正. 鉛筆芯用炭素材料. 炭素, 3 (2), pp. 72-76. 炭素材料学会, 1953.
  6. ^ 意匠分類定義カード(B7) 特許庁
  7. ^ 意匠分類定義カード(F2) 特許庁
  8. ^ 日本産業標準調査会:データベース-廃止JIS規格リスト Z6605
  9. ^ JIS S 6006日本産業標準調査会経済産業省
  10. ^ 鉛筆, 鉛筆デッサン, 鉛筆を削る, 造形ファイル, 武蔵野美術大学, 2015年8月19日閲覧.
  11. ^ 夏目幸明「その01 鉛筆 三菱鉛筆」『ニッポン「もの物語」』講談社、2009年6月、14 -頁。ISBN 9784062153157 
  12. ^ えんぴつのナゾを解く|三菱鉛筆株式会社”. 2015年10月10日閲覧。
  13. ^ 山岸勝榮の日英語サロン : 鉛筆の芯の硬さとFの略号”. 2015年10月10日閲覧。
  14. ^ やじうまミニレビュー 三菱鉛筆「筆鉛筆」”. 家電Watch. インプレス (2010年11月11日). 2020年9月29日閲覧。
  15. ^ 世界最多となる硬度幅を実現! 10H〜10Bまでの全22硬度を揃えた鉛筆セット 『ハイユニ アートセット』10月1日(水)新発売』(プレスリリース)三菱鉛筆、2008年9月18日https://www.mpuni.co.jp/news/pressrelease/detail/20130326153526.html 
  16. ^ ステッドラー マルス ルモグラフ製図用高級鉛筆 世界一の全24硬度に”. 趣味文CLUB. エイ出版社 (2019年5月15日). 2021年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月29日閲覧。
  17. ^ a b c d 子どもに人気は「規格外の10B鉛筆」…文字が太く、見栄えがいい - 読売新聞 2023年3月10日閲覧。
  18. ^ a b c d 鉛筆は「2B」今どきの小学生、原因は筆圧の低下? - 朝日新聞 2023年3月10日閲覧。
  19. ^ a b 令和4年度大学入学者選抜に係る大学入学共通テスト受験上の注意” (pdf). 大学入試センター. p. 10 (2021年12月28日). 2022年2月27日閲覧。
  20. ^ Norman, Jeremy. “Invention of Modern Pencil Lead”. From Cave Paintings to the Internet. 2012年11月6日閲覧。
  21. ^ ヘンリー・ペトロフスキー 著、渡辺潤・岡田朋之 訳『鉛筆と人間』晶文社、1993年11月。ISBN 978-4-7949-6142-6 
  22. ^ 松田憲二『えんぴつのはなし』さ・え・ら書房〈人間の知恵 (3)〉、1981年4月、20頁。ISBN 978-4-378-03703-5 
  23. ^ 品川白煉瓦(株)『創業100年史』渋沢社史データベース
  24. ^ 田中盛秀黒鉛を発見して鉛筆製造を開始新聞集成明治編年史第二卷、林泉社、1936-1940
  25. ^ KAGA旅まちネット大聖寺 山ノ下寺院群・加賀市観光情報センター
  26. ^ “鉛筆国産、加賀・大聖寺が最初 三菱よりも早く”. 北國新聞. (2010年8月24日). オリジナルの2015年1月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150104090354/http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20100824401.htm 2014年12月30日閲覧。 
  27. ^ 『今日は何の日:話の365日』(四訂版)PHP研究所〈PHPハンドブックシリーズ〉、2006年11月。ISBN 978-4-569-65804-9 
  28. ^ 日本鉛筆工業協同組合100周年記念誌年表
  29. ^ 「地元に販路を開拓 鉛筆製造業」『日本経済新聞』昭和25年9月4日2面
  30. ^ 朝比奈貞一「日本現存最古の鉛筆 - 徳川家康がもらった品」『神奈川県立衛生短期大学紀要』第2巻、神奈川県立衛生短期大学、1970年、ISSN 03886042 
  31. ^ 樋口清美 著書 p.38 - 47
  32. ^ 内藤俊彦、西本洋二・村山斌夫・小井川百合子「伊達政宗の「鉛筆」調査報告 I〜V」『仙台市博物館調査研究報告』第9巻、仙台市博物館、1989年3月。 
  33. ^ 樋口清美 著書 p.55
  34. ^ サヨリ - ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑。2016年4月23日閲覧。
  35. ^ 日本で唯一のプロ鉛筆彫刻家ってなに? 鉛筆の芯を削って文字や模様を作るアートがすごすぎる - ねとらぼ





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