鈴木宗男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 19:52 UTC 版)
政策
- 憲法改正に賛成[39]。
- 同性婚に賛成[39]。
- 選択的夫婦別姓導入には「夫婦同姓は当たり前で、なんの議論の余地もない」として反対している[40]。
- TPPについては2012年の衆院選では「農業の問題だけではない。米国の狙いは金融、保険、医療など、新自由主義の考えだ。日本の歴史と文化を守る上で断固反対だ」と述べていた[41]。しかし、2016年の北海道第5区補欠選挙では賛成派の自民党候補を支援し、鈴木はTPPについて「交渉はまとまったのだから反対してどうします」「反対だけしていても、(農業の)生産性が上がらない。逆に農家がやっていける、中小企業がやっていける、薬剤師の方がやっていけるように、そういう形をとるのが現実的な政治ではないか」と述べ賛成に転じた[42]。2013年には旧日本維新の会について「TPP賛成で、北海道では絶対受け入れがたい」とも述べていた[43]が、2019年には同党の後継政党で同様にTPP賛成の立場をとる[44]日本維新の会に入党している。
- 北海道アイヌ協会との付き合いが深い。札幌アイヌ協会事務局次長の多原良子の娘の多原香里が2007年の第21回参議院議員通常選挙において北海道選挙区から、元職員の阿部千里が2017年の第48回衆議院議員総選挙の比例北海道ブロックから北海道の地域政党の新党大地(代表:鈴木宗男)の推薦及び公認を得て出馬している(いずれも落選)。
人物
人物像
- 名前の由来は、宮城県の郷土の英雄・伊達政宗から一字を取っている。なお、命名した父は宮城県栗原郡志波姫町(現:栗原市)の出身である[45]。
- 馬を売って大学の学費に充てた苦学生という話がある一方で、地元の素封家、豪農という話もある。東京に出ずに道内の大学に進学していれば、馬を売る必要はなかったと指摘する声もある[46]。
- 新人議員の頃から激情的傾向が強く、国会内でよく野次を飛ばしていた。そのため、鈴木は一時期、浜田幸一や松田九郎と共に「自民党の三大野次将軍」とも呼ばれていた。
- 特異なキャラから若手時代からテレビ出演も多く、朝生やサンデープロジェクトの常連出演者であった。
- 鈴木の選挙では、移動する車の窓を開け、そこから身を乗り出して座る「ハコ乗り」が北海道の選挙の名物ともなっている[要出典]。
- ジョギングを日課としており、海外出張先でも怠らないほど。2007年2月18日の東京マラソンにも抽選の結果、当選して一般ランナーとして出場し、59歳ながら4時間7分40秒で完走した。元気に回復した姿を他のがん患者たちに見てもらって勇気付けたい、という想いからである。完走の後、ランナー姿[47]のまま車で空港に直行し、その日の18時には北海道で行われた会合に参加した。2007年5月20日に、翌年の先進国首脳会議の開催地でもある北海道洞爺湖町で開催された「洞爺湖マラソン2007」の10kmの部に出場し、47分52秒で完走した。2008年2月17日には健康を心配する家族の反対を押し切って、再び東京マラソンにエントリーした。抽選に当選し出場することとなり、前年の記録を上回る3時間57分11秒で完走を果たし、政治家では東国原英夫を上回るタイムであった。2009年3月22日の東京マラソンでは3時間49分2秒で政治家では東国原に次ぐタイムで完走した。日頃のトレーニングにより、還暦ながら大変引き締まった身体をしている[要出典]。
- 保釈後、再当選してからは、テレビのバラエティー番組などのゲストに呼ばれている。ライブドア前社長、堀江貴文が逮捕された際には、かつて経験した拘置所内の生活についてインタビューされ、「手帳も携帯電話も全て没収されました。堀江さんのように、情報を扱う仕事に就いていた人にとっては、情報がシャットアウトされることが一番辛いでしょうね」「私は生まれが貧しかったので、あの頃に比べればここ(拘置所)はまだマシだと思って辛抱しました」などと、コメントしていた[要出典]。
- 国会での証人喚問の頃、「ムネオハウス」に掛けたパロディー音楽やおもしろフラッシュが、インターネット上で流行した。その後2004年5月に札幌で行われた「ムネオハウス」のクラブイベントに「MCムネオ」名義で出演した他、2006年2月23日に東京都渋谷区のクラブ「シムーン」で「100%ムネオナイト」なるイベントに招かれて(自分の主催ではない)、自らラップに挑戦した[要出典]。
- 「ムネオ先生」が4コマ漫画のキャラクターとなって連載される。2015年3月30日発売の『週刊大衆4月13日号』からスタート[48]。
- 漫画『勇午』の「洞爺湖サミット編」に、鈴木宗男をモデルにした「山田三根夫」という政治家が登場する。ロシアとの天然ガス事業に奔走する人情味にあふれた人物として、好意的に描写されている。
- かつては世襲議員を批判していたが、2012年12月16日実施の第46回衆議院議員総選挙に長女の鈴木貴子が立候補し、落選。2013年5月に石川知裕が議員辞職したことに伴い、惜敗率で2位であった貴子が繰り上がり当選した。自らの子供が世襲したことについては肯定するコメントをしている。
- 1998年のこと。鈴木は訃報を聞くまで、映画監督の黒澤明を知らなかった。それまで映画館に行ったこともなかった。秘書が黒澤の実績を説明すると、突然首相の小渕恵三に電話し(鈴木は当時小渕内閣の官房副長官を務めていた)「総理、黒澤監督は国民栄誉賞に値すると思います。ぜひ、ご検討ください」と進言した[要出典]。黒澤には後に国民栄誉賞が贈られている。
- かつては目下の人相手に高圧的な態度をとることで知られていた。電話でも「代議士の鈴木だ」「国会議員の――」としか名乗らず、国際交流基金に電話をかけた際、担当者として受けた皇族の高円宮憲仁親王(当時、同基金の嘱託職員として勤務)を受付係と勘違いして怒鳴りつけたが、「殿下だ」と判ると蒼ざめて、慌てて直接謝罪したいと申し出たものの丁重に拒否されてしまい、謝罪を受け付けてもらえなかった[49]。
交流関係
- 浜田幸一・松田九郎とは、非常に仲が良かった。松田の逝去に際しては、「よく7年間の闘病生活を頑張られたなと…松田先生らしい生き様だったと。『やじは演説の花』とよく言われますが、頭の良さ、勘の良さがありました」と語っている[50]。
- 伊吹文明とは、83年初当選同期で現在に至るまで公私に渡り親しい。若手時代は将来の目標を「伊吹総理の下での自民党幹事長」と公言していた。鈴木が勾留中、伊吹は東京拘置所に接見に訪れ、激励していた。第21回参議院議員通常選挙、道選挙区・大地新人の多原香里が民主党推薦候補ながら民主党の協力不十分で落選。鈴木は一時期、伊吹が幹事長就任した自民党との次期衆院選での選挙協力も視野に入れた。
- 片山虎之助とは、自民党で派閥をともにした仲である[51]。だが、2007年7月の参議院選挙では、自民党参院幹事長の片山と対決する民主党新人の姫井由美子の応援に駆けつけ、「岡山の虎を退治しに、北海道からクマが参りました」と演説した[51]。しかし、鈴木はその後、片山と同じ日本維新の会の参議院議員となった。2019年11月の「参議院議員鈴木宗男を叱咤激励する会」では、片山も出席し、挨拶を行っている[52]。
- 松岡利勝とは、酒席を共にして種々の相談をする等、文字通りの師弟関係にあったとされる。政界では「東に鈴木宗男、西に松岡利勝」と揶揄された時期もあった[要出典]。
- 歌手の松山千春は、同郷の後輩かつ足寄高校の後輩であり親友でもある。松山のコンサートに顔を出すことも多い[要出典]。
- 元秘書のジョン・ムウェテ・ムルアカは、秘書を辞めた後も親交があり、鈴木が出馬する選挙等の際には松山千春らと共に駆けつけ応援演説を行っている。また、ムルアカの長男の名前は、「ムネオ」と命名されている[53]。
- 高校の後輩である元プロ野球選手で西武の三井浩二投手が、現役時代に独自の変化球を先輩に敬意を表して「ムネオボール」と命名したが、その後名称変更(三井浩二#人物)。
- 2013年に実施された、第23回参議院議員通常選挙では、新党大地の比例代表候補者として、十数年の付き合いがあるという同姓同名の千葉県のNPO法人代表・鈴木宗男を名簿登載。公民権停止によって選挙運動のできない自身に代わって、「政策理念が一致している」同氏の出馬を勧めた。代表と誤認して投票する可能性についても「間違って投票してもらっても結構」としている。しかし、同候補者は党内でトップの62902票が入ったものの、議席獲得には至らず、落選した[54]。同姓同名の鈴木宗男の擁立を決めたのが公示前日で、名前入りの選挙カーとタスキを用意する時間がなかった。選挙後、鈴木は「タスキをかけておれば(同姓同名の鈴木候補は)あと10万票は上積みできた」と悔やんだという[55]。
- 無派閥時代が長かった鈴木が1993年に経世会(小渕派)に所属した訳を聞かれると「経世会には自分の世代が極端に少ないんだ。あとは(鈴木と当選同期の)額賀福志郎くらいで、これはどうにでもなる」と答え、鈴木は額賀を軽く見ていた[56]。しかし、1994年6月の首班指名で鈴木が党議に逆らって海部俊樹に投票して党内と派閥内で孤立した際、額賀は孤立した鈴木の擁護に回った。そのことで鈴木は額賀に恩義を感じ、一目を置くようになった。
- 2020年7月14日に開かれた、古巣の平成研究会(竹下派)の若手勉強会に講師として招かれた。その際、平成研から自民総裁候補を出すよう激励をした[57]。
- 「野中氏が白を黒と言えば、自分も黒」と公言したことがある[要出典]。
- 1996年の衆院選前、執行部への公認の橋渡し、資金援助、後援企業の紹介などでシンパを増やしつつ、大半を当選させた。その後に鈴木による派閥横断「ムネムネ会」を結成し、薄く広く全国から集めた政治献金を会員に配ることで政界での影響力を増大させた[要出典]。
- かつては反社との付き合いもあったとされ、元山口組直参の盛力健児も著書の中で、「北海道の元気な先生にはお世話になった」と述べている。
多数の質問主意書提出
- 多数の質問主意書を提出しており、その提出数は断トツである(2005年9月から2009年7月までの累計は1800通を超える)。外務省の不祥事を追及する内容が大半であるが、警察・検察に対する内容も多い。括弧内は当該会期で衆議院に提出された質問主意書の総数(撤回を含む)。
- 第163回国会 28通(/72)38.8%
- 第164回国会 227通(/382)59.4%
- 第165回国会 156通(/270)57.7%
- 第166回国会 309通(/481)64.2%
- 第167回国会 5通(/24)20.8%
- 第168回国会 213通(/397)53.6%
- 第169回国会 285通(/587)48.5%
- 第170回国会 183通(/380)48.2%
- 第171回国会 466通(/691)67.4%
- 第172回国会 22通(/22)100.0%
- 第173回国会 44通(/175) 25.1%
- 第174回国会 194通(/592) 32.8%
- 第175回国会 16通(/55)29.1%
- 2008年10月30日には、「麻生太郎内閣総理大臣の自宅を見に行こうとしたデモ隊の逮捕勾留に関する質問主意書」を提出し、警視庁によれば麻生邸見学ツアー主催者は事前に許可を得ていなかったとする答弁を引きだした[要出典]。
宗男詣で
- 北海道ではいまだに「宗男詣で」をしている建設業者が多い。また、次に挙げるものでは「口利き」をした(便宜を図った)とされている[要出典]。
- 1989年6月に国鉄再建法施行により廃止対象となった国鉄池北線を、第三セクターの北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線として存続させたが、2006年4月21日に廃止された。
- 1999年7月に行われたJR北海道宗谷本線多寄駅・駅前通りの延伸工事。
- 2006年2月に北海道縦貫自動車道(道央道)の未着工区間が、暫定2車線の新直轄方式で建設着工命令が出されたこと。
- 1995年(平成7年)に廃止された、陸上自衛隊第9普通科連隊の廃止に関わる工作等に、少なくとも鈴木の関与は間違いないとされている。特に名寄や留萌という北部や沿岸地域とは離れ、ほぼ内陸に所在して、さほど防衛としては重要とされておらず、2師団(甲)への増強の際に廃止となる予定であった、陸上自衛隊第25普通科連隊が廃止になると、地元である道東地方での影響が計り知れないとの判断で、関係先へ圧力をかけて、決まりかけていた廃止を撤回させたという話が、元9連隊所属隊員や25普連所属隊員の間での暗黙の了解事項である。
その他
- 1973年、金大中事件が発生。当時鈴木が秘書をしていた中川一郎が宇都宮徳馬とテレビの生番組で顔をあわせた際、金大中にシンパシーを持っていた宇都宮が中川に向かって「お前は韓国から金をもらっているだろう」と発言。これに怒った中川はコマーシャル中に宇都宮を追い掛け回し、鈴木も同調、さらには宇都宮の首をネクタイで絞めた[要出典]。
- 1991年10月、国交正常化の政府特使としてバルト三国を訪問したとき、杉原千畝の名誉を回復した。ただし、杉原千畝は大臣訓令に背いて懲戒解雇になった外交官であるため、日本の外務官僚とは衝突する形になった。この件をきっかけとして、モサドからイスラエルなどの機微に触れる情報が入ってくるようになった[58]。
- 2005年9月の衆院選で当選して以降、逮捕前まで深い関係にあった外務省との対決姿勢を鮮明にした(鈴木自身外交族でもあった)。国会では外務委員会で政府の対ロシア外交を失敗であると追及したり、外務省に矢継ぎ早に質問主意書を出して職員の不正を追及している。国会以外でもテレビ・雑誌などのメディアにも頻繁に登場し、外務省批判を繰り広げている。特に『週刊新潮』に5回にわたって連載された手記「『外務省の犯罪』を暴く!」では、現役の外務省キャリア職員のスキャンダルを実名で暴露した。
- 佐藤優同様、親イスラエルの姿勢を見せている。2009年のイスラエルによるガザ侵攻に際しては、3度にわたって質問主意書を提出した。ガザ地区を実効支配するハマースをテロ組織とする見解から、パレスチナへの1000万ドルの緊急人道支援は「我が国はテロ支援をし、テロに担する国であるというアピールをすることに等しく、我が国の国益を損なうことに繋がるのではないか」(2回目)と質問している。政府は麻生太郎首相の名で、ハマースを「テロリスト等一団体と認識している」こと、人道支援は「国際機関を通じて実施するものであり、御指摘は当たらない」とする回答を出した。「武力紛争が起きた原因はハマス側にあるとするイスラエル政府の右認識は、政府の認識と同じものか」(3回目)に対しては、「個別具体的原因を特定することは困難」と政府側は答弁した[59]。
- また、佐藤優のインタビューに答えるかたちで、「官房副長官在任当時、沖縄県名護市長選挙で与党推薦候補者に官房機密費から多額の資金支援を行った」と証言している[要出典]。
- 1994年、自民党と社会党が連立政権に合意した。その首班指名選挙直前、議運理事であった鈴木は、自民党代議士会で「村山富市の『いち』は市場の『市』ですから間違わないで下さい」「村山達雄さんもおられるので、村山富市とフルネームで書いてください」と自民党議員たちに投票における注意点を説明していたが、鈴木自身は直後の本会議で村山の対抗馬として北村属す新生党や公明党や民社党や日本新党など羽田内閣構成する連立与党が擁立した海部俊樹に投票し、造反した。1回目も「海部」、決選投票も「海部」と書き、造反したのは一人だけであり、役職停止処分となった[60]。
- 2001年に運行された北斗星まりも札幌~根室間運行の誘致に積極的に関与しており、本人も運行日にA個室ロイヤルに乗車し終着まで乗車している[要出典]。
- 2009年5月に『内閣として法曹資格を有していない者を「最高裁裁判官」に指名または任命しているのなら、それは適切か。法曹資格を有していない者が「最高裁裁判官」の任に就くことは、我が国の司法の水準向上、裁判の適正な執行等に鑑みて適切であるか』『かつて行政官の職責に就いていた者が「最高裁裁判官」の任に就くということは、「最高裁裁判官」の身分が行政官の天下り先となっているとも受け止められるのではないか』とする質問主意書を出し[61]、法曹資格を有していない者や行政官経験者が最高裁判所裁判官に就任することについて懐疑的な質問をした。なお、鈴木はかつて北海道開発庁長官時代の1997年9月に、法曹資格を持っておらず行政官である内閣法制局長官の経験がある大出峻郎の最高裁判所裁判官任命について、橋本内閣の一員として同意した過去がある[要出典]。
- 2009年9月4日のムネオ日記で鈴木が「昭和天皇が戦争責任を取って退位すべきであった(昭和天皇の戦争責任論)」と述べたことに、ジャーナリストの櫻井よしこが反論している[要出典]。
- 2010年1月16日、民主党大会の挨拶で、小沢一郎民主党幹事長における陸山会事件に対し「検察が正義と思ったら大間違いである。間違った権力とは断固戦っていこう」と語った(検察の不当行為については、2010年9月10日に一審で無罪判決が出た厚労省元局長の村木厚子も判決直後の会見でほぼ同様の批難をした)[62]。
- 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、木村三浩、郷原信郎、佐藤優、田原総一朗、平野貞夫、宮崎学らとともに参加した[63][64]。
- 2006年5月3日に空き巣の被害に会い、警視庁赤坂署が捜査したところ、1階応接室の窓ガラスが割られ、2、3階の部屋が物色されていた。夫人愛用の装飾品が数点盗まれた[要出典]。
- 国政復帰を果たした2019年の参議院選挙において、公示日前日の同年7月3日に北海道放送(HBCテレビ)の夕方ワイド番組『今日ドキッ!』において鈴木に密着する模様が放送された[65][66]。放送後、放送倫理・番組向上機構(BPO)はこの放送内容が放送倫理に違反するものと認定した[65][67][68]。
- 2022年5月28日、東京都内で開催された在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の第25回全体大会に来賓として参加し、「汗をかいてまわりたい、いくばくかのお役に立ちたい、そう決意するのであります」等と発言したことが報じられた[69][70][71][72]。また、過去には在日韓国人・朝鮮人への参政権付与に賛成の立場を示すような発言も行っている[73]。
ロシア連邦との関係
日露交渉・北方領土問題関連
日本の政治家の中でも特に、ロシアとの関係が深い親露派として有名である[74][75][76][77][78]。鈴木は外務政務次官や官房副長官などを歴任し、日露交渉や北方領土問題に関して長年にわたって取り組み、1995年には国会議員として初めて北方領土に渡航した[25]。以後、北方領土を20回以上訪れたという[25]。また、1992年から開始された北方領土のビザなし交流訪問団の実現は、鈴木の尽力によるものである[25]。
「沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらないと言ったのは佐藤栄作だが、なぜあの時、沖縄と北方領土の返還なくして日本の戦後は終わらないと言ってくれなかったのかと、涙した」と西村博之との対談で語っているように、鈴木がロシアと向き合っている原点には北方領土の問題がある[79]。
丸山穂高の武力による北方領土奪還発言関連
2019年5月11日、丸山穂高衆院議員が北方領土のビザなし交流の訪問団の一員として同行した際、訪問団の団長に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」などと詰め寄った問題が発生した[25]。
14日、鈴木は朝日新聞の取材に対し、「発言は許せない」と丸山を非難するとともに、「(北方領土の)元島民の平均年齢は84歳。人生限られた中で、どんな思いで島に足を踏み入れているか。涙が出る思いだ」などと述べた[25]。また、ロシア国内では有力政治家がこの問題に言及して、報道もされたとし、「日露関係に大きな影響を及ぼす」としたうえで、「政治家の究極の目的は世界平和。戦争による解決を持ち出す発想はあり得ない。(丸山は)国民に改めて謝罪し経緯を説明すべきだ」と語った[25]。
20日午後、駐日ロシア大使から電話で「(丸山の)あの発言は何なんでしょうか」と連絡があった際、鈴木は「政府の考えでもなければ、国民の思いでもなければ、丸山氏個人の全く政治家としての見識のない発言」と断じて、「どうぞ、大使。心配することはないし、取り扱う必要はございません」と答え、大使もこれに了したという[26]。
ロシアのウクライナ侵攻関連
2022年2月より始まったロシアのウクライナ侵攻を巡っては、「1月中旬からアメリカはロシアのウクライナ侵攻が今でも明日にもあると言ってきた。挑発していたのではないか」などとブログに記し、欧米の対応に疑問を投げかけた[80]。さらにウクライナ侵攻が始まった2日後の2月26日には、自身のブログで
3年前から誠意を持って話し合いをすればロシアが動くことはなかった。いわんや10月23日、自爆ドローンを飛ばしたことが緊張関係を増大させた。
一方的にロシアを批判する前に、民主主義、自由主義は約束を守るが基本である。
その約束を守らなかったのはどの国で、誰かを何故メディアは報じないのか。公正、公平を言葉にするなら事実関係を広く知らせることも重要ではないか。
と徹底したウクライナ批判、ロシア擁護論を展開した[81]。
これに対して、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使はTwitter上で、「Muneo Suzuki is a shame of Ishin-no-kai!(鈴木宗男は維新の会の恥だ!)」[82]「What a shame, disgusting!(なんと恥知らずな、 嫌悪を覚える!)」と投稿し不快感を示した[83]。一方、鈴木は2月28日の予算委員会では「今、ロシアの方が一般市民を1人でも犠牲にしてはいけないと慎重なんです。ウクライナは銃を置くべきです」と主張した[84]。
その後も、一貫して徹底したウクライナ批判、ロシア擁護論を展開し続け、取材などに答えて「ロシアは原発施設を攻撃していない」「病院や学校を攻撃したという報道はウクライナ側からだけの情報である」[85]「ロシア軍の侵攻の原因は、ゼレンスキー大統領が挑発である。挑発しなければ、こんなことになっていなかった」[86]「経済制裁の、プーチンの個人資産凍結は悪手だった」[86]「いくらロシアに経済制裁をしても戦争は終わらない、ロシアへの経済制裁を辞めるべきだ」[87]と述べた。
またウクライナに対し、「自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断」「物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべきだ」「国力からしてロシアと1対1の戦いでは、その差は明らかである。ここはゼレンスキー大統領の勇気ある決断を願ってやまない」などと述べた[88]。
2022年6月10日の衆院議員会館での講演で、日本の対露制裁について「国益にかなうか」「短絡的ではなかったか」と発言した[89]。同年6月16日にはブログで、ウクライナが戦闘を続けることで世界的な物価の上昇が起きているとして撤退を主張した。インターネット上では鈴木への批判が殺到し、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使からも抗議されている[90]。
2023年10月1日から5日の日程で、ロシアを訪問した。2022年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始して以来、日本の国会議員の訪露が明らかになるのは初めて。同月2日、ロシア外務省はアンドレイ・ルデンコ外務次官が鈴木と会談したと発表した[91]。鈴木はロシアに、北方領土元島民の墓参や漁業の安全操業を求めてきた[92]が日本維新の会の藤田文武幹事長は、党内ルールで定めた海外渡航の際の党への届出がなかったとして、鈴木の処分を検討する考えを示した[93][94]。3日、訪問先のモスクワで記者団に対し「こういう時こそ対話が必要だという思いでやってきた」と説明。維新への訪露の事前連絡については「秘書の手続きが遅れた」と弁明した[95]。また、ロシア国営通信社スプートニクに「特別軍事作戦が継続されているが、ロシアの勝利、ロシアがウクライナに対して屈することがない。」「ここは何の懸念もなく、100%確信を持って、私はロシアの未来、ロシアの明日を私は信じており、理解をしている」と話している様子が報道された[96]。
2023年10月6日、この無断渡航および訪露中の発言を受けて、日本維新の会は鈴木の除名処分を検討していた[97]が鈴木が離党届を出し受理され無所属となった[35]。
注釈
- ^ 新党大地との二重党籍
出典
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