鈴木宗男 政策

鈴木宗男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 19:52 UTC 版)

政策

人物

人物像

  • 名前の由来は、宮城県の郷土の英雄・伊達政宗から一字を取っている。なお、命名した父は宮城県栗原郡志波姫町(現:栗原市)の出身である[45]
  • 馬を売って大学の学費に充てた苦学生という話がある一方で、地元の素封家、豪農という話もある。東京に出ずに道内の大学に進学していれば、馬を売る必要はなかったと指摘する声もある[46]
  • 新人議員の頃から激情的傾向が強く、国会内でよく野次を飛ばしていた。そのため、鈴木は一時期、浜田幸一松田九郎と共に「自民党の三大野次将軍」とも呼ばれていた。
  • 特異なキャラから若手時代からテレビ出演も多く、朝生やサンデープロジェクトの常連出演者であった。
  • 鈴木の選挙では、移動する車の窓を開け、そこから身を乗り出して座る「ハコ乗り」が北海道の選挙の名物ともなっている[要出典]
  • ジョギングを日課としており、海外出張先でも怠らないほど。2007年2月18日の東京マラソンにも抽選の結果、当選して一般ランナーとして出場し、59歳ながら4時間7分40秒で完走した。元気に回復した姿を他のがん患者たちに見てもらって勇気付けたい、という想いからである。完走の後、ランナー姿[47]のまま車で空港に直行し、その日の18時には北海道で行われた会合に参加した。2007年5月20日に、翌年の先進国首脳会議の開催地でもある北海道洞爺湖町で開催された「洞爺湖マラソン2007」の10kmの部に出場し、47分52秒で完走した。2008年2月17日には健康を心配する家族の反対を押し切って、再び東京マラソンにエントリーした。抽選に当選し出場することとなり、前年の記録を上回る3時間57分11秒で完走を果たし、政治家では東国原英夫を上回るタイムであった。2009年3月22日の東京マラソンでは3時間49分2秒で政治家では東国原に次ぐタイムで完走した。日頃のトレーニングにより、還暦ながら大変引き締まった身体をしている[要出典]
  • 保釈後、再当選してからは、テレビのバラエティー番組などのゲストに呼ばれている。ライブドア前社長、堀江貴文が逮捕された際には、かつて経験した拘置所内の生活についてインタビューされ、「手帳も携帯電話も全て没収されました。堀江さんのように、情報を扱う仕事に就いていた人にとっては、情報がシャットアウトされることが一番辛いでしょうね」「私は生まれが貧しかったので、あの頃に比べればここ(拘置所)はまだマシだと思って辛抱しました」などと、コメントしていた[要出典]
  • 国会での証人喚問の頃、「ムネオハウス」に掛けたパロディー音楽おもしろフラッシュが、インターネット上で流行した。その後2004年5月に札幌で行われた「ムネオハウス」のクラブイベントに「MCムネオ」名義で出演した他、2006年2月23日に東京都渋谷区のクラブ「シムーン」で「100%ムネオナイト」なるイベントに招かれて(自分の主催ではない)、自らラップに挑戦した[要出典]
  • 「ムネオ先生」が4コマ漫画のキャラクターとなって連載される。2015年3月30日発売の『週刊大衆4月13日号』からスタート[48]
  • 漫画『勇午』の「洞爺湖サミット編」に、鈴木宗男をモデルにした「山田三根夫」という政治家が登場する。ロシアとの天然ガス事業に奔走する人情味にあふれた人物として、好意的に描写されている。
  • かつては世襲議員を批判していたが、2012年12月16日実施の第46回衆議院議員総選挙に長女の鈴木貴子が立候補し、落選。2013年5月に石川知裕が議員辞職したことに伴い、惜敗率で2位であった貴子が繰り上がり当選した。自らの子供が世襲したことについては肯定するコメントをしている。
  • 1998年のこと。鈴木は訃報を聞くまで、映画監督黒澤明を知らなかった。それまで映画館に行ったこともなかった。秘書が黒澤の実績を説明すると、突然首相小渕恵三に電話し(鈴木は当時小渕内閣官房副長官を務めていた)「総理、黒澤監督は国民栄誉賞に値すると思います。ぜひ、ご検討ください」と進言した[要出典]。黒澤には後に国民栄誉賞が贈られている。
  • かつては目下の人相手に高圧的な態度をとることで知られていた。電話でも「代議士の鈴木だ」「国会議員の――」としか名乗らず、国際交流基金に電話をかけた際、担当者として受けた皇族高円宮憲仁親王(当時、同基金の嘱託職員として勤務)を受付係と勘違いして怒鳴りつけたが、「殿下だ」と判ると蒼ざめて、慌てて直接謝罪したいと申し出たものの丁重に拒否されてしまい、謝罪を受け付けてもらえなかった[49]

交流関係

  • 浜田幸一松田九郎とは、非常に仲が良かった。松田の逝去に際しては、「よく7年間の闘病生活を頑張られたなと…松田先生らしい生き様だったと。『やじは演説の花』とよく言われますが、頭の良さ、勘の良さがありました」と語っている[50]
  • 伊吹文明とは、83年初当選同期で現在に至るまで公私に渡り親しい。若手時代は将来の目標を「伊吹総理の下での自民党幹事長」と公言していた。鈴木が勾留中、伊吹は東京拘置所に接見に訪れ、激励していた。第21回参議院議員通常選挙、道選挙区・大地新人の多原香里が民主党推薦候補ながら民主党の協力不十分で落選。鈴木は一時期、伊吹が幹事長就任した自民党との次期衆院選での選挙協力も視野に入れた。
  • 片山虎之助とは、自民党で派閥をともにした仲である[51]。だが、2007年7月の参議院選挙では、自民党参院幹事長の片山と対決する民主党新人の姫井由美子の応援に駆けつけ、「岡山の虎を退治しに、北海道からクマが参りました」と演説した[51]。しかし、鈴木はその後、片山と同じ日本維新の会の参議院議員となった。2019年11月の「参議院議員鈴木宗男を叱咤激励する会」では、片山も出席し、挨拶を行っている[52]
  • 松岡利勝とは、酒席を共にして種々の相談をする等、文字通りの師弟関係にあったとされる。政界では「東に鈴木宗男、西に松岡利勝」と揶揄された時期もあった[要出典]
  • 歌手の松山千春は、同郷の後輩かつ足寄高校の後輩であり親友でもある。松山のコンサートに顔を出すことも多い[要出典]
  • 元秘書のジョン・ムウェテ・ムルアカは、秘書を辞めた後も親交があり、鈴木が出馬する選挙等の際には松山千春らと共に駆けつけ応援演説を行っている。また、ムルアカの長男の名前は、「ムネオ」と命名されている[53]
  • 高校の後輩である元プロ野球選手西武三井浩二投手が、現役時代に独自の変化球を先輩に敬意を表して「ムネオボール」と命名したが、その後名称変更(三井浩二#人物)。
  • 2013年に実施された、第23回参議院議員通常選挙では、新党大地の比例代表候補者として、十数年の付き合いがあるという同姓同名千葉県のNPO法人代表・鈴木宗男を名簿登載。公民権停止によって選挙運動のできない自身に代わって、「政策理念が一致している」同氏の出馬を勧めた。代表と誤認して投票する可能性についても「間違って投票してもらっても結構」としている。しかし、同候補者は党内でトップの62902票が入ったものの、議席獲得には至らず、落選した[54]。同姓同名の鈴木宗男の擁立を決めたのが公示前日で、名前入りの選挙カーとタスキを用意する時間がなかった。選挙後、鈴木は「タスキをかけておれば(同姓同名の鈴木候補は)あと10万票は上積みできた」と悔やんだという[55]
  • 無派閥時代が長かった鈴木が1993年に経世会(小渕派)に所属した訳を聞かれると「経世会には自分の世代が極端に少ないんだ。あとは(鈴木と当選同期の)額賀福志郎くらいで、これはどうにでもなる」と答え、鈴木は額賀を軽く見ていた[56]。しかし、1994年6月の首班指名で鈴木が党議に逆らって海部俊樹に投票して党内と派閥内で孤立した際、額賀は孤立した鈴木の擁護に回った。そのことで鈴木は額賀に恩義を感じ、一目を置くようになった。
  • 2020年7月14日に開かれた、古巣の平成研究会(竹下派)の若手勉強会に講師として招かれた。その際、平成研から自民総裁候補を出すよう激励をした[57]
  • 「野中氏が白を黒と言えば、自分も黒」と公言したことがある[要出典]
  • 1996年の衆院選前、執行部への公認の橋渡し、資金援助、後援企業の紹介などでシンパを増やしつつ、大半を当選させた。その後に鈴木による派閥横断「ムネムネ会」を結成し、薄く広く全国から集めた政治献金を会員に配ることで政界での影響力を増大させた[要出典]
  • かつては反社との付き合いもあったとされ、元山口組直参の盛力健児も著書の中で、「北海道の元気な先生にはお世話になった」と述べている。

多数の質問主意書提出

宗男詣で

その他

  • 1973年金大中事件が発生。当時鈴木が秘書をしていた中川一郎宇都宮徳馬とテレビの生番組で顔をあわせた際、金大中にシンパシーを持っていた宇都宮が中川に向かって「お前は韓国から金をもらっているだろう」と発言。これに怒った中川はコマーシャル中に宇都宮を追い掛け回し、鈴木も同調、さらには宇都宮の首をネクタイで絞めた[要出典]
  • 1991年10月、国交正常化の政府特使としてバルト三国を訪問したとき、杉原千畝の名誉を回復した。ただし、杉原千畝は大臣訓令に背いて懲戒解雇になった外交官であるため、日本の外務官僚とは衝突する形になった。この件をきっかけとして、モサドからイスラエルなどの機微に触れる情報が入ってくるようになった[58]
  • 2005年9月の衆院選で当選して以降、逮捕前まで深い関係にあった外務省との対決姿勢を鮮明にした(鈴木自身外交族でもあった)。国会では外務委員会で政府の対ロシア外交を失敗であると追及したり、外務省に矢継ぎ早に質問主意書を出して職員の不正を追及している。国会以外でもテレビ・雑誌などのメディアにも頻繁に登場し、外務省批判を繰り広げている。特に『週刊新潮』に5回にわたって連載された手記「『外務省の犯罪』を暴く!」では、現役の外務省キャリア職員のスキャンダルを実名で暴露した。
  • 佐藤優同様、親イスラエルの姿勢を見せている。2009年のイスラエルによるガザ侵攻に際しては、3度にわたって質問主意書を提出した。ガザ地区実効支配するハマースをテロ組織とする見解から、パレスチナへの1000万ドルの緊急人道支援は「我が国はテロ支援をし、テロに担する国であるというアピールをすることに等しく、我が国の国益を損なうことに繋がるのではないか」(2回目)と質問している。政府は麻生太郎首相の名で、ハマースを「テロリスト等一団体と認識している」こと、人道支援は「国際機関を通じて実施するものであり、御指摘は当たらない」とする回答を出した。「武力紛争が起きた原因はハマス側にあるとするイスラエル政府の右認識は、政府の認識と同じものか」(3回目)に対しては、「個別具体的原因を特定することは困難」と政府側は答弁した[59]
  • また、佐藤優のインタビューに答えるかたちで、「官房副長官在任当時、沖縄県名護市長選挙で与党推薦候補者に官房機密費から多額の資金支援を行った」と証言している[要出典]
  • 1994年、自民党と社会党連立政権に合意した。その首班指名選挙直前、議運理事であった鈴木は、自民党代議士会で「村山富市の『いち』は市場の『市』ですから間違わないで下さい」「村山達雄さんもおられるので、村山富市とフルネームで書いてください」と自民党議員たちに投票における注意点を説明していたが、鈴木自身は直後の本会議で村山の対抗馬として北村属す新生党や公明党や民社党日本新党など羽田内閣構成する連立与党が擁立した海部俊樹に投票し、造反した。1回目も「海部」、決選投票も「海部」と書き、造反したのは一人だけであり、役職停止処分となった[60]
  • 2001年に運行された北斗星まりも札幌~根室間運行の誘致に積極的に関与しており、本人も運行日にA個室ロイヤルに乗車し終着まで乗車している[要出典]
  • 2009年5月に『内閣として法曹資格を有していない者を「最高裁裁判官」に指名または任命しているのなら、それは適切か。法曹資格を有していない者が「最高裁裁判官」の任に就くことは、我が国の司法の水準向上、裁判の適正な執行等に鑑みて適切であるか』『かつて行政官の職責に就いていた者が「最高裁裁判官」の任に就くということは、「最高裁裁判官」の身分が行政官の天下り先となっているとも受け止められるのではないか』とする質問主意書を出し[61]、法曹資格を有していない者や行政官経験者が最高裁判所裁判官に就任することについて懐疑的な質問をした。なお、鈴木はかつて北海道開発庁長官時代の1997年9月に、法曹資格を持っておらず行政官である内閣法制局長官の経験がある大出峻郎の最高裁判所裁判官任命について、橋本内閣の一員として同意した過去がある[要出典]
  • 2009年9月4日のムネオ日記で鈴木が「昭和天皇戦争責任を取って退位すべきであった(昭和天皇の戦争責任論)」と述べたことに、ジャーナリストの櫻井よしこが反論している[要出典]
  • 2010年1月16日、民主党大会の挨拶で、小沢一郎民主党幹事長における陸山会事件に対し「検察が正義と思ったら大間違いである。間違った権力とは断固戦っていこう」と語った(検察の不当行為については、2010年9月10日に一審で無罪判決が出た厚労省元局長の村木厚子も判決直後の会見でほぼ同様の批難をした)[62]
  • 2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理魚住昭大谷昭宏、岡田基志、木村三浩郷原信郎佐藤優田原総一朗平野貞夫宮崎学らとともに参加した[63][64]
  • 2006年5月3日に空き巣の被害に会い、警視庁赤坂署捜査したところ、1階応接室の窓ガラスが割られ、2、3階の部屋が物色されていた。夫人愛用の装飾品が数点盗まれた[要出典]
  • 国政復帰を果たした2019年の参議院選挙において、公示日前日の同年7月3日北海道放送(HBCテレビ)の夕方ワイド番組今日ドキッ!』において鈴木に密着する模様が放送された[65][66]。放送後、放送倫理・番組向上機構(BPO)はこの放送内容が放送倫理に違反するものと認定した[65][67][68]
  • 2022年5月28日、東京都内で開催された在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の第25回全体大会に来賓として参加し、「汗をかいてまわりたい、いくばくかのお役に立ちたい、そう決意するのであります」等と発言したことが報じられた[69][70][71][72]。また、過去には在日韓国人・朝鮮人への参政権付与に賛成の立場を示すような発言も行っている[73]

ロシア連邦との関係

日露交渉・北方領土問題関連

日本の政治家の中でも特に、ロシアとの関係が深い親露派として有名である[74][75][76][77][78]。鈴木は外務政務次官や官房副長官などを歴任し、日露交渉や北方領土問題に関して長年にわたって取り組み、1995年には国会議員として初めて北方領土に渡航した[25]。以後、北方領土を20回以上訪れたという[25]。また、1992年から開始された北方領土のビザなし交流訪問団の実現は、鈴木の尽力によるものである[25]

沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらないと言ったのは佐藤栄作だが、なぜあの時、沖縄と北方領土の返還なくして日本の戦後は終わらないと言ってくれなかったのかと、涙した」と西村博之との対談で語っているように、鈴木がロシアと向き合っている原点には北方領土の問題がある[79]

丸山穂高の武力による北方領土奪還発言関連

2019年5月11日、丸山穂高衆院議員が北方領土のビザなし交流の訪問団の一員として同行した際、訪問団の団長に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」などと詰め寄った問題が発生した[25]

14日、鈴木は朝日新聞の取材に対し、「発言は許せない」と丸山を非難するとともに、「(北方領土の)元島民の平均年齢は84歳。人生限られた中で、どんな思いで島に足を踏み入れているか。涙が出る思いだ」などと述べた[25]。また、ロシア国内では有力政治家がこの問題に言及して、報道もされたとし、「日露関係に大きな影響を及ぼす」としたうえで、「政治家の究極の目的は世界平和。戦争による解決を持ち出す発想はあり得ない。(丸山は)国民に改めて謝罪し経緯を説明すべきだ」と語った[25]

20日午後、駐日ロシア大使から電話で「(丸山の)あの発言は何なんでしょうか」と連絡があった際、鈴木は「政府の考えでもなければ、国民の思いでもなければ、丸山氏個人の全く政治家としての見識のない発言」と断じて、「どうぞ、大使。心配することはないし、取り扱う必要はございません」と答え、大使もこれに了したという[26]

ロシアのウクライナ侵攻関連

2022年2月より始まったロシアのウクライナ侵攻を巡っては、「1月中旬からアメリカはロシアのウクライナ侵攻が今でも明日にもあると言ってきた。挑発していたのではないか」などとブログに記し、欧米の対応に疑問を投げかけた[80]。さらにウクライナ侵攻が始まった2日後の2月26日には、自身のブログで

3年前から誠意を持って話し合いをすればロシアが動くことはなかった。いわんや10月23日、自爆ドローンを飛ばしたことが緊張関係を増大させた。

一方的にロシアを批判する前に、民主主義自由主義は約束を守るが基本である。

その約束を守らなかったのはどの国で、誰かを何故メディアは報じないのか。公正、公平を言葉にするなら事実関係を広く知らせることも重要ではないか。

と徹底したウクライナ批判、ロシア擁護論を展開した[81]

これに対して、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使はTwitter上で、「Muneo Suzuki is a shame of Ishin-no-kai!(鈴木宗男は維新の会の恥だ!)」[82]「What a shame, disgusting!(なんと恥知らずな、 嫌悪を覚える!)」と投稿し不快感を示した[83]。一方、鈴木は2月28日の予算委員会では「今、ロシアの方が一般市民を1人でも犠牲にしてはいけないと慎重なんです。ウクライナは銃を置くべきです」と主張した[84]

その後も、一貫して徹底したウクライナ批判、ロシア擁護論を展開し続け、取材などに答えて「ロシアは原発施設を攻撃していない」「病院や学校を攻撃したという報道はウクライナ側からだけの情報である」[85]ロシア軍の侵攻の原因は、ゼレンスキー大統領が挑発である。挑発しなければ、こんなことになっていなかった」[86]「経済制裁の、プーチンの個人資産凍結は悪手だった」[86]「いくらロシアに経済制裁をしても戦争は終わらない、ロシアへの経済制裁を辞めるべきだ」[87]と述べた。

またウクライナに対し、「自前で戦えないのなら潔く関係諸国に停戦の仲立ちをお願いするのが賢明な判断」「物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべきだ」「国力からしてロシアと1対1の戦いでは、その差は明らかである。ここはゼレンスキー大統領の勇気ある決断を願ってやまない」などと述べた[88]

2022年6月10日の衆院議員会館での講演で、日本の対露制裁について「国益にかなうか」「短絡的ではなかったか」と発言した[89]。同年6月16日にはブログで、ウクライナが戦闘を続けることで世界的な物価の上昇が起きているとして撤退を主張した。インターネット上では鈴木への批判が殺到し、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使からも抗議されている[90]

2023年10月1日から5日の日程で、ロシアを訪問した。2022年2月にロシアがウクライナ侵攻を開始して以来、日本の国会議員の訪露が明らかになるのは初めて。同月2日、ロシア外務省はアンドレイ・ルデンコロシア語版外務次官が鈴木と会談したと発表した[91]。鈴木はロシアに、北方領土元島民の墓参や漁業の安全操業を求めてきた[92]が日本維新の会の藤田文武幹事長は、党内ルールで定めた海外渡航の際の党への届出がなかったとして、鈴木の処分を検討する考えを示した[93][94]。3日、訪問先のモスクワで記者団に対し「こういう時こそ対話が必要だという思いでやってきた」と説明。維新への訪露の事前連絡については「秘書の手続きが遅れた」と弁明した[95]。また、ロシア国営通信社スプートニクに「特別軍事作戦が継続されているが、ロシアの勝利、ロシアがウクライナに対して屈することがない。」「ここは何の懸念もなく、100%確信を持って、私はロシアの未来、ロシアの明日を私は信じており、理解をしている」と話している様子が報道された[96]

2023年10月6日、この無断渡航および訪露中の発言を受けて、日本維新の会は鈴木の除名処分を検討していた[97]が鈴木が離党届を出し受理され無所属となった[35]


注釈

  1. ^ 新党大地との二重党籍

出典

  1. ^ 日本維新の会 (30 November 2021). 2021年11月30日(火) 日本維新の会 新役員による記者会見. 2023年8月2日閲覧
  2. ^ 鈴木宗男のプロフィール”. 鈴木宗男公式WEBSITE. 2023年8月2日閲覧。
  3. ^ “国会議員情報 鈴木 宗男(すずき むねお)”. 時事ドットコム (時事通信社). https://www.jiji.com/sp/giin?d=3f25c3b7e9b589386a969e437a8322d2&c=san 2023年8月2日閲覧。 
  4. ^ 鈴木 宗男”. 日本維新の会. 2023年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月10日閲覧。
  5. ^ “維新の会北海道総支部設立 代表は鈴木宗男氏”. 十勝毎日新聞電子版 (十勝毎日新聞社). (2020年3月30日). https://kachimai.jp/article/index.php?no=501677 2023年10月10日閲覧。 
  6. ^ a b c 『官報』第5404号9ページ「衆議院 議員退職」「衆議院 常任委員長退職」、2010年9月27日
  7. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2016年3月2日). “民主除籍の鈴木貴子衆院議員、「約束反故にしたのは民主党」と反発”. 産経ニュース. 2022年3月13日閲覧。
  8. ^ “鈴木貴子氏が初登院 新党大地、繰り上げ当選”. 北海道新聞. (2013年6月3日). オリジナルの2013年6月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130608015551/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/471011.html 2013年6月4日閲覧。 
  9. ^ a b c d e f g h i j k l 鈴木宗男公式WEBSITE”. 鈴木宗男のWEBSITE. 2022年3月13日閲覧。
  10. ^ 鈴木宗男 (2022年2月3日). “追悼・石原慎太郎先生”. Hanadaプラス. 2023年10月10日閲覧。
  11. ^ 「恩人を裏切るなら出世させる」そんな誘いに若きプーチンはどう応じたか 佐藤優「だから彼は独裁者になれた」”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) (2021年5月29日). 2023年3月15日閲覧。
  12. ^ 鈴木宗男の政策 北方領土問題を解決”. 鈴木宗男. 2023年3月15日閲覧。
  13. ^ 朝日新聞2009年9月19日記事、新川敏光京都大大学院教授の見解
  14. ^ 衆議院外務委員会2009年11月18日議事録
  15. ^ 鈴木宗男議員失職、収監へ 最高裁、実刑維持し上告棄却 共同通信 2010年9月8日閲覧
  16. ^ 鈴木宗男 外務委員長の職務停止”. MSN産経ニュース. 2023年10月7日閲覧。
  17. ^ 鈴木宗男議員が失職 最高裁、異議申し立て棄却
  18. ^ “宗男氏、6日に収監へ 「送り出す会」に200人” (日本語). 産経新聞. (2010年12月2日). オリジナルの2010年12月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101205020538/http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101202/stt1012022234011-n1.htm 2010年12月2日閲覧。 
  19. ^ 東京スポーツ 2011年1月6日付発行 1面参照
  20. ^ 鈴木宗男元議員を仮釈放 収監から1年 アーカイブ 2011年12月6日 - ウェイバックマシン 産経新聞 2011年12月6日
  21. ^ 公民権停止中、動けぬ宗男代表 出陣式でもあいさつなし”. 朝日新聞. 2023年10月11日閲覧。
  22. ^ 大地代表、選挙運動は不可=公民権停止で-衆院選公示【12衆院選】”. 時事通信. 2012年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月12日閲覧。
  23. ^ “新党大地、自民候補を支援 衆院北海道5区補選”. 日本経済新聞. (2016年1月9日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS09H2Y_Z00C16A1PE8000/ 2022年2月26日閲覧。 
  24. ^ 鈴木宗男氏が食道がん”. 日経新聞 (2019年5月23日). 2019年6月18日閲覧。
  25. ^ a b c d e f g 再三渡航の鈴木宗男氏「涙が出る思い」 丸山発言に憤り(朝日新聞、2019年5月14日)
  26. ^ a b 鈴木宗男氏に聞く 「戦争で」発言による問題点は?(テレ朝、[2019/05/24)
  27. ^ 大地の鈴木宗男氏 参院選に「維新」から出馬へ”. MBSニュース (2019年6月18日). 2019年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月18日閲覧。
  28. ^ “維新・鈴木宗男氏、9年ぶりに国政復帰へ”. 日本経済新聞. (2019年7月21日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47597770R20C19A7PP8000/ 2023年10月11日閲覧。 
  29. ^ “参院委員長らを選出”. 毎日新聞. (2022年8月4日). https://mainichi.jp/articles/20220804/ddm/005/010/098000c 2023年7月24日閲覧。 
  30. ^ “鈴木宗男氏「ネット選挙の怖さ感じる」 ガーシー容疑者逮捕”. 毎日新聞. (2023年6月4日). https://mainichi.jp/articles/20230604/k00/00m/010/129000c 2023年7月24日閲覧。 
  31. ^ a b c ““ロシアの勝利を100%確信”発言 鈴木宗男議員が切り取り主張 日本維新の会・幹部「利用されるような発言は…」”. 日本テレビニュース. (2023年10月6日). https://news.ntv.co.jp/category/politics/99766604a56c4e33a847465b6ae5a799 2023年10月7日閲覧。 
  32. ^ “維新、鈴木宗男氏を除名へ 無断で訪ロ、10日にも決定”. 時事ドットコム. (2023年10月6日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2023100600861 2023年10月6日閲覧。 
  33. ^ 訪ロの鈴木宗男参院議員「処分に反対も抵抗もしない」 札幌市で会見 - 朝日新聞デジタル 2023年10月8日
  34. ^ 鈴木宗男参院議員 日本維新の会が「除名処分」決定 - NHK NEWS WEB 2023年10月10日
  35. ^ a b 維新・鈴木宗男氏が離党届提出 - 産経ニュース 2023年10月10日
  36. ^ 維新鈴木宗男参院議員が離党 - 共同通信 2023年10月10日
  37. ^ “鈴木宗男氏が参院懲罰委員長を辞任 維新会派は退会”. 日本経済新聞. (2022年10月11日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA11ASG0R11C23A0000000/ 2023年10月12日閲覧。 
  38. ^ 参院3委員長が交代 沖北委は鈴木宗男産経ニュース 2020.9.16
  39. ^ a b 毎日新聞ボートマッチ えらぼーと 2019参院選” (jp). 毎日新聞ボートマッチ えらぼーと 2019参院選. 2019年9月21日閲覧。
  40. ^ 鈴木宗男 (2021年5月24日). “6月24日(木)”. ムネオ オフィシャルブログ. 2021年6月26日閲覧。
  41. ^ “大地 鈴木代表 日ロ関係が重要”. 日本経済新聞. (2012年12月1日). https://r.nikkei.com/article/DGXDZO49036780R01C12A2M10700?s=5 2019年11月10日閲覧。 
  42. ^ “北海道5区補選 与党支援に回った鈴木宗男代表の“言い分””. 日刊ゲンダイ. (2016年4月13日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/179268 2022年2月26日閲覧。 
  43. ^ 読売新聞 2013年4月14日
  44. ^ おおさか維新の会2016参院選マニフェスト” (PDF). おおさか維新の会. 2016年6月26日閲覧。
  45. ^ ムネオ日記2010年10月27日より
  46. ^ 加藤昭『鈴木宗男研究』 新潮社
  47. ^ アーカイブされたコピー”. 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年3月5日閲覧。
  48. ^ 『週刊大衆』&日刊大衆にて4コマ漫画「ムネオ先生が行く!」連載スタート!”. 日刊大衆 (2015年3月26日). 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月30日閲覧。
  49. ^ 週刊FLASH 2002年3月12日号 光文社
  50. ^ 「やじ将軍」松田九郎氏 逝く “盟友”宗男氏は・・・(15/02/11)
  51. ^ a b 宗男議員「姫の虎退治」お手伝い(2007年07月10日)
  52. ^ ムネオ日記(2019年11月19日)
  53. ^ 爆報!THE フライデー 『芸能人の田舎暮らしSP』 2016年8月26日(金)19:00~19:56
  54. ^ 『朝日新聞』 2013年7月22日
  55. ^ 『東京スポーツ』2013年7月27日 「“影武者”鈴木宗男氏が悔やんだ“タスキリレー”の失敗 2013年07月27日 11時00分
  56. ^ 1992年東京佐川急便事件で派内が小沢一郎羽田孜支持グループと小渕恵三支持グループに分裂した際、当時当選3回の議員であった熊谷弘二階俊博は小沢を支持し、額賀と野呂田芳成は小渕を支持した
  57. ^ “平成研から自民総裁候補を 鈴木宗男氏、古巣激励”. 日本経済新聞. (2020年7月14日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61500870U0A710C2000000/ 2021年1月17日閲覧。 
  58. ^ 鈴木宗男『政治の修羅場』文藝春秋、2012年6月。ISBN 4166608649 
  59. ^ パレスチナのガザ地区を実効支配しているハマスに対する政府の認識等に関する質問主意書 アーカイブ 2011年3月23日 - ウェイバックマシンパレスチナのガザ地区を実効支配しているハマスに対する政府の認識等に関する再質問主意書 アーカイブ 2011年3月23日 - ウェイバックマシンパレスチナのガザ地区を実効支配しているハマスに対する政府の認識等に関する第三回質問主意書 アーカイブ 2011年3月23日 - ウェイバックマシン
  60. ^ 鈴木宗男『政治の修羅場』文春新書、2012年、148-152頁。ISBN 978-4166608645 
  61. ^ 最高裁判所裁判官の指名等に関する質問主意書”. 2011年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月22日閲覧。
  62. ^ 宗男氏「検察が正義の人だと思ったら大間違い」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. 2010年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月17日閲覧。
  63. ^ フォーラム神保町=「『新選組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」〜1.18緊急シンポジウム開催〜=”. 2010年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月27日閲覧。
  64. ^ 青木理魚住昭大谷昭宏・岡田基志・木村三浩郷原信郎佐藤優・鈴木宗男・田原総一朗平野貞夫宮崎学File:01 国民不在の権力ゲーム』Infoseek 内憂外患編集部。 オリジナルの2010年1月20日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20100120072928/http://opinion.infoseek.co.jp/article/7212010年1月21日閲覧 
  65. ^ a b 北海道放送 『今日ドキッ!』参議院比例代表選挙の報道に関する意見” (PDF). 放送倫理・番組向上機構 (2020年4月8日). 2020年7月3日閲覧。
  66. ^ BPOが迷走 “鈴木宗男選挙報道”をやり玉に挙げる狙い”. デイリー新潮 (2019年9月24日). 2020年7月3日閲覧。
  67. ^ “北海道放送の宗男氏密着番組「選挙報道の公正害した」BPO判断”. 産経ニュース. (2020年4月8日). https://www.sankei.com/article/20200408-VCDPAR2DBFLE7AW6HG7FPE2UQI/ 2020年7月3日閲覧。 
  68. ^ “北海道放送に放送倫理違反 参院選前、特定候補を報道”. 日本経済新聞. (2020年4月9日). https://r.nikkei.com/article/DGXMZO57848280Z00C20A4CR0000?s=4 2020年7月3日閲覧。 
  69. ^ a b c 鈴木宗男議員が朝鮮総連の大会で「お役に立ちたい」…本人が語る「発言の真意」”. SmartFLASH. 2022年6月17日閲覧。
  70. ^ a b c 朝鮮総連「お役に立ちたい」発言の真意は?鈴木宗男氏に話を聞いてみると…”. SAKISIRU(サキシル). 2022年6月17日閲覧。
  71. ^ 総聯第25回全体大会/一日目【動画】”. 朝鮮新報. 2022年5月30日閲覧。
  72. ^ a b c d 「北朝鮮ともお友達?」鈴木宗男氏、朝鮮総連の全体大会での挨拶動画が物議”. SAKISIRU(サキシル). 2022年5月30日閲覧。
  73. ^ 在日本大韓民国婦人会中央本部創立60周年記念式典[リンク切れ]
  74. ^ “ロシア首相の択捉訪問懸念=北方領土交渉、さらに苦境も-日本政府”. 時事ドットコム. (2019年7月31日). https://web.archive.org/web/20190731021529/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019073001067&g=pol 2019年11月10日閲覧。 
  75. ^ 佐藤優. “「恩人を裏切るなら出世させる」そんな誘いに若きプーチンはどう応じたか 3/4ページ”. PRESIDENT Online. プレジデント社. 2021年6月2日閲覧。
  76. ^ 親露派の維新・鈴木宗男氏「今必要なのは対話」 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb. 2022年3月13日閲覧。
  77. ^ 鈴木宗男議員、実刑確定へ 近く失職・収監(写真=共同)”. 日本経済新聞 (2010年9月8日). 2022年3月13日閲覧。
  78. ^ 過去には汚職疑惑の報道も 鈴木宗男氏、ロシアびいき発言が物議 (2022年3月6日)”. エキサイトニュース. 2022年3月13日閲覧。
  79. ^ ReHacQ−リハック−【公式】【ひろゆきvs鈴木宗男②】ウクライナ侵攻で激論!鈴木宗男、衝撃の動機【注意してご覧ください。】”. 2023年8月20日閲覧。
  80. ^ “ロシア通の鈴木宗男氏「メディアが公正ではない」とウクライナ侵攻めぐる〝情報戦〟に疑問符”. 東スポweb. (2022年2月24日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/156079 2022年2月26日閲覧。 
  81. ^ 2月26日(土)”. ムネオ オフィシャルブログ (2022年2月26日). 2022年3月5日閲覧。
  82. ^ “維新・松井代表 駐日ウクライナ大使を怒らせた鈴木宗男氏は「すれ違いを指摘しただけ」と静観”. 東スポweb. (2022年2月28日). https://www.tokyo-sports.co.jp/social/4029755/ 2022年3月5日閲覧。 
  83. ^ Twitter”. セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使 (2022年2月27日). 2022年3月5日閲覧。
  84. ^ “維新・鈴木宗男氏 ウクライナ、ロシア両国の停戦協議に見解「時間はかからない」”. 東スポweb. (2022年2月28日). https://www.tokyo-sports.co.jp/social/4030076 2022年3月5日閲覧。 
  85. ^ 歴代総理が頼ったロシア通・鈴木宗男が語る 日本のメディアが伝えない「プーチンの素顔」「ゼレンスキーの怠慢」(田原 総一朗,鈴木 宗男) @gendai_biz”. 現代ビジネス. 2022年4月22日閲覧。
  86. ^ a b 「ゼレンスキー大統領が挑発しなければ、こんなことになっていなかった」日本一のロシア通・鈴木宗男の激白(現代ビジネス)”. archive.ph (2022年4月22日). 2022年4月22日閲覧。
  87. ^ 鈴木宗男氏「いくら制裁しても闘い終わらない」NATOに要望「武器供与より話し合いを」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース”. archive.ph (2022年4月8日). 2022年4月22日閲覧。
  88. ^ 鈴木宗男氏、ウクライナ側に「物価高で世界中が悲鳴を上げていることを考えるべき」「勇気ある決断を」(スポニチアネックス)”. archive.ph (2022年6月16日). 2022年6月16日閲覧。
  89. ^ 対ロシア制裁「短絡的」 政府対応を疑問視―維新・鈴木氏:時事ドットコム”. archive.ph (2022年6月16日). 2022年6月16日閲覧。
  90. ^ 鈴木宗男議員“物価高も考えて”とウクライナへ撤退呼びかけも批判殺到…駐日ウクライナ大使も抗議”. 女性自身. 2022年6月17日閲覧。
  91. ^ “鈴木宗男氏がモスクワ訪問か、ロシア外務省「外務次官と会談」「日本の対露制裁に遺憾の意を表明」”. 読売新聞. (2023年10月3日). https://www.yomiuri.co.jp/politics/20231003-OYT1T50088/ 2023年10月3日閲覧。 
  92. ^ “「突破口開き 懸け橋も維持してくれた」北方領土の元島民 鈴木宗男議員のロシア訪問を"評価"―日本維新の会は10日にも処分”. 北海道ニュースHUB. (2023年10月9日). https://www.uhb.jp/news/single.html?id=38224 2023年10月11日閲覧。 
  93. ^ “維新・鈴木宗男氏が訪ロ 吉村・大阪府知事「厳しく処分されるべき」”. 時事通信. (2023年10月3日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASRB34SX8RB3UTFK005.html 2023年10月3日閲覧。 
  94. ^ “維新、鈴木宗男氏の処分検討 侵攻後、国会議員として初訪ロ”. 時事通信. (2023年10月3日). https://www.jiji.com/amp/article?k=2023100300868 2023年10月3日閲覧。 
  95. ^ “こういう時こそ対話 維新への連絡「秘書が遅れた」―鈴木宗男氏”. 時事通信. (2023年10月3日). https://www.jiji.com/amp/article?k=2023100300999 2023年10月4日閲覧。 
  96. ^ 鈴木宗男氏「ロシアの勝利信じる」と現地で発言 国営通信が動画配信:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年10月6日). 2023年10月6日閲覧。
  97. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年10月6日). “<独自>鈴木宗男氏は「除名」 維新の党紀委が結論”. 産経ニュース. 2023年10月6日閲覧。
  98. ^ “ロシア首相の択捉訪問懸念=北方領土交渉、さらに苦境も-日本政府”. 時事ドットコム. (2019年7月31日). https://web.archive.org/web/20190731021529/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019073001067&g=pol 2023年10月6日閲覧。 
  99. ^ 佐藤優. “「恩人を裏切るなら出世させる」そんな誘いに若きプーチンはどう応じたか 3/4ページ”. PRESIDENT Online. プレジデント社. 2023年10月6日閲覧。
  100. ^ 親露派の維新・鈴木宗男氏「今必要なのは対話」 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb. 2023年10月6日閲覧。
  101. ^ 鈴木宗男議員、実刑確定へ 近く失職・収監(写真=共同)”. 日本経済新聞 (2010年9月8日). 2023年10月6日閲覧。
  102. ^ 過去には汚職疑惑の報道も 鈴木宗男氏、ロシアびいき発言が物議 (2022年3月6日)”. エキサイトニュース. 2023年10月6日閲覧。
  103. ^ a b 文藝春秋第80巻 p101,2002年
  104. ^ a b c 鈴木宗男が北朝鮮に祝辞スピーチ「お役に立ちたい」放言に「いったいどういうことか」大騒動勃発”. アサ芸プラス. 2023年10月6日閲覧。
  105. ^ 日本は「北朝鮮の金づる」になってはならない”. 東洋経済オンライン (2018年6月25日). 2023年10月6日閲覧。
  106. ^ 鈴木宗男議員が朝鮮総連の大会で「お役に立ちたい」…本人が語る「発言の真意」”. SmartFLASH. 2023年10月6日閲覧。
  107. ^ 喜八ログ 鈴木宗男・保坂展人トークライブ
  108. ^ 鈴木拓也「「若者は未来志向を」「貸した恩は忘れろ」29年ぶり訪韓のムネオ節」『朝日新聞デジタル』、2022年5月31日。2022年8月4日閲覧。
  109. ^ 所属議員のご紹介-会員






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木宗男」の関連用語

鈴木宗男のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木宗男のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鈴木宗男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS