金丸三郎 金丸三郎の概要

金丸三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 08:55 UTC 版)

金丸 三郎
かねまる さぶろう
生年月日 1914年2月8日
出生地 日本鹿児島県
没年月日 (2007-08-15) 2007年8月15日(93歳没)
死没地 日本 東京都
出身校 東京帝国大学法学部
前職 自治事務次官
所属政党 自由民主党
称号 勲一等瑞宝章
法学士(東京帝国大学)

内閣 竹下改造内閣
在任期間 1988年12月27日 - 1989年6月3日

選挙区 鹿児島地方区
当選回数 2回
在任期間 1977年7月29日 - 1989年7月28日

公選第6-8代 鹿児島県知事
当選回数 3回
在任期間 1967年4月30日 - 1977年2月3日
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金丸 三郎(かねまる さぶろう、1914年大正3年)2月8日 - 2007年平成19年)8月15日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官鹿児島県知事自由民主党参議院議員総務庁長官、参議院協会会長、財団法人井上育英会顧問を務めた。

位階従三位勲等勲一等瑞宝章学位法学士東京大学)。称号特定非営利活動法人日本居合道連盟名誉範士

来歴・人物

鹿児島県出水市出身[1]。鹿児島県立第一鹿児島中学校(のち鹿児島県立鶴丸高等学校)、第七高等学校造士館(のち鹿児島大学)を経て、東京帝国大学(のち東京大学法学部卒業後の1938年(昭和13年)、内務省入省(地方局配属[2])。長官官房長、税務局長、鹿児島県副知事を経て自治事務次官1967年(昭和42年)4月から鹿児島県知事1977年(昭和52年)3月に鎌田要人に交代するまで連続3期鹿児島県知事の任にあった。1973年(昭和48年)に始まった鹿児島県での「白黒論争」(鹿児島県の養豚の是非を問う論争で、当初は県庁内部の論争だったのが、瞬く間に県内全体に広がって農家・非農家の区別を超えて3、4年続いた)では、黒豚を残す決断をしている。

その後、国政に場を変え1977年(昭和52年)、鹿児島地方区から参院選に初当選。1989年(平成元年)に引退するまで当選2回。1988年(昭和63年)12月27日から1989年(平成元年)6月3日まで竹下改造内閣総務庁長官を務めた。

2007年(平成19年)8月15日、老衰のため死去。享年93歳。叙従三位

著書

  • 『實例判例挿入地方自治法講義』(鈴木俊一との共著(講述)) 1947年 東光出版社
  • 『新選挙制度論』 1966年 政経書院
  • 『美意延年』 1974年 南日本新聞出版印刷/刊行 春苑堂書店/発売
    • ほか多数

栄典

1989年(平成元年)- 勲一等瑞宝章受章[3]

脚注

  1. ^ MBCアーカイブ あの日のふるさと 2020年放送 戦後の鹿児島県知事②金丸三郎知事(紹介ページ)(南日本放送)2024年1月2日閲覧。
  2. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、324頁
  3. ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊
議会
先代
大河原太一郎
参議院地方行政委員長
1984年 - 1985年
次代
増岡康治
先代
斎藤十朗
参議院商工委員長
1980年 - 1981年
次代
降矢敬雄
公職
先代
高鳥修
総務庁長官
第6代:1988年 - 1989年
次代
池田行彦
先代
寺園勝志
鹿児島県知事
公選第6-8代:1967年 - 1977年
次代
鎌田要人
先代
奥野誠亮
自治事務次官
1963年 - 1966年
次代
柴田護




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