重要文化財 指定制度の沿革

重要文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 05:04 UTC 版)

指定制度の沿革

古器旧物保存方

古器旧物

日本における最初の文化財関連法令と見なされるのは1871年明治4年)の太政官布告古器旧物保存方」(こききゅうぶつほぞんかた)である。この布告に基づいて近畿地方を中心とした社寺等に提出させた「古器旧物」の目録を元に、翌1872年(明治5年)5月から10月にかけて日本初の文化財調査とされる壬申検査が実施された。ちなみに「壬申」は1872年(明治5年)の干支であり、「検査」は現代日本語の「調査」に相当する。この壬申検査には文部官僚の町田久成(東京国立博物館の初代館長)、蜷川式胤のほか、油絵画家の高橋由一、写真師の横山松三郎らが記録係として同行した。

宝物

1888年(明治21年)には宮内省に臨時全国宝物取調局が設置された。局長は後に国立博物館総長となる九鬼隆一であり、係官には近代日本美術史に大きな足跡を残した岡倉覚三(天心)やアーネスト・フェノロサも名を連ねていた。ここで言う「宝物」は文化財保護法における「美術工芸品」に相当し、有形文化財のうち建造物を除いたものである。

古社寺保存法

国宝(旧国宝)および特別保護建造物

こうした調査の結果をふまえ、1897年(明治30年)に古社寺保存法が制定され日本初の文化財指定が行われた。1897年(明治30年)12月28日付け官報に初の指定告示が掲載され国宝155件、特別保護建造物44件が指定された。古社寺保存法における国宝および特別保護建造物は、文化財保護法における「重要文化財」に相当する。古社寺保存法はその名のとおり社寺所有の建造物および宝物をその対象としており、同法による国宝および特別保護建造物の指定は保存修理等のために国庫から保存金を支出すべき物件のリスト化という意味合いが強かった。

国宝保存法

国宝(旧国宝)

その後1929年(昭和4年)、古社寺保存法に代わって「国宝保存法」が制定された。この法律では、来の古社寺保存法が社寺所有の物件だけを指定の対象としていたのに対し、国、地方自治体、法人、個人などの所有品も国宝の指定対象となった。また、特別保護建造物の名称を廃止して建造物についても国宝と称することになった。

この法律が制定された背景には、各地の城郭の荒廃や旧大名家の所蔵品の散逸などが懸念されたことがあった。国宝保存法に基づき、1930年(昭和5年)には東京の徳川家霊廟(個人の所有)、名古屋城名古屋市の所有)などが国宝に指定され、翌1931年(昭和6年)には東京美術学校(現・東京藝術大学)保管の絵画等(所有者は国)が国宝に指定された。国宝保存法による指定は、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)まで継続されたが翌1945年(昭和20年)から指定作業は一時中断し、終戦後は1949年(昭和24年)に2回(2月と5月)の指定が行われたのみである。

文化財保護法

重要文化財

1950年(昭和25年)、従来の「国宝保存法」、「史蹟名勝天然紀念物保存法」、重要美術品を認定した「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」を統合する形で「文化財保護法」が制定された。この法律制定のきっかけは、その前年に発生した法隆寺金堂の火災と壁画の損傷であったことは広く知られている。この法律の公布により、従来の「宝物」に代わって「文化財」「重要文化財」の語が初めて公式に使われるようになった。また、従来、法律による保護の対象となっていなかった無形文化財の選定制度が盛り込まれる[注釈 1]など、当時としては画期的な法律であった。

旧法の「国宝」から重要文化財へ

1897年(明治30年)から1949年(昭和24年)までの間に、古社寺保存法および国宝保存法に基づいて「国宝」に指定された物件は火災で焼失したもの等を除き、宝物類(美術工芸品)5,824件、建造物1,059件であった。これらの物件がいわゆる「旧国宝」であり、これらの物件すべては文化財保護法施行の日である1950年(昭和25年)8月29日をもって、同法に規定する「重要文化財」となった。そして、「重要文化財」のうちで日本文化史上特に貴重なものがあらためて「国宝」に指定されることになった。つまり、1950年(昭和25年)以前と以後とでは法律上の「国宝」という用語の意味が異なっており、旧法の「国宝」は文化財保護法上の「重要文化財」に相当する(文化財保護法付則第3条)。この点の混同を避けるため、文化財保護法上の「国宝」を「新国宝」と俗称することもある[6][7]。いずれにしても、第二次世界大戦以前には「国宝」であったものが戦後「重要文化財」に「格下げ」されたと解釈するのは誤りである。


注釈

  1. ^ 無形文化財の選定制度とは、文化財保護法制定時の無形文化財保護制度であり、無形文化財のうち特に価値の高いもので国が保護しなければ衰亡するおそれのあるものについて、文化財保護委員会が「助成の措置を講ずべき無形文化財」として選定したもの。この選定制度は、1954年(昭和29年)の文化財保護法改正で、重要無形文化財の指定制度および「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」の選択制度に移行した。
  2. ^ 正式の指定名称は「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」
  3. ^ 大学関係では同志社大学礼拝堂がもっとも早く1963年の指定である。
  4. ^ 他に「徳島藩御召鯨船千山丸(徳島城博物館蔵)」が歴史資料部門(大名が実際に利用していた和船で唯一現存する)で指定されている。
  5. ^ 第二次大戦終戦以前に指定された民間所有の建造物としては、他に奈良県の今西家書院(1937年指定)があるが、文化庁の分類では「民家」の範疇には入らない。

出典

  1. ^ 参照:文化庁公式サイト、PDFファイル:「国立文化財機構 概要 平成19年度」など
  2. ^ 修理現場から文化力”. 文化庁. 2023年11月23日閲覧。
  3. ^ 昭和26年文化財保護委員会告示第2号
  4. ^ “円満院の重文建物、宗教法人が約10億円で落札…文化庁困惑”. 読売新聞. (2009年5月31日). オリジナルの2009年6月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090601074238/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090531-OYT1T00072.htm 
  5. ^ “大津の古刹、円満院の重文建物が10億円で落札”. 産経新聞. (2009年6月1日). オリジナルの2010年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100302230517/http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090601/trl0906011137004-n1.htm 
  6. ^ 松山巖「国宝という物語」『国宝』(とんぼの本、改訂増補)、新潮社、2005、p.207
  7. ^ 『日本大百科全書』第9巻、小学館、p.208(「国宝」の項)
  8. ^ a b 文化財指定等の件数 文化庁
  9. ^ 国宝・重要文化財 都道府県別指定件数一覧
  10. ^ 盗難を含む所在不明に関する情報提供について~取り戻そう!みんなの文化財~”. 文化庁 (2023年4月7日). 2023年4月26日閲覧。
  11. ^ 所在不明文化財(国指定)の内訳 文化庁 2023年4月7日
  12. ^ 所在不明になっている国指定文化財(美術工芸品)”. 文化庁 (2023年4月7日). 2023年4月26日閲覧。
  13. ^ 建造物の分類別指定件数については『月刊文化財』495号、第一法規、2004、p8及び『月刊文化財』502号、第一法規、2005、p8、を参照。
  14. ^ 宮内庁三の丸尚蔵館の今後の保存・公開の在り方に関する提言 第4回 宮内庁
  15. ^ 蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  16. ^ 春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  17. ^ 唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  18. ^ 動植綵絵(どうしょくさいえ)収蔵作品詳細 宮内庁三の丸尚蔵館
  19. ^ 蒙古襲来絵詞など国宝に 宮内庁保管で初―文化審議会 時事通信 2021年7月16日
  20. ^ 令和3年9月30日文部科学省告示第161・162号。
  21. ^ 皇居内の三の丸尚蔵館、収蔵品管理を宮内庁から文化庁へ移管 朝日新聞 2022年8月23日
  22. ^ 文化審議会答申 (国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定等)Ⅱ.解説1.国宝(美術工芸品)の指定 文化庁






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