郡
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- ^ 昭和42年(1967年)12月、藤原京の北面外濠から「己亥年十月上捄国阿波評松里□」(己亥年は西暦699年)と書かれた木簡が掘り出された。これにより、それまでの郡評論争に決着が付けられたとともに、改新の詔の文書は『日本書紀』を編纂した奈良時代に書き替えられたことが明白になった。「藤原京出土の木簡が、郡評論争を決着させる」木下正史著『藤原京』中央公論新社 2003年 64ページ
- ^ 後北条領国における郡代支配から支城制への変遷については池上裕子「後北条氏の公事について」『戦国時代社会構造の研究』1983、これに対して戦国大名領国の多様性からの検討は黒田基樹『戦国大名北条氏の領国支配』1995
- ^ 市が町村となることもできるが(地方自治法第8条3項)、再度郡に属させる必要はない。また、市制を施行した市が町村となった例は2016年現在ない。
- ^ 昭和時代の市町村合併でも、福島県いわき市や千葉県市原市のように、明治時代の郡に相当する行政区域になった例はあるが、その数は多くない。いわき市は旧久之浜町・大久村を除いて旧石城郡の区域、市原市は全域が旧市原郡の区域である。
- ^ テレビの「地震速報」のテロップにも、郡名(たとえば、「勢多郡」「佐波郡」)のあとに「東村」と表記されていた。
- ^ 石狩振興局
- ^ a b c d e f 渡島総合振興局
- ^ a b c d e 檜山振興局
- ^ a b c d e f g h i 後志総合振興局
- ^ a b c d 胆振総合振興局
- ^ a b c d 空知総合振興局
- ^ a b c d e f 上川総合振興局
- ^ a b c d 留萌振興局
- ^ a b c d e 宗谷総合振興局
- ^ a b c d オホーツク総合振興局
- ^ a b c d e f 日高振興局
- ^ a b c d e f g 十勝総合振興局
- ^ a b c d e 釧路総合振興局
- ^ a b c d e f g h 根室振興局
- ^ 『隋書』地理志上「高祖受終、惟新朝政。開皇三年、遂廃諸郡。」
- ^ 京畿道果川市は面からの昇格。京畿道安山市、城南市は面同士の合併。
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