適者生存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 07:52 UTC 版)
概要
もともと社会進化論の提唱者である哲学者のハーバート・スペンサーが1864年に『Principles of Biology』で発案した造語・概念であり、当時から広く知られ様々な人に影響を与えた。 この考え方を知ったチャールズ・ダーウィンは『種の起源』の第5版(1869年)で採り入れた[1][※ 1]。 ダーウィンの進化論においては、個々に"struggle for existence"[※ 2]に努める生物の個体のうち、最も環境に適した形質をもつ個体が生存の機会を保障される、と表現された。
その後、支持者によって「生物に変化をもたらすメカニズムを的確に表現する」と見なされ、普及した。ただし比喩的表現であって科学的な用語ではなく、生物学でこのメカニズムに対して用いられる語は「自然選択」である。
種内のある個体の遺伝しうる形質が最も環境に適しているなら、その個体より増えた子孫は、その種の中で、より増え広がる確率が高くなる。結果的に現在生存している種は、環境に適応し増え広がることの出来た「最適者」の子孫ということになる。
時に「適者=強者」と解されたり、中国の韓愈の言葉である「弱肉強食」と言い換えられることもあるが、環境にもっとも適応した結果の適者という理論のため、「強い・弱い」といった価値尺度は意味がないことになる。捕食者が「強」で被捕食者が「弱」であるという解釈も成り立たない[※ 3]。この種の議論は古代ギリシャの著述家プラトンの手による『ゴルギアス』中のカリクレスの有名な弱肉強食説に対するソクラテスの反論などに見える。つまるところ、「弱肉強食」を「自然の掟」と見なすような素朴な自然観は、そもそもダーウィンの学説を持ち出す必要すらない。ダーウィンはスペンサーの考察力を評価しつつ、「彼が自然の観察により注意を払ってくれたなら」という趣旨のことを書簡で書いている[2]。
「適者生存」における「適者」とは、この造語の発明者であるスペンサーにおいては個体の生存闘争の結果であるのに対し、ダーウィンの自然選択説では個体それぞれに生まれつき定められている適応力に重点が置かれる。これは、進歩的社会思想と進化論を同一次元で考えたスペンサーが進化の原動力を個人の意識的な努力に求めたがったのに対し、ダーウィンの自然選択説は本質的に決定論的であり[※ 4]、個体それぞれの生存闘争は確率論的な地平に取り込まれるべき理論であることを意味する。[2]
小泉首相の発言[3]やテレビCMなどでダーウィンのものであるとして「強い者が生き延びたのではない。変化に適応したものが生き延びたのだ。」という言葉が流布されるようになったが、これはダーウィンの言葉ではないとされている[4]。
注釈
- ^ ダーウィンは自然選択(自然淘汰、natural selection)と言う語が創造主(選択者)を連想させると考えた。
- ^ 「生存競争」や「生存闘争」と訳される事が通例だが、正確に訳せば「存在し続けるための努力」
- ^ サバンナに住む肉食動物の俊足は草食動物を捕食するための武器であるが、同時に草食動物の俊足や警戒心は肉食動物を餓死させる(そして自ら生き延び、子孫を残す)ための武器である。現生の生物は環境への適応度という点について、みな等価であると言える。
- ^ ただし、この自然選択説を近代科学たらしめているこの規定が、すなわち生命現象全体に内在する非機械論的な本質の可能性を即時に否定してしまうわけではない。
出典
- ^ Darwin, Charles (1869), On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life (5th ed.), London: John Murray, p. 72
- ^ a b 参照文献 朝日選書『チャールズ・ダーウィン 生涯・学説・その影響』ピーター・ボウラー著/ 第九章「ダーウィニズムに反対した人々」
- ^ 第百五十三回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説(平成13年9月27日)
- ^ Darwin Correspondence Project (Cambridge University)
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