道教 養生術

道教

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養生術

養生術に対する関心は戦国時代から存在し、『荘子』において呼吸術や導引の術(身体の屈伸運動)に対する言及が見られる[63]。また、『漢書』芸文志の方技略の「神僊」には10冊の書名が記録されており、いずれも現代には伝わらないが、内容は推測可能であり、以下の例がある[18]

  • 「歩引」 - 呼吸法などを含めた体の屈伸運動・柔軟体操で、長生法の一つ。
  • 按摩」 - マッサージによる健康法。
  • 「芝菌」 - 神仙が食べたというキノコのこと。
  • 「黄治」は - 錬丹術のこと。黄帝や伏羲など神話的人物の技とみなされる。

また、『漢書』方技略には他に「医経」(医学の基礎理論である経絡や陰陽、針灸などの技法)、「経方」(本草薬学)、「房中」(性交の技)があり、健康や長寿を目的としたこれらの技法も道教と密接な関係を持った[18]。ほか、道教の修行法として重要なものとして辟穀(五穀を食べないこと)、胎息(宇宙の元気を身体に取り入れて全身に巡らせる特殊な呼吸法)、存思(瞑想のうちに神々を思い描く観想法)などが知られている[1]

養生術においては「気」が大きな役割をもち、『老子』においては純粋な「気」を保ち、この上なき柔軟性を持ち続けることによって、嬰児のような生命力を維持できるとされる[63]。道教においては、気を保つ方法の一つとして「服気」と呼ばれる呼吸法が重視された[64]。こうした養生術は、医学・薬学ともかかわりを持ちながら、「気」を基盤に置く身体鍛錬の方法として、徐々に道教の中に取り込まれていった[64]

胎息

胎息とは、道教独自の呼吸法のことで、胎児が母親の体内にあるときには口や鼻では呼吸を行わないことから連想された[65]。その方法は、口や鼻からの息の出し入れを、その音も聞こえず、また自覚もできないほどにきわめて微弱にし、吸い込んだ息を呼吸器から消化管に通し、できるだけ長時間体内に留めておき、その後に口から吐き出す[65]。道教においては、人間に肉体は気からできており、気が消滅すると人間は死亡すると考えられておいたため、体内の気を保持充足させる必要が生まれた。胎息は、道教の呼吸法の中では高度なものとされ、これが修行の目標とされる場合もある[65]

気が重視されたことから、気を体内に巡らせることも重要視され、これは「行気」と呼ばれた[66]。行気の実践法の基本事項は、呼吸において生命力に満ちた清らかな「気」を吸入すること、より多く吸い込みより少なく吐き出すこと、体内の気海(下丹田)に気を充満させること、気を吸入した後に気管を閉ざし気を体内に巡らせることなどである[67]

導引

導引とは、気との一体化を目指して長生きするために行う一種の柔軟体操で、健康維持・治病などにも役立てようとするものである[68]。導引の歴史は古く、馬王堆帛書の「導引図」には数十人の男女の様々な」動作が描かれ、確認されるものだけで44の導引の型がある[69]。導引は秦漢時代から普及し、後漢末から三国初期に「五禽戯」(虎・鹿・熊・猨・鳥)という五種類のパターンに体系化された[70]。たとえば「虎」のポーズでは、まず身体をかがめて両手を地面につけ、頭をあげて両目は前方を見る。左手をあげ、右足をあげて重心を前に移し、前へ歩きはじめ、左手と右足が落地すると同時に、右手と左足を前に出して歩く。このようにして前に三歩進み、後ろに三歩戻って、左腕と右太ももを曲げ、身体を左側へごろんと一回転させてから、両手両足を着けて元の姿勢に戻る[68]

導引は医療・神仙術・道教儀礼などさまざまな場面に取り入れられ、現代は気功としてよく知られている[70]

医薬

中国最古の薬物書に後漢初期に成書したとされる『神農本草経』があり、365種類の漢方薬が記されて、上品(養命の薬)・中品(養性の薬)・下品(治病の薬)の三つの分類がある[71]。以後、梁の道士の陶弘景によって『神農本草経集注』が作られるなど、特に道士によって本草学の研究が進んだ[71]

鍼灸

鍼灸は中国においては古くから行われており、殷代にまで遡るとされるが、その実質的な誕生は後漢の頃であり、道教との接触が認められる。たとえば『太平経』には鍼灸に関する記述が含まれている[72]。のち、隋の『諸病源候論』には不老長生の薬を体内で生育する場所としての「丹田」の学説が説かれているが、これには『難経』以来の鍼灸医学が反映されている[72]

房中術

道教において、性交は自己と自己以外の気の結合(合気)で、宇宙と身体の相関システムの調和のために必要なものであると考えられたため、房中術が発展した[73]。これは集団的乱交、婚姻による夫との関係、人間と神との想像上の結合といったさまざまな形式で現れるが、いずれにしても、性実践は道教の核心部に位置するものであった[74]。性の力は生命の表現であり、男性には創生、女性には変化という役割が与えられて、その気の運動によって「一気」を得て、道に近づくことができると考えられた[75]

房中術に関する記載は『抱朴子』や『太平経』といった初期の経典にも見えるほか、たとえば天師道においては性生活は宗教生活の一部に取り入れられ、「過度」や「合気」といった性の儀式が行われた[73]。「過度」は、通過儀礼の意とする説と、救済の意とする説がある[76]。この儀式には十歳以上の一組の男女の弟子が参加し、地域の祭酒(師)の教会において以下のような手順で行われた(『上清黄書過度儀』による)[76]

  1. 師と男女は静室に入り、師は彼らを東に向かわせる。男は左に、女は右にいて、互いに手を交差し、存思して神を思い浮かべる[76]
  2. 師は男女のために告神して救済を請い、弟子たちは合掌して念呪し、死籍から取り除くように唱えた後、師に従って四方の神々に乞い、三気・十神を存思し、六十神に祝告し、太陽・月などの五神を存思する[76]
  3. 「合気」に入る。八生(男女が定められた方位に立って、龍虎戯・転関・龍虎交といった性行為を始める)、解結食(衣服を説き、髪を結び、生気を食す)、甲乙呪法(性行為を行いながら男女が定められた呪文を唱える)、王気(四時五方と対応する五臓の気のなかで、四時それぞれに王となる気を存思する)といった手続きがある[76]
  4. 神々に功徳を報告する。嬰児回(嬰児が戯れるのを模倣する)、断死(男女が相手を見つめながら全身を撫で、呪文を唱える)、謝生(十二尊に向かって生を賜ったことを感謝する)といった儀式がある[76]

これらの儀式は合同で行われることもあり[73]、遊女通いをする道士も多く、道観が身分の低い女性や遊女の受け入れ先となる場合もあった[77]。こうした状況は仏教などから批判されることもあり、寇謙之によって気の合一の禁止が唱えられたことがあったほか、宗派によっては房中術に対して曖昧な態度をとることもあった[78]。たとえば、『真誥』においては房中術にさほど意義を認めない箇所もあれば、道に従って交接するのであれば有益な術であると説く個所もある[79]。結局、陰陽の交流は道教からは切り離せないものであり、その交流の重要性は説かれ続けた[73]。房中術の文化はのちにさまざまな方向に発達し、春画の制作や、性交渉時の体位における工夫、薬の使用などに繋がった[80]。唐から宋の頃になると、悦楽のための房中術も発展し、性文学が現れたほか、性具も用いられるようになった[80]


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