道元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 23:01 UTC 版)
著書
- 『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう、七十五巻本+十二巻本+補遺)[注釈 3]
- 新装版『原典日本仏教の思想7・8 道元 正法眼蔵』(岩波書店、1990-1991年)
- 『永平廣録』(えいへいこうろく、全十巻)
- 『普勧坐禅儀』-『永平広録』巻八
- 『道元「小参・法語・普勧坐禅儀」』(大谷哲夫全訳注、講談社学術文庫、2006年)
- 『永平清規 (典座教訓、対大己法、弁道法、知事清規、赴粥飯法、衆寮箴規)』
- 読みは(えいへいしんぎ(てんぞきょうくん、たいたいこほう、べんどうほう、ちじしんぎ、ふしゅくはんほう、しゅうりょうしんぎ))
- 『正法眼蔵随聞記』(しょうぼうげんぞうずいもんき) - 懐奘編で道元の言行録。
- 『寶慶記』(ほうきょうき、在宋中の道元が師とかわした問答の記録)
- 『道元禅師全集』(全7巻、春秋社、1988-93年)、河村孝道、鏡島元隆、鈴木格禅ほか校註
- 『道元禅師全集 原文対照現代語訳』(全17巻、春秋社、1999-2013年)、鏡島元隆監修、水野弥穂子・石井修道・角田泰隆ほか訳註
注釈
出典
- ^ 1854年(嘉永7年)孝明天皇
- ^ 1879年(明治12年) 明治天皇
- ^ “道元禅師のご生涯”. 曹洞宗近畿管区教化センター. 2023年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、752-753頁。
- ^ “名著59 道元「正法眼蔵」100分de名著”. 日本放送協会. 2023年5月26日閲覧。
- ^ “ご本山だより 初春” (PDF). 大本山永平寺. 2023年5月25日閲覧。
- ^ 「道元の号と諱について」東隆眞・1978年
- ^ 「松殿山荘」参照。
- ^ 『孤高の禅師 道元 日本の名僧』(中尾良信編、吉川弘文館,2003)50頁以下参照。
- ^ “曹洞宗の歩み”. 曹洞宗嶋田山快林寺. 2023年5月25日閲覧。
- ^ “道元禅師物語”. 2023年5月25日閲覧。
- ^ 岩波仏教辞典第二版752頁では、13歳のときに比叡山に訪ねた相手は「良観」となっている。
- ^ a b 岩波仏教辞典 1989, p. 605.
- ^ ひろ 2013, p. 14.
- ^ ひろ 2013, p. 14~15、26.
- ^ 岩波仏教辞典第二版753頁では、時頼の招きによる鎌倉下向は1247年、宝治1年に行われた(下向の終了年は未記載)となっている。
- ^ “正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年8月31日閲覧。
- ^ 禅の本 1992, p. 44.
- ^ a b 岩波仏教辞典 1989, p. 465.
- ^ 『永平初祖學道用心集』の「第六、参禅に知るべき事」より。
- ^ 植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経(下)』p.587
- ^ 道元の最期の様子を書いた史料『建撕記・坤巻』(永平開山道元禅師行状建撕記)には「或日一旦、室内を経行し、低声に誦して言く『若於園中、若於林中、若於樹下、若於僧坊、若白衣舎、若在殿堂、若山谷曠野、 是中皆応起塔供養、所以者何。当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸仏於此転于法輪、諸仏於此而般涅槃』と。 誦し了て後、此文を頓て面前の柱に書付たまふ。亦『妙法蓮華経庵』と書とどめたまふなり。この法華経の文を、あそばしたる心は、今俗家にて、入滅あるほどに、昔の諸仏も是くの如しとの玉ふなり。」とある。『建撕記・坤巻』の、道元の臨終を記したくだりは、国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952819/123 でも読める。
- ^ 旧版に『日本古典文学大系81 正法眼蔵 正法眼蔵随聞記』(西尾実・鏡島元隆・酒井得元・水野弥穂子校注、岩波書店、1965年)
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