退廃芸術 退廃芸術の概要

退廃芸術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 11:46 UTC 版)

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退廃芸術家とされた作家の一人、フランツ・マルクの『鳥(Vögel)』 (1914)

概説

ナチスは「退廃した」近代美術に代わり、ロマン主義写実主義に即した英雄的で健康的な芸術、より分かりやすく因習的なスタイルの芸術を「大ドイツ芸術展」などを通じて公認芸術として賞賛した。これらの公認芸術を通してドイツ民族を賛美し、危機にある民族のモラルを国民に改めて示そうとした。一方近代美術は、ユダヤ人スラブ人など「東方の人種的に劣った血統」の芸術家たちが、都市生活の悪影響による病気のため古典的なの規範から逸脱し、ありのままの自然や事実をゆがめて作った有害ながらくたと非難された。

近代芸術家らは芸術院や教職など公式な立場から追放された上に制作活動を禁じられ、ドイツ全国の美術館から作品が押収されて「退廃芸術展」など全国の展覧会で晒し者にされ、多くの芸術家がドイツ国外に逃れた。一方公認芸術は、「人種的に純粋な」芸術家たちが作る、人種的に純粋な「北方人種」的な芸術であり、人間観や社会観や描写のスタイルに歪曲や腐敗のない健康な芸術とされた。

皮肉なことに、近代芸術を身体的・精神的な病気の表れである「退廃」だと論じる理論を構築した人物は、マックス・ノルダウというユダヤ人知識人であった。この理論はノルダウ以降も右翼や一部美術家を中心に盛んに取り上げられ、後にナチスも、第一次世界大戦後の文化の堕落を論じたり、人種主義的な主張を補強するために使用している。

退廃の理論・近代芸術は脳の病気

マックス・ノルダウ
チェーザレ・ロンブローゾ

「退廃」という概念は、道徳的に堕落している事を指すもので、古くは18世紀より規範に外れた絵画などを批判するために使われていた用語であった。この概念を近代社会や近代芸術全般を批判するために大々的に提起し有名にしたのは、ブダペスト出身の内科医で作家評論家シオニストでもあったマックス・ノルダウ1892年の著書『退廃(Entartung、堕落論、退化論とも訳される)』であった[1]。ノルダウによれば、芸術家は過密する都市や工業化など近代生活による犠牲者であり、こうした生活によって脳の中枢が冒された病人とされた。

ノルダウがこの著書のインスピレーションを受けたのは精神科医で犯罪学者のチェーザレ・ロンブローゾ1876年の著書、『犯罪人論(L'uomo delinquente)』であった。ロンブローゾは膨大な異常心理者やその身体的特徴を調査することにより、人々の中には、隔世遺伝的に原始人状態の人格の特徴が現れるために近代社会に適応できない人物がいることを科学的理論によって結論付けようとし、犯罪者の中には「生まれながらの犯罪者」が存在することを証明しようとした。

ノルダウはこの理論を疑似科学的な根拠として用いながら、「世紀末芸術」や「世紀末」的文化状況の「倫理的堕落」に対して幾分俗物的な立場からの批判を行った。ノルダウはロンブローゾの理論に基づき、近代の芸術家もまたロンブローゾのいう「生来的犯罪人」同様、原始からの隔世遺伝的な退廃に冒され、身体的・精神的な異常を抱えていると断言した。彼にすれば、音楽文学視覚芸術などあらゆる形式の近代芸術には、精神的不調と堕落の症状が現れていると見えた。近代芸術家たちは身体の疲労と神経の興奮の両方に苦しめられているため、すべての近代芸術は規律や風紀を欠き、首尾一貫した内容がなくなっているとした。ノルダウは特に印象派絵画、フランス文学の象徴主義、イギリス文学の唯美主義に攻撃を集中した。象徴主義の中の神秘主義思想は精神病理学的な産物であり、印象派画家のペインタリネス(絵画表面のありよう)は視覚皮質の病気の兆候とされた。

ノルダウの疑似科学的な、芸術における退廃の理論はドイツだけでなく欧州全土でベストセラーとなり、イギリスや日本など世界各国に広く紹介された。この理論は、ヴァイマル共和政の時代になって民族主義的美術家たちや右翼、そして国家社会主義者(ナチス)らによって大きく取り上げられ、ドイツ芸術における人種的純粋さを取り戻すための議論の基礎、近代化や敗戦後のデカダンスの影響で文化も堕落したという主張の基礎となった。近代美術家は人種的に純粋な芸術家に比べて「人種的に純粋な芸術」を作ることができず、劣った民族の血統を受け継いでいるか、精神的トラウマや人格的問題があるか、堕落した文化の影響が強すぎるためにゆがんだ芸術を作るとされた。

ナチスの理論家、アルフレート・ローゼンベルクとその機関(「ローゼンベルク機関」や、「ドイツ文化のための闘争同盟」など)はドイツ文化の純粋化と「退廃」一掃のために大きな役割を果たした。ローゼンベルクは退廃芸術の理論を、1930年に発行した大ベストセラー『二十世紀の神話』で初めて使用した[2]

パウル・シュルツェ=ナウムブルク

芸術評論家・建築家のパウル・シュルツェ=ナウムブルグドイツ語版はその主著『芸術と人種』(1928年)・『ドイツ人の芸術』(1933年)・『北方の美───生活及び芸術に現れたるその理想像』(1937年)などで[3]、古代ギリシアなど古典古代の芸術や、ドイツ中世の芸術をアーリア人の芸術の真の源泉として称揚する一方[4]、近代美術家は自ら気づかないうちに自分たち自身の民族(ユダヤ民族や、東ヨーロッパ人種であるスラブ民族など)の特徴を作品の中に表現していると述べた。これを証明するため、彼はノルダウとロンブローゾの手法を活用した。近代美術作品(特にドイツ表現主義)の中のゆがんだ形の人物像と、奇形や病気の人々を写した写真を並べて見せたのである[5]。シュルツェ=ナウムブルクはさらに健康な人の写真と「北方人種らしい英雄的な芸術」の作例を並列し、近代美術は人種的に不純であると結論した[6]

ドレスデンの女性画家ベッティーナ・ファイステル=ローメーダードイツ語版はドイツ民族に失われた父祖伝来の芸術を思い出させることを目的とし、敗戦後の1920年に"純粋"なドイツ人のみを会員とする「ドイツ芸術協会」を結成。機関誌『ドイツ芸術通信』を通じて表現主義などの芸術潮流 を攻撃し[7]前衛芸術を「退廃」と切って捨てる攻撃的な編集を行うなど反近代美術活動家として知られるようになって、シュルツェ=ナウムブルクの影響やローゼンベルクの後援を受けるまでになった。ファイステル=ローメーダーも、近代芸術と精神障害者の絵画との共通性を挙げたほか、フランスにおけるアフリカ美術の造形的影響を「芸術のネグロ化」とし、ドイツ芸術にユダヤ・スラブ・黒人などの影響が入る事を堕落とみなした。

アドルフ・ヒトラー自身もかつては建築や美術の道へ進もうとして挫折しており、著書や演説、談話などでもしばしば芸術を話題とした。ある時代の政治の偉大さは、それが生み出す芸術の水準の高さで推し量られるという彼の信念からすれば、ドイツの芸術の「退廃」は嘆くべきものであった[8]




  1. ^ ニコラス p.16、Barron 1991, p.26
  2. ^ Adam 1992, p. 33
  3. ^ 関楠生 pp..27-30
  4. ^ Adam 1992, pp. 29-32.
  5. ^ ニコラス p.17
  6. ^ Grosshans 1983, p. 9.
  7. ^ 関楠生 p.34
  8. ^ 勅使河原純 pp..48-49
  9. ^ ニコラス p.16
  10. ^ ニコラス p.17
  11. ^ 関楠生 pp..24-25
  12. ^ 関楠生 p.45
  13. ^ 関楠生 p.110
  14. ^ 関楠生 pp..45-46
  15. ^ 1942年3月23日の『食卓談話』より。関楠生 p.110, 勅使河原純 p.54
  16. ^ 勅使河原純 pp..50-53
  17. ^ 関楠生 pp..202-210
  18. ^ 関楠生 p.26
  19. ^ 関楠生 pp..30-33, ニコラス p.18
  20. ^ 関楠生 pp..35-36
  21. ^ ニコラス p.15
  22. ^ 関楠生 pp..36-46
  23. ^ 関楠生 p.34
  24. ^ 関楠生 pp..46-48
  25. ^ 関楠生 pp..48-50
  26. ^ ニコラス pp..18-19、関楠生 pp..62-64
  27. ^ ニコラス pp..20-21
  28. ^ ニコラス p.21
  29. ^ ニコラス p.26, 関楠生 pp..56-62, p.72
  30. ^ 関楠生 pp..75-81
  31. ^ 関楠生 pp..9-11
  32. ^ 関楠生 p.19
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  35. ^ 関楠生 pp..11-18
  36. ^ 関楠生 pp..19-21
  37. ^ 関楠生 pp..65-70
  38. ^ ニコラス p.27, 関楠生 p.73
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  40. ^ 関楠生 pp..75-81
  41. ^ 関楠生 p.81
  42. ^ 関楠生 pp..82-86, ニコラス p.27-29, p.33
  43. ^ 関楠生 p144, 勅使河原純 pp..57-58
  44. ^ 関楠生 pp..144-146
  45. ^ 関楠生 pp..146-149、勅使河原純 pp..60-61
  46. ^ 関楠生 pp..176-179
  47. ^ 関楠生 pp..154-172
  48. ^ 関楠生 p.168
  49. ^ 関楠生 p.165
  50. ^ 関楠生 p.149
  51. ^ 関楠生 pp..151-152
  52. ^ ニコラス p.32
  53. ^ 関楠生 pp..152-154, ニコラス p.32
  54. ^ 関楠生 pp..172-176
  55. ^ 関楠生 pp..179-180
  56. ^ 関楠生 p.181
  57. ^ 関楠生 pp..87-90
  58. ^ 関楠生 pp..90-93
  59. ^ 関楠生 p.103
  60. ^ 関楠生 pp..104-107, ニコラス p.30
  61. ^ 1942年3月23日、『食卓談話』
  62. ^ 関楠生 p.110, p.143
  63. ^ 関楠生 pp..112-115
  64. ^ 関楠生 pp..115-126
  65. ^ 関楠生 pp..49-50
  66. ^ ニコラス pp..22-24
  67. ^ ニコラス p.24, 関楠生 pp..220-225
  68. ^ 関楠生 pp..184-185
  69. ^ 関楠生 pp..185-186、ニコラス p.34
  70. ^ 関楠生 p.186、ニコラス pp..34-35
  71. ^ 関楠生 p.187
  72. ^ 関楠生 p.187、ニコラス p.36
  73. ^ 関楠生 p.189
  74. ^ ニコラス、pp..11-14, 関楠生 pp..189-192
  75. ^ 関楠生 p.192
  76. ^ 関楠生 pp..226-228
  77. ^ 関楠生 pp..228-251
  78. ^ 関楠生 pp..233-234
  79. ^ 関楠生 p.239
  80. ^ 関楠生 pp..237-238
  81. ^ 関楠生 pp..224-250






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