近藤正和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 07:05 UTC 版)
近藤正和 七段 | |
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名前 | 近藤正和 |
生年月日 | 1971年5月31日(52歳) |
プロ入り年月日 | 1996年10月1日(25歳) |
棋士番号 | 220 |
出身地 | 新潟県柏崎市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 原田泰夫九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 近藤正和 |
2022年2月11日現在 |
棋歴
1996年10月1日、25歳でプロ入り。プロデビューから負けなしの10連勝を飾り好スタートを切った。(「デビューからの連勝」の記録として当時歴代1位。現在でも藤井聡太(2017年)に次ぎ松本佳介(1996年)と並ぶ、歴代2位である。)
1997年、第10期竜王戦6組ランキング戦の6組優勝者となり、本戦トーナメント出場[1]。本戦では3回戦で佐藤康光に敗れたが、5組昇級。同年、第47回NHK杯戦予選決勝で神谷広志に勝ち、初参加で本戦出場を果たす。 翌1998年第48回本戦トーナメントにも連続して出場した[2]。
2001年度は第14期竜王戦において、5組ランキング戦の準優勝を果たし、4組へ昇級した。
いつもにこやかで「ゴキゲン流」の異名をとり、得意戦法の「ゴキゲン中飛車」は有力な戦法として注目され、2002年度には升田幸三賞を受賞した。
2004年度は第23回朝日オープン将棋選手権では5連勝して、本戦のベスト8まで勝ち上がった(準々決勝で谷川浩司に敗退)。
2005年度は一時9割を超える勝率を記録し、最終的に37勝8敗、勝率.8222の成績で年度最高勝率を記録したため、勝率第一位賞と連勝賞を受賞。同年順位戦C級1組にも昇級した。その他の棋戦でも活躍し、第13期銀河戦ではブロック戦で6連勝となり、本戦進出。本戦の1回戦でも深浦康市に勝利した(2回戦で森下卓に敗退)。
2010年度は順位戦で苦戦し、2勝8敗で終えた結果、1回目の降級点となったが、翌年度に6勝4敗で勝ち越したことで、降級点の抹消に成功した。しかし、同年度の第23期竜王戦では3連敗を喫し、5組へ降級となった。 そして2013年度の第26期竜王戦でも再び3連敗を喫し、6組へ降級となった。
2015年度に順位戦で再び降級点を喫した後、降級点を抹消出来ない状態が続く。そして2018年度の順位戦でも苦戦し、最終局で勝利すれば降級点を三度回避、という状態で日浦市郎と対戦。日浦は順位戦9連敗中の絶不調だったが、結果は日浦が勝利。日浦に当期順位戦の初白星を与えると同時に、近藤は2度目の降級点を喫して、C級2組へ陥落となった。
その後も苦戦は続き、2019年度ではデビュー以来最大の不振となる5勝20敗に終わった。それでも順位戦の降級点は回避に成功したが、2020年度の順位戦において、1回目の降級点を喫した。
棋風
- 振り飛車党で、特に中飛車を好んで指す。居飛車は全く指さないわけでなく稀に見せる。また飛車先の歩を突く居飛車の進行から別の筋に振りなおす変化(左玉の振り飛車)もある。
- 中飛車その最たる将棋が2007年3月13日の順位戦C級1組最終局の豊川孝弘との一局で、先手の豊川の初手2六歩に対し、昇級が絡んでいた後手の近藤は5二飛と指し、二手目にして堂々と中飛車を宣言したが途中から作戦負けし敗れた。
- ^ 第10期竜王戦6組ランキング戦・決勝 野月浩貴vs近藤正和(1997年5月30日)
- ^ 第48回NHK杯戦 予選 西村一義vs近藤正和(1998年2月24日)
- ^ 将棋世界付録「現役プロ棋士データブック2016 【上】」
- ^ コンチャンご機嫌事件 | 将棋ペンクラブログ
- ^ 『神の領域に挑む者』より「近藤正和」(鈴木輝彦著、日本将棋連盟)ISBN:978-4-839950187
- ^ 「将棋観戦が身近になる プロ棋士名鑑 2015」(宝島社)など
- ^ https://bunshun.jp/articles/-/49167
- ^ 「棋士の昇段など(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2002年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「棋士の昇段など(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2007年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「近藤正和六段が七段に昇段|将棋ニュース」『日本将棋連盟』2021年5月21日。
固有名詞の分類
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