近畿地方 経済

近畿地方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 06:58 UTC 版)

経済

現存する世界最古の企業 金剛組

近畿地方(2府4県)の府県内総生産 (GDP) は2016年度で約84兆1292億円で、関東地方に次いで日本で第二の経済圏を構成するが、関東地方(1都6県)のGDPとは約2.5倍の差がある。製造業の多くは大阪府・兵庫県南部(阪神工業地帯)・京都府南部に集中し、その他の地域では農林水産業が盛んである。

2016年度 近畿の府県内総生産 (GDP) (単位:10億円)

都道府県名 府県内総生産 構成比 全国比
滋賀県 6,382 7.59% 1.16%
京都府 10,488 12.47% 1.91%
大阪府 38,995 46.35% 7.09%
兵庫県 20,938 24.89% 3.81%
奈良県 3,651 4.34% 0.66%
和歌山県 3,676 4.37% 0.67%
2府4県総計 84,129 100.00% 15.30%
全国 549,866 - 100.00%

※データ出典:内閣府「県民経済計算平成28年度」

地域区分

気象予報・経済情勢・交通体系などにおいては、大まかに北部(日本海側)、中部、南部(太平洋側)と3分割されることが多い。明確な境界線はないものの、兵庫県の中国山地から京都府の丹波山地を経て滋賀県の鈴鹿山脈北部に至るラインと、中央構造線と言われる和歌山県の紀ノ川河口付近から奈良県の紀伊山地北部を経て三重県の志摩半島に至るラインにより区分される。

  • 北部(日本海側):兵庫県北部・京都府北部・滋賀県北部
  • 中部:大阪府・兵庫県南部・京都府南部・滋賀県南部・奈良県北部・和歌山県北部
  • 南部(太平洋側):奈良県南部・和歌山県南部

観光や地域経済では「京阪神」「北近畿」「南紀」という地域区分がされることがある。これは一般的な北部・中部・南部の概念とは異なり、またそのエリアは限定されておらず使用状況によって変化する。また「畿央」という区分が使われることもある。

  • 京阪神(近畿圏):大阪府・兵庫県南部・京都府南部。滋賀県南部・奈良県北部・和歌山県北部・三重県伊賀地方を含めることもある。
  • 北近畿:兵庫県北部・京都府北部。福井県南部(嶺南)・滋賀県北部を含めることもある。
  • 南紀:和歌山県南部[9]。三重県南部や奈良県南部を含めることもある。
気象情報における地域区分
  • 北部(日本海側):京都府北部・兵庫県北部・滋賀県北部(寒候期は北部、暖候期は中部)
  • 中部(太平洋側):京都府南部・兵庫県南部・滋賀県南部・大阪府・奈良県北部・和歌山県北部
  • 南部(太平洋側):奈良県南部・和歌山県南部
一次細分区域二次細分区域)気象庁

歴史

近畿地方は弥生時代以降人口が急増し、大陸の文化を吸収して発展した。

先史時代

仁徳天皇陵・大仙陵古墳

弥生時代前期の畿内には、目立った政治勢力はまだそれほど成立していなかったと考えられている。当時の畿内に特徴的なのが、方形に区画するように溝を掘って作られた方形周溝墓である。

弥生時代後期になると、奈良盆地東南部に大規模な集落が出現した(纏向遺跡)。この遺跡からは、日本列島各地から流通してきたと思われる土器が非常に多数発見されており、また王宮跡と見られる大規模な遺構も見つかっていることから、弥生時代後期のの中心的な都市の一つだったと考えられている。魏志倭人伝に登場する邪馬台国の有力な候補地ともされている。

近畿地方中部にはヤマト王権が3世紀中葉に成立し、古墳時代が始まると、仁徳天皇は難波に都を定め、ヤマト王権は倭国を代表する政治勢力として成長していった。ヤマト王権の王(大王)は代々大阪平野奈良盆地に王宮を営み、また同地には王族や豪族たちの古墳が多数築かれた。和泉国大山古墳堺市)は仁徳天皇の墓と伝承されており、世界最大の規模を誇る。

古代

朱雀門(復元)
平安後期には熊野詣が流行した
鹿苑寺金閣(1955年再建)

古墳時代が終わる6世紀中期頃から、王宮が奈良盆地南部の飛鳥に代々営まれるようになった。そのため古墳時代に続く時代区分を飛鳥時代という。古墳時代後期から中国大陸や百済などからの渡来人が多数来朝しており、その多くは飛鳥時代に奈良盆地や大阪平野など畿内近国に定着して帰化した。

皇極天皇4年(645年6月12日)に乙巳の変蘇我入鹿が宮中で暗殺されると、孝徳天皇により大化の改新が行われ、難波高津宮以来、再び飛鳥から難波長柄豊埼宮大阪市)への遷都が実施された。その後、天智天皇が政権を握ると、天智天皇6年(667年)に大津京大津市)への遷都が行われた。

天武天皇元年(672年)には天智天皇の後継者争いから壬申の乱が勃発した。この古代最大の内乱は畿内を舞台に行われ、これに勝利した大海人皇子(天武天皇)は飛鳥浄御原宮明日香村)に遷都し、中央集権的な国家造りに取り組んだ。日本史上最初の都城は難波宮であるが、天武後継の持統天皇が奈良盆地南部に営んだ藤原京は、都城制を用いたものとしては日本史上最初の都城である。

大宝元年(701年)に大宝律令が施行され、律令制が本格的に導入され始めた。律令制の地域区分である五畿七道によれば、大和国山城国摂津国河内国和泉国の5国が五畿(畿内)とされたほか、丹波国丹後国但馬国山陰道に、播磨国山陽道に、紀伊国淡路国南海道に、伊賀国伊勢国志摩国東海道に、近江国東山道にそれぞれ区分されていた。

和銅3年(710年)には平城京奈良市)への遷都が行われ、以後を奈良時代という。平城京には10万人が在住したと推定されており、突如として出現した日本最初の大都市であった。

8世紀後期になると、桓武天皇によって長岡京そして平安京京都市)への遷都が相次いで実施された。この平安遷都の延暦13年(794年)から建久3年(1192年)までを平安時代という。平安後期には平清盛福原京神戸市)を計画した。

平安時代を通じて、畿内近国は朝廷の統治が比較的及びやすい地域だった。例えば、9世紀後期には諸官庁の経費をまかなうための官田が畿内に4000町設定されたほか、他の地域で次第に実施されなくなった班田が畿内諸国では10世紀まで継続した。平安中期に名田制が登場すると、名田の面積を均等化した均等名が多く見られた。平安後期の荘園公領制の形成過程では、他地域よりも荘園の増加が早く進行した。

中世

鎌倉時代には武士による荘園・公領への侵出が著しくなったが、多くの権門(有力貴族や有力寺社)の権利が複雑に入り組む荘園・公領が汎在する畿内近国では、武士の侵出は他地域ほどとはならなかった。収入の増加を目論む権門は中国由来の農業技術や新たな農業技術の導入に努め、畿内は農業技術の先進地域となった。例えば、畿内では鎌倉時代までに早くも二毛作が実施されていた。

また一方では、商人・職人らが商業上・生産上の特権を得るために、有力寺社の神人となったり、天皇に奉仕する供御人となる動きが顕著に見られた。こうした神人・供御人らは獲得した特権を背景としてとよばれる同盟を結成し、畿内のみならず他地域に渡る広範な交易活動を展開した。

農業生産の向上と交易活動の広域化は鎌倉中期ごろから進展していき、畿内を中心に流通の活発化、銭貨の普及、そして社会の流動化をもたらすこととなった。従来の荘園領主・武士層とは異なる階層が急速に経済力・政治力を持ち始め、彼らは悪党と呼ばれた。後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した楠木正成も悪党の一人だったと考えられている。

悪党の台頭は社会構造の流動化を加速させ、従来は荘園領主・国衙・武士に支配されるのみであった村落が、自検断権を持ち領主と対等に交渉しうる惣村へと発達した。室町時代当時、惣村だけではなく、神人・供御人として広範な商業活動を行っていた土倉馬借らや、在地武士層である国人らも高い自立性を有していた。その帰結の一つとして、15世紀前期から土一揆徳政一揆惣国一揆が発生した。こうした自立性・自主性の高さから、戦国時代になっても他地域のように戦国大名による一円的な支配は行われず、織田信長豊臣秀吉の出現を待つことになる。

南北朝以降勘合貿易南蛮貿易の拠点であったは、会合衆と呼ばれた有力商人らによる自治都市として栄え、「東洋のベニス」とも称された。しかし織田信長・豊臣秀吉の支配下で都市は解体され、商人の多くは古代から港湾都市である大坂へ移住させられた。

近世

姫路城

江戸時代になると政治の中心は江戸へ移ったものの、京と大坂を中心とする「上方」は依然文化・経済の先進地域として繁栄した。西廻り航路を通じて日本海沿岸から瀬戸内海沿岸の物資が集積する大坂は「天下の台所」と呼ばれる日本最大の商都に成長し、その経済力を背景に元禄文化が開花する。井原西鶴近松門左衛門坂田藤十郎などがその代表的人物である。また伊勢国と近江国からは有能な商人が輩出され、「伊勢商人」「近江商人」として名を馳せた。

江戸後期には江戸でも町人文化が成熟し、江戸っ子意識が確立する(化政文化)。それに伴い、江戸町人と上方町人との間で文化対立意識が生じるようになり、ステレオタイプな「関西人」(当時の呼称は「上方者」「上方衆」)像が形成され始める。また大坂を中心とする地域が「関西」と呼ばれるようになるのもこの頃からである。

近畿地方における有力なとしては、徳川御三家紀州藩紀州徳川家、56万石)や彦根藩井伊家、35万石)や姫路藩池田家、52万石)や津藩藤堂家、32万石)などがあった。紀州藩は西日本の鎮として睨みを利かせ、彦根藩は中山道沿線を領地として京都に対する備えとして、姫路藩は瀬戸内海に面する山陽道沿いを領地とし西国に対する備えとして、配置されていた。3藩とも幕府にとって重要な存在であったため、居城の和歌山城彦根城姫路城は大きな規模を誇っている。

光格天皇によって行われた朝廷権威の復権の取り組みを経て、幕藩体制が揺らいだ幕末には朝廷の地位が向上し、京都が一時的に政治的拠点としての機能を持った。幕府最後の将軍である徳川慶喜は一度も江戸に居住せず、二条城大政奉還が行われた。

近現代

明治維新を迎えると、天皇は京都御所を出て江戸に移ることとなった(東京行幸東京奠都)。江戸は東京と改名され、国家機関も東京に置かれた。人材・産業の流出など畿内では衰亡の危機も危惧されたが、1897年明治 30年)の京都帝国大学(現京都大学)の創立を初めとして、文化の拠点として復興が行われた。大阪に改称された大坂は、一時は大名貸しの破綻による経済後退もあったが、引き続き日本経済の中心地となり、やがて「東洋のマンチェスター」と呼ばれる一大工業拠点にもなった。幕末に海軍操練所が置かれて維新直前に開港した神戸は明治20年代末には東洋最大の港湾都市へと発展する。

廃藩置県では、一時堺県・大阪府に統合された奈良県が1887年に再分割された時点で、現在の大阪府京都府兵庫県和歌山県奈良県滋賀県三重県の枠組みが形成された。1876年(明治9年)8月から1881年2月まで嶺南地方(現在の福井県南部)が滋賀県に編入されたこともあった。

交通面では、近畿地方各地を結ぶ鉄道が官民両者によって建設されるが、京阪神の都市間では電鉄会社が中心となって鉄道整備や多角化事業を活発に競い合い、近畿地方は長年「私鉄王国」と呼ばれることとなった。軍事面では、日本海沿岸の舞鶴に海軍の拠点(舞鶴鎮守府)が置かれた。

明治時代、東京にあった明治政府による藩債処分などの影響で大きな打撃を与えられた大阪であったが、明治20年代末以降は京阪神に富裕層が集まり、関東大震災による東京の一時的な衰退もあって、昭和初期まで東京に並ぶ日本の文化・経済の拠点として多くの文化人・経済人を輩出した(阪神間モダニズム)。しかし東京は短期間に復興し、特に昭和10年代に戦時体制がとられてからは有力企業や資本家の東京への移動が始まる。

大阪・神戸を中心に太平洋戦争による戦災を受けるも、高度経済成長期には1963年7月に名神高速道路が開通、1964年10月に東海道新幹線が開通し、1970年日本万国博覧会(大阪万博)が開かれ、1970年代に神戸港が世界一のコンテナ港となるなど復興を遂げた。

参考文献

  • 網野善彦、『日本社会の歴史(上)・(中)・(下)』、岩波新書



注釈

  1. ^ そもそも「〜地方」といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)[1]
  2. ^ 日本国語大辞典』、『広辞苑』、『大辞泉』、『大辞林』、『日本大百科全書』といった主要な国語辞典・百科事典も、2府5県を近畿地方の範囲として定義している。
  3. ^ 但し電力安全分野は関西電力の営業区域に準ずる
  4. ^ テレビ大阪(TVO)は本来大阪府内を公式なサービスエリアとしており、NHK大阪(※ラ・テ共通)は独自の規定により2府4県のブロックネットを締結している関係で、このケースには該当しない。また読売テレビ(ytv)は徳島県内に同じ日本テレビ系列四国放送がある関係で徳島県にかかわる報道はほとんどされない。
  5. ^ MBSニュースの公式TwitterABCテレビ報道局の公式Twitterには「近畿と徳島のニュースをお伝えします」「近畿・徳島エリアでの取材活動を行っています」と書かれている。

出典

  1. ^ 「首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか」『日本経済新聞』(2012年6月16日付、S3面)
  2. ^ 『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.408 ISBN 4-09-523101-7
  3. ^ a b c 平成17年度第2回大阪商業大学大学院公開講座 地域とは何か 近畿と関西を通して考える 講演近畿そして近畿地方、金坂清則
  4. ^ 「変態」大学おさらば 近大が英語名変更 でも直訳は…”. 朝日新聞デジタル (2016年4月24日). 2016年10月12日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 「変態」どころではない「過激な性的倒錯」と誤解も 近大が英語発音「キンキ(ー)」にビビった理由”. J-CASTニュース (2014年5月21日). 2016年10月12日閲覧。
  6. ^ a b 英語の「kinky(変態の)」と間違えないで! 「関西」へ名称変更”. 産経WEST (2015年7月21日). 2016年10月12日閲覧。
  7. ^ 関西商工会議所連合会
  8. ^ 2.近畿圏の自然環境の特性”. 国土交通省. 2020年6月15日閲覧。
  9. ^ あくまで観光や地域経済での定義であり、実際は和歌山県全体を指す(「海道伊国」の略)
  10. ^ 阪倉篤義編 (1990)『日本語講座第六巻 日本語の歴史』(大修館書店)の徳川宗賢「東西のことば争い」
  11. ^ 井上文子「関西における方言と共通語」『月刊言語』456号、大修館書店、2009年。





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