近江国 その他

近江国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/09 10:40 UTC 版)

その他

2009年12月8日の滋賀県議会一般質問で無所属議員の木沢成人が、県内外での滋賀ブランドを向上させるため、「滋賀県」から「近江県」への改名を提議したことがある[4]

関連氏族

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク


注釈

  1. ^ 狭山藩は明治2年12月26日(1870年1月27日)に廃藩。
  2. ^ 丸亀藩は明治4年4月10日(1871年5月28日)に廃藩。
  3. ^ 大溝藩は明治4年6月3日(1871年4月16日)に廃藩。
  4. ^ 『籐氏家伝』の「武智麻呂伝」にある。続日本紀には霊亀2年(716年)5月に在職であったことが分かる。
  5. ^ 六角氏頼が出家してしまい、嫡男の義信はまだ幼少だったため、氏頼の弟の定詮(後の山内信詮)が後見として守護に任じられたが、観応の擾乱足利尊氏と敵対する足利直義方に離反したため、もう一人の弟である直綱に守護に交替させられた(下坂守「近江守護六角氏の研究」(初出:『古文書研究』12号(1978年)/所収:新谷和之 編著『シリーズ・中世西国武士の研究 第三巻 近江六角氏』(戒光祥出版、2015年)ISBN 978-4-86403-144-8))。
  6. ^ 佐々木氏宗家の氏頼嫡男の義信が先立ったため、佐々木氏傍家の京極氏から養嗣子として高経を迎えた。当初は六角氏の家督と近江守護を継ぐが、氏頼嗣子の満高が立ったため、内紛で実家の京極氏に戻された後に「京極高詮」として京極氏の家督と(近江ではなく)飛騨守護を継いだ。

出典

  1. ^ 舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、17頁・19-20頁。
  2. ^ 櫻井信也「「大津宮」の宮号とアフミの表記」、『近江地方史研究』第32号、1996年。
  3. ^ a b 「旧高旧領取調帳」の記載は大津県。本項では「角川日本地名大辞典」の記述による。
  4. ^ 近江の人 木沢まさと: ブランド構築に向けて、木沢成人、2009年12月11日更新、2011年3月8日閲覧。





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