走幅跳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 05:27 UTC 版)
概要
競技の着地点は普通、安全性と記録の行いやすさから砂場となっている。その砂場にできた競技者の身体(普通は足)の跡のうち、踏み切り地点より最も近い地点を着地点とし、踏み切り地点からの距離を記録とする。手や尻を後ろに突いてしまった場合はその地点までの距離が記録となる。
走幅跳は、おおよそ4つの局面からなる。助走局面と踏み切り局面、空中局面及び着地局面である。その跳躍記録は、助走のスピードと高い関係があることが分かっている。
踏み切り板は、白く塗装された木で出来ており、踏み切った足がこれより前に出た場合、無効試技(ファウル)となる。なお、ウレタン舗装された全天候型の助走路の場合、選手のレベルに応じて踏み切り板の位置を変更出来る構造となっている。
1935年にジェシー・オーエンスが史上初めて8mを越えた (8m13cm)。この記録は1960年にラルフ・ボストンが8m21cmで破る[1]まで25年にわたって世界記録として残った。このボストンの更新以降の7年間は毎年のように世界記録が更新され(うち4回はボストンが更新)、1967年時点で8m35cmが世界記録であった[1]。しかし、1968年にボブ・ビーモンが、高地ながらそれまでの世界記録を55cm上回る8m90cmの跳躍をし[2]、その後23年にわたって世界記録として残った。ビーモンの記録は、1991年にマイク・パウエルが8m95cmで更新し、パウエルの記録も2023年現在まで32年破られていない。つまり、ここ55年間で1度しか世界記録が更新されていない。
古代オリンピックにおいては「ハルテーレス」という1.5から4.5kg程度のおもりを両手に持って跳躍を行っていた。
助走の距離は設けられていないが、走幅跳を行う大会は他の競技も実施するためあまり長い距離は他競技者の妨げになり失格となる[3]。1970年にアメリカの運動力学者が考案した前方宙返りを加えて跳躍するスタイルが存在したが、危険性が高いと判断され公式大会で行われるようになってから半年後の1974年8月に禁止された[4]。
日本においては1998年(平成10年)までは教育の一環として小学校、中学校での運動能力テストの種目であったが、現在のスポーツテストでは行われていない。
陸上競技における正しい表記は走幅跳であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では走り幅跳びと表記されることもある。
主なルール
- 試技開始の合図があってから1分以内に試技を開始しなければならない。ただし同一競技者が連続して試技を行なう場合は2分以内とする。
- 助走は助走路内であれば距離は自由。背走しても構わない。
- 助走路の外に、2個まで目印となるマーカーを置くことが出来る。
- 踏み切ってから着地するまでの間は前方宙返り以外はどんな動きをしても構わない。
- 各選手に3回の試技が与えられ、上位8番目の記録の選手にはさらに3回の試技が与えられ、合計6回の試技の中での最高記録により順位を決める。
- 4回目以降は、3回目までの記録が低い選手から先に試技を行うように試技順が変更される。
- 予選競技および混成競技においては全ての選手が3回の試技となる。「予選通過記録」が設定されている場合、それを突破した者は以降の試技を行えない。
- 予選通過記録の突破者が決勝進出の上限人数(基本は12人)に満たない場合は、突破者を含めた全体の記録の上位者が進出となる。
- 以上の項目は三段跳および投てき競技でも同様である。
- 次の場合は無効試技となる。
- 踏み切り線の前の地面に身体の一部が触れる。
- 踏み切り板 (120cm) の外側で踏み切る。
- 着地の時、競技者の身体の跡より踏み切り線に近い砂場の外側に触れる。
- 記録は、競技者の身体(普通は足)の跡のうち、踏み切り地点より最も近い地点を着地点とし、踏み切り地点からの距離を記録とする。手や尻を後ろに突いてしまった場合はその地点までの距離が記録となる。
- 1974年頃、踏み切った後、体操競技のように空中回転して跳ぶ方法が考案されたが危険であるとされたため間もなく禁止された(第185条「助走あるいは跳躍動作中に宙返りのようなフォームを使ったときには無効試技とする」)。
世界歴代10傑
位 | 距離 | 風速 | 名前 | 国籍 | 場所 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8m95 | +0.3 | マイク・パウエル | アメリカ合衆国 | 東京 | 1991年8月30日 |
2 | 8m90A | +2.0 | ボブ・ビーモン | アメリカ合衆国 | メキシコシティ | 1968年10月18日 |
3 | 8m87 | -0.2 | カール・ルイス | アメリカ合衆国 | 東京 | 1991年8月30日 |
4 | 8m86A | +1.9 | ロベルト・エミアン | ソビエト連邦 | ツァグカゾール | 1987年5月22日 |
5 | 8m74 | +1.4 | ラリー・マイリックス | アメリカ合衆国 | インディアナポリス | 1988年7月18日 |
+2.0 | エリック・ウォルダー | アメリカ合衆国 | エルパソ | 1994年4月2日 | ||
-1.2 | ドワイト・フィリップス | アメリカ合衆国 | ユージーン | 2009年6月7日 | ||
8 | 8m73 | +1.2 | イルビング・サラディノ | パナマ | ヘンゲロー | 2008年5月2日 |
9 | 8m71 | +1.9 | イバン・ペドロソ | キューバ | サラマンカ | 1995年7月18日 |
10 | 8m69 | +0.5 | タジェイ・ゲイル | ジャマイカ | ドーハ | 2019年9月28日 |
位 | 距離 | 風速 | 名前 | 国籍 | 場所 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 7m52 | +1.4 | ガリナ・チスチャコワ | ソビエト連邦 | レニングラード | 1988年6月11日 |
2 | 7m49 | +1.3 | ジャッキー・ジョイナー・カーシー | アメリカ合衆国 | ニューヨーク | 1994年5月22日 |
+1.7 | セストリエーレ | 1994年7月31日 | ||||
3 | 7m48 | +1.2 | ハイケ・ドレクスラー | 東ドイツ | ノイブランデンブルク | 1988年7月9日 |
+0.4 | ローザンヌ | 1992年7月8日 | ||||
4 | 7m43 | +1.4 | アニソアラ・スタンチウ | ルーマニア | ブカレスト | 1983年6月4日 |
5 | 7m42 | +2.0 | タチアナ・コトワ | ロシア | アヌシー | 2002年6月23日 |
6 | 7m39 | +0.5 | エレーナ・ベレフスカヤ | ソビエト連邦 | ブリャンスク | 1987年7月18日 |
7 | 7m37 | イネッサ・クラベッツ | EUN | キエフ | 1992年6月13日 | |
8 | 7m33 | +0.4 | タチアナ・レベデワ | ロシア | トゥーラ | 2004年7月31日 |
9 | 7m31 | +1.5 | オレーナ・フロポトノヴァ | ソビエト連邦 | アルマトイ | 1985年9月12日 |
+1.9 | マリオン・ジョーンズ | アメリカ合衆国 | ユージーン | 1998年5月31日 | ||
-0.1 | チューリッヒ | 1998年8月12日 | ||||
+1.7 | ブリトニー・リース | アメリカ合衆国 | ユージーン | 2016年7月2日 |
- ^ a b https://worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/long-jump/outdoor/men/senior?regionType=world&windReading=regular&page=1&bestResultsOnly=false&firstDay=1960-01-01&lastDay=1968-12-31
- ^ https://worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/long-jump/outdoor/men/senior?regionType=world&windReading=regular&page=1&bestResultsOnly=true&firstDay=1900-01-01&lastDay=1968-12-31
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 10』講談社、2004年。
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 11』講談社、2005年。
- ^ 陸上競技マガジン1999年記録集計号329p
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