赤報隊事件 社会の反応

赤報隊事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 02:01 UTC 版)

社会の反応

事件への批判

記者2人を殺傷した朝日新聞阪神支局襲撃事件は、言論弾圧事件として大きな注目を集め、新聞・雑誌等では当時、「表現の自由」に対するテロリズムであるという報道がなされていた[165][166][167][168]。朝日新聞は「犯人にどのような言い分があったとしても、こうした暴力がいささかでも正当化されるようなことがあってはならない」(社説1987年5月5日)、中曽根首相は「表現の自由、あるいは言論の自由、憲法の保障する基本的な権利への挑戦で、こういう傾向が出てくることは、世の中のためにも憲法擁護のためにも厳重に阻止しなければならない」、日本新聞協会は「言論・報道機関に対する前例のない凶悪な犯罪であり、民主主義を否定する暴挙である。記者を殺傷するような行為は絶対に許すことはできない」と批判した。井上は記者の生命を奪う行為は、個人の生命を「最大の尊重を必要とする」とした日本国憲法第13条に外れ、「主権在君から主権在民という日本の歴史の流れに逆らう」犯人こそ「反日分子」だと批判した[83]西尾幹二も犯人が中曽根康弘、竹下登両首相への脅迫状の中で靖国神社参拝問題に触れたことに対し、「靖国を大事にする人が暴力とつながっているように、世間の人々から思われてしまう」「迷惑な話だ」「右も左も言論への暴力はいけない」と批判した[52]大谷昭宏も「百パーセント許すことができない」「犯人は『記者を撃つ』ことで『言論を撃った』」[169]有田芳生も「思想に生きる者としての自負がいささかでもあるならば、沈黙は断じて許されない」と批判した[84]櫻井よしこも「朝日に言われるまでもなく、言論には言論で対峙することが民主主義国家における大前提」と述べた上で、殺害された記者は「絶対に許されざる言論テロの象徴的犠牲者」と主張している[170]

事件への便乗・協調の動き

事件を予言した人物

1997年暮れに「ある組織の者」と名乗り、朝日新聞神戸支局に殺害された記者の遺族の様子を尋ねる電話があった。捜査に挙がっていない散弾銃について、関東のメーカー名を指摘して、二連式散弾銃のほとんどは腰だめ撃ちで2発目が発射しないためにSKB社製を選んだ事、自動銃を選ばなかった理由に、薬莢に線条痕が残り銃の特定を防ぐ事を挙げた。「銃はもう処分した」と話し、対応した記者が「犯人を知っているのか」と聞くと「どうでもええやないか」と切った。後に、電話の主は関西在住の50歳代の男性で、大学時代に三島由紀夫を研究するサークルを創立していたことがわかった。名古屋本社寮事件のころ、「事件は東に走る」と話し、「極刑の待ち受けたるを知りつつも尚も征かん草莽の士は」という歌を詠んだ。兵庫県警の任意の事情聴取に「おとりになって、捜査の目を引きつけようとした。赤報隊が逃げおおせられれば、本望だ」と話したという。周囲に「朝日新聞の事件は知り合いの同志の部下がやった。自分は見届けをした。赤報隊から電話がかかってきた」と話している[171][172]

テロを「お灸」と表現した学者

右翼のほか保守派の一部には犯人の主張に共感を覚える者がいた。例えば中村粲産業経済新聞社の『正論』2001年5月号で、朝日の歴史教科書問題報道を「朝日は銃弾を撃ち込まれ、その後暫くは大人しくしていたようだが、昨今の朝日の傍若無人とも思える偏向紙面を見ると、まだお灸が足りないやうだ」と評した。朝日の“テロを容認するのか”との抗議申し入れを受け、編集部は「誤解を招く表現だった」として、6月号で謝罪文を掲載した。中村は10月号で「朝日新聞の売国偏向報道の累積が銃撃事件の引き鉄になつたと、因果関係を示唆したに止まる」と反論した。また、「…お灸が足りないやうだ」の意図について、「赤報隊がお灸をすえるつもりだったかもしれないと客観的に叙述しただけだ」と、朝日新聞社116号事件取材班に答えている[173]

2012年には赤報隊を称える『朝日新聞襲撃25周年祝賀国民行進』なる行事が極右団体主催[注釈 10]で行われる[174]など、テロ行為に賛同する人物が一定数存在している。

事件を肯定する記事を書いた人物

阪神支局襲撃事件から20日余り後に、事件を肯定する記事を書いた人物がいた。左派学生らから襲われ、「武器を学んで復讐する」ために陸上自衛隊に入り、三島事件後に辞めている。経団連襲撃事件に加わった。 右翼団体機関紙に「反日売国朝日新聞社は何故襲撃されるのか!」(見出し:「祖国日本の歴史道統を憎悪で燃やす朝日の記者」)という署名記事を書き、「靖国・教科書問題で内政干渉の水先案内人を買って出た朝日新聞社」「朝日新聞は襲われて当然。赤報隊を支持する」と主張した。 未解決事件 (NHKスペシャル)「赤報隊事件」は「ある右翼団体の代表が 重要な捜査対象として浮上していた」と紹介した。この人物と特命取材班記者とのやり取りが、実録ドラマで描かれている。

右翼団体の代表は、次の発言をした。

あなた方は阪神支局事件の事ばかり言うが、南京大虐殺があったかどうかの論争でも、朝日新聞は記事に間違いがあっても訂正記事を書かなかった。朝日新聞記者として、ああいう記事の責任はあるのではないか。そういう問題を横に置いておいて、阪神支局事件の事ばかり言うのは卑怯だ。

樋田毅記者は、次のように述べた。

マスコミは紙面に責任を負うべきだという意見はもっともです。朝日新聞が間違っている事もありますし、激しい議論が起きる事もあります。しかし、立場の違いを認めず考えの異なる者を銃で撃ち殺し、それが正義だと主張したのが赤報隊です。そういう意味で、殺された小尻記者に向けられた銃弾は、自由な社会を求める私達一人ひとりに向けられたものなんです。だからああいう暴力は絶対に認められない。

兵庫県警捜査本部は、この人物が阪神支局襲撃事件が起きた1987年5月3日のアリバイが不明確である事に注目した。5月3日〜7日、家族の病気見舞いなどで関西北陸に滞在し、3日夜は「大阪で親類と食事をしていた」と事情聴取に答えたが、裏が取れなかった。ポリグラフ検査は実施されなかった。兵庫県警は、「総合的判断でシロ」と警察庁に報告した。しかし、兵庫県警捜査一課の刑事は、この人物が「今も気になる。アリバイも詰めきれず、曖昧なままになっている。悔やんでも悔やみきれない」と語っている[175]

「冥途の飛脚」名の脅迫状

1996年8月、10月、12月に社会科教科書の執筆者や出版社社長宅、会社に「偏向教科書糾弾期成会 日本主義劇団 冥途の飛脚」、「関西日本原理主義劇団 冥途の飛脚」を名乗り脅迫状が送りつけられた[176][177]。「貴社の歴史教科書は偏向自虐的な内容で、祖国日本に対する反逆罪を構成致します」「ボンクラ大臣は選挙にうつつを抜かしていても、我々は、覚めた目で事態を注目しています」「飽くまでも合法市民団体だが、会員・会員外の別を問わず、反日マスコミへの如何なる糾弾にも反対せず」「敵の偏向売国勢力が、偏向自虐的教科書を作り続けて来た挙げ句に、従軍慰安婦問題を、事もあろうに、中学校の教科書に一斉に掲載しました。これは、彼らにとって、勢い余っての勇み足であり、我々にとっては、反撃に転ずる天与の機会であり、神風であります」「これを突破口として、南京事件や、更に偏向史観全体を粉砕することです」「赤報隊精神も想起しましょう」などと書かれていた[178][84]

対NHK実弾送りつけ事件

2009年2月「赤報隊」と印字された紙、実弾がNHKに送りつけられる事件が発生した。6月鹿児島県大分県の右翼団体には「赤報隊をりようしてください」と印字された紙が郵送された。両者は文字の特徴が似ていて、同一人物の可能性が高いとみられている[179]。消印は名古屋市中村局[180]。鈴木邦男は、自称実行犯が金目当ての犯行と語った「週刊新潮」の記事に対する抗議のためNHKを使って警告したと分析している[181]

2009年2月22日午後、NHK福岡放送局の玄関付近で卓上コンロのカセットボンベが何者かの手で爆破される事件が発生した。防犯カメラにはニット帽にサングラス、マスク姿の男が玄関に入り、自動ドア前にバッグを置き、立ち去る姿が映っていた[182]。この後、NHK放送センター東京都渋谷区)や、長野、福岡、札幌の各放送局に旧日本軍制式銃の三八式歩兵銃実弾が「赤報隊」の名のワープロ文とともに送付される事件が発生した[183]。郵送に使用された封筒は全て「エクスパック500」で、静岡中央郵便局で販売されていた。消印はいずれのものも2月23日付け「神田」。防犯カメラには1月上旬、白っぽいコートを着た中高年の男の封筒を買う姿が映っていた[184]。また、6月8日にはNHK広島放送局にも、「赤報隊」と記された紙片と旧日本軍使用の三八式歩兵銃の実弾が同封された封筒が届いた。消印は5日付け「大阪」。東京・渋谷放送センター、長野、福岡、札幌の放送局に同じ実弾が送付された事件との関連を捜査した[185]。公訴時効成立後の2010年にも、「赤報隊」を称しての不審物送りつけが在日公館などに対して繰り返し行われている[186]

菅直人首相・民主党幹部脅迫事件

2011年7月1日、菅直人首相の事務所に首相辞任を求める脅迫文と刃物が郵送される事件が起きた。6月27日の消印で大阪府内から投函されていた。脅迫文には「天誅を下す」と記され、「赤報隊一同」を名乗っていた[187]。また、2011年6月30日、小沢一郎民主党代表事務所に政界引退などを迫る内容の脅迫文が千枚通しと共に送りつけられた。消印は6月28日、大阪府内で投函され、「赤報隊」を名乗っていた。菅首相脅迫事件と筆跡、内容が似ており、同一犯とみられている[188]

朝日新聞社への恫喝

阪神支局、名古屋本社寮襲撃事件後、「爆弾を仕掛けた」「記者がまた殺されるぞ」という脅迫電話が300件かけられた。1999年1月24日、朝日新聞東京本社広報室に、「一二〇周年おめでとうございます。警戒モードに入っていますか。一二年前のことを思い出して下さい」という匿名電子メールが届いた[89]。2007年5月24日、朝日新聞さいたま総局には「社員の1人や2人殺されても仕方がない。第2、第3の阪神支局事件は必ず起きる」と社員の殺害をほのめかす脅迫文が送りつけられた[189]

襲撃事件以後、各地の支局、販売所の窓ガラスが割られ、ゴミ箱に放火される事件が起きた。1988年10月18日未明、水戸支局の窓ガラスが割られ、発炎筒が投げ込まれる事件が発生した。現場では、朝日新聞の昭和天皇に関する記事に抗議するビラがまかれていた。右翼団体の男2人が逮捕されている[190]

2010年3月12日、「朝日新聞に挑戦状」と題した脅迫文が朝日新聞水戸総局にファクシミリで送りつけられる事件が発生した。「20年以上前の阪神支局に赤報隊の散弾銃襲撃事件を忘れたか。即死した記者みたいになりたいか」などと書かれていた。水戸地検は9月17日、脅迫文を送信した医師を脅迫罪起訴した。起訴状などによると、医師は出身大学に関する朝日新聞の記事に不満を持っていた[191]

2012年5月16日、散弾銃の実包が脅迫状と共に「赤報隊」と書かれた茶封筒で朝日新聞東京本社に送られており[192]、また翌17日、赤報隊を支持する内容の書かれたビラが朝日新聞前橋支局の郵便受けに複数枚投函されていた[193]

掲示板への書き込みなど

朝日新聞を批判するウェブサイトでは、「(記者の実名)記者一人の生け贄では少なすぎる」と書かれていた。2ちゃんねるの「朝日新聞襲撃事件の時効を祝おう」には、「赤報隊はよくやった」「皆殺しにすればよかったのに」と書き込みがあった[89]


注釈

  1. ^ グリコ・森永事件に次ぐ2件目の未解決の警察庁広域重要指定事件であり、警察庁広域重要指定事件で未解決事件となったものの中では唯一死亡者が出た事件である。
  2. ^ 殺人罪の時効廃止は2010年
  3. ^ 別の書籍[11]では、事件発生時刻は午後9時頃と書かれている。
  4. ^ 2018年1月16日に急性心臓死の疑いで死去、73歳没[18]
  5. ^ 事前に内情を探るために犯人がかけていたのではないかと推測する人もいる[20]
  6. ^ 後の司法解剖では、から64個、小腸から13個、腹腔内から92個、摘出された左腎臓から22個、計191個の散弾粒が摘出されている[26]
  7. ^ 犬飼は、西宮市内の渡辺病院で緊急手術を受け、中指は手術により奇跡的に元のようにつながったが、薬指は切除された[26]
  8. ^ 品番の違いは、キー配列の違いによるもの。20がJIS配列、25が五十音順配列。
  9. ^ 石原信雄元内閣官房副長官は、NHK未解決事件File6.赤報隊事件で「自分と違う意見の人が存在する事を認めていかないと社会は成り立たない。そういう人達もいるんだって事を、彼らの違う主張がある事はお互いにそれは受け止めていかなければいけない。民主主義というのは一種の我慢強さが必要」と語っている。
  10. ^ 主催/5・3国民行進実行委員会・協賛/排害社、防共新聞社、きなの会、日本侵略を許さない国民の会、国家社会主義日本労働者党、日の丸友の会、フジモンズなど
  11. ^ 116号事件取材班 2002に収録されている。

出典

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