赤堀四郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 15:38 UTC 版)
人物
赤堀の名前の読み方について、
出身地である千浜村、およびその周辺地域(小笠郡菊川町、榛原郡初倉村、榛原郡金谷町、志太郡島田町等)では、「赤堀」姓はよく見られる苗字である。しかし、それらは「アカホリ」と読むのが一般的であり、群馬県のように「アカボリ」と呼称する例は皆無である。掛川市(旧千浜村)の公式ウェブサイトでも「あかほり」[3]と表記している。
しかし、文献などでは、「あかぼり」[4]と振り仮名を振っている例が散見される。これは、ドイツ留学時に名前を呼ばれるときにAKAORI=アカオリと発音され、それが本人にはアカオニ=赤鬼と聞こえ、それを嫌った四郎が「Akabori」表記にしたことに起因する。座右の銘は「雪梅花埋 不能埋香」。現在、孫の原邦雄がその思いを引き継ぎ、「ほめ育」という教育メソッドを世界に広げている。
顕彰
赤堀の故郷である大浜町(旧千浜村)は、その業績を記念し1966年に「名誉市民」[1]の称号を贈った。大浜町は城東村と合併し大東町となったが、大東町も同名の称号を贈っている[1]。1991年には、大東町立千浜小学校に赤堀の胸像が建立されている[3]。
略歴
- 1900年 - 誕生。
- 1913年 - 千浜尋常小学校卒業。
- 1914年
- 1916年 - 錦城中学校昼間部4年編入。
- 1918年
- 錦城中学校卒業。
- 千葉医学専門学校薬学科入学。
- 1921年
- 1925年
- 東北帝国大学理学部化学科卒業。
- 東北帝国大学大学院入学。
- 1930年
- 1931年 - 理学博士取得。
- 1935年 - 大阪帝国大学理学部助教授。
- 1939年 - 大阪帝国大学理学部教授。
- 1947年 - 大阪大学理学部学部長。
- 1949年 - 大阪大学一般教養部部長。
- 1953年
- 1958年 - 大阪大学蛋白質研究所所長。
- 1960年 - 大阪大学総長。
- 1966年
- 1992年 - 死去。
賞歴
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固有名詞の分類
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