赤いスイートピー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 00:00 UTC 版)
「赤いスイートピー」 | ||||
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松田聖子 の シングル | ||||
初出アルバム『Pineapple』 | ||||
B面 | 制服 | |||
リリース | ||||
規格 | シングルレコード、EP盤 | |||
ジャンル |
歌謡曲 J-POP | |||
時間 | ||||
レーベル |
CBS・ソニー (8cmCD含む) Sony Records (12cmCD) | |||
作詞 | 松本隆 | |||
作曲 | 呉田軽穂 | |||
プロデュース | 若松宗雄 | |||
チャート最高順位 | ||||
松田聖子 シングル 年表 | ||||
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解説
赤いスイートピー
松任谷由実(ユーミン)作曲による松田聖子への初提供作。松田の楽曲の中で特に人気の高い曲の一つであり、松田自身も好きな曲として挙げる事が多い。また、本曲を境に同性(女性)のファンの比率が上がったと語っている。
富士フイルム「アスタリフト」(2009年) - 化粧品CMに使用された。松田と中島みゆきが出演(「純白の出会い・中島みゆきさん」篇)。その中で中島がバックに流れる音源とともに本曲を口ずさんでいる。
ユーミンの起用は元々親交のあった作詞家の松本隆の発案で、『ライバルに曲書いてみない? 「松」の付く人[2]』と松本が自ら交渉を行う。女性ファンを増やしたいという松田のプロデューサー・若松宗雄の意向に対し、ユーミンは作曲家としてではなく名前(知名度)で選ばれる事を嫌って始めは渋ったが、作曲者名にペンネームである「呉田軽穂」を使用しても良いのならという条件付きで依頼を引き受けた。ユーミンは、「誰が作ったか知らなくても、曲調だけで聴き手の心をつかめたなら、これほど作家冥利に尽きる事はない。そして本当にその通りになったのでとても充実感のある仕事でした」と、後に語っている。
当時の松田は過度なスケジュールの影響から喉を酷使し、歌唱時に声が擦れてしまう事があった。若松は喉に負担が掛からないよう、キーを抑えたスロー・バラードを依頼。仕上がった曲は、元々Bメロやサビの「赤いスイートピー」のフレーズで音程が下がる譜だったが、「春をイメージした歌なので、最後は音程を上げる形にして春らしくしてもらいたい」と手直しを要求。ユーミンは「提供した曲をダメ出しされたのは後にも先にもその時だけなのですごく驚いた」という。プロデューサーの熱意に折れ、仕方なく現在の形に修正したそうだが、「今になって考えると春の歌だし、あれで良かったんだと思います。そして、相手が誰であろうと妥協せずに向かい合うスタッフがいたからこそ、彼女(松田)は短期間であれだけの存在になれたのでしょう」とコメントした。松田はそれまでの声を張り上げ伸びのある歌い方を改めて、この曲から徐々に歌唱法を変えていったと云われている。
完成したメロディーを受け取った松本は、「単純に詞をつけていくとユーミンみたいな語感になってしまう」と感じて、「かなり抵抗して、松本風の言葉をわざと並べた」という。長く松田の曲を担当した松本は後年、この曲で松田と「同期した」と表現している[3]。
冒頭の歌詞、"春色の汽車"について、松本は「"春色"は子どもの頃に記憶しているオレンジと緑色の湘南電車で、それが海に続いているイメージ」であると明かし、更に「江ノ電の鎌倉高校前から鎌倉駅の商店街を抜けて海が急に見えてくる景色が大好きだった」「その線路の脇に赤いスイートピーが咲いていたらかわいいんじゃないかな、と想像して歌の舞台にした」と2021年8月1日放送の「関ジャム 完全燃SHOW」で回答した。上記のように、本来のイメージは"電車"なのだが、譜割りが合わないため"汽車"にしたと説明し、ノスタルジックな雰囲気でそれも良いと松本はコメントしている。
Bメロの本来の楽譜は「はーんとーし」であったが、松田が自分の間合いで「はんとーーし」と歌ったため、正しい譜割で何度か録り直させた。ただ、正確性よりも音感を重視する若松らは最終的に松田の間合いで歌ったテイクを採用している[4]。
本曲発表当時、スイートピーの主流は白やクリーム色、ピンクなどが主流で、「赤いスイートピー」は存在しないと思われていた(実際、1800年頃に既に存在していた[5])。本曲がヒットして以降、品種改良して作った鮮やかな色の赤いスイートピーが売られるようになった[6]。松本は「心の岸辺に咲いたとあるから、これは全て夢なんだなと分かってもらえたら、別に何色でもいいんですけど」と語っている[7]。
松田は本曲の発売前年の1981年末に、デビュー以来のトレードマークであった「聖子ちゃんカット」からショートヘアに変えており、本曲を披露した際にはその髪型に関しても大きな話題となった。ただし、発表前の新曲としてテレビ朝日系「歌謡ドッキリ大放送!!」やTBS系「たのきん全力投球!」で披露した際は、断髪前の収録だったため、逆に「聖子ちゃんカット」でこの曲を歌唱する貴重な映像となっている。
松田の代表曲であったが、同年の『第33回NHK紅白歌合戦』で歌唱されたのは「野ばらのエチュード」で、以降も長らく未歌唱のままであった。デビュー35周年の2015年、『第66回NHK紅白歌合戦』の紅組のトリおよび、大トリで初歌唱となった。
アルバム『Citron』(1988年)に、本曲のその後を描いた楽曲「続・赤いスイートピー」が収録された。作詞は松本だが、作曲者は異なる。
1994年と1998年に教育出版が発行した高等学校の音楽教科書に掲載された[8]。
2005年、NHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」で21位にランクイン。
デビュー25周年に当たる2005年に、同名の写真集(篠山紀信撮影)を発売した。「『赤いスイートピー』時代の聖子のイメージ」で撮影された。
2005年に台湾公演記念としてリリースしたアルバム『I'll fall in love 愛的禮物』に中国語バージョンが収録された(「火紅色的香豌豆」)。
2020年にリリースした53rdアルバム『SEIKO MATSUDA 2020』に、歌詞を英語に置き換えたEnglish Versionが収録されている(作詞:Marc Jordan・編曲:野崎洋一)。
制服
作詞の松本は元々こちらの方が自信があり、当初は途中からAB面を入れ替えてロングセラーにする予定であったが、A面が予想以上の支持を集めたため実現しなかった[9]。作曲したユーミンも後年音楽雑誌のインタビューで「この曲もスリリングな感じで制作できて気に入っている」と語っている。
ファンの間でも名曲として評価が高い。アルバム『Another Side of Seiko 27』では、シングル曲以外から選ぶ収録曲アンケートで第2位にランクインしている。2021年に放送されたNHK-FMのラジオ番組「今日は一日"松田聖子"三昧」でも、リスナーの思い出の1曲を挙げるアンケートにおいて、全楽曲の中から1位となった。
ディスクジャケットの変遷
アナログシングル盤の再プレス以降のジャケットには"赤いスイートピー"と"制服"の文字が同じ大きさで書かれたジャケットが存在する。
2000年の『SEIKO SUITE』付属のブックレット内のディスコグラフィ、2003年の『Another Side of Seiko 27』封入のシングルジャケットカード、2011年の『SEIKO STORY〜80's HITS COLLECTION〜』のシングルジャケットコレクション、2018年の『Seiko Matsuda Sweet Days』のアナログシングルジャケット復刻ブックレットにはそのジャケットが使用されている。
- ^ “ディスコグラフィ|松田聖子オフィシャルサイト”. www.seikomatsuda.co.jp. 2022年10月16日閲覧。
- ^ 松田聖子を指すが、偶然にも松任谷由実も松本隆も「松」が付く
- ^ 中川, p. 171.
- ^ 松田聖子の80年代伝説Vol.7 キャンディボイスで80年代の夏をPOPイエローに染めた5thアルバム『Pineapple』
- ^ The unwin book of sweet peas
- ^ “色あせない名曲の「赤」で地域に花を咲かせよう!『スイートメモリー』(ゲンキみえ)”. ゲンキ 3 ネット (2017年4月9日). 2023年2月14日閲覧。
- ^ “松田聖子、スイートピーに赤はなかった 松本隆氏、作詞秘話明かす”. デイリースポーツ (2017年4月23日). 2017年4月24日閲覧。
- ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日本アソシエイツ、2011年、244頁、703頁。ISBN 978-4816922916。
- ^ 中川, p. 170.
- ^ Barnies(MyMelody,U・SA・HA・NA,マロンクリーム)〜赤いスイートピー〜、サンリオピューロランド。(2015/2/21閲覧)
- ^ 映画「麦子さんと」予告編
- ^ “昭和の名曲がドラマに 赤いスイートピー&神田川”. スポニチアネックス (2016年2月10日). 2016年2月10日閲覧。
- 1 赤いスイートピーとは
- 2 赤いスイートピーの概要
- 3 収録曲
- 4 タイアップ
固有名詞の分類
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