豊橋市
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とよはしし ![]() 豊橋市 | |||||
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国 |
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地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 愛知県 | ||||
市町村コード | 23201-7 | ||||
法人番号 |
3000020232017 ![]() | ||||
面積 |
261.86km2 | ||||
総人口 |
367,294人 [編集] (推計人口、2022年12月1日) | ||||
人口密度 | 1,403人/km2 | ||||
隣接自治体 |
豊川市、新城市、田原市 静岡県:浜松市、湖西市 | ||||
市の木 | くすのき | ||||
市の花 | つつじ | ||||
市の歌 |
豊橋市歌、躍進 豊橋音頭、ちぎり音頭 | ||||
豊橋市役所 | |||||
市長 | 浅井由崇 | ||||
所在地 |
〒440-8501 愛知県豊橋市今橋町1番地 北緯34度46分09秒 東経137度23分30秒 / 北緯34.76917度 東経137.39153度座標: 北緯34度46分09秒 東経137度23分30秒 / 北緯34.76917度 東経137.39153度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
愛知県の南東部に位置する。東三河地方における経済・交通の中心であり、愛知県の県庁機能の一部を有している[1][2]。市の人口は約37万人で県内5位。2015年の昼夜間人口比率は97%と流入人口より流出人口のほうが上回っている[3]。
中世から江戸時代まで市の中心部は吉田(よしだ)と呼ばれていた。吉田という地名は全国各地にあったため、三州吉田と呼ばれることが多かった。
吉田は豊川と朝倉川の合流地点であり、渥美郡、宝飯郡、そして八名郡の境目に当たる。江戸時代には 吉田藩の城下町、吉田宿の宿場町、豊川水運で栄えた湊町であった。明治2年6月(1869年)の版籍奉還で、吉田から豊橋に改称した。
市徽章は、江戸時代末、吉田城に8代君臨した長沢・松平・大河内(ながさわ・まつだいら・おおこうち)家が用いていた馬印を横から見た形の千切(ちぎり)である。
三河港と豊川用水を擁し、貿易港と農業を主軸とする。16世紀の今橋城(のち吉田城と改称)建築以来、東三河の中心に台頭し、江戸時代は特に、三州吉田藩の城下町、東海道五十三次の吉田宿・二川宿があった。幕末の石高は7万石であり、岡崎藩・西尾藩を上回って三河国内では最大だった。
名称
市名の由来
- 吉田と今橋
伊勢神宮の神領の一覧表である神鳳鈔に、吉田御園と記載があり、神宮雑書にも、建久3神領注文、外宮領、承平年間宣下、長寛1免租。神宮雑書・建久3神領注文 = 吉田御園、外 = 給主故少納言重綱(藤原ヵ)所由 = 件御園、雑(新ヵ)神戸内往古神領也、承平以後官符宣旨重畳之上、長寛元年重被下奉免宣旨也 = 供祭物、上分米3石、雑用料17石、件上分米近年不究済之・神鳳鈔 = 吉田御園 = 外宮上分3石菓子、雑用20石・諸国御厨御園帳 = 吉田御園 = 3石、菓子、栗6篭。このことから、平安時代には、吉田の地名が確認できる。
今橋の初見は、応永5年11月22日の足利義満御判御教書の今橋御厨である。
貞応3年(1224年)頃の豊川は飽海川と呼ばれており、そこに架けられた橋の名前が今橋とされた。その後、大永2年(1522年)頃に今橋から吉田と改名されたという[4]。
牧野氏による吉田城築城のくだり(牛窪記)や、天文年中の牧野氏・今川氏の書状に見え、今橋跡職、名字之知にて御座候間、という今川氏への訴状。藩翰譜の牧野氏の項目に、今橋城が吉田城と改名されたという解説。天文年中の今川氏の書状で三州吉田という用語が見え、今橋が使用されなくなっている事実などから、牧野氏が治めていた時代には今橋が使用されていたが、今川氏が直轄支配の時代になると、吉田がもっぱら使われ、今橋は使用されなくなる。
徳川家の史料である三河物語や家忠日記では一貫して吉田となっており、伊勢神宮の史料でも吉田御園であり、今川氏による三河国領土化・吉田城の取得以後、一貫して吉田と呼称され、今橋が廃号となっていることなどからも、今橋が吉田に改称されたとは言い切れないだろう。
遊嚢賸記には、今橋ハ渡津ノ今道ヘカケタル故ノ名ナルベシ、という記述があり、東関紀行の文中にある、渡津の今道、という文言に今橋は由来するという。
- 明治維新により豊橋と改名
前述の通り明治新政府は当時の三河国吉田藩の藩名が伊予国吉田藩(宇和島藩の支藩)(旧愛媛県北宇和郡吉田町、現愛媛県宇和島市)に似て紛らわしいとのことで藩名変更の命を下した[5]。その命を受け藩主は「豊橋、関屋、今橋」の3つの名を選んだ。新政府はその一番目の「豊橋」を採用して、正式に「豊橋藩」という藩名とすることを命じた。その後廃藩置県の後も豊橋の名が使われる。
- 豊橋(とよはし:吉田大橋)
『三州吉田記』の記述にあるように、酒井忠次の吉田川(豊川)への架橋以前に、橋は存在しておらず、鎌倉時代の史書(『東関紀行』・『海道記』・阿仏尼の『うたたねの記』および『十六夜日記』)にも、川の浅瀬を渡っていることが記述されている。 徳川氏の武将の酒井忠次が、1570年(元亀元年)、関屋口から下地にかけて吉田川(豊川)に吉田大橋(土橋)を架ける土木工事を実施した。[6]その後、池田輝政が、船町を整備し前城主・酒井忠次が吉田川に架けた土橋の吉田大橋を木橋に架け替え、その位置も整備した下流の船町に移動させた。『三州吉田記』に「元亀元年、関屋之渡口始メテ土橋ヲ架ス」とあり、1591年(天正19年)にこの土橋を船町へ移すと記す。江戸時代には、江戸幕府が整備、管理する長さ120間の大橋であった。
この船町の吉田大橋(吉田橋)は、明治時代に架け替えた時、とよはしと名称を変更した。さらに、昭和に入ってから国道1号を整備した際、その上流(関屋口から下地)に新たに掛けられた橋を、以前の船町で呼称していた吉田大橋(よしだおおはし)と、再び名付けた。この国道整備により、かつての東海道は愛知県道496号白鳥豊橋線として県道になり、正式にはもともと架かっていた県道の大橋(西側の橋)の名を豊橋(とよはし)とするようになった。ただ、市名と橋名を区別するため、橋名を(とよばし)と呼ぶようになった。国土交通省は、豊橋(橋)の名前を(とよはし)として、登録している。
- 豊川(とよかわ)・豊川(とよがわ)の違い
豊川(とよかわ)というのは、古代律令制の三河国宝飯郡豊川郷に由来する。平城宮出土木簡に「参河国寶飯郡豊川郷」。長岡京出土木簡に、「延暦10年豊川里」。鎌倉時代になって鎌倉街道が整備されると「豊川宿」として機能した。鎌倉時代の史書では『海道記』に「豊河の宿」とある。『東関紀行』に「豊川といふ宿」と記載される。そして、現在の愛知県豊川市に至る。
豊川(とよがわ)は、古代律令制では飽海川(あくみがわ)と呼ばれた[要出典]。飽海(あくみ)とは渥美郡のことであり、7世紀までは、飽海(あくみ)と書かれたことが835年(承和5年)の木簡(太政官符)で確認されている。その後、室町時代から江戸時代までは吉田川と呼ばれた。[要出典] ことが『三河国聞書』から確認できる。1622年(元和8年)成立の『三河物語』においても、吉田河と記載されている。1849年(嘉永2年)の『徳川実紀』においても、吉田川と記載されている。愛知県図書館所蔵の江戸後期の三河国図においても、吉田川と記載されている。
中世から江戸時代まで、豊橋は吉田(三州吉田)と呼ばれていた。明治2年6月の版籍奉還で、吉田を豊橋と改めた。明治2年9月に成立した伊那県足助庁作成の三河国全図に、豊川(とよがわ)と記載されている。
地理


位置
愛知県の南東部に位置している。渥美半島の付け根部分であり、豊橋平野の上に市域が広がっており、高い山はほとんどない(主な山は北東部の石巻山(358メートル)など)。 南部は高師原、天伯原と呼ばれる台地となっている。
市内を、豊川、梅田川などが流れ、北東部は低い山々(弓張山地)が存在し、静岡県との境界を形成している。 市西部の豊川、梅田川河口は三河湾と、市南部沿岸は太平洋と接している。
太平洋岸は片浜十三里(表浜海岸)と呼ばれ、ウミガメの産卵で知られる。 三河湾と接する地域は大規模な埋め立て地があり、工業地の他、神野新田など穀倉地帯となっている
地形
山岳
- 主な山
河川
- 主な川
海岸
- 湾岸
- 灘
- 砂浜
- 片浜十三里(表浜海岸)
気候
気候は年間を通じて比較的温暖であり、冬季の降雪や積雪はほとんどない。
地域
地名
- 市内の町名
人口
![]() | |
豊橋市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 豊橋市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 豊橋市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
豊橋市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
長らく愛知県第2の都市であったが、平成の大合併で市域が拡大したり名古屋の郊外都市として宅地造成が活発な豊田市、岡崎市、一宮市に抜かれ、国勢調査に基づいた2018年10月1日時点の推計人口は373,592人であり、県内では第5位となっている[7]。
豊橋市の人口は2009年を境に減少に入り[8]、2019年の統計では日本人人口は2,525人の転出超過となり、全国の市町村で6番目の多さとなった[9]。職を理由に首都圏や名古屋圏に人口が流出しており、住宅確保を理由に隣の豊川市にも流出している[10]。2060年には豊橋市の人口が30万人を割り込むという厳しい将来推計が出されている[11]。
在住外国人
2018年(平成30年)12月現在の豊橋市における外国人登録者数は17,775人が居住しており、県内では名古屋市と豊田市に次ぐ数である[12]。 これは市民全体の約4.6%に当たる。そのため当市は外国人市民への対応を積極的に進めてきた[13]。
隣接自治体・行政区
注釈
出典
- ^ “東三河県庁 | 東三河県庁のポータルサイト | 穂っとネット東三河”. www.higashimikawa.jp. 2020年2月13日閲覧。
- ^ “東三河総局 - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年2月13日閲覧。
- ^ “豊橋市の概要”. 2020年2月13日閲覧。
- ^ 『豊橋百科事典』(豊橋百科事典編集委員会、2006年)p.73
- ^ 『日本歴史知名体系23巻 愛知県の地名』(平凡社、1995年5月) p.1045
- ^ 『藩史大事典 第4巻 中部編Ⅱ―東海』(雄山閣出版、1989年1月) p.233
- ^ あいちの人口 愛知県
- ^ “豊橋市人口ビジョン2ページ目”. 豊橋市. 2020年6月25日閲覧。
- ^ “【自治体ランキング】転出超過ワースト3は小山市、成田市、長崎市…新宿区が11位の驚き(高橋亮平) - Yahoo!ニュース” (日本語). Yahoo!ニュース 個人. 2021年6月25日閲覧。
- ^ “豊橋市政策研究レター”. 豊橋市未来創生戦略室. 2022年6月5日閲覧。
- ^ “まち・ひと・しごと創生/豊橋市”. www.city.toyohashi.lg.jp. 2022年6月5日閲覧。
- ^ “愛知県内の市町村における外国人住民数の状況(2018年12月末現在) - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年2月17日閲覧。
- ^ “外国人市民(がいこくじんしみん)と共(とも)に生(い)きる取組(とりくみ)/豊橋市”. www.city.toyohashi.lg.jp. 2020年2月17日閲覧。
- ^ 『伊能図から現代図まで 全国130都市の歴史をたどる 日本200年地図』(2018年10月30日、河出書房出版発行)317ページ。
- ^ 明示39年7月5日内務省告示第64号
- ^ 大たつ巻、東海道を真っ二つ 1人死に60人重軽傷 130戸に被害 車20台が飛ぶ『朝日新聞』昭和44年(1969年)12月8日朝刊、12版、15面
- ^ 未明の猛火 百貨店全焼 豊橋駅前 七階建をひとなめ『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月6日夕刊 3版 11面
- ^ “平成24年6月1日愛知県暴力団排除条例の一部を改正する条例が施行されました”. 愛知県 (2012年). 2022年9月22日閲覧。
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- ^ “【豊橋市】亀梨くん出演のタフマンのCMはご覧になりましたか?”. 本氣メディア株式会社. 2021年7月7日閲覧。
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- ^ “桜丘高生徒の活動を取り上げる 漫画「戦争めし」第7巻発売”. 東愛知新聞. 2021年8月12日閲覧。
- ^ “【地元作家コラム:雨森たきび】~私と地元~離れて分かるちょっと変な愛知県”. 三洋堂書店. 2021年7月22日閲覧。
固有名詞の分類
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