谷川浩司
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外部リンク
- 谷川浩司|棋士データベース|日本将棋連盟
- 神戸大使 谷川浩司 - 神戸市による紹介ページ
- 光よりも速く - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)(公認応援ページ)
- チーム康光 (@abT_yasumitsu) - X(旧Twitter)
注釈
- ^ 藤井聡太は2016年10月1日付で四段昇格しており、6年243日後に名人となっている。
- ^ 中学2年でプロ入りしたのは、谷川と藤井聡太の2名のみ。加藤の四段昇段時は、谷川より年齢は若かったが、誕生日の関係で中学3年であった。
- ^ なお、この頃の順位戦(1977 - 1985年度)は、主催社が朝日新聞社から毎日新聞社に変わった影響で、A級に相当するリーグが「名人戦挑戦者決定リーグ戦」、B級1組 - C級2組に相当するリーグが「昇降級リーグ戦1組」 - 「〃4組」という名称であった。
- ^ a b 谷川は当時の規定により、名人就位翌年の4月1日に、史上最年少で九段に昇段した。この記録は、竜王戦の昇段規定で飛び昇段を認めるなどの規定変更により、2005年に渡辺明(21歳7か月)が僅か2か月で3つ昇段して九段になり、破られた。ただし仮に、谷川が名人奪取の日(21歳2か月)に九段昇段していた(佐藤康光新名人以降の規定)とすると、記録は破られていなかった計算になる。最年少九段の記録はその後、2021年に藤井聡太(18歳11か月)によって更新された。
- ^ 「全日本プロ将棋トーナメント」は2001年度をもって発展解消して「朝日オープン将棋選手権」に移行した。そのため、同棋戦では谷川の優勝回数歴代1位が確定している。
- ^ 第23期十段リーグ(1984年8月3日)にて、自玉が王手がかからない穴熊であることを生かし、71手目に▲3二飛成と切って‘乱暴に’谷川玉を寄せて勝利。
- ^ 2020年現在、タイトル戦が7つになった以降に7タイトル(新設の叡王を除く)を各1回以上獲得した棋士は、他には中原誠と羽生善治のみである。ただし、竜王戦創設後では谷川が最初である(中原は竜王戦の前身の十段戦ではタイトルを獲得しているものの、竜王の獲得経験はない)。
- ^ まず、序盤早々、18手目△4二角と引いて4四の歩のタダ取りを許し、さらには、谷川の玉に迫っていた7九の と金を9九の香車を取るだけのために2手をかけて、△8九と(56手目)- △9九と(64手目)と「退却」させた。
- ^ 前年に竜王を獲得したことも、当年の賞金額に寄与している。
- ^ 2013年と2017年は渡辺明が1位。
- ^ これ以降も名人や竜王のタイトルを失冠して無冠になった後に段位を称する棋士が続いた事情もあり、2020年に前竜王と前名人の称号が廃止された。
- ^ ダイジェストを短時間で伝える予定だった深夜のNHK BS2の放送枠(1999年6月8日 23:40 - 24:00)は生中継と化し、司会の吉川精一アナウンサーは冒頭に「なお熱闘が続いています」を2度繰り返した。放送が始まった時は189手目で、谷川が佐藤の玉を詰ますことができるかどうかの難解な局面であったが、詰ませず、佐藤の203手目を見て23:54に谷川は投了した。
- ^ 三浦弘行が藤井システムの対策として考案
- ^ リーグ陥落の制度が無かった第1回、第1期および第2期(1950年度~1952年度)を除く。
- ^ 4年後の第55期王将戦で久保利明も「達成」した。
- ^ 第1局から順にゴキゲン中飛車超急戦、横歩取り青野新手3六歩、矢倉、角換わり腰掛け銀、向かい飛車、相穴熊
- ^ 2年後に森内俊之、5年後には深浦康市も達成している。
- ^ 2019年5月24日時点において、公式戦で谷川が羽生に勝利した対局は、このプレーオフが最後となっており、この後、谷川は羽生に公式戦16連敗をしている。
- ^ 歴代1位は大山康晴で、2位は升田幸三。詳細は将棋棋士の在籍クラス を参照。
- ^ 2012年8月17日に羽生善治が史上最速の1200勝を41歳10か月・四段昇段後26年8か月で達成している。
- ^ たとえば、朝日杯将棋オープン戦の前身の前身は全日本プロ将棋トーナメント。タイトル戦では竜王戦の前身は十段戦。
出典
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- ^ 新棋士会発足について|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 「棋士会」役員変更のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ “将棋の藤井聡太六冠 名人戦制す 史上最年少 名人獲得 七冠達成”. NHKニュース. (2023年6月1日) 2023年6月1日閲覧。
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- ^ a b c d “ホリデーインタビュー “負けず嫌い”を貫く〜プロ棋士・谷川浩司〜”. gooテレビ番組(関東版). goo. 2015年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月27日閲覧。
- ^ ただし、『常識外の一手』『藤井聡太論 将棋の未来』などに拠ると、「谷川をつぶす会が」出来たり、8連敗を喫した苦手がいたこともあって、三級から二級に昇級するのに11ヶ月を要した。
- ^ グランドチャンピオン2回・読売日本一・アマ王将3回・ 朝日アマ挑戦者 ・レーティングチャンピオン2回・学生王将・よい子名人中学生の部優勝リコー将棋部員 プロフィール
- ^ 「週刊将棋」1988年12月28日号
- ^ a b c d e 別冊宝島380『将棋王手飛車読本』谷川浩司著『中学生棋士』
- ^ 『第四十二期将棋名人戦全記録』(毎日新聞社)
- ^ 「米長邦雄の本」(日本将棋連盟)。
- ^ 「将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録
- ^ 『将棋マガジン』(日本将棋連盟)1996年3月号「米長邦雄のタイトル戦教室」
- ^ 日本将棋連盟書籍編『谷川vs羽生100番勝負-最高峰の激闘譜!』日本将棋連盟、2000年。ISBN 978-4819702102
- ^ a b 『将棋マガジン』(日本将棋連盟)1996年4月号「同時進行ドキュメント」
- ^ “「7七の地点が光って見えた」谷川浩司九段が語る、2100局以上の公式戦史上最高の一手とは?|将棋コラム|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年4月12日閲覧。
- ^ 2009年11月28日放送の「囲碁・将棋ジャーナル」
- ^ 谷川浩司JT覇者が東京都・大阪市に盤駒寄贈|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 谷川浩司九段が1200勝を達成!|将棋ニュース|日本将棋連盟
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- ^ 『日本将棋用語事典』p.71 斜体部は当該ページより引用。ママ。
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- ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟
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- ^ 谷川浩司専務理事、新会長に|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ シンクロ(所在地:東京都品川区、代表取締役社長:西井敏恭)
- ^ 将棋ニュース(2016年07月19日)
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- ^ “ソフト使用疑惑「不正の証拠ない」 第三者委”. 毎日新聞 (2016年12月26日). 2016年12月26日閲覧。
- ^ 日本将棋連盟web(将棋ニュース「第三者委員会調査結果を受けて」2016年12月27日 18:55)
- ^ 朝日新聞DIGITALニュース「離席発言「真偽の調査を怠った」 将棋連盟の説明詳細」(2016年12月28日2時4分)
- ^ “会長の辞任に関するお知らせ”. 日本将棋連盟 (2017年1月18日). 2017年1月18日閲覧。
- ^ “「どうしても言いたいことがある」 三浦九段が初めて語った騒動の内幕” (jp). オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」. 産経デジタル. 2019年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月12日閲覧。
- ^ 棋士、それぞれの海外旅行 - 将棋ペンクラブログ・2013年1月17日
- ^ 第32回近鉄将棋まつり
- ^ 谷川浩司九段が紫綬褒章を受章|将棋ニュース|日本将棋連盟
- ^ a b 『通算成績|成績・ランキング|日本将棋連盟』2023年4月1日。 オリジナルの2023年4月1日時点におけるアーカイブ 。
- ^ 第34回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟
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