識字
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歴史
総論
その歴史において文字を持たなかった文明においては識字という概念が存在しないのは当然であるが、文字を発明または導入した文明においても古代から中世における識字率はどこも非常に低いものだった。文字を記し保存する媒体、およびそれを複製する手段に制限があったため、文字自体の重要性が低く、社会の指導層を除いて識字能力を獲得する必要性が少なかったためである。こうした状況は、紙の発明によって媒体の制限がやや緩んだものの、どの社会においても中世にいたるまでほとんど変わらなかった。
こうした状況は、ヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷の発明によって大きく変化した。活版印刷によって本が大量に供給されるようになり、それまで非常に高価だった書籍が庶民でも手に入るようになったため、識字の必要性が急激に高まったのである。また印刷によって書籍に整った文字が並ぶようになったことは、それまでの手書き本に比べて読解を容易なものとし、識字の有用性をより高めることとなった。こうした書籍の氾濫は、貴重な本を一人の人間が読み上げそれを周囲の大勢の人間が拝聴するという形で行われていた知識の伝達システムを変化させ、聴覚に代わり視覚が優位に立つ新しい方法が主流となった[17]ため、識字能力の重要性はさらに増大した。
全ての文化で文字があるわけではなく、いわゆる無文字社会も多かったが、19世紀以降こうした民族においてもラテン文字による正書法を定めることが多くなった。これは、ヨーロッパから送り込まれたカトリックやプロテスタントの宣教師が布教のために現地諸言語のラテン文字化を推進したためである[18]。
メソポタミア
世界最古の文明のひとつであるメソポタミアではすでに文字が発明されており、各都市では学校が設立され書記が養成されて行政文書の作成にあたっていた。またシュメール文学も確立していた。しかし文字の読み書きは特殊技能であり、書記以外のほとんどの人は文字の読み書きができず、識字率は非常に低かったと考えられている。各都市の王でさえ識字能力は求められず、まれに識字能力を持つ王が現れた場合、記録にはそのことが高らかにうたわれていることがある[19]。
古代エジプト
古代エジプトの教育制度については不明な点が多いが、裕福な農民の子供たちを含む、裕福な家庭の子供は14歳になるまでの間、公的な教育が施されており、医学・数学・建築などの発展に寄与した[20]。また古代エジプト文学も確立しており、一定の識字率があったと推測されている。
ヨーロッパ
ローマ帝国では軍隊の入隊試験にラテン語試験が組み込まれる、ラテン語教師に市民権が与えられる等、国の政策で公用語であるラテン語の普及に努め、軍隊の指示の迅速化や地方行政の円滑化を図っていた。
中世も後期に入ると知識階級の間ではローマ教会の公用語であったラテン語の読み書きが広まり、ヨーロッパ内で知識人たちは自由にやり取りをすることが可能となっていったが、一般民衆には全く縁のないものであった。教育、特に高等教育はすべてラテン語で行われ、書物もラテン語で書かれ、聖書もラテン語で書かれるものであり、一般民衆がこれらを読むことは困難だった。これはすなわち、各地方の言語で行われる一般市民による音声言語の文化と、知識人たちによる文章言語の文化が断絶していたことを示している[21]。
この状況が変化するのは、マルティン・ルターによって宗教改革が開始されてからである。プロテスタント諸派は聖書を信仰の中心に据えたため、一般市民も聖書を読むことができるよう聖書の各国語への翻訳と民衆への教育を積極的に行い始めた[22]。同様の理由でこの時期プロテスタント圏においては義務教育が提唱されるようになり、17世紀前半にはワイマール公国・ゴータ公国・マサチューセッツ植民地などで義務教育が導入されるようになった。その後もプロテスタント圏における義務教育推進や母国語識字教育は続き、18世紀には周辺地域に比べ新教地域の識字率は高かったとされている[23]。こうした教育の普及努力により、17世紀以降西ヨーロッパ諸国において識字率は徐々に上昇を始めた。しかしこの時期においても知識階級の文章言語はラテン語のままであった。
17世紀と18世紀を通じ上昇を続けた識字率は、19世紀に入るとより一層上昇するようになった。これは産業革命の開始によって識字能力が業務上多くの職種において必須となり、国力を増進させたい国家と生活水準を上昇させたい市民がともに識字能力を強く求めるようになったからである。ほとんどの国で義務教育が導入されるようになり、またラテン語にかわって各国語において高度な知識が記述され出版されるようになり、知識階級と一般市民の文章言語の断絶が解消したのもこの時期のことである。19世紀末には、イギリスやフランスなど当時の最先進国においては識字率が9割を越え、ほとんどの人々が文字を読み書きすることが可能となっていた[24]。
日本
近世以前
日本での文字の普及は比較的遅く、6世紀頃からである[25]。近世以前には公家や僧侶など知識階級は、中国からもたらされた漢籍や仏典を通して漢字や漢文の読み書きを修得していた。一方で、1232年に制定された御成敗式目の意義について、北条泰時が弟の北条重時に宛てた書状(泰時消息文)において、「武士の多くは仮名は読めるが難解な漢文を読めないため、律令について知らないことから、武士にも理解出来るような文にした」と記しており、初期の武士の多くは仮名と簡単な漢字しか読めなかったと考えられている。このため公式な文章を作成する際には書札礼に精通した右筆に代筆させ、自身は署名・花押を押すという習慣が広まった。後に武士の識字率が向上すると、右筆は次第に事務官僚化していった。
室町時代には読み書きが広い階層へ普及し始めたため、『下学集』や「節用集」などの実用的な辞典が編纂された。これらの辞典は漢字に読み仮名が振られており、仮名については普及していたと考えられている。
1443年に朝鮮通信使一行に参加して日本に来た申叔舟は、「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、また幕末期に来日したヴァシーリー・ゴロヴニーンは「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」[26]と述べている。ここでは漢字と仮名の違いについて言及されていない。一方、近世までの日本の識字率は同時代の北西ヨーロッパには遠く及ばない水準であり、「江戸時代の日本の識字率は世界一だった」という説も現在の研究では否定されている[27][28]。
近世の識字率の具体的な数字について明治以前の調査は存在が確認されていないが、江戸末期についてもある程度の推定が可能な明治初期の文部省年報によると、1877年に滋賀県で実施された一番古い調査で「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率は男子89%、女子39%、全体64%であり、群馬県や岡山県でも男女の自署率が50%以上を示していたが、青森県や鹿児島県の男女の自署率は20%未満とかなり低く、地域格差が認められる[29]。
また、1881年に長野県北安曇郡常盤村(現・大町市)で15歳以上の男子882人を対象により詳細な自署率の調査が実施されたが、自署し得ない者35.4%、自署し得る者64.6%との結果が得られており(岡山県の男子の自署率とほぼ同じ)、さらに自署し得る者の内訳は、自己の氏名・村名のみを記し得る者63.7%、日常出納の帳簿を記し得る者22.5%、普通の書簡や証書を白書し得る者6.8%、普通の公用文に差し支えなき者3.0%、公布達を読みうる者1.4%、公布達に加え新聞論説を解読できる者2.6%(当時の新聞論説は片仮名交じり漢文調で、非常に難しかった)となる。したがってこの調査では、自署できる男子のうち、多少なりとも実用的な読み書きが可能であったのは4割程度である[30]。
府県 | 調査初年次 | 調査対象 | 男子 | 女子 | 全体 |
---|---|---|---|---|---|
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1877年 | 満6歳以上 | 89.23 | 39.31 | 64.13 |
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1880年 | 79.13 | 23.41 | 52.00 | |
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1881年 | 全住民 | 37.39 | 2.71 | 19.94 |
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1884年 | 満6歳以上 | 33.43 | 4.00 | 18.33 |
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1887年 | 65.64 | 42.05 | 54.38 |
ただし、近世の正規文書は話し言葉と全く異なる特殊文体と複雑な書式(書札礼)の知識が必要であり、公家や僧侶など幼少から学習を続けた者か右筆のような専門職が行う仕事であった。近世期「筆を使えない者」を意味する「無筆者」とは文書の作成に必要な漢字や文体(漢文)を知らない者を意味しており[注釈 1]、庶民のみならず右筆に頼る武士の多く[注釈 2]も「無筆者」であった。なお基本的な仮名は庶民の間でも常識に属し、大衆を読者に想定したおびただしい平仮名主体の仮名草子が発行されていた。
義務教育開始以前の庶民の文字教育を担ったのは寺子屋であり、仮名と簡単な漢字の学習、および初歩の算数を加えた「読み書き算盤」は主要科目であった。寺子屋の入門率から識字率は推定が可能であるが、確実な記録の残る近江国神埼郡北庄村(現・滋賀県東近江市)にあった寺子屋の例では、入門者の名簿と人口の比率から、幕末期に村民の91%が寺子屋に入門したと推定される[29]。江戸期には武士の子息は7〜8歳になると藩校に入り、四書五経をテキストに素読と習字を学んでいた。
近代以後
明治時代に義務教育が開始され、徐々にその普及が進んでいくにしたがって識字率は上昇していった。しかし明治政府が印章文化の偏重を悪習と考え、欧米諸国にならって署名の制度を導入しようと試みたが[31][32]、事務の繁雑さと共に識字率の低さを理由に反対意見が相次いだため断念している[33]など、明治初期には公共サービスに支障があるレベルだったことが窺える。この時期の識字率調査としては1899年(明治32年)より第二次世界大戦直前まで、徴兵検査と同時に新成人男子に対し行われた「壮丁教育程度調査」があるが、これによれば調査開始の1899年においては成年男子の23.4%は文字を読むことができず、20歳識字率は76.6%にとどまっていたが、その後識字率は急速に上昇し、1925年(大正14年)には20歳非識字率はわずか0.9%、機能的非識字者を合わせても1.7%にまで減少して、このころまでに新規の非識字者の出現はほぼ消滅したと考えられていた。女性においても1935年(昭和10年)ごろには新規非識字者の出現はほぼなくなったと考えられており、この時点で非識字者は、すでに成人したもののみに限られるという見解が一般的であった[34]。
第二次大戦終結後、1948年(昭和23年)に「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、GHQのジョン・ペルゼル[35]による発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。そして正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指示した(統計処理は林知己夫が担当)。1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね[36]、日本語のローマ字化は撤回された(漢字廃止論も参照)[37]。この調査方法には設問や地域による影響も指摘されている[38][39]。
戦後の日本では初等教育で日本語の読み書きを学習するため成人の非識字者はいないという建前上、積極的な調査研究はほとんど無く[34]、1955年に行われた日本語の読み書きに関する調査でも「日本に読み書きできない人はほとんどいない」という見解に基づき、調査は関東と東北に居住する15~24歳の1460人を対象とした 「国民の読み書き能力調査」のみで終了した[38][40]。1948年の大規模調査から時間が経過し、義務教育を受けられなかった者の存在や、在留外国人が母国から呼び寄せた子息の増加など社会構造の変化を捉えていないとされる。NHKが独自に行った2017年の調査では、義務教育を受けられないため基本的な日本語の読み書きが出来ない成人や、成人後に夜間中学校で習得した事例[41]も確認されており、正確な識字率は不明である[40]。また第二次世界大戦後の混乱により樺太に取り残され、後に日本に帰国した樺太残留邦人の中にも日本語の読み書きが出来ない者がいる[42]。
アジア
近代以前のアジアでは中国の影響により知識階級は漢字を習得していたが、庶民層は自国の文字を使うため、漢字を知る支配階級と格差が存在した事例が多い。
中国では1950年代から、識字率を引き上げる目的で簡体字を採用し、多くの漢字を9画以内に収めた。
15世紀にハングルを創製して表音文字を導入した朝鮮では、ハングルのみを知っている人間は庶民にも少なからずいたが、漢字に関しては初歩的な字以上の知識を持つ者は非常に少なく、知識階級や富裕な商人に限られていた。
ベトナムでは表音文字を自力で開発しなかったため、複雑なチュノムと漢字を知ることができる層と、それ以外とに分かれ、庶民は文字を知っていても、少数の漢字とチュノムを書けるだけという例が多かった。
その他
イングランドにおいて機能的識字が社会的に浸透したのは、11 - 13世紀とされる[43]。
注釈
- ^ 2014年現在でも、出入国管理及び難民認定法施行規則第55条において、「無筆、身体の故障その他申請書を作成することができない特別の事情がある者」の口頭申請を認める規定があり、法令用語として「無筆」が使用されている。
- ^ 伊達政宗の教育係となった虎哉宗乙のように、裕福な武士は子息のために僧侶を招聘していたが、大多数は仮名と基本的な漢字のみしか読めなかった。
出典
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