読売新聞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/26 14:18 UTC 版)
創業者
子安峻、本野盛亨、柴田昌吉が創業し、子安が初代社長(1874-1889)、本野が2代目社長(1889-1909)を務めた。子安峻(1836-1898)は、大垣藩士子安宗茂の長男として生まれ、江戸に出て砲術、蘭学、舎密学、英語などを学んだのち、1868年に外務省高官となり、傍ら1870年横浜毎日新聞の創刊に関与し、横浜で日就社を創立、1873年には、英和辞典『附音挿図英和字彙』を柴田昌吉とともに出版、翌年読売新聞を発刊した[20]。
なお、三代目社長は高柳豊三郎(1910-1912)、四代目は本野英吉郎(1912-1917)、五代目は秋月左都夫(1917-1919)、六代目は松山忠二郎(1919-1924)が務めた[21]。
人事
主筆
- 高田早苗(半峰)(1887年8月1日 - 1891年12月31日)
- 市島謙吉(春城)(1892年1月1日 - 1894年5月31日)
- 中井喜太郎(錦城)(1894年6月1日 - 1901年10月22日)
- 松平康國(1901年10月23日 - 1902年2月28日)
- 石井勇(白露)(1902年3月1日 - 12月)
- 足立荒人(北鴎)(1903年1月1日 - 1906年11月20日)
- 竹越與三郎(三叉)(1906年11月20日 - 1907年6月27日)
- 足立荒人(1907年6月27日 - 1910年3月20日)
- 笹川潔(東花)(1910年3月20日 - 1913年12月28日)
- 五来欣造(素川)(1914年2月10日 - 1915年8月)
- 金崎賢(1915年8月 - 1918年3月30日)
- 伊達源一郎(1918年5月1日 - 1919年9月1日)
- 松山忠二郎(1919年9月1日 - 1921年)
- 大庭景秋(柯公)(1921年)
- 山崎光二郎(1930年3月 - 1933年1月15日)
- 高橋雄豺(1933年11月10日 - 1945年10月24日)
- 小林光政(1935年10月24日 - 1946年2月)
- 岩淵辰雄(1946年6月14日 - 10月19日)
- 馬場恒吾(1946年10月19日 - 1948年9月14日)
- 安田庄司(1948年9月14日 - 1949年5月20日)
- 小林與三次(1965年8月1日 - 1970年5月30日)
- 渡邉恒雄(1985年6月26日 - )[22]
組織
社会部
1953年には「読売新聞社会部」が第1回菊池寛賞を受賞(原四郎を中心とする同社会部の暗黒面摘発活動)、1955年には社会部記者の安部光恭が第3回菊池寛賞を受賞している。
また、読売新聞は、かつて立松和博、本田靖春(東京本社)、黒田清、大谷昭宏(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。
競馬の予想記事や漫画欄を作ったりして、庶民向きの読みやすい紙面作りを進めたが、その推進役は編集局長になった柴田勝衛である。…この柴田が正力社長の下で起死回生を狙ったのが、日本各地に縄張りを持って君臨していた、素性の知れたヤクザの親分衆36人を選んだ企画であり、『人物の森』風の人物評伝に仕立てて連載すると、それが評判になり売上げを大いに伸ばした。連載が終わった年の正月のことである。紋付きハカマに正装した36人の親分衆が市電を止めて数寄屋橋の大通りに並び、読売新聞社の正面玄関に向かい土下座して一斉に頭を下げると、「柴田編集長にご挨拶したいので、読んで頂きたい」と申し入れた。…柴田は悠然と正面玄関に現れたのであり、その前にひれ伏した親分衆の代表が、「われわれのような日陰者を、こんな晴れがましい紙面で世間様に紹介くださり、光栄の至りに思う次第であります。このご恩は孫子末代まで忘れることはせず、…、われらの血筋が続く限り読売新聞の進展に死力を尽くすことを、ここで一同で誓約いたします」と言って、粛然と引き上げていったそうである。
田辺則雄発行名儀人(昭和27年頃)の話によると、読売新聞の社会部は大躍進を遂げ、親分衆の協力による物凄い特ダネ続きとなり、下町衆の支持を受け売り上げを伸ばした。…社会部長の田辺則雄も、読売の名物男で、戸籍にバツ印(×)が11も付いており、幾ら日本の新聞界に人材がキラ星でも、前科11犯はそうザラにある話ではない。…親分衆から一目を置かれる存在だったという。こんな伝統があることが大きく影響して、朝日を始め他社は暗黒街の取材が仲々出来ないのに、読売の社会部だけはスクープを記録し続け、新聞界では未だに一頭突出するのだそうだ — 藤原肇『朝日と読売の火ダルマ時代』国際評論社、1997年
読売新聞大阪社会部はコラム「窓」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が社会部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし1980年代に社内で渡邉恒雄らによる保守的思潮が主流になると圧力が高まり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。渡邉に放逐された記者は数多いが、渡邉が直接手を下すことはなかった。渡邉の意を体した周囲が該当する記者を左遷したり、仕事を取り上げたりして、退社に追い込むのが常であったと言われている[23]。
医療情報部
読売新聞は、他の全国紙にはない医療専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である前野一雄は、自身が脳動脈瘤、次いで甲状腺がんを患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は杉谷巌との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。
注釈
- ^ 2019年4月度ABC部数の最も大きい減少は読売新聞で、1ヵ月約6万部、1年約42万部減である。[1]
- ^ 社長就任前は、横浜税関の翻訳官を務め、『横浜毎日新聞』の記者でもあった。
- ^ 1951年8月に朝刊に移動。
- ^ 報道協定を参照。
- ^ a b 夕刊のスクリーントーンは夕刊創刊時〜1993年11月30日までは東京本社、および東京本社傘下の北海道・北陸両支社版のみで、バックに灰色と白の縦じまを入れていたものであった。1993年にカラー化が本格的に進むと、同年12月1日付より大阪本社・西部本社を含めて夜をイメージする薄い青紫色に白の縦じまを入れたトーンが採用された。題字へのトーン廃止後は発行所(札幌、東京、高岡、名古屋、大阪、福岡)を記載する欄にトーンの配置を変更。朝刊は黄土色、夕刊は薄い青紫色のバックを使っている。
- ^ 2009年5月31日付までは西部本社管轄の北九州工場で印刷されていたが、輸送上の問題から大阪本社管轄の尾道工場の印刷に切り替えた。
- ^ 全国紙では産経新聞が東京本社管内で2002年3月末、毎日新聞が北海道支社管内で2008年8月末、朝日新聞が西部本社管内で2010年3月末に佐賀県と大分県、2012年3月末に福岡県と山口県のそれぞれ一部で夕刊を休廃止した例がある。また朝日新聞は名古屋本社管内の土曜日付夕刊発行を2012年10月中旬で休止した。
- ^ 川鉄・川重とも登記上本店は神戸市である。なお川鉄はその後NKKと統合、JFEスチールとなって以後、登記本店を東京都千代田区に移している。
- ^ 実際に川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いたこともあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている。
- ^ なお、当時のヴェルディ川崎が本拠地を置いていた川崎市は他に富士通サッカー部、東芝サッカー部(いづれもJFL=当時のJリーグの2・3部に当たる組織)が本拠地としていたが、前者は「富士通川崎FC」を経て現在の川崎フロンターレとなり1999年にJリーグに加盟。東芝は1996年に本拠地を北海道札幌市に移し、北海道コンサドーレ札幌となって、1998年にJリーグに加盟している。
- ^ 1995年で解消。その後は横浜市にホームタウンを統合。
- ^ 1998年に横浜Fが横浜Mに吸収される形で統合され、現在は横浜F・マリノスである。なおフリューゲルスのサポーター有志により、改めて横浜FCが設立。JFL(当時のJリーグの3部に当たる組織)への特例参加を経て2001年にJリーグに参加している。
- ^ 2020年3月までは岩手日日新聞社の関連会社「青森高速オフセット」への委託だったが、運営会社の事業譲渡により同4月から読売新聞東京本社に移譲。10月に社名を変更し事実上の直営化となった。
- ^ 凸版印刷系の工場で印刷。
- ^ 十勝毎日新聞の工場にて印刷。
- ^ a b 岩手日日新聞社の関連会社の工場(仙台高速オフセット、栃木高速オフセット)で印刷。
- ^ a b アサガミプレスセンターの工場で印刷。
- ^ a b 光村印刷の工場で印刷。
- ^ 朝日プリンテック船橋工場にて印刷。
- ^ 新潟日報社黒埼本社内にある印刷センターにて印刷。
- ^ 「北日本新聞・創造の森 越中座」にて印刷。2011年3月21日に、それまで高岡工場(北陸支社内)で印刷していた石川・富山両県発行分の印刷を引き継いだ(それと同時に最終面左下隅での表記も「北陸」から「富山」に変更となった)。
- ^ 宮崎日日新聞社佐土原センターにて印刷。2019年7月から、これまで鳥栖工場で印刷していた宮崎・鹿児島両県発行分の印刷を引き継いだ。
- ^ その他の全国紙では、産経新聞が東京本社管内の夕刊が2002年3月30日に、毎日新聞が北海道支社管内の夕刊が2008年8月30日にそれぞれ休廃止された例がある。また朝日新聞は名古屋本社管内の土曜日の夕刊発行が2012年10月13日をもって休止された。
出典
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- ^ 読売新聞のニュースリリースより[リンク切れ]
- ^ 本社「適正報道委員会」を新設 正確・信頼の紙面追求 及び2014年11月12日13S版1面
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- ^ ロイター アサヒのサッポロへの経営統合提案、両社とも「事実ない」と否定
- ^ 読売の挿絵に著作権侵害の疑い 高知新聞などに謝罪
- ^ 読売記者、ネット情報だけで記事 休職1カ月処分 金沢
- ^ 読売新聞記者が記事を捏造
- ^ 読売記者が中国新聞盗用 野球コラム酷似、謝罪
- ^ 読売記者が記事盗用 中国新聞のプロ野球コラム
- ^ 読売記者の記事盗用は8本=諭旨退職など社内処分
- ^ 大手マス・メディアの信用を毀損する読売新聞の世論調査記事JANJAN2009年7月24日
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- ^ 東電社長に築舘氏…赤字1・5兆、清水氏引責
- ^ 東電、赤字1兆2千億円…社長は西沢常務が昇格
- ^ 烏賀陽弘道・上杉隆『報道災害【原発編】 事実を伝えないメディアの大罪』幻冬舎新書、2011年7月、270頁
- ^ 小沢氏側近の山岡氏が初入閣、鹿野農相は再任
- ^ 誤算の「岡田玉突き」=藤井氏の説得不調-閣僚人事、時事通信社
- ^ 巨人・新人契約金「超過」読売新聞が朝日新聞に「もっと取材しろよ!」『J-CASTテレビウォッチ』2012年3月15日、
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- ^ 【独自】文在寅氏の五輪中来日で調整…韓国側は首脳会談を希望、日本側は慎重姿勢 読売新聞オンライン
- ^ 韓国・文大統領の来日報道「事実はない」 加藤官房長官 産経新聞
- ^ 【独自】18歳以下に10万円支給へ…政府・与党、所得制限設けず 読売新聞オンライン
- ^ 高市早苗政調会長、18歳以下の給付金報道を否定 公明の目玉公約に調整難航も Sirabee
- ^ 島津製作所、空自向け部品製造から撤退へ…低収益で防衛事業の継続困難読売新聞オンライン
- ^ お知らせ 本日の一部報道についてSHIMADZU
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- ^ 朝日からウィキペディア修正820件! 厚労省の8倍の仰天事実 - Jcastニュース2007/9/12
- ^ 裁判員に読売新聞が取材 裁判員法に抵触のおそれ
- ^ 裁判員法:抵触か 奈良の裁判員に読売記者が取材
- ^ 地裁所長、読売新聞に抗議=裁判員取材の記事掲載問題―奈良
- ^ 裁判員を取材 読売新聞に抗議
- ^ 読売に地裁が抗議文 裁判員取材「誠に遺憾」
- ^ 裁判員取材の読売新聞に奈良地裁が抗議
- ^ 「読売新聞1面に期待していたのに」 巨人の「お家騒動」ほぼ無視でガッカリ
- ^ popstyle 夕刊購入方法 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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