誉 (エンジン) 評価

誉 (エンジン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/19 23:20 UTC 版)

評価

大戦末期の日本軍の2,000馬力級の戦闘機には誉が搭載されていたことや、終戦まで本エンジンの生産が続けられたことから、日本を代表する航空機エンジンであると評価されている。また、戦後にハイオクタンガソリンと高品質潤滑油や高熱価のプラグを使用して誉を調査したアメリカ軍は、本エンジンに高い評価を与えていることから「日本の航空技術が生んだ奇跡のエンジン」と評価されている。その一方で、既に生産効率や品質管理の考えを導入していた欧米とは反対に、自国の技術水準を考慮せず発揮される性能のみを過度に追求した設計や、烈風の試作機のテスト結果や実戦で性能を発揮できなかったことから「欠陥が多いエンジン」という相反する評価がなされている。

欧米では二段二速のスーパーチャージャーを搭載し高度9000mでも安定した性能を発揮するマーリンエンジンや、燃料噴射装置と無段変速の過給機を備えたDB 601などが安定した品質で大量生産され、メーカーが詳細な整備マニュアルを現場の意見を反映して改訂することで稼働率の維持と負担軽減を実現していたが[6]、日本では前線の整備員が理解できるマニュアルが用意されず、軍でもメーカーで研修を受けた整備員が部下に実地で指導していたため、指導者の理解度や技量に影響を受け部隊ごとに稼働率が異なるのが普通であり、メーカーが整備員向けの公式マニュアルを用意したは例外的であった[7]。このためカタログ値だけ見れば高性能であったが、それを発揮出来た例は少なかった。

品質低下とその影響

当時の日本の工業界は国家総動員法により、大量生産を意識した体制へ舵を切り、その一環で規格化やマニュアルの導入、生産ラインの機械化も実施されてはいたものの、他の主要参戦国のような規格化や品質管理が不徹底であり、結果的に熟練工に依存する生産体制となってしまった。その影響もあり、開戦時は戦前に生産されていた分のおかげで大量生産しなくても需要を満たすことができ、開戦後も中期ごろまで熟練工が多数いたことや需要と供給のバランスが保っていたため、その時期に生産された完成品は歩留まり率が高い傾向であったが、戦争後期になると生産能力や物資不足の問題が表面化。戦局の影響で需要が急拡大したため、供給不足に陥った。また、熟練工が徴兵され代わりに学徒勤労動員を筆頭とした素人に生産させる状態になったことで完成品の歩留まり率は低下。そのうえ、生産数を減らして品質を確保するより生産量を確保することを優先するなど、発揮できる生産能力以上の生産を実施したため粗製濫造を招き、歩留まり率の低下に拍車をかける原因となった。対策として代用材料の使用や部品製作の簡略化が図られたものの、焼け石に水程度の効果であり、またアメリカ軍の空襲により生産施設が破壊されたことによる歩留まり率の悪化も起き、どのような理由にしても戦争後期は品質の悪化の一途をだどる状況であった。

こうして本来の性能を発揮できない不完全な誉が数多く出荷され、結果的に搭載機の性能不足や稼働率低下を引き起こすこととなった。稼働率低下の一例をあげると、1945年(昭和20年)7月の松山基地の偵察部隊では保有していた彩雲16機のうち作戦可能機はわずか2機に過ぎず、1機は故障、残りの13機のうち8機までがエンジンの調整・整備に追われるという有様であった。

当時、零戦の後継機として開発中であった烈風の主任設計者である堀越二郎技師は、同機のエンジンとして誉を搭載することに反対していたが、それはエンジン品質の低下による性能の額面割れを危惧したからだと本人が証言している[8]。実際に誉を搭載した烈風の試作機は大幅な性能不足で、三菱内でエンジン出力を測定したところ1,300hp/6,000m程度(地上計測による換算値、なお海軍の保証値は1,700hp/6,000m)しかなく、さらに同時期に製造された誉搭載機の速度・上昇率を調べたところ公称値よりも低下しており、いずれも烈風の試験結果に対応していたと報告されている[9](なおこれに対し、中川技師は烈風の試験が行われたのは前述した吸気系の鋳物の改善前でエンジン出力が最も低下していた時期ではなかったかと述懐している[2])。

飛行第47戦隊付「整備指揮小隊」

中島飛行機では「誉」にも公式マニュアルを用意していたが、教育体制の不備により活用できた部隊は少なく、現場でも「故障しやすいエンジン」というイメージがあった。

例外として飛行第47戦隊付整備指揮班長刈谷正意中尉[注 7] によれば、「油圧低下や燃圧振れはポンプ吸入側の空気吸い込みが主原因であるのに、これを修治せず放置するとエンジン内部故障になり」「誉は直ぐに故障する」となるが、それは「自己の怠慢を天下に公表しているようなもの」であると評した。「誉」の整備にも、特に「秘策はなく定時点検整備を、時間管理票に従ってマニュアルに少し手を加えて行う」ことにより「在隊稼働率100パーセントを維持(定数外大修理機を入れれば87パーセント)」を終戦まで維持したとのことである。

また47戦隊では、官制にはないが独自に創設した組織として「整備指揮小隊(整備指揮班)」が存在した[10]。これは全般の技術的指導、各整備小隊間のコントロール、対外連絡、資料の作成や収集などのエンジニアリングを行うものであった。優秀選抜兵による「第4小隊」は、作戦から独立して故障修理にあたり、手のかかる故障機等を迅速に戦列復帰させた。

整備兵員への教育も徹底され、日々の整備を実地の訓練として、各整備小隊長は整備隊長の教育実施計画の下、毎日の教育実施結果を整備隊長に報告し、幹部整備員は隊長の教育を毎週あるいは適時に受け、課題へリポートすることが義務付けられた。これらにより、異動や戦闘などの損失を受けても整備員の質を維持するなど、欧米に比類する体制が整えられた。

搭乗員も機体整備の情報共有へ組織的(陸軍では、個別に手すき時や最前線進出時には搭乗員も伝統的に整備を行っていた)に参画が命ぜられ、戦隊長以下の全パイロットも適時取扱いの研修を整備より受け、自機の不具合はデータ付で整備に提出しなければならなかった。このように搭整一体の協力により、兵器の質の維持が敗色の濃い中、終戦まで維持されたのである。刈谷によれば「47戦隊で100パーセント働いた」エンジンが他部隊で動かなかったのは「日本陸軍の整備教育が間違っていたから」であり、「疾風(誉)のせいじゃない」と回想している。

実際、エンジンの種類は違うものの、液冷エンジンのアツタも誉と共通する点があり、それを搭載した彗星も(エンジンだけが理由ではないものの)稼働率の維持に悩まされた。だが、それを主力とした芙蓉部隊は高い稼働率の維持に成功しており、それを実現できた背景には整備が徹底されていたという経緯があるため、刈谷の発言の根拠を補強する結果となっている。




  1. ^ 大木主計編集「丸メカニックNo.15 艦上偵察機彩雲」1979、潮書房 p.46  p.62~65
  2. ^ a b c d e f g 中川良一・水谷総太郎『中島飛行機エンジン史 若い技術者集団の活躍』(酣灯社、1987年増補新装版) ISBN 4-87357-011-5
  3. ^ a b c A.T.I.G. REPORT No.45 1945年 - サイト『WWII Aircraft Performance』内よりリンク。
  4. ^ 決戦戦闘機「疾風」(潮書房、2011年08月号) 104p-109p ASIN B0058VAJ4I
  5. ^ a b 世界の傑作機 No.124 強風、紫電、紫電改』(文林堂、2008年) ISBN 978-4-89319-158-8
    胃袋豊彦「薄幸の名機「誉」エンジン概説」 p86~p89
  6. ^ 大木主計編集「丸メカニックNo.8 四式戦闘機疾風」1980潮書房「丸メカニックNo.33 四式戦闘機疾風」1982 潮書房、「丸メカニックNo.15 艦上偵察機彩雲」1979、潮書房
  7. ^ 「零戦」エンジンの希少な取扱説明書を完全復刻 性能めぐる議論決着の糸口に(2/2ページ) - 産経新聞
  8. ^ 堀越二郎・奥宮正武『零戦 日本海軍航空小史』(朝日ソノラマ、1997年) ISBN 4-257-79028-8 第4部 名機にも強敵続出 第3章 あとを継ぐもの 3 零戦の再来・烈風 p447~p448、またp460~p464
  9. ^ 野沢正 編著『日本航空機総集 第1巻 三菱篇』(出版協同社、1981年改訂新版) p210~p216
  10. ^ 大木主計編集「丸メカニックNo.8」(丸メカニックNo.33 p75 転載再掲)」潮書房1982
  11. ^ 静岡航空資料館
  12. ^ 河口湖自動車博物館 飛行舘 OfficialWebSite
  13. ^ 南レクへようこそ!
  1. ^ 教育指導で整備力を向上させるより、個々の経験や知識に依存する傾向があり、実際、部隊ごとで整備能力が異なり、経験を積んだ熟練整備員や構造を熟知する整備員がいる部隊ならともかく、基礎教育のみで配属された整備員しかいない部隊では整備に苦労していた。
  2. ^ 導風板(バッフルプレート)やシリンダーヘッドの冷却フィンの取り回しを容易にし冷却空気の流れを良くして後列のシリンダーが冷却不足とならないようにするため
  3. ^ この上の水準を達成したエンジンとして、スリーブバルブを採用してエンジン回転数を極限まで高めた水平対向エンジンネイピア・セイバー(80hp/L代)などがある。
  4. ^ ダイキャスト方式と類似した製造法で、低圧押湯式鋳造法ともいう。
  5. ^ 水メタノール噴射装置は吸気を冷却してシリンダー内に入る混合気の量を増やす(体積効率を上げる)効果とともに異常高温によるノッキングを防ぐ効果があるため、低オクタン価ガソリンしか使用できなかった当時の日本やドイツで多用された。
  6. ^ 前述の通り潤滑油ポンプの圧力が引き上げられた結果、他の箇所からの潤滑油漏れが増大し、操縦者は燃料だけでなく、潤滑油の残量にも気を配らねばならなかったとの証言が有る(『悲劇の発動機「誉」』)。
  7. ^ 刈谷は陸軍より技能抜群と認められ、1945年4月26日に全四式戦闘機保有部隊の整備隊長らを集めた成増基地における整備教育で、隊長らに直接指導を行っている。




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