親鸞 系図

親鸞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 21:19 UTC 版)

系図

略系図出典

  • 洞院公定撰『尊卑分脈』
  • 佐々木月樵 編『親鸞伝叢書』「本願寺系図」
  • 『真宗の教えと宗門の歩み』真宗大谷派宗務所出版部、第4版
  • 今井雅晴『如信上人』 真宗大谷派東京教務所、改訂版
  • 平雅行『歴史のなかに見る親鸞』
  • 同朋大学仏教文化研究所 編『誰も書かなかった親鸞-伝絵の真実』

注釈

  1. ^ グレゴリオ暦換算…本願寺派や高田派では、西暦の生没年をグレゴリオ暦に換算し、承安3年4月1日(1173年5月21日) - 弘長2年11月28日(1263年1月16日)とする。
  2. ^ 手前に配置されている各物品は左より、火桶皮の草履鹿杖。親鸞が座している座布団のようにみえるのは、毛皮の敷物。
  3. ^ 配流時の俗名は、藤井善信(ふじいよしざね)。
  4. ^ 吉水入門後の法名については、綽空から善信(ぜんしん)と改めたとする説と、綽空から親鸞と改めたとする説がある。詳細は「#改名について」を参照。
  5. ^ 〔房号〕 善信房…「善信」は、房号とする説がある。その説では、「善信房綽空」より「善信房親鸞」と吉水在所時に法名を改めたとしている。詳細については「#「善信」房号説」を参照。
  6. ^ 生没年月日の西暦表記については注意を要するため、生年月日については「誕生」の節を、没年月日については「入滅」の節を参照のこと。
  7. ^ 浄土真宗の宗祖(開山とも)と定めたのは、本願寺三世覚如である。
  8. ^ 旧暦(宣明暦)。
  9. ^ 親鸞は、自伝的な記述をした著書がほとんど無い(もしくは、現存しない)ため、「出生日」、「幼名」、「婚姻の時期」、「歿地」など不明確(研究中)な事柄が多く、様々な説がある事に留意されたい。
  10. ^ a b 本願寺派高田派では、明治5年11月の改暦(グレゴリオ暦〈新暦〉導入)に合わせて、生歿の日付を新暦に換算し、生誕日を5月21日に、入滅日を1月16日に改めた。大谷派佛光寺派興正派などでは、旧暦の日付をそのまま新暦の日付に改めた。
  11. ^ 御伝鈔』・『親鸞聖人正明傳』。『尊卑分脈』『本願寺系圖』では「皇太后宮権大進」とする。
  12. ^ 9歳から29歳までの20年間比叡山で修行した。ちなみに道元はわずか二年、日蓮も十年前後である。
  13. ^ 他説に、比叡山無動寺谷大乗院より毎夜下り、百夜に渡り六角堂に通った説もある。無動寺谷大乗院には、毎夜居なくなる範宴(親鸞)を回りの僧侶達が不審に思い師匠に告げ口をした。その師匠は、夜中に蕎麦を振る舞い、範宴の所在を確かめようとした。その時、範宴自作の木像が蕎麦を食べて、回りの不審を払拭したという伝説が残されている。その時の木像が、今も無動寺谷大乗院に「蕎麦喰ひ木像」とよばれ、本尊・阿弥陀如来と共に祀られている。
  14. ^ 「宿報」の意訳について…一般的に「宿報」とは、「宿世(すくせ)の果報。前世でなした善悪業(ぜんあくごう)のむくい。」(『広辞苑』第五版)の意である。しかし、過去世としての「前世」に否定的な見解の場合は、「前世」ではなく「過去の行い」と解釈している。(本多弘之 監修『知識ゼロからの親鸞』幻冬舎、2009年。P.29「六角堂夢告の内容」 を参照。)
  15. ^ 現在の真宗大谷派岡崎別院付近。
  16. ^ 綽空…「綽」は、中国の道綽禅師より、「空」は源空〈法然〉上人よりつけられたものと推察される。[14]
  17. ^ 原文 - やまをいてゝ 六かくたうに百日こもらせ給て ごせをいのらせ給けるに(中略)又六かくたうに百日こもらせ給て候けるやうに 又百か日 ふるにもてるにも いかなるたい事にも まいりてありしに(『浄土真宗聖典』〈原典版〉P.888。)
  18. ^ 善信…「善」は、中国の善導大師より、「信」は源信和尚より。
  19. ^ 当初、本多は夢告に依って「善信」に改名した後に、越後流罪赦免後に「愚禿釋親鸞」(「善信房親鸞」)に改名したと講じている(『新講教行信証:総序の巻』「第一講」〈1999年7月18日〉P.18・P.23)。しかし、真木由美子『親鸞とパウロ』における論証を受け、「善信」は房号であり、吉水在所時代に実名を「綽空」から「親鸞」に改名したとする説に改めている(『新講教行信証:総序の巻』「第二講」〈1999年9月17日〉P.33-37、付「出会いと名のり-「親鸞」の名によせて」P.319-331)。
  20. ^ 『親鸞聖人御因縁』 - 鎌倉時代後期頃に成立したと考えられる荒木門徒系の伝承。荒木門徒は武蔵国荒木(埼玉県行田市)に在した門徒集団で、親鸞の孫弟子である源海を祖とする。真宗佛光寺派や真宗興正派が荒木門徒の系譜に属する。[29]
  21. ^ 存覚述『親鸞聖人正明伝』- 五天良空(寛文9年〈1669年〉 - 享保18年〈1733年〉)による著作とみられる。五天良空は、専修寺系の寺院「常超院」(三重県四日市市)の住持享保18年(1733年)開板[31]
  22. ^ 五天良空『親鸞聖人正統伝』 - 五天良空による著作。正徳5年(1715年)1月18日完成。享保2年(1717年)7月開板[31]
  23. ^ 善鸞の実母…平雅行は、善鸞の実母は「善鸞義絶状」に記述されている「ミフノ女房」と推定し、善鸞の実母が死没していた場合は「ミフノ女房」は実母の姉妹か善鸞の同母妹と推定している。(平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第四章 越後での生活」P.109-114「善鸞の母」。)
  24. ^ 7子すべてが恵信尼の子ではないとする説…印信の母については、『尊卑分脈』では「月輪関白女」、『本願寺系圖』(大阪本願寺本)では「後法性寺摂政太国兼実女」と記されている。いずれも「九条兼実の娘」の意である。小黒女房の母については、『本願寺系圖』(大阪本願寺本)は「兵部大輔三善為教女」と記され、三善為教の娘である。
  25. ^ 建永2年…建永2年10月25日に、「承元」と改元する。
  26. ^ 土佐国番田…「番田」は、「幡多」・「幡田」とも。『歎異抄』の写本により異なる。
  27. ^ 法然は土佐国番田へ…法然は、円証(九条兼実)の庇護により、土佐国から讃岐国に配流地が変更になる。
  28. ^ 親鸞…「親」は、インドの天親菩薩より、「鸞」は曇鸞大師より。[要出典]
  29. ^ 岡崎中納言範光を通じて…勅使は、岡崎中納言範光卿(藤原範光)と伝えられているが、当時すでに入道していて、範光の命を受けた者が勅使として越後に向ったと考えられる。(#参考文献
  30. ^ 勅免…勅命(天皇の命令)による赦免
  31. ^ 建暦元年(1211年)11月…新暦で換算すると12月~1月。
  32. ^ 大山の草庵…別説には、稲田の草庵から大山の草庵に移住したとする説もある。[要出典]
  33. ^ 笠間郡稲田郷…現在の茨城県笠間市
  34. ^ 「稲田の草庵」を由緒とする寺院はいくつかあり、西念寺の他に、浄興寺(現在は、新潟県上越市に移転)などがある。
  35. ^ 当時の政治の中心地は鎌倉であるが、経済・文化の中心地は京都である。(京都#鎌倉幕府の設置を参照。)
  36. ^ 機械的伝達手段…テレビ・ラジオなど通信装置など
  37. ^ 経済・文化などの伝播の速度…言語の伝播(柳田國男提唱の「蝸牛考」を参照。)と同様に、経済・文化なども中心地を同心円として広がる傾向がある。
  38. ^ 『正像末和讃』(「皇太子聖徳奉讃〈十一首〉」)に収録されている物とは、別の和讃集。
  39. ^ 南北朝時代には〜総称する…伊藤博之 校注『歎異抄 三帖和讃』P.51より
  40. ^ 弘長2年11月28日は、西暦(ユリウス暦・グレゴリオ暦換算ともに)では「1263年」になるが、弘長2年はまだ年を越していないので「1262年」と考える。よって、文献の「親鸞の示寂」の年の西暦を、和暦に基づいて「1262年」と表記する場合と、新暦に基づいて「1263年」と表記する場合があるので注意が必要である。
  41. ^ 押小路南 万里小路東 - おしこうじみなみ までのこうじひがし
  42. ^ 入滅の地である、押小路南 万里小路東の「善法院」(「善法坊」)には諸説ある。本願寺派は、「善法坊」の場所を西の万里小路とし、善法院を再興する(現、本願寺派角坊別院)。大谷派は、「善法院」の場所を「親鸞ヶ原」と呼ばれるようになった地に建立された法泉寺の跡地(現、京都市立京都御池中学校〈虎石町〉)付近として、「見真大師遷化之旧跡」の石碑を建立する。その他にも、光円寺(京都市下京区)で入滅され、何等かの理由により善法院に御遺体を移されたとする説もある。[要出典]
  43. ^ 本願寺派は、鳥辺山南辺(現在の大谷本廟〈西大谷〉の「御荼毘所」)にて荼毘に付されたとする。大谷派は、延仁寺(京都市東山区今熊野)にて荼毘に付されたとしている。(現在の延仁寺は、東本願寺第二十一世嚴如が再興したもの。)
  44. ^ 見真大師 - けんしんだいし
  45. ^ 浄土真宗の教章 - 浄土真宗本願寺派における規範のひとつで、親鸞聖人の流れをくむものとして心に銘ずべき内容を定めたもの。
  46. ^ a b c d 経尹、範綱、有範について、『尊卑分脈』と『本願寺系図』とでは関係が異なる。本図は『本願寺系図』に依拠する。
  47. ^ 藤原範綱(日野範綱)…親鸞が得度(入室?)する時の養父。
  48. ^ 恵信尼…三善為教の子。諸説あり。
  49. ^ 小野宮禅念 - 覺信尼の後夫。
  50. ^ 藤原広綱 - 覺信尼の前夫。死別。
  51. ^ 『観無量寿経疏』の各巻題は、『観経玄義分 巻第一』・『観経序分義 巻第二』・『観経正宗分定善義 巻第三』・『観経正宗分散善義 巻第四』である。
  52. ^ 『法事讃』…上巻の首題は、『転経行道願往生浄土法事讃』、尾題は『西方浄土法事讃』で、下巻は首題・尾題ともに『安楽行道転経願生浄土法事讃』である。
  53. ^ 『般舟讃』…首題は『依観経等明般舟三昧行道往生讃』、尾題は『般舟三昧行道往生讃』である。
  54. ^ 『観念法門』…首題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』、尾題は『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』である。
  55. ^ 和国の教主…「和国」とは日本のこと、「教主」とは釈尊のこと。[要出典]
  56. ^ 『大無量寿経』など浄土経典は、親鸞在世当時では釈尊自説と考えられていた。現代では浄土経典は、小乗仏教確立後に出現したものと考えられている。(『浄土三部経』(下)、「文献」・「解説」を参照。)
  57. ^ 「文明本」などでは、「像末五濁ノ世トナリテ 釋迦ノ遺敎カクレシム 彌陀ノ悲願ヒロマリテ 念佛往生サカリナリ」。
  58. ^ 本願寺の開祖は親鸞とされるが、覚如が本願寺を成立させた後に親鸞を開山と定めた。
  59. ^ 浄土真宗本願寺派では、教如は歴代に入れず、准如を第十二代とする。
  60. ^ 五木寛之『親鸞』では、親鸞の幼名を「日野忠範」としている。

出典

  1. ^ 『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。
  2. ^ 本願寺聖人親鸞傳繪上
  3. ^ 『本願寺系圖』
  4. ^ 松尾 2012, pp. 53–56.
  5. ^ 親鸞聖人正明傳巻一上
  6. ^ 高田開山親鸞聖人正統傳巻之一
  7. ^ 『親鸞 生涯と教え』P.26「第一節 誕生」、真宗大谷派出版部、2010年。
  8. ^ 参考文献…高松信英・野田晋 著 『親鸞聖人伝絵 -御伝鈔に学ぶ-』 真宗大谷派宗務所出版部、1987年刊行、ISBN 978-4-8341-0164-5[要ページ番号]
  9. ^ 参考文献…瓜生津隆真・細川行信 編 『真宗小事典』 法藏館、2000年新装版、ISBN 4-8318-7067-6[要ページ番号]
  10. ^ 参考文献…佐々木月樵編『親鸞伝叢書』P.19『親鸞聖人正明傳』巻一上・『高田開山親鸞聖人正統傳』巻之一P126より。
  11. ^ なぜ親鸞聖人は法華経の修行を捨てられたのか 仏教に学ぶ幸福論
  12. ^ 意訳…瓜生津隆真・細川行信 編『真宗小事典』法藏館、2000年、新装版。P.189「六角夢告」より引用。
  13. ^ 出典…「恵信尼消息」。[要ページ番号]
  14. ^ 石田 1989, p. 18.
  15. ^ 高松信英、野田晋 『親鸞聖人伝絵 -御伝鈔に学ぶ-』補注、P107「七、吉水入室の年次」・P108「九、建仁元年」。
  16. ^ 平松 1998, pp. 45–97.
  17. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 妻木直良編 『真宗全書』第34巻、蔵経書院、1914年、P.299「親鸞聖人正明傳巻一下」。
  18. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 妻木直良編 『真宗全書』第34巻、蔵経書院、1914年、P.301「親鸞聖人正明傳巻二上」。
  19. ^ 大橋俊雄 校注 『法然 一遍』 岩波書店〈日本思想大系 10〉、P.284。
  20. ^ a b c 石田 1989, p. 17.
  21. ^ 『顯淨土眞實教行證文類』SAT DB(大正新脩大藏經テキストデータベース)を参照。
  22. ^ 真木由香子『親鸞とパウロ』教文館、1988年。
  23. ^ 「善信」房号説を支持する学者は、本多弘之の他に寺川俊昭(「親鸞の名をめぐって」『真宗』2010年11月号、真宗大谷派出版部)・豅(ながたに)弘信(「「善信」実名説を問う(上)」、『親鸞教學』第95号、大谷大学真宗学会、2010年、40-54頁。・「「善信」実名説を問う(下)」、『親鸞教學』第96号、大谷大学真宗学会、2011年、50-68頁。)など。
  24. ^ 知識ゼロからの親鸞入門』41頁より。
  25. ^ 松尾剛次『親鸞再考』[要ページ番号]
  26. ^ 佐々木正『親鸞再考』[要ページ番号]
  27. ^ 西山深草(吉良潤)『親鸞は源頼朝の甥』[要ページ番号]
  28. ^ 中外日報(2014年4月9日)
  29. ^ 興正寺史話
  30. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 佐々木月樵編 『親鸞伝叢書』解題、P.2-3。
  31. ^ a b 真宗高田派本山 専修寺「高田本山 専修寺の歩み」
  32. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 佐々木月樵編 『親鸞伝叢書』解題、P.6-8。
  33. ^ 平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第二章 延暦寺からの出奔」P.47、「第四章 越後での生活」P.97
  34. ^ 松尾 2012, pp. 18–23.
  35. ^ 玉日姫の実在説に新史料 ―「親鸞と結婚」話に真実性 2013年2月21日付 中外日報(論・談)
  36. ^ 平雅行 『歴史のなかに見る親鸞』「第四章 越後での生活」P.114-119「恵信尼について」
  37. ^ 参考文献…『本願寺系圖』(大阪本願寺本)
  38. ^ 興正寺史話【十五】「興正寺の伝承 その一」
  39. ^ 興正寺史話【十六】「興正寺の伝承 そのニ」
  40. ^ 興正寺史話【十七】「興正寺の伝承 その三」
  41. ^ 興正寺史話【十八】「興正寺の伝承 その四」
  42. ^ 『中外日報』2008年1月17日付を参照。
  43. ^ “親鸞、教科書記述に変化 「教えを発展」修正の動き/法然が劣ると誤解生む?”. 朝日新聞朝刊. (2017年3月17日). http://www.asahi.com/articles/DA3S12845352.html 
  44. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 村田勤 『親鸞真伝 : 史的批評』第十二章 系圖上の大疑問、P.116-121。
  45. ^ 千葉乗隆『浄土真宗』ナツメ社、P.216「親鸞の存在についての論争」。
  46. ^ 鷲尾教導『恵信尼文書の研究』P.3
  47. ^ (九条兼実の娘?) - 『日野一流系図』に、宴意(改印信)の母について「後法性寺摂政兼実公女」(九条兼実の娘)と記されている。兼実の日記『玉葉』に、兼実に2人の娘が記され、1人は後鳥羽天皇中宮宜秋門院任子で、もう1人は4歳で亡くなっている(本願寺史料研究所報 第26号、平松令三「西本願寺蔵 古本本願寺系図について」P.8、参照。)。
  48. ^ 印信 - 『日野一流系図』に、親鸞の長男は宴意(改印信)と記されている。
  49. ^ 善鸞の母については異説があり、恵信尼は継母で、実母は「善鸞義絶状」に記されている「みぶの女房」とする説がある。詳細は「善鸞#恵信尼との関係」参照。
  50. ^ a b 『岩波仏教辞典』(第二版)P.541「浄土真宗」
  51. ^ 『真宗小事典』P92「浄土真宗」
  52. ^ 『浄土真宗聖典』オンライン検索にて検索
  53. ^ 梅原猛『歎異抄』(講談社、2015)
  54. ^ 釈徹宗『NHK100分de名著 歎異抄~仏にわが身をゆだねよ』(NHK出版、2019)
  55. ^ >小手川巧光「五木寛之著「親鸞」」保健医療経営大学紀要 № 2 65 ~ 69(2010)
  56. ^ 佐々木閑『別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』(NHK出版)
  57. ^ 鈴木大拙『日本的霊性』(角川ソフィア文庫、2010)
  58. ^ 平, 雅行「歴史のなかに見る親鸞」『(No Title)』。 
  59. ^ 三帖和讃 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  60. ^ 松本 1998, pp. 99–100.
  61. ^ 松本 1998, pp. 99–103.
  62. ^ a b c d 本願寺(西本願寺)>本願寺について>本願寺の歴史
  63. ^ a b c d 東本願寺>東本願寺について>真宗大谷派(東本願寺)沿革
  64. ^ 真宗佛光寺派 本山佛光寺>佛光寺のご紹介「中興了源(りょうげん)上人」
  65. ^ 興正寺史話【六】「興正寺建立以前」
  66. ^ 興正寺史話【七】「了源上人と存覚上人」~了源上人はいつ京都に来たのか~
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  70. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞とその妻』第1巻(叡山時代)
  71. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞とその妻』第2巻(吉水時代)
  72. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞とその妻』第3巻(越後時代)
  73. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第1巻
  74. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第2巻
  75. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第3巻
  76. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第4巻
  77. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 丹羽文雄『親鸞』第5巻
  78. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 三国連太郎『白い道 : 法然・親鸞とその時代 しかも無間の業に生きる. 第1部』3冊
  79. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 津本陽『弥陀の橋は:親鸞聖人伝』上巻
  80. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 津本陽『弥陀の橋は:親鸞聖人伝』下巻
  81. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』上
  82. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』下
  83. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』激動篇 上
  84. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』激動篇 下
  85. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』完結篇 上
  86. ^ NDL-OPAC - 書誌情報 五木寛之『親鸞』完結篇 下
  87. ^ 映画 親鸞 - allcinema
  88. ^ 映画 親鸞 白い道 - allcinema






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