西洋美術史 現代

西洋美術史

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現代

ベル・エポック

ベル・エポック(良き時代)とは、1900年から第一次世界大戦までの華やかで享楽的な時代を指すフランス語で、静かに忍び寄る戦乱の気配に耳を塞ぎ、束の間の繁栄と平和を享受した時代であった[270]。芸術分野においてはアール・ヌーヴォー(新しい時代)、ユーゲント・シュティール(青春様式)、モダニズム・スタイル(近代様式)といった多彩な芸術運動がヨーロッパ中を席巻し、広い分野で相互交流による美術の追究が行われた[270]世紀末芸術運動とも称されるこの運動は広範囲に及び、それぞれが独自色を保ちつつも新しさを求めようという共通認識の下に活動を展開していた[270]。代表的な活動グループとしてはウィリアム・モリスを中心としたアーツ・アンド・クラフツ運動、『ルヴュ・ブランシュ』を中心としたフランス芸術家たち、ベルギーの前衛芸術グループ自由美学、『ユーゲント』『パン』を舞台としたドイツ画家グループ、ミュンヘン、ベルリン、ウィーンで相次いで結成された分離派グループなどが挙げられる[271]。中でもグスタフ・クリムトを中心としたウィーン分離派の影響力は強く、オスカー・ココシュカエゴン・シーレといった表現主義的傾向を強烈に表した尖鋭画家や、アドルフ・ロースのような「装飾は犯罪である」といった思想を持った芸術家の誕生を促す結果となった[272]。また、表現主義の原点とも言えるエドヴァルド・ムンクジェームズ・アンソールフェルディナント・ホドラーといった画家が躍動したのもこの時代である[273]。現代美術のはじまりは、こうした豊かで多様な世紀末芸術の成果を受け継ぎ、乗り越えることによって展開されていった[272]

現代建築

オーギュスト・ペレによる鉄筋コンクリートを用いた建築技法の導入は、構造体としての抵抗力の強さを獲得するとともに自由な造形性を得ることに成功し、20世紀の建築美術は新たな局面を迎えることとなった[272]。新しい建材の特性理解が浸透していくとともに、コンクリートの持つ可能性を引き出した自由な造形性を持った建築物が誕生した[274]。ゆるやかな局面と巨大な屋根を持ったル・コルビュジエロンシャンの礼拝堂、何の支えも無い部屋が空中に突出しているかのようなフランク・ロイド・ライト落水荘などは、その代表的な作例として取り上げられる[274]

建築家の社会的役割が変化したのも20世紀の特色のひとつで、建物の完成のみならず、都市社会における機能性や存在意義についてこれまで以上に配慮が必要となった[274]ヴァルター・グロピウスが幅広いデザイン教育の機関としてバウハウスを設立したのも、こうした社会的要請を背景にしたものであった[274]。ル・コルビュジエはそうした機能主義を追究した建築家の一人でもあり、こうした流れがミース・ファン・デル・ローエヴァルター・グロピウスといった機能主義を標榜する建築家の誕生を促した[274]。機能主義建築は合理的形態、規格化、プレファブリケーションを推進し、大量生産と結びつくことで現代的な性格を持つに至った[275]。一方でこうした機能主義建築に機械的な冷徹さを感じ取った建築家は有機的建築を推進した[275]。先に挙げたサリヴァンやライトの他、世紀末建築の巨匠アントニ・ガウディなどもこの流れに含むことができる[275]

第二次世界大戦によって芸術活動は空白の時間を迎えるが、多くの芸術家がアメリカに亡命したこともあり、戦後はアメリカを中心とした建築活動が展開された[276]。グロピウスやローエをはじめとするバウハウス系の建築家がアメリカで建築教育や設計活動に従事し、現代建築の実験場と揶揄されるほど様々な建築物がアメリカに誕生した[276]。1950年代までは、画一的な建築の普及を目指すバウハウス系建築家がアメリカで大きく活動することによって、彼らの国際様式(モダニズム建築)が世界的なスタンダードとされていたが、次第にこれに反発する動向が見られるようになり、CIAM(近代建築国際会議)の解散も相俟って地域や用途、建築家の感性によってふさわしい造形を決定する個性化の流れが生まれ、大胆な形態の組み合わせを見せるポストモダン建築が登場した[277]

ウンベルト・ボッチョーニの『空間の中のユニークな連続の形態』。

現代彫刻

20世紀の彫刻は、ロダンの影響を甘受し、脱却するところから始めねばならなかった[275]。画家から彫刻家へ転身し、ダルーのアトリエを通じてロダンと出会ったことでロダンに大きく影響を受けたメダルド・ロッソ英語版は、石材からの解放を目論み、素材に蝋や石膏といった伸びのあるものを採用した[278]。蝋を素材とした『この子を見よ』では素材の流動性を生かした表現が見られ、その表面には印象派絵画にも似た光と影の絶妙なコントラストを生み出すことに成功している[278]。ロダンの助手でもあったアントワーヌ・ブールデルは、ロダンの表現力と構想力を受け継ぎつつ、自己の様式確立を追及し、『弓を引くヘラクレス』によって男性的力強さを表現することに成功している[275]。女性像をモチーフとし、健康的で調和の取れた作品を創出したアリスティド・マイヨールは、ブールデルを通じてロダンに高く評価された彫刻家のひとりであるが、その作風はロダンのそれとは明らかに異なった性格を持ち、地中海的伝統を作品に刻みつける事で自己の確立を試みている[275][279]。初期の作品『地中海』は、古典主義的な落ち着きと調和が見られるマイヨールの代表作のひとつである[280]。マイヨールの作品は後世の彫刻家にも影響を与え、マリノ・マリーニアメデオ・モディリアーニといった芸術家の登場を促した[275]

一方でキュビスムの彫刻は人体の統一性からの脱却を図り、自由奔放な新しい造形表現の獲得に成功している[275][281]。代表的な彫刻家としてはパブロ・ピカソアンリ・ローランス英語版ジャック・リプシッツ英語版オシップ・ザッキンなどが挙げられる[282]。こうした流れを受けてさらにダイナミックな形態のリズムを追究したレイモン・デュシャン=ヴィヨンウンベルト・ボッチョーニらが登場し、根源的な形態を追い求めたコンスタンティン・ブランクーシがその後に続いた[282]。ブランクーシはロダンからその才能を見初められ、助手へと誘われた彫刻家のひとりであったが、自身の追い求める表現を実現させるため、あえてその誘いを断っている[283]。 他方で、マックス・エルンストジャン・アルプアルベルト・ジャコメッティらによって生み出された作品は、後のダダイスムシュルレアリスム幻想絵画(幻想的表現主義)へとつながっていくこととなった[282]。ブールデルから彫刻を学んだジャコメッティはその後、自身もシュルレアリストのグループに参加し、『シュルレアリスム的なテーブル』などの作品を発表した[284]。第二次大戦後、現実との乖離に挫折を覚えたジャコメッティはその作風を大きく変え、戦後のフランス彫刻界において、もっとも高い評価を受けた彫刻家のひとりとなった[284][285]

現代絵画

フランツ・マルクの『小さな青い馬』。

1905年、当時の批評家からフォーヴ(野獣)と呼称された、サロン・ドートンヌに出品された鮮烈な色彩表現を持った一連の作品を創出した画家たちが興した運動であるフォーヴィスムは、20世紀最初の絵画革命と言われている[282][286]。『ジル・ブラス』紙でルイ・ヴォークセル英語版に「原色の狂宴の中にいる野獣たちの集まり」と批判されたように、フォービスムは酷評でもって迎えられたが、多くの画家が伝統に縛られない色彩の自立と感情の解放を求める態度に共感を覚え、この新しい様式に共鳴した[287]。主要なメンバーとしてはアンリ・マティスジョルジュ・ルオーアルベール・マルケモーリス・ド・ヴラマンクアンドレ・ドランキース・ヴァン・ドンゲンラウル・デュフィジョルジュ・ブラックらが挙げられる[282]スーラ後期印象主義絵画が持つ色彩理論や、ゴッホの原色表現の影響を受けた彼らの共通点は、独自の色彩表現を探究し、色彩の写実的役割からの解放を目指したことにある[282][287]。しかしながらこの傾向は明確な声明に支えられていなかったこともあり大きな流行には至らず、1905年をピークとして減衰していくこととなった[282][288]。フォーヴィスムを体現し、体験した画家たちはその後色調や技法を変えつつ、独自の美学を追究しそれぞれの方向性を見出していくこととなった[288]

フォーヴィスムが誕生した同じ年にエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーエーリッヒ・ヘッケル英語版マックス・ペヒシュタインエミール・ノルデらを中心として前衛絵画グループブリュッケがドレスデンで結成された[289][290]ドイツ表現主義の第一波とされるこのグループは、強烈な色彩表現を特徴とする点においてはフォーヴィスムと共通していたが、より濃密な絵画を発表している[289]。その他、1909年にミュンヘンで結成された新芸術家同盟は、初期メンバーのフランツ・マルクアウグスト・マッケワシリー・カンディンスキーらにパウル・クレーが加わることで青騎士へと発展を遂げ、戦後の抽象表現主義につながる大胆な絵画表現を試みる活動を実施している[289][291]

ロベール・ドローネーの『エッフェル塔』。

その後、ピカソやブラックによって形態と構成における絵画革命キュビスムが推進され、フアン・グリスを加えてモンマルトルを中心に活動を展開した[289]。特にピカソは、90年に渡る長い生涯のなかで絶え間なく絵画の革新と実験を試み、20世紀芸術の方向性に大きな影響を与え続けた[292]。1907年に発表したキュビスムの出発点とも言うべき『アビニヨンの娘たち』では、アフリカの仮面彫刻のようなプリミティブ芸術に影響を受けた大胆なデフォルメと、セザンヌに学んだ知的構成が融合し、それまでになかった新しい絵画世界の実現に成功している[292][293]。キュビスムは対象を解体して、画面上で再構成するというピカソやブラックが推進した手法もさることながら、同時に創出された新聞などの実物を直接画面に貼付するコラージュという技法が生み出された点も、絵画のあり方を一変させたという点において、後世の芸術家に多大な影響を与えている[294][295]。ピカソ、ブラック、グリスの他、キュビスムの代表的な画家としてはフェルナン・レジェロベール・ドローネーらがいる[294]

キュビスムよりやや遅れて結成された未来派は、詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティを中心に活動を展開し、機械文明におけるダイナミズムとスピード感を賛美し、積極的な運動表現を作品に取り入れることを探究した[296][297]。主なメンバーとしてはジャコモ・バッラジーノ・セヴェリーニカルロ・カッラなどがいる[296]。未来派の活動は絵画のみならず、音楽、建築、彫刻など多方面に及び、先に紹介したボッチョーニもその影響を受けた彫刻家として知られている[296][298]。また、マリネッティがロシアを訪れたことでロシアの前衛芸術の形成にも大きな影響を与えた[296]ミハイル・ラリオーノフナタリア・ゴンチャロワらによるレイヨニスムカジミール・マレーヴィチらによるシュプレマティスムといった抽象主義的絵画は、こうした影響の中で誕生していった[299]。シュプレマティスムを推進していたウラディミール・タトリンアントワーヌ・ペヴスネルナウム・ガボらはその後、シュプレマティスムが見出した幾何学的形態の極地から、さらに推し進めた構成主義を推進している[300]

オランダのピエト・モンドリアンが創始した新造形主義も幾何学的な抽象表現を極めた様式のひとつで、モンドリアンはキュビスムの影響を受け、自然風景を垂直と水平の要素にまで還元し、この単純な構図に色の三原色を組み合わせるという美学に到達せしめた[301]。またモンドリアンは、テオ・ファン・ドースブルフとともにデ・ステイル運動を推進し、絵画にとどまらない幅広い芸術分野に新造形主義の様式を拡大していった[301][302]

他方、現代絵画のもうひとつの大きな流れとして、人間の心、未知の世界を探究し表現する幻想絵画がある[303]形而上絵画はその代表的様式で、中心的人物のジョルジョ・デ・キリコは、長く伸びた影や人気の無い町並みを主題として白昼夢のような郷愁を誘う神秘的かつ不気味な不安を感じさせる作品を生み出している[303]。その不安が現実となるかのように第一次世界大戦が勃発すると、厄災を生み出す社会や文化に対して強い批判を表明する芸術運動が同時多発的に持ち上がった[303]。こうした動きはやがてひとつの大きなうねりとなり、あらゆる既成価値を否定するダダイスムが誕生した[303]マルセル・デュシャンが展覧会に出品した『泉』と称する便器やひげのあるモナ・リザを描いた『L.H.O.O.Q.』はその最たる例である[304][305]。彼らはあらゆる方法で価値の転換を試み、過去の芸術や文化の徹底的な破壊と否定を推し進めた[306]。代表的なメンバーとしてはハンス・アルプフランシス・ピカビアマン・レイなどがいる[303]

第一次世界大戦後にはシュルレアリスムが登場し、ダダイスムによる否定を受けて、非合理の世界を解放することによって新しい価値の創造を目論む動きが始まった[306]。シュルレアリスム運動は詩人アンドレア・ブルトンが1924年に『シュルレアリスム宣言』を発表したことによって定義の明確化が図られた[307]。芸術分野においてマックス・エルンストサルバドール・ダリルネ・マグリットイヴ・タンギーらを中心として展開されたシュルレアリスム運動は、各々の想像力を糧に、夢と現実が矛盾無く世界を構築するような世界(超現実)の実現を目指した[306]。作品制作にあたり、彼らはデペイズマンオートマティスムフロッタージュデカルコマニーといった新しい技法を次々と考案し、後世に無視できない多大な影響を残した[308][309]

こうした新しい芸術運動が様々に展開される一方で、アンリ・ルソールイ・ヴィヴァンアンドレ・ボーシャンセラフィーヌ・ルイといったいわゆる素朴派と呼ばれる素人画家が多く登場してきたことも、現代絵画の変革を伝える重要な要素のひとつである[310][311]。また、エコール・ド・パリ(例:シャガールユトリロキスリングスーティン藤田嗣治)に代表されるように、特定の運動に加わることなく、自己の世界を表現し続けた画家も数多く存在していたことは忘れてはならない[310][312]

1945年、第二次世界大戦が終了すると、戦争の影響を強く伺わせるいわゆる戦後美術が登場した[313]。作品としてはフランシス・ベーコンが描いた『風景の中の人物』、ジャン・フォートリエの『人質』に代表されるような、戦争の悲劇がもたらした人間そのものへの問いかけを含有する悲劇的な様相を表現する傾向にあった[314]。アメーバのような不定形なフォルムと血を連想させる生々しい色彩を用いたヴォルスや、幼児や精神障害者の描く原生芸術を追求し、アールブリュットを提唱したジャン・デュビュッフェなども代表的な画家として挙げられる[315][316]。フォートリエが表現した厚塗りの具象的な作品はその後、アンフォルメルと呼ばれる表現主義的抽象絵画として1950年以降もてはやされることとなる[312]。こうした作品は、保守派ジャーナリズムや一般観衆から「子供の悪戯描き」と揶揄されながらも感覚に直接訴えかける新鮮な迫力を持った表現形式としてその地位を確立させた[312]。他方で、こうした表現主義的抽象絵画が採った具象的モチーフの拒否を否定することで、現実への復帰を試みたネオダダポップアートが誕生したのもこの時代であった[317]

ロバート・スミッソンの『螺旋状の突堤』。

多様化する表現形式

1980年代以降、美術を表現する新しい方法が次々と生み出され、それらが互いに影響を及ぼしあうことにより複雑な美術体系が構築された。ナムジュン・パイクによるビデオ・アート、映画を含めた映像作品も美術作品として定義することが可能であり、現代美術の主要部分を占めるようになったと言って良い[318]。また、シンディ・シャーマンロバート・メイプルソープなどの写真美術作品や、マリーナ・アブラモヴィッチのような自身の身体を用いたパフォーマンス的な美術作品に代表されるように、様々なメディアを使用した表現形式(メディアアート)が誕生している[319][320]

1960年代後半から1970年代にかけて誕生したロバート・スミッソンを嚆矢とするアースワーク(ランドアート)も、そうした多様化した表現形式の帰結のひとつである[321][322]自然派と呼ばれた彼らは地球をキャンバスとし、訪れることさえ容易ではない地に作品を直接制作することで、限られた空間からの解放と美術の商業主義からの脱却を試みた[321][322]。代表的なものとしてはすでにグレートソルト湖の湖中に水没したスミッソンの『螺旋状の突堤』、落雷を呼ぶ金属ポール400本を等間隔に設置し、落雷現象そのものを美術作品として発表したウォルター・デ・マリアの『ライトニング・フィールド』、ストーンヘンジやストーンサークルといった原初的な造形を追及したリチャード・ロングの環状列石作品群などがある[323][324]


注釈

  1. ^ 先エトルリア文化であるヴィッラノーヴァ文化の時代を加える場合もある[71]
  2. ^ キリスト教を主題とした現存する最古の美術品は紀元2世紀から3世紀にかけてのもので、イエス時代を含めそれ以前のものについては発見されていない[89]
  3. ^ 15世紀のルネサンス時代に生きた画家が見ることが出来たローマ時代の壁画としては、トラヤヌス浴場の下から発掘されたドムス・アウレアぐらいであったとされている[147]
  4. ^ 両者の担当区分については議論が交わされてきたが、平面性を重視した構図を採用した部分がフーベルト、アダム、イヴの仰瞰像および現実的な奥行き感を表現した受胎告知の部分がヤンの手によるものであるとするのが今日の定説となっている[164]
  5. ^ スフマート自体はつたないながらも先に描いた『岩窟の聖母』で使用が試みられている[177]
  6. ^ 水晶宮は1851年にロンドンで開かれた万国博覧会の会場として建設されたものであり、現在は解体されて残っていない[256]
  7. ^ 『オランピア』はティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』に代表されるルネサンス以来の伝統的な横たわるヴィーナスの構図を借用しつつ現代パリの高級娼婦を描き出した作品である[260]

出典

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